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 血で黒く変色した、アルカネットの血を吸った葉はもう動かなかった。ディルの手の中で突かれたり摘ままれたりしているが、葉に生えていた針も含めてすべてに敵意が感じられない。

 切り離された時点で獲物を捕らえようとする機能が失われるのだろう、という結論にはすぐに辿り着いた。貴重な証拠品として持ち帰る事にする。


「此れはジャスミンに確認させる。他国の知識も多少なり持ち合わせているアクエリアの目にも触れさせよう。数々の修羅場を潜っているミュゼも何か知っているやも知れぬ。フュンフはまた後日来ることになっていたな、それまで此の葉が原型を留めていれば見せよう」

「結局全員に見せるって事か」

「情報は多い方が良い。今更、情報の秘匿なども意味を成さぬであろう? プロフェス・ヒュムネの仕業と知れている今、開示せぬ理由が無い」


 酒場の面々は、最早同じ道を歩む仲間だ。それは崖の上のような道で誰かが足を踏み外すと、全員が奈落に落ちるように綱が括り着けられている。

 その道の先陣を切るのはディルだ。彼は目的に手が届くまでに近付いたが最後、それまで体を括っていた綱を切ってでも一人で奈落へと飛び込もうとしている。


「此処は危険だという確認が出来た。戦利品もある。情報収集として上出来だと考えるが、如何かヴァリン」

「上出来なんじゃないのか? アリィちゃんが体を張ったからこそ入手できた情報もあるんだ、無知無鉄砲さに拍手のひとつでも送りたい程だな」

「俺の事馬鹿にしてるだろ」

「さて何の話やら」


 仲が良いのは結構な事だが、成人した男二人の戯れ合いに付き合う気も無いディルは葉を手にしたまま歩き出した。状況の確認という目的が達成された今、この場に残り続ける意味もない。

 別にディルがあの怪しい葉を持つのに異論はないアルカネットだが、何にも包まないまま手に持つ所を見るというのは何とも言えぬ不快感がある。自分の血を吸っただけに、視界にも入れたくなかった。


「お前、それ持ったまま帰るつもりかよ」

「其の心算だが、何か不都合でも?」

「せめて隠せ」


 アルカネットがそれまで使っていたヴァリンの手巾を横流しした。目の前でやり取りされているというのに文句は出なかったところを見ると、ヴァリンもおおよそ同意見なのだろう。


「もう、あんまり見たくないんだよ」

「そうか」


 そういう所も無頓着であったディルは大人しく手巾を受け取った。

 それからまた来た道を辿る。二番街から三番街へ、それから四番街を抜けて五番街。いつもの景色が近付くにつれアルカネットの気分は軽くなるが、傷を負った指の痛みが消える事は無かった。




「それで、こんな酷い傷を?」


 帰宅早々、調合から休憩に下りてきていたジャスミンにすぐさま傷の手当てを依頼したアルカネット。傷の具合を見た彼女の第一声が「うわ」だった。

 この程度なら、と言われて酒場備え付けの救急箱を持って来られた。消毒液と包帯と布、それから鑷子(ピンセット)で傷の状態を確認していく。針の残りが無いか一通り調べてから、消毒液を振りかけた。


「どんな植物かは見てないから余計にですけれど、あんまり口で聞くだけじゃ信じられませんね……。刺激や時間によって葉を開閉させる植物や、外敵から身を守るために棘を備えた植物なら知っていますが、自ら獲物を仕留めるに来るような植物がいたら、森なんて気安く入れなくなりそう」

「連れて行って実物見せてやりたい気もするが、遠いぞ」

「……私だって、今の説明が嘘だって思いたくないですよ。正直、信じたくないというのが本音ですね。だって、怖いじゃないですか」


 アルカネットの指が綺麗に処置されていく。もう指を動かさなければ痛みを感じないが、包帯を巻かれた指は医者がやったものでも不格好だ。これでは物を握るのにも一苦労するだろう。

 救急箱を閉めたジャスミンは、それを片付けて戻ってくる。ディルとヴァリンは部屋に戻らず、二人の様子を黙ったまま見ていた。頃合いを見計らって、ディルが口を開いた。


「件の葉を持ち帰ったのだが、確認を願いたい」

「持ち帰っ、……ええ、それ襲ってきたりしませんか?」

「我が触れても問題は無かった」


 ディルが手に持っていたのは、服の中に入れるのも躊躇われた葉の残骸だ。手巾で包んでいるそれを見せるように掌を開くと、既に手巾が斑に酸化した血で染まっている。アルカネットの指を包んでいたのもあるが、葉から血が滲みだしているようだ。

 いつもの診療する心構えでいたら血液にも反応が薄いジャスミンだが、葉の確認という話なのに惨劇を思わせる布を突然見せられ、思わず「ひっ」と小さな悲鳴を漏らして体を仰け反らせる。


「……職業上、見慣れたものでは無かったかえ」

「葉っていう話だったじゃないですか……驚きますよ、こんなの……」

「葉だ。此の通り」


 布を捲って見せたのは、手の中で既に萎れてしまった葉だ。萎れた筈なのに、多量の水分を蓄えているかのように葉全体がぶよぶよとして見える。葉に繋がる短くなってしまった蔦部分は既に、水分を失ったように細くなっていた。

