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「……あー」


 それまで失っていた意識が浮上する。アルカネットが目を覚ました時、視界には酒場の天井が広がっていた。

 視界の天井は動かない筈なのに、それがぐるぐる回っているような感覚を覚えてアルカネットが強く目を閉じた。それでも回転しているような不愉快な感覚は消えない。


「あ、目が覚めました?」


 側でジャスミンの声が聞こえる。

 目を閉じたまま、不快感を耐えながら現状を聞いてみた。


「その、……アルカネットさん、首後ろと頭頂と頭部側面に二発ずつ受けて倒れましたよ。覚えてますか?」

「二発ずつ……?」

「箒の柄で」


 ディルと対峙した、までは覚えている。

 開始の合図はヴァリンが出した筈だ。ディルは動かなかったから、アルカネットが距離を詰めた。さて、そこからの記憶が殆ど無い。


「アルカネットさんを躱して、首の後ろの襟に柄の先を突っ込んで動き止めてから最初に三か所に一発ずつ」

「………」

「一発ずつじゃ流石に倒れなかったから、更に一発ずつ加えてアルカネットさん倒れたんです」

「嘘だろ」


 アルカネットだって普段から自警団員として働いていて、実力行使に出るような仕事だってしている。簡単に伸されたりしない自信はあった筈なのに、現実ではこうして床に転がっている。

 まだ眩暈が酷くて起き上がることも出来なくて、首を動かすと再び視界が激しく回転するような感覚を覚えつつもディルを視界に収める事が出来た。

 今はアクエリアと箒で一戦交えている。距離を空けるアクエリアだが、それを難なく詰めてはディルの手にある箒の柄が空を裂く。

 他の場所ではヴァリンとミュゼが床に直接座っていた。ヴァリンに至っては胃の付近を抑えて背を丸めている。


「……マスター、凄かったです。私、そういう武術みたいなもの全然分からないけれど、ミュゼさんは一分掛からなかったと思います」

「………あいつ化け物かよ……」


 アルカネットが眩暈を堪えるために再び目を閉じた時、箒の柄で殴るような小気味良い音が聞こえた。同時にアクエリアの小さい悲鳴も。

 それで決着が付いたようだった。


「ふん」


 勝者は結局、四人を連続で相手にして平然としているディル。


「評価を言い渡す。アルカネット、汝は距離を詰める時の動作に難が有る。演習だという油断が滲んでいたが故に此の(ざま)だ。申し開きはあるかえ」

「……無ぇよ、畜生」

「演習といえど我を殺す心算で挑め。次にミュゼ。汝の利点は其の身軽さだが、同時に弱点となる。足許は何時掬われるとも限らぬ、警戒を怠るな」

「いや無理矢理膝掬ってこられたらどうしようも無いだろ。なんだったのアレ。足許にしゃがまれた後は一瞬だったんだけど」

「ヴァリン。戦場なら胃に風穴が開いていた。得物に箒を選んだ己の選択を褒めるが良い」

「本当か? 俺、今本当に風穴空いてないか? さっき食った中身全部出て来たが」

「次、アクエリア。汝は――」


 そこで、流暢に評価を下していたディルの言葉が途切れる。

 アクエリアも奮戦していた方だ。負けたには負けたが、ディルを相手に時間はだいぶ稼げていた。

 打たれた手の赤くなっている部分をジャスミンに冷やして貰いつつ、アクエリアがディルの様子を窺った。別に、言葉に窮するような戦闘方法でもなかったつもりだし、本来ならアクエリアの得意としているのは武術よりも魔法なのだ。


「……いや」


 ディルは口にするのを悩んでいた。

 ミュゼとアクエリアで箒の捌き方が似通っていたからだ。

 育ての親に習ったという、線や面でなく点で相手を狙うミュゼの槍術が、アクエリアのものと同じという事を口にするのが如何なる不利益を齎すのかを考えたら口を閉ざさずにはいられなかった。

 評価を口に出さずに、その場を終わらせる為再び指令を出す。


「アクエリアは及第とする。残り三名は明日以降も演習を行う。我相手に三分耐えよ」

「はああ!?」

「以上、各々休憩。不服が有る者は此の場を元通りに戻してから申し立てに来るのだな」


 ヴァリンの戯れで始まった演習は及第点を取るまでの延長戦となった。アルカネットとミュゼが怨みの籠った視線を投げるが、当のヴァリンもこうなるなどと思っておらず冷や汗をかいている。


「申し立てって言ったって、お前どうせ聞かないんだろ! こら待て……って、あ?」


 いつもだったらすぐに部屋に引く筈のディルは、カウンターの中の特等席に戻って店内に視線を向けていた。アルカネットがやや責め気味の言葉を投げかけるが、肝心のディルがそこに居る事に拍子抜けする。

