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「不思議だね」


 途切れた会話はミュゼが繋いだ。二人の間に流れる沈黙も、互いにとって居心地の悪いものではない。ミュゼはディルがどんな人物であるかをある程度把握していて、ディルはミュゼの事を全て分かっている訳でも無いのに、接する時間は互いへの理解を進めるかのように、穏やかに進んでいた。


「私さ、ずっとエクリィに育てられて。エクリィってね、本当に酷い男なんだよ。確かに私が生きて行く為に必要な事は色々教えてくれた。でも、それがマスターの所で役に立つなんて思わないじゃない」

「……汝の生きた未来(せかい)は、其処まで争乱に事欠かぬ世界なのか」

「そう、だね。本当、さぁ。多分、マスターはよく分かってると思うけど。死に近い所に居れば居る程、人の汚い所とか、他人がどうなっても生き残りたいっていう部分が色濃く出るよね。私は……そういうのから、エクリィが手を引いて離れられて、人より安全な所で、殺す気かって思うような教育受けて。なんかね、本当に不思議なんだけど。エクリィが私に色々厳しくしてた状況と今と、そんな変わらないんだ」

「汝が簡単に死ぬような任務は言い渡していない筈だが」

「それ! なんで人の命が簡単に死なないとか思ってくれてんの!? 私だって死んだことないけど多分無茶したら死ぬんだからな!?」

「事実、今現在死んでいまい」


 ミュゼは憤慨するが、ディルにとっては自分と妻の血を引いた者が簡単に死ぬなんて考えは一切無い。それが他の者の血で薄まっていてもだ。妻だってディル程ではないが、強かった。

 ディルの目の前にいる女が本当に子孫だというのなら、簡単には死んだりしない。迷惑な信頼ばかりがそこにあって、そのせいでミュゼの困惑は増すばかり。


「……本当、マスターと話すと、時々言葉が通じてるのかどうなのか分からなくなる」

「言語は同じものの筈だが?」

「そういう所だよ。本当、エクリィといいマスターといい、私の事を何だと思って――」

「エクリィ、とは」


 ディルが言葉を遮るように口を開く。


「アクエリアの事か」

「………、……」

「汝からの情報から想定される人物を探すと、合致する人物があの者しか居らぬ。妻と汝を知るに足る寿命と、様々な知識に精通した頭脳。我と妻の間の子を見守ろうという愚か、基い懐の深さ。妻が我に対する惚気を聞かせた程の仲。その全てが、アクエリア以外に有り得ぬと語っている」


 ミュゼはディルが話している間、微笑を浮かべていた。言い当てられるのを待ち望んでいて、それが叶ったかのような柔らかな笑顔だった。

 言葉を選ぶように、ミュゼがカウンターの上で指を組んだ。自分で絡めた指の先が、時折何かを掴もうとするかのように曲げられる。


「アクエリアってね。……私達一族を守るために、名前を捨てたんだ。色々外見も変えてるってのは聞いてたけど、アクエリアの姿と似ても似つかない。今のアクエリア見てたら、あいつがエクリィとして生きて行く為に犠牲にしたものの大きさが、私が一緒に過ごして来た時間じゃ補えないくらい重くて、辛くて苦しいものだって分かる」

「其れを望んだのはアクエリア――エクリィの方であろ。汝が此処へと来るまで、汝から離れなかったのが証明だ。親の代わりとなり、行く末を見守る為に」

「見守って欲しい訳じゃなかったんだけどねぇ」


 指の動きも、声も、震えている。


「悪い男だよ。酷い男ってのは、分かってた。ずっと、生まれた時から私の傍にいた男だ。……でも、エクリィが性格悪いの当たり前って思ってたのに、ここに来て私が見たアクエリアは優しくて。……私、ずっと足引っ張ってた自覚はあるんだ。エクリィはそれでも無理矢理私の腕引いて無理矢理歩かせて、なのにアクエリアは待っててくれる」

「……アクエリアが、汝を待つのは至極当然の事であろう。恋人、という言葉を狭義でしか知らぬ我だが、其れは悪い事象ではあるまい」

「私、エクリィの事もアクエリアの事も、好きなんだ」


 その言葉は、まるで告解のように。


「私に好きだと言ってくれるアクエリアと、私の事を芸を覚える犬か何かとしか思ってないエクリィ。同一人物なのに別人みたいで、なのに両方好きで、悪い事してる気分にさせられる。私に笑って嘘を吐く方法を教えた男に向かって、笑顔で嘘を吐いている。最低、って言うには、私のしてる事は生温いって思う。でも、そんな言葉で自分を詰らないと、アクエリアに申し訳ない」

「……理由を告げられぬのは、辛い事なのであろう。我には想像する事も出来ぬが、苦痛については少しは理解している心算だ」


 似合わぬディルの慰めを聞いて、一瞬呆気に取られると同時に唇を引き結んだ。ディルは苦痛を伴侶の喪失という形で知っているから、柄じゃない言葉でも嫌味なく受け取れる。

 素直に聞けた理由はそれだけじゃない。二人の仲が血縁であるからこそ、僅かな甘えが生じていた。それは悪い一辺倒の感情ではなく。


「辛いのならば酒を煽れ。一時的にではあるが、逃避の時間稼ぎには良いと聞いている。時間が解決する類の苦痛であれば、尚良いと。常に欲する腑抜けに成り下がらぬ範囲ではあるが」

「それ言ったの誰。私の件は時間が解決するにしても長すぎるよ」

「妻だ」


 ディルは手近な酒杯と酒瓶を手にする。飲みかけのそれは、このまま閉店状況が続けば悪くなってしまうからと無作為に手に取ったものだ。その銘柄を見て、ミュゼの眉間に皺が寄る。