 ジャスミンの眉が寄る。こんな葉は見た事が無い。ある程度蔦性の植物は知っているが、知識外のものを見て探求心が擽られる。

 包んでいた布ごと卓に置いたディル。その手も所々血で汚れていた。


「……蔦性……に、しては、今まで見た事のない葉の形ですね? アルセン城下の全体を見回った事もないですが、二番街には生えているようなものだったりしますか?」

「いや。今まで二番街に、あそこまで茂っている蔦植物は見た事無いな。普通の雑草なら気にも留めないが、蔦なんてな」

「……そう、ですよね。そうですか」


 触れるのは怖いが、感触から何か知ることが出来るかも知れない。

 恐る恐るジャスミンが指を伸ばす。表面で、ふにゃりとした毛のような何かが触れた。

 爪の先で突いてみるが、抵抗するような素振りは見せない。


「……毛が生えているみたいですが、何でしょう、これ……。柔らかくて、短い」

「多分、それで俺の指を刺してきた。今はもう、切り離されて動かないみたいだがな」

「………」


 聞かなきゃよかった、と思うが既に時は遅し。

 刺されないなら存分に調べられるか、と考えたジャスミンが次に気になっていたのは、ぶよぶよとした葉全体だ。色も赤黒く、葉だと言われなければ何か新種の生物かと言われても疑わなかっただろう。


「こんな時、イルなら物怖じせずに調べてくれたんでしょうけど……。やっぱり、怖いですね」


 初めて対峙する、人を傷付けると言われているものに恐怖を覚えない者など少数だ。それでも、ディルは待ったしヴァリンも茶化さずにいる。傷付けられたアルカネットにさせる訳にも行かなくて、やっぱり一番植物に詳しい自分が取り掛からなければいけない作業だと思い知る。

 今酒場に居る面々の中で、一番非力な自覚がある。だから、他の部分で補わなくてはいけない。

 でなければ。


 自分だけ、足手纏いだ。


「……この葉の形状に見覚えはありません。毛茸(もうじ)と呼ばれる毛が生えるものもありますが、アルカネットさんの指にあるような酷い傷を負わせるものではないです。触れる辺りで葉の方から捕獲しに来るなんて、獣特化の食肉植物と思われます」

「獣特化」

「アリィちゃん獣だったのか」

「黙れ」

「それから、この葉全体ですが。赤黒くなっている所にはアルカネットさんの血液が含まれていると考えて間違いは無いのでしょう。この弛んで膨らんだような見た目は、中に血液を蓄えて――」


 自分の見解を話しながら、ジャスミンが葉を指で押した。

 その途端、切り離された蔦の部分から勢いよく血が噴き出した。手巾を越えて卓へ、そしてそれは小さな飛沫を上げて散らばる。

 ジャスミンの手にもそれが掛かり、一瞬でその場が惨状になった。流石のヴァリンも無言になる。


「………、……血液を、すぐに茎へ向けて送る訳でなく。一時的に葉で保持しているようですね。少し押しただけでここまで噴き出る程蓄えた割には、茎の方の赤黒さは少ないです」


 ジャスミンが自前の手巾で手を拭う。それでも血液が残らず取れた訳でも無いし、手巾は無残な血液臭と赤褐色を携えて再びジャスミンの衣服の中に仕舞いこまれる。


「それにしても結構吸われましたね、アルカネットさん? 眩暈とかしませんか、大丈夫ですか」

「……少し、心臓が落ち着かないなって思ったくらいで、そんなには」

「今日はもう休んでおいた方がいいかもしれないですね。傷もすぐ治らないでしょうし、お風呂の時はまた包帯巻きなおしますから声掛けてください。傷はお湯につけないほうが良いでしょうね。食事は摂りました? 作りましょうか」


 植物の件の話が終わった後は、アルカネットへと注意事項を伝えてそれで終わり。

 結局植物については何も分からない。そんな自分が不甲斐なくて食事の用意を申し出たが、アルカネットは首を振って答えた。


「この上で飯作らせたら、世話になりっぱなしだろ。ジャスミンこそ最近忙しいんだし、手間取らせて悪いな」

「怪我したのはアルカネットさんじゃないですか。人の怪我や病気の治療は私達医者の本分です。だから、別に」

「確かに、ジャスミンは医者かも知れないがな」


 アルカネットが立ち上がると、眠気の滲む瞼を細めながら笑いかける。


「お前は俺達の仲間なんだから、一方的に頼るのは公平じゃないだろ。持ちつ持たれつで行こうぜ、自分の飯くらい外で用意すればいいんだからお前も少しくらい休め」

「……」

「ほう、じゃあアリィちゃんに俺の分の食事も用意して貰おうか。お勧めがどの程度か楽しみにしているよ」

「食いたいならお前も荷物持ちに来い。お前の分の支払いは自分でしろよ」


 仲間、と。

 面と向かってはっきり言われて、不思議な感覚を覚えた。

 自分以外は戦闘能力がある面々の揃うこの酒場で、仲間だと改めて言われることが嬉しかった。

 友達、とも、家族、とも少し違う、寝食を共にする関係。ほんの少し前までは、乾燥したような仲だった筈だった。

 マスター・ディルとの関係が改善されて、アルカネットの態度も驚くほど柔らかくなった。これまでも酷い男という訳では無かったが、笑顔を向けて仲間なんて言ってくれる男には思えなかった。


「……待ってください」


 だから、呼び止める。


「今から行くなら、私も付いて行っていいですか?」


 仲間と呼んでくれる男と、仲間らしいことをしてみたくなった。

 アルカネットもヴァリンも、目を丸くしたが拒みはしない。

 持ち合わせていた男性恐怖症は、少しずつ軽くなってきている。


 だって、この酒場にはジャスミンに酷い事をする男はいないから。



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