 『いつもなら』『普段なら』。それが通じない今のディルに頭を振る。

 彼が妻を亡くす前は、この酒場でどう生活していたかをアルカネットも少しは知っているから。


「何だ?」


 だって、目の前にいるのはもう『妻を亡くした』ディルじゃない。

 妻の奪還に前向きになっているディルだった。


「……何でもない」


 アルカネットが決めつけていた無気力なディルだったら、そもそもこんな演習なんて面倒臭い事に協力しない。

 演習をすることで、この酒場の面々の戦力の底上げが出来るのならディルだって願う所の筈。今のところは全員がディルの意向に沿おうとしているのだ。


「明日、俺がお前に勝てたら何か報酬考えとけよ」

「其れは無かろう」

「何だと!?」


 一方的な義兄弟喧嘩を眺めながら、未だに痙攣している気がする胃を抑えながらヴァリンが立ち上がる。足許がややふらついているが、概ね耐えられそうだ。


「そろそろ、言っても大丈夫だと思うんだがな。ディル」

「………」


 アルカネットの耳に届いたのは、何か意味を含んでいるような曖昧な言葉。

 言葉を受けたディルは、無言でアルカネットを見る。それが自分に関係のある言葉にしか思えなくて耳を澄ませる。


「我が伝えなければ成らぬものかえ?」

「お前、それは無いんじゃないのか。立場からしてもお前が言わないで誰が言うんだ」

「……。我では、言葉に誤解を生まぬという保証が無い」


 穿ち聞けば話す気がないとも取れる言葉を、ヴァリンが聞き直す事によりディルの本心が垣間見れる。

 擦れ違っていたばかりの義兄弟だが、互いの癖さえ掴んで第三者を挟めば交流は可能になる。

 しかし、その内容に難がある。


「俺が言ってもな。なんせ、アリィちゃんの妹であるフェヌグリークの話なら義兄であるお前が伝えた方が良いだろ」


 ヴァリンがアルカネットに目配せしながら口にしたのは、妹の名前だったから。

 お前が何でその名前を言う、と思う心が半分。もう半分は、妹として見限った女の名前を聞きたくないと強く思う心が半分。

 楽しかった記憶だけ残して、二度と関わりたくないとさえ思った女だ。


「……何で今更その名前が出て来るんだ」


 誤解が芽生え始める。ヴァリンを睨みつけるような視線を向けたアルカネットが、毒づく時と同じ声色で吐き捨てた。

 アルカネットの妹は妹で無くなってしまった。血縁関係も否定され、謁見の間でマゼンタやオリビエと共に現れた姿は知らない女のようだった。だからもう名前さえも聞きたくない。そう思っていたのに。


「……フェヌグリークは、仔細は不明だがマゼンタが口にした通りの女ではないらしい」


 ディルの言葉は、閉じかけたアルカネットの瞳を開かせるのに充分で。


「アルカネット。汝は読唇術の心得はあるかえ?」

「どく……しん? 読唇術って言ったか。知らない……俺、そんなの、無い」

「そうか。ならば分かるまいな。あの者が唇の動きだけで向けた言葉は」

「『違う』『助けて』」


 会話に割り入るように、ミュゼが口を開いた。

 ディルとヴァリンが同時に頷く。アルカネットは、妹が伝えたかった二つの短い言葉に、言葉を失って愕然とする。


「………ミョゾティスは心得が有るようだな」

「まぁ、少しはね。伝わるように口を動かしてくれたシスター・フェヌグリークのお陰でもあるけれど」

「でも、お前達が出て行った後に更にドギツイ言葉が待っていた訳だが。フェヌグリークが黙っていればオリビエは殺さない、って言われていたんだそうだ」


 ヴァリンとディルだけが残っていた時の、フェヌグリークの慟哭を彼女の言葉に近い形でヴァリンが話す。それを伝えた時のミュゼの顔も険しくなり、視線を四方に逸らす。

 言われた通りにしたのに、結局マゼンタの気分で殺されてしまったオリビエ。しかしその起因となってしまった言動をしたディルが僅かに俯いた。


「我の、不注意であったやも知れぬ」

「……、それは無いだろうがな」


 ディルが僅かに後悔を滲ませるが、即座にヴァリンが切って捨てた。


「あの小娘は、世界の事も俺達の事も舐め腐ってる。お前が何を言っても言わなくても、あの女に見つかった時点で殺されるのは確定していたと思うぞ。……しかし、あの女はこれまで義叔母って呼んで尊重してやってはいたが、男と寝た事が無いような処女に吠えられてもこっちは困るんだよ。悪食で口さがない上の口とは大違いな下の」

「ヴァリン、それ以上は黙って」


 それ以上ヴァリンの発言が過激にならないうちに、ミュゼが注意の言葉を吐いた。

 言われた側も「これは失礼」とだけ返したが、反省しているような顔ではない。 


「……ん、で。なんで。もっと、早くに、言ってくれなかったんだ?」

「言ってどうなる?」


 整理できない頭で、アルカネットが責めるような言葉を出したのはその時だ。思考を働かせた文句すら、ヴァリンによって一言で切り捨てられる。


「いつ言えば良かった? 謁見の間を出てすぐか? 言ってたらお前、謁見の間に乗り込んだろうな。そうなってたら今度こそ騎士はお前を逃がさんぞ。妹の前で犬死にしたかったか?」

