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 日中であれば四番街の奥までの乗合馬車もあるのだが、男三人の道程は徒歩に決まった。民間が運営しているせいか乗り心地が悪いとヴァリンが文句を付けたからだ。

 徒歩を強いられるアルカネットは自警団員ということもあり体力に自信はある。ディルも、元から体を動かす事自体は不得手ではない。

 慣れ親しんだという訳ではない道を先導するのはアルカネットに決まった。男だけで移動するとなると、互いを気遣うことも無く。

 「遅いと置いていくぞ」という忠告も不要だったかのように、三人は距離故の時間こそ掛かったものの、難無く二番街まで辿り着いた。




「久々来たが臭いな」


 到着早々文句を付けたのはヴァリンだ。袖口で鼻を覆うようにしながらも歩みは止めないでいる。

 鼻を鳴らすディルも、口にはしないし態度にも見せないがおおよそ同意見。

 二番街とは一番縁があるだろうアルカネットも、この臭気には慣れそうにない。

 臭気の原因ははっきりしていた。街自体が不衛生なのだ。溢れかえるゴミは誰も処分しない、城下を流れる川の水も下流だから汚れている、身なりに気を遣わない空気、それら全てが要因となって悪臭になっている。今は秋だからまだましだが、真夏はもっと酷い。

 だからと動かないでいても用事が終わる訳ではない。アルカネットは二人の前を歩きながら、周囲を確認していた。

 女が居たら絡んでくるようなならず者達は、今回姿を見せなかった。男三人だから狙っていないのか、それとももうそんな輩も行方不明者となっているのか。

 大通りとされている道は辛うじてゴミも少なく、一列になれば普通に歩ける。周囲の民家らしきあばら屋は静かだった。


「道自体は二人も知ってるんだろうが、今回は俺が通った道を行くぞ。裏通り行って変な輩に絡まれたくも無いからな」

「どうぞご自由に。先導してくれるアリィちゃんに道選びの文句は付けないさ。出来たら静かで臭くない道がいいんだけどな?」

「どっちも俺に言われても困る。臭くない道なんて、二番街には無いだろ。こういう城下の貧困も、王家の人間がどうにか考えてくれたら良いと思うが?」

「……考えてはいたさ」


 ヴァリンの軽口は、突然真剣味を持った声に上書きされる。


「色々考えてはいたんだぞ、これでも。どうにかするにはまず雇用だろうな、とか。その為には環境整備が先になるかな、とか。ろくな稼ぎが無いから生活が荒れて、そんな連中が集まって街が荒れる。街の改善が軌道に乗って来たらそれからは各々で何とかしてもらうとしても、それまでの手出しだって必要だろう。でも、こういう事に協力してくれるような貴族が足りないんだ」

「足りないって? アルセンにも貴族はいるんだろ、ディルから聞いてるぞ」

「現王妃が婚姻の折に、大多数の貴族を城下外に追いやった。基本的に自分達の領地を持ってるような奴等だったからな、適当な理由を付けて追い出されたんだ。……自分達プロフェス・ヒュムネが、良い様に国を扱えるように。下手に力のある貴族なんて、口挟んでくるだけ邪魔だもんな」


 王妃を含むプロフェス・ヒュムネの計画は、結婚の時から始まっていた。或いは、それよりもっと前から。ヴァリンから齎される情報は、国の中枢に居ただけに具体的だ。それら全てから嫌な予感ばかりを感じ取る。

 これ以上王妃の話をしたくないからか、ヴァリンが間を挟む。溜息に不快感を乗せながら、不自然に開いた間を繋いだ。


「……まぁ、そういう訳で。俺が国王になったら、そういう貴族とかももう一度招集して多少なりとも金出させて、それでどうにかしようって考えてた。金は溜め込ませるだけじゃなくて、使わせないと国としても駄目になっていくからな。それも昔の話だ、俺はもう次期国王じゃない」

「……国王になりたかったか?」

「なりたいかなりたくないか、で言ったら……分からんな。昔から、その為だけに色々やらされていた。騎士になったのもその一つ。『なりたい』じゃなく『なるもの』だと考えてた。それが今じゃ、色々失ってこの様だ。でも、そうだな。……ソルさえ傍にいてくれたら。あんなに良い女が、俺の伴侶となって支えてくれてたら。多分、泣き言はソル以外には聞かせない国王になれただろうさ」