「……それ、後から払えって言わない?」

「払う気があるのなら受け取ろう。そうで無いのなら気にせず飲むがいい。我には酒の良し悪しは分からぬ」

「本当? じゃあ有難くいただくよ。……んでも、後からがいいな」


 言いながら席を立つミュゼの瞳は厨房を向いていた。


「ちょっと泣いただけなのにお腹空いてきた。時間も丁度いいし腹ごしらえがしたい」


 僅かに潤んで赤くなった目が一瞬だけディルの方にも向けられる。

 それが何となく、自分の分も食事が用意される合図に思えて、一度だけ首を縦に振った。意味は通じたらしく、ミュゼは「はいはい」とだけ返事をして歩を進める。程なくして厨房から漂う香りは、料理に明るくないディルにしてみれば何が作られているか全く分からない。

 ミュゼも悩んでいる。ディルは助言をしてやる事も、ましてや解決してやる事も出来ない。厨房に入ったのは、少し頭を冷やす為かも知れなかった。ならばディルは、黙して待つのみ。

 完成の頃合いに、外に出ていた三人も酒場に帰ってくる。

 静かだった店内に、客がいないのに喧騒が戻ってきた。




 二番街から持ち帰った植物については、結局ヴァリンが予想しジャスミンが検分した以上の情報は出なかった。

 後から見たミュゼは「間違いなくプロフェス・ヒュムネの回し者だろうね」としか言わなかった。アクエリアに至っては見覚えすら無いという。

 自警団ではそれらの情報を元に、独自で除草隊を編成して細心の注意を払い草刈りに向かう手筈も整った。

 一晩経って。

 二晩経って。

 表面上は凪いだ海のような静寂を漂わせていた秋の空気が、次第に冬に近付き始める頃。


 待ち望んでいなかった来客が姿を現した。


 酒場を訪れたのはフュンフが先だった。目立つことはしないようにと言い含めた筈なのに、馬車に乗って来たらしい。車輪の音と馬の吐息が、来訪の為に開いた扉から聞こえた。

 車輪の音で酒場の面々は何事かと一階に下りてきていた。運良く今日は全員が揃っていて、漏れなく表情も強張っている。


「フュンフ」


 ディルはいつものカウンター内部の指定席ではなく、客席にある椅子を扉へ向けて足を組み座っている。

 その周囲を囲むように、酒場の面々全員が位置付いた。ディルからの指示の聞きやすさを優先したものだが、地位に違わず全員を統率する司令の居住まいは壮観だ。


「以前、徒歩以外で来店せぬように言っていた筈だが――忘れたか?」

「………」


 扉を完全には閉めず、それ以上中に入って来ようともしないフュンフは視線を彷徨わせながら下を向いた。言葉を選んで、それでも口にするのが難しいのは。


「……今回、伝達事項があるのは、ディル様。貴方にでも、この酒場にでもなく」


 フュンフの顔はあまり上がらず、けれど片側しかない鳶色の瞳はヴァリンを見ていた。

 ヴァリンは視線を受けて、瞳を瞬かせる。しかしそれは心当たりのない表情ではなく、その逆だった。


「……行かないって、言ったら、どうする?」

「お許しください、それでも私は貴方を連れ帰らねばならない。御不快とは存じますが、今だけは耐えていただきたい」


 二人の関係を他の面々は深く知らないが、今の時点ではフュンフが下手に出ているようで拒否権は無い。考えるようにヴァリンが頭を捻る、その動きに合わせて垂らして分けた前髪がさらりと動いた。

 ヴァリンには、分かっているのだ。フュンフがわざわざ馬車を伴って訪れた理由を。


「不快、だな。これが俺を引き戻すための虚言だったらと思うと更に不快だ。……事実、『そう』なってるのなら、不快どころの話でもない。まぁフュンフ、そこ開けっ放しじゃ話も出来ないよ。閉めろ」

「……お待ちください」


 半開きの扉を注意するヴァリンだが、フュンフは外に向かって視線を送る。その動きで、酒場には来客がまた一人増えた。


「……よぉ」


 黒髪の長身の男。その姿が現れると同時、ヴァリンの表情が目に見えて引き攣った。

 顔も見たくない、と。

 帰れ、と。

 口にせずとも表情が強く語っている。

 男――騎士団『風』隊長エンダ・リーフィオット――は中に一歩入るなり、言われた通りに扉を閉めた。


「こないだぶりだな、酒場の皆々様。淑女の二人に至っては、お健やかな様子でお目に掛かれて光栄の極み」

「……何の用だ、エンダ。お前まで来るなんて」

「お迎えに上がったんだよ。いい年こいて反抗期かましてる王家の坊ちゃんを、今際の際に到着を待っている父王陛下の元へと送り届けるのが俺の仕事だ」


 フュンフの表情は暗く、エンダの目も笑っていない。

 国王陛下、危篤。今は危篤寸前などと、茶化して言えるような状況でも無く。

 酒場の面々も話には聞いていたが、まさか今などと思わずに動揺の色が広がっている。


「仔細は馬車の中で。今は時間が無い、急げ」

「……俺は」

「我が国の王子殿下は、継母はともかく実父の死に際に顔を出す程度には温かい血が流れていると俺は信じている。……五兄妹中、国内に居ながら陛下の側に居ないのはお前だけだよアールヴァリン」


 急かすエンダの口調は、他の者が口を挟むことも許さない様子だ。

 ヴァリンは返事を即答できずに、唇を閉ざしたまま。



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