「っ……!!」

「城から帰って来てすぐか? お前、あれだけ疲れて冷静になれない頭で聞きたかったか。それでお前、自分で何するか予想できるか?」

「……それでも、俺は」


 知らない女だと思った。

 けれどヴァリンとディルから明かされた話は、知っている妹のままだった。

 少し金に汚くて、けれど根は純真で、アルカネットを見る目はただの兄に向ける視線じゃなくて。

 兄妹と言うには少し曖昧な時間を過ごした気がする。フェヌグリークが赤ん坊だった時から知っているのに、今では知らない顔の方が多い。今回の事だって、その知らない顔の一つが露見したのだと思っていた。

 一方的に決めつけて、一方的に見限って、なのに。


「……あいつに謝らないと。俺、酷い事言った気がする」

「どうやって謝る。多分、あのお嬢ちゃんは今も城に居るだろ。招いたなんて耳障りだけ良い言葉に誤魔化された監禁だ、お前ひとりであの城から連れ出せるか?」

「……分からない。分かるかよ、畜生!!」


 今更知っても、取り返しがつかない。フェヌグリークに面と向かって、わざと傷つけるような事を言った。

 それでも必死で口を閉じていた彼女は、最後まで否定も憎まれ口も叩かずに黙っていた。

 守ろうとしていたものにも気付かず、彼女が伝えようとした言葉も分からないまま、一方的に忘れようとした償いは今のままでは出来ない。でも、彼女を連れ戻す方法すら不明。

 

「成らば、考えるしかないであろ」


 自分への失望に打ちひしがれているアルカネットに声を掛けるのもディルだ。

 それは慰めではない。立ち止まって足元を見ていないで前を向け、と。


「城に所縁の深い者も居る。諜報に向いた者も居る。医療に知識を持つ者も居る。汝の周囲に集まるは騎士にも匹敵する精鋭だ。己が力を過信し単身で突撃する猪と言うのなら止めはせぬ。だが、そうでないのならば頼めば助力する人の好い輩は居よう。汝の周囲には味方が居る。其の事実を忘れるな」


 以前だったら、そんな言葉は突っぱねていた。


「……お前だって、義姉さん取り返すのに一人で結論付けたじゃないか」

「我は城を知っている。騎士を知っている。暁の油断ならぬ狡猾な性格を知っている。故に出した結論だ」


 アルカネットの義姉は、本当にこの男を愛していた。

 具体的に、何処を、なんてこれまでは聞く気は無かったが――今なら聞いてもいいかもしれない、なんて思っている。

 だから。


「……じゃあ、ディル。俺の事、手伝ってくれよ」

「構わぬ。代わりに、我の手伝いも行って貰おうか?」

「勿論」


 もう少しで。

 あと少しで。

 二人にとってそれぞれの大切な存在が、ちゃんと戻ってきたら。


 アルカネットは、ディルを今度こそ面と向かって『義兄』と呼べるだろう。


 二人がまた少しだけ距離を縮めているすぐ側で、ミュゼとアクエリアは隣り合って話していた。


「俺は、まぁ、諜報が得意な方だとは思いますけど……読唇術ともなると話が変わりますね。そこまで知識要求されますか」

「アルセンの公用語分かってたら出来るよ。私だってそう言ってしごかれた」

「貴女の育ての親って教育熱心が行き過ぎていませんか」

「………」


 ミュゼの視線に冷ややかなものが混じるのを本人も止められなかった。

 アクエリアはその視線の冷たさに戸惑いはするが、理由を聞いていいものか戸惑いが生じた。二人は確かに恋人同士だが、家庭の話は踏み込んでいい領域か分からないからだ。

 一度冷静になるべく目を閉じたミュゼ。次に開いた時には、なんとか無難な回答が出来るくらいにはなっていた。


「知識や技術があるに越したことはないからね。今となっては感謝してるよ。家事だけじゃなくて色んなこと教えてくれたのは……あの人だから」

「色んなって、例えば?」

「一人で難無く日常生活送れるような事とか、聖職者の振る舞いと仕事内容とか、乗馬も出来るし食べられる野草も知ってる。槍を仕込んでくれたのも育ての親だし」

「ミュゼ、貴女本当に色々出来ますね。流石俺の恋人」

「……………」


 ミュゼの視線が再び温度を無くす。


「アクエリアは自分で読唇術勉強してね。大丈夫だよアクエリアならそこまで苦戦せずに習得できるよ」

「ええ!?」

「大丈夫大丈夫。イケるイケる。さーて今日の夕食は何作ろうかなぁー」


 こちらの二人はどこか温度差があるまま行動を別にした。

 その姿を、ディルは横目で見ていただけだ。



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