 六年経っても消えぬ思慕は、ヴァリンの心の拠り所だった。空気が暗く沈んでいるような錯覚を覚えたアルカネットが、空気を変えるために口を開いた。


「お前、あの女の事今でも大好きだよな。深く関わったことは無いけど、何がそんなに良かったのやら」

「止めておけ、アルカネット。アールヴァリンが其れを話し出すと日付が変わるぞ」

「お、聞くか? お前夜勤帰りで明日も休みだろ、今晩酒でも飲みながら俺の話を聞け」

「遠慮する。お前やっぱり暇なんだろ。……でも、俺にも思う所があるな」

「ん?」

「もしソルビットが生きてたら、向こうはお前を味方に引き入れるネタが出来るって事だもんな。……今でもあの女が生きていたとして、味方になるなら結婚させてやるって言われたら、お前寝返ってるだろ」


 直後、沈黙が襲った。

 ヴァリンは思ってもいなかった、と言った顔で目を瞬かせている。ディルも無言で顔を逸らした。

 ミュゼも言っていたように過去は変えられないし、『もし』の話を考えるだけ無駄だった。考えた『もし』が幸せなら幸せなだけ、彼女がいない現実に打ちひしがれる。

 ヴァリンは歩きながら、自分の顎に手をやった。思考の度に視線も動かしつつそんな状況を想像して、出した答えは。


「裏切るな。間違いなく。お前らの身の安全とソルの花嫁姿を天秤に掛けたら秒でソルの皿が下に付いた。恨みは無いがその日が来たら俺の幸せの為に死んでくれ」

「お前本当分かりやすいよなぁ」

「馬鹿、だってお前の対戦相手はソルだぞ? 勝てる訳ないだろうお前程度じゃ。そうなったら俺がアリィちゃんを適当に切り殺してやるよ」

「馬鹿はどっちだこの色ボケが」


 侮辱されてもけらけらと笑っているヴァリン。笑っているのは唇だけで。


「……本当。そんな時が来なくて、良かったな」


 瞳は、最愛の人を見ているかのようにアルカネットの方を向かなかった。

 もう二度と、そんな未来は訪れない。その事実を敢えて口にする必要は無かった。

 馬鹿な話をした自覚はアルカネットにもある。けれど、ソルビットの事を語る時のヴァリンはとても幸せそうに見えた。いつもの皮肉屋を気取ったいけ好かない男ではない。

 まるで鉛のように重いヴァリンの言葉に、返答に困って無言を貫いているうちに目的の場所が見えて来る。


「さて、あれが話に出した壁だが」


 遠目からでも分かる惨状に、ヴァリンとディルの瞳が細められた。

 血染めの壁は褐色に色が変わり、視界のせいか嗅覚にまで生臭さが届いているような気がしている。

 飛び散ったり太い線を描いているそれらは、確かに高い壁の向こうにまで続いている。その先は、考えたくもない。

 ディルとヴァリンとアルカネットがそれぞれ縦に並んでも届きそうにない程の高さだ。近付けば近付く程に、その高さを思い知る。


「……これは、もう。……侵蝕が始まったな」


 ヴァリンの心当たりがこの惨状だという言葉を信じるなら、これはプロフェス・ヒュムネの仕業らしい。『養分』を求めたプロフェス・ヒュムネが、二番街の者を捕獲して引き入れた、と考えるのが自然だろう。

 それ以上近付くとどうなるか、何となく予想がついている三人は遠巻きから壁を眺めた。


「今のうちに、どうにか侵蝕ってのを止める手段は無いのか」

「定期的に餌を放り込めば時間稼ぎになるかもな」

「餌って、いや、何でもない」


 近付けない理由は別にもある。壁側の地を埋め尽くすゴミの山だ。そしてその壁際には何を養分にしているか分かりもしない雑草が生え放題になっている。

 その雑草は、それまで『雑草』と言われて想像していたような、何処かの庭先に生えているようなものではなかった。ゴミを覆うように生え広がり、中心から谷折りしたような肉厚の広い葉を持つ蔦のようなもの。広くに根を張って縦横無尽に緑を広げる、植物の網。その植物を形容する言葉が『蔦』と『雑草』しか出て来なくて、アルカネットは後者を選んだ。

 よく見ると同じような雑草は民家の軒先や通りの隅といった、人がなかなか触らないような別の場所にもちらほら生えている。今まで雑草になど気を配ったことのない三人は、それが何という名前を持つ草なのか知らない。

