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 酒場の面々は、依頼の事を考えずに済む時間を思い思いに過ごしていた。

 アクエリアとミュゼが交代で用意してくれる食事の味に不満は誰にも無かったし、全員それなりに蓄えがあったので直ぐさま飢える心配もない。もうすぐで来る少し長い冬も、このままの調子で行けば何事もなく耐えられる筈だ。

 だが、異変はアルカネットが夜勤から帰宅したその時に訪れた。


「ディル。ヴァリン。居るか?」


 帰って早々一階から責任者たちの名を呼ぶアルカネットの声が響く。

 アルカネットの帰って来るおおよその時間を計って指定席に来ているディルは、何事かと思えど視線を送るだけ。

 ヴァリンはまだ下りてきていない。起きてはいるだろうから、自室で何か用事でもしているのだろう。


「ディル。良かった、起きてたな。ちょっと話があるんだが良いか?」

「構わぬ。……場所を移すか?」

「いや、ここの連中なら誰に聞かれても大丈夫だ。自警団でちょっと心配な話を聞いてな」

「どうした、逃亡の目途が立ったか?」


 階段を下りる音がする。軽口と共に姿を見せたのはヴァリンだった。ここ最近いつも髪を下ろしているが、下ろしっぱなしの髪型ではなく視界の邪魔にならないよう適当な所で分けている。

 前髪の間から見える藍色の瞳の下にはそれと分かる程立派な隈がある。服は適当な所で調達してきた簡素な白と黒の上下だが、それも少しよれているようにも思えた。


「……ヴァリン、お前……一晩見ないだけで随分薄汚れたな」

「薄汚れたとは随分な言い草だな。こっちは夜でも色々考えたりやったりしてるんだよ。昨日は昨日で俺の部下が窓から様子を見に来てやがった、早く帰ってこいだと」

「窓か。内部が見えないよう木材でも打ち付けるか?」


 不審者出現情報にディルが対策案を出すが、ヴァリンは首を振る。


「あれでも俺の身を案じる味方だ。城内の情報を流してくれる唯一の手段。……戻っても、最早俺に出来る事は何もないが、俺の手足でいる覚悟はあるらしい」

「城内の情報とは……其れが偽りでないと言い切れるかえ? 目眩ましの情報を流して来る可能性も無いとは言えないであろ」

「フュンフが言ってたろ、面従腹背派がいるって。エンダ隊長もそうなんだが、隊長職に居るから表立って異を唱えられないんだ」


 城の面倒臭い立場などに興味が無いアルカネットは、二人のやり取りに特に深入りすることは無い。しかし、自分の話もまだなので会話が途切れた時を見計らって口を挟む。


「俺の話がまだ途中だが、続けて良いか」

「構わぬ」

「おいおい急かすなよアリィちゃん」

「二番街の様子が変らしい」


 ヴァリンの軽口はいつものことだから無視する。街の番号を口にした途端、二人は怪訝な顔をして口を噤んだ。


「二番街と三番街で、行方不明者が出ているらしい。三番街よりも二番街の方が多いそうだが、なにぶんあの街は閉鎖的だからな、実数どのくらい行方不明なのかは分からないがこっちの見立てだと三倍以上。少し見に行ったが二番街は今静かなものだ、悪い事やってるような奴らを筆頭に姿が無い」

「はぁ? 別に粛清が入った訳でも無いのにか? 騎士が出てって捕まえたって話も聞かなかったぞ?」

「そうだな、この酒場も自警団も動いていないにも関わらず。警邏に行った時、滅茶苦茶不穏なものも見たぞ」

「不穏?」

「二番街には一番街との境の壁があるだろう。あの先、俺は見た事がないしあの先は通行証が必要だろ。……その壁にな、『何かを一番街に引きずって入れた』ような血痕があった」


 ディルの眉が顰められる。

 ヴァリンの視線が動く。

 二人とも、何かを知っている顔だ。


「雑草だらけの壁の足元には何もない。血溜まりも少なかったな。奇妙な雑草だったから遠目から見ただけだ、ゴミも散乱してて近寄れなかった」

「……はっ」


 ヴァリンが鼻で笑う。

 馬鹿にされたような気がしてアルカネットが睨むが、ヴァリンは意にも介さない。


「こんな季節に雑草とはな。成程、あの女共の野望も佳境って訳だ」

「お前、何か知ってるのか……?」

「いいや、あんまり。あの戦争の後、俺はもう戦力外って言われてるしな。ただ、国王の嫡男って事で囲い込もうとしたのか勧誘は来たぞ」


 あんまり、との言葉に含みを感じているのはアルカネットだけではない。だが、いつもなら勿体つけた言い方をするはずのヴァリンが続きを急かされなくても口にする。


「あの女共は人間じゃない、半植物の生き物だ。これまで保護したプロフェス・ヒュムネ、今まであの姉妹以外に街中で見かけた事があるか?」

「……いや、無いな。城で保護されてるんだろう? だから城に住んでるって考えたが」

「保護自体は国の管轄だ。だが身柄を預かっている場所は他にあるんだよ。基本的には、保護された奴らはある区画に送られる。……それが、一番街だ」


 一番街。

 この城下内で一番治安が悪いとされ、城下であるにも関わらず隔離されている地域だ。中に入るには通行証が必要になり、入った者の話も帰って来た者の話も聞かない。そんな場所がよっぽど暮らしやすいんだろうな――なんて、戯けた事を思う三人ではなかった。