 草、ということは薬の材料になるかも知れない。或いは食用可能か。毒の有無なんて見ただけでは分からないのに、アルカネットが自分達から一番近い場所に生えていたそれに身を屈めて手を伸ばす。


「……これ、ジャスミン辺りに見せたら何か分からないか」

「プロフェス・ヒュムネの操る草なんぞ、毒にしかならないと思うから触るなよ」

「全部が全部毒って訳でも無いだろ。薬になるものかも知れないし、そもそもこれはプロフェス・ヒュムネのものって決まった訳じゃ――」


 ない。

 言いかけたアルカネットの声は驚きで止まる。

 まだ指は触れていなかった。風で靡いても、少し揺らぐだけでは届かない距離にアルカネットの指があった筈。

 なのに突然、植物が文字通り牙を剥いた。


「っ、は、あ!? な、痛っ!!」


 肉厚の葉は、一瞬で形を変えた。葉の中心を走る中央脈を軸に、一瞬だけ折れ曲がったそれが大きく開いたかと思うとアルカネットの指を包むように閉じる。葉の表面にはただ眺めていただけでは気付かないような、微細な棘が数多く生えていてそれが指に突き刺さった。

 針山にされたかのような痛みがアルカネットを襲う。痛みに呻いたその先は、みるみるうちに赤黒く染まる葉の姿を見る事になった。


「アルカネット!」


 ディルの声が響くと同時、彼は腰から下げている短剣を引き抜いた。流れるような動きで、その葉を蔦から切り離す。一閃で刈り取れたそれは、直後からまるで命を失ったかのように萎れだした。

 萎れたそれを振り払うのはアルカネット一人で充分だった。地に落としたそれは、まるで血を吸ったかのように変色しきっていた。


「……なんだ、よ、これ」


 幸い、アルカネットの傷は指だけで済んだ。身長と比例するような大きな手だからこそそれだけで済んだが、これより大きな葉を視認すると同時にぞっとする。掌まるごと包まれていたら、どんな事になっていたか。

 指の傷口からは血液が球状になって浮き出て来た。それが幾つも合わさると、たらりと地に向かって落ちていく。今は応急処置出来るようなものを持って来ていない。ひとまず指の根元を抑えて止血する。


「……触るなって言ったのに、お前子供かよ。もう二度と俺に口答えするなよアリィちゃん。帰ったらすぐにジャスミンに診て貰え」


 口調に滲むのは呆れと安堵だ。仕方ないな、とわざとらしく言ったヴァリンが、自分の服の中から手巾(ハンカチ)を取り出した。それを傷を負った指に巻き付けて、応急処置は完了。


「毒が無ければ良いのだがな」


 地に落ちた、切り離した葉を指で摘まみ上げたディルは正直な感想を言ってのけた。アルカネットもそれを今は一番気にしている。眩暈がする、だとか、気分が悪い、だとかの特別な症状はまだ出ていない。心臓の鼓動が早いのは、予期せぬ事態に驚いただけだと信じたい。


「それ、血ぃ吸ってるだろ。間違いなくプロフェス・ヒュムネの植物だな。手下って言ってもいい」

「手下……。これも、あいつらと同じように生きて動いてるってことか?」

「食虫植物って知ってるか? あれの動物版だな。犬猫兎、果てはヒューマンに至るまで養分にするが、これらがプロフェス・ヒュムネそのものって訳じゃないだろう。親玉は別にいるだろうが」


 親玉と言われてもアルカネットにはピンと来るものがない。その表情を見てヴァリンが再び呆れの様子を見せた。


「つまり、草と変わらん。植えたり広げたりしてる奴はいるだろうが、この植物を枯らす事に特別な罪悪感を抱く必要はない。野菜収穫するのと同じ気分で刈り取って大丈夫だろう」

「既に血で汚れた手の持ち主に其の様な心構えを説くとはな」

「お前は黙ってろディル」


 手巾を巻いた指を抑えながら、アルカネットが改めて周囲を確認した。

 ゴミを覆うように生えているもの。

 道や軒先に生えているもの。

 そして静かで、人気の少ない街。


「……もしかして、この街」


 血痕のついた壁。

 増える行方不明者。


「あいつらの次の餌場って訳か」


 やっと気付いたか、とヴァリンが鼻を鳴らす。ディルは無言で瞳を閉じた。

 餌になりかけたアルカネットは、その事実に一瞬だけ身を震わせた。



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