「一番街は最早プロフェス・ヒュムネの『巣』だ。元から住んでた奴等なんて、もう奴らに消されてるだろうな。一番街の草共、何を主に食べてるか知ってるか?」

「……んなもん、知るか。考えた事もなかったが、マゼンタ達だって普通に俺達と同じ物、食っ……」


 そこでアルカネットの脳内に過るのは、謁見の間で見たマゼンタの姿だった。

 彼女は殺したばかりのオリビエの血が腕についた、それを舐め取った。悪趣味だと嫌悪しか感じなかったが、味についての感想は、それが初めて口にするものに対しての口調とは思えなくて。


「……我は、仕事の後処理の折に暁の人形が、死体を一番街に投げ捨てている場面を見た」


 ディルの一言で、アルカネットの予感が確信に変わる。うげ、と咄嗟に出る言葉は本当の吐き気を誤魔化す為だ。植物であるなら植物らしく、水と肥料だけで生きて行けばいいものを――とも考えたが、その肥料が死肉だとしたら、アルカネットに言える嫌味は存在しない。

 種族が違うのだ。昔はヒューマンを食料にしていた獣人も居たという。同族のもので無ければヒューマンだって肉を食すのだから、そこに文句を付けるのはお門違いだ。……分かっているのに、脳は理解を拒否する。


「文字通り丁重に骨までしゃぶりつくされた一番街だが、そことは別にもう一か所プロフェス・ヒュムネ共の棲み処がある。そこは城に仕える事になった草の奴らが住んでいて、奴らは基本そこから登城している」

「登城……? 遠い場所だと、城に向かうだけで一苦労だな。城の近場に奴らの巣がもうひとつあるってのか?」

「十番街、地下。通称『零番街』」


 地下、と聞けば血の気も引く。城に行ったあの日の自分の足元に、プロフェス・ヒュムネ達が棲み処にしている場所があるという。

 ヴァリンは分かりやすく表情を変えるアルカネットを見ながら、皮肉のような笑みを浮かべてみせる。


「戦争が終わってから、二年程度で作り上げた奴らの世界だ。どのくらいの数が住んでいるか分からんが、奴らが全員戦えるってなったら喧嘩を売ったら無事では済まんぞ」

「……恐ろしい事言うなよ。あいつらを相手になんて、俺じゃ勝てないぞ。まだディルにも勝ててないのに」

「汝が我に勝とうなど五十年早い」

「何だと!!」


 話を聞いていたディルも、茶化すような口振りで話に割り込んできた。憤慨するアルカネットを余所に、そのまま話の中に入って行く。


「零番街とは地下なのだな? 出入り口に関しての情報はあるか」

「一応な。城内に二か所、城外に三か所。全てが十番街で完結している、とかいう話だ」

「地下などを作って、安寧の暮らしが彼奴等の目的かえ? マゼンタの所業は、我の目から見ても醜悪この上ないが」

「まさか。国滅ぼされた奴らが、そんなお行儀よく暮らしてる訳無いだろ。最悪な事に、プロフェス・ヒュムネの祖国であるファルビィティスの次期女王も所属しているんだ。無駄に気位が高くて攻撃性の高い奴らが、自分らの国を滅ぼした敵国の片方の庇護下で安穏としている訳も無いよなぁ?」


 え、とアルカネットの口から声が漏れた。マゼンタ達の祖国であるファルビィティスが滅ぼされたのはアルセンも一枚噛んでの話だったと知らないからだ。

 知らない事を当然のように知っているディルとヴァリンは、二人ともアルカネットが蔑んだ騎士の姿だ。アルカネットは二人に感じる見えない壁を、これから先も感じ取ることになる予感が止まない。


「奴らの本当の狙いは、王国簒奪だ。それも、そのままそっくり貰うつもりはないらしい。自分達が暮らしやすいように作り変えて、開発して、虐殺して、それでアルセンをプロフェス・ヒュムネの国にするつもりなんだよ」

「……随分大それた願いだな。余程勝算があるか、或いは痴れ者のどちらからしい」

「下準備は整えて来ただろ。……実際、父上……国王陛下の崩御はすぐそこだ」


 自分の父の死に関してさえも、まるで他人事のようだった。実父を知らないアルカネットは、その感覚が分からない。幼いアルカネットがどれだけ望んでも手に入らなかった家族関係を、ヴァリンは持っているというのに。

 同時にアルカネットにも分からない。ヴァリンが嫡男としてどれだけの重圧と侮辱を受けて来たか。幼くして母を失って、継母となった女にどれほどの苦痛を与えられたか。

 二人は視線を合わせるだけで、その不理解を声に出したりはしない。互いに、踏み込もうとしない距離という感覚を多めに取っているだけだ。


「……二番街の様子を、確認したい」


 ディルの声は二人の意識を絡め取る。確認と言われて、二人ともが付いて行く気だった。

 鼻持ちならないプロフェス・ヒュムネが行方不明者激増の理由なら、アルカネットとしても黙ってはいられない。ヴァリンだって、一時期は自分が次期国王になっていた祖国が好き勝手荒らされるのは許せなかった。


「何方か片方、或いは両方。午後から出られるか」

「俺が行こう。アリィちゃんは帰って来たばかりだし寝てな」

「別にまだ少しくらい起きてても大丈夫だ。お前こそ隈出てんだからとっとと寝ろよ」


 無駄な言い争いに付き合う気が無いディルは、言い合う二人を尻目に部屋へと準備をしに下がっていく。

 二人の口論に決着はつかず、結局二人が一緒に付いて行くことになった。




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