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 大型馬車の中は広く、御者のエンダを除き総勢九名を乗せて大通りを走る。

 普通の乗合馬車と比べて個室のようになっており、座り心地の悪くない座席も備えられているそれは、有事の際にしか出ないものだ。物珍しさに、道行く人々の視線が集まる。


 中の座席は馬車の内部の左右両面に長椅子のようなもので建て付けられている。向かい合うように座っている左側はディル、アルカネット、カリオン、上級騎士二人。右側はミュゼ、アクエリア、ジャスミン、残り一人の上級騎士。

 馬車の中、ディルは申し訳程度に外が見える小さな窓から、過ぎ行く景色と人々の視線を眺めていた。

 歩かなくて済むのは楽だが、かといって見世物でも見るかのような視線を投げられるのは愉快な気分ではない。

 けれど半面、ディルは窓際に居るのが自分で良かったとも思った。

 上級騎士の隣に座る羽目になったジャスミンは、先程から見ていられない程青褪めて震えている。これで衆目に晒されることになったなら、そのまま昏倒しかねない。


「……何処かでお会いした気がすると思ったら」


 道の途中で、アクエリアがカリオンに視線を向けて口を開いた。それまで目を閉じていたカリオンが片目だけ開いて反応を見せる。

 二人の視線が合った。二人とも、(すか)した表情であるのは同じだ。


「葬儀の時にいらっしゃった方でしたね。あの時は少し言葉を交わしただけで終わりましたね。改めてお顔を拝見すると、中々の色男だ」

「……どうも」


 誰の葬儀かは、言わなかった。アクエリアは足を組んで、カリオンの出方を観察する。

 カリオンは苦笑いだ。観察されている視線の失礼さに呆れているのかも知れない。


「騎士様達はお忙しいでしょうに、よくもここまでぞろぞろいらっしゃいましたねぇ? 雨季の時は割ける人員が居ないとかって聞きましたが」

「……耳の痛い話です。今は災害もありませんので、少しは人員にも余裕があるんですよ」

「こんな場末の酒場に住む全員を連行するのに、ですか」


 更に腕を組んで、やや威圧的に訊ねる。


「特に一般の誰かを害したって訳でもない俺達の方が、命を狙われている可能性があった子供より大事なんですね。たかが一度の命令違反でこれだけ大掛かりな事するんですか」

「……」

「国の誉れが聞いて呆れる。結局、王家も騎士も保身しか考えてないんですね」


 カリオンは返答しなかった。言葉に詰まった訳ではない。その瞳が、視線が、面倒だと語っていた。

 アクエリアも無言を答えとし、そのまま黙る。代わりに、口を開いたのはミュゼだった。


「……オリビエは、無事なんですか」


 言葉は選んだつもりだ。カリオンは、しおらしい態度のミュゼに瞬きを二・三度してから息を吐く。


「件の彼女ですね。……ええ。今は、まだ。ね」

「今は、って、どういう事でしょうか。この先、身を害される可能性があるという事ですか?」

「害……。それは、……私の口からは、答えにくいけれど」


 カリオンの視線は、ミュゼの頭頂から足の爪先までを往復しながら注視している。

 その視線の違和感に、アクエリアがカリオンを睨みつけながらミュゼの肩を抱いて引き寄せた。「わ」と小さな声がミュゼの口から零れる。


「答えにくいなら結構です。彼女をそんな目で見ないで頂けますか」

「これは失礼。……そういう意味で見ていたのではないですよ」


 アクエリアの視線に敵意が混じった。

 カリオンは自分の非礼を謝罪するが、面倒だと思っている表情を変えることは無い。


「カリオン」


 こんな話をしに来たのではない――ディルが視線にその意を混ぜ込んでカリオンを見る。

 カリオンは軽く首を振って口を閉じ、その二人に挟まれているアルカネットは居心地の悪さに気分が悪くなって来ている。

 元から騎士という立場が嫌いなアルカネットだ。久し振りに直接騎士と関わったのがこんな強制連行だなんて、心証は更に悪くなるばかり。気分を不快から逸らすために今どの付近を走っているのか知りたくても、ディルの側にある小さな窓を覗けはしない。

 アルカネットの心境を理解するでも無かったディルだが、その時口を開いた。


「罰が下される事が有るとしても、責は全て我が負う。この者達に一切の罰を受けさせるな」

「それは、……私ではなく、殿下が決める事だ」

「ほう」


 カリオンが口にした呼称に、ディルの眉が再び寄る。


「陛下、でなく殿下……と言ったか」

「……」

「であれば、王妃殿下への謁見が叶うという訳だな」

「え、っ」


 王妃殿下――それはジャスミンに強烈な印象を植え付けた人物だった。

 王妃の命令の延長線上で、ジャスミンの親友がいなくなった。そして彼女の扱いは死亡。……表向きは。

 その時の恐怖は今でも消えてくれない。青褪めたジャスミンは椅子から転げ落ち、床で小さく蹲る。上級騎士の一人が身を案じて寄るが、ジャスミンは嘔吐(えず)き始めてしまった。

 ジャスミンと同時に動揺したのはミュゼ。


「……やだ」


 首を小さく振って、頭で一つに纏めた金糸が揺れる。


「ミュゼ?」

「やだ、王妃に謁見なんて、嫌だ。なんで。こういう問題の時に、どうして王妃が出て来るの? こういうギルドの問題に、どうして王妃が口を出すの?」

「ミュゼ、どうしたんです。落ち着きなさ――」


 肩を抱いていた手で、ミュゼを揺さぶるようにして落ち着かせようとする。

 なのにミュゼはその手を振り解いて、顔をアクエリアに向けた。その表情は今にも泣き出しそうで。


「って、……だって、アクエリアっ……」


 その表情の理由が、今居る誰にも分からない。ミュゼしか、知らない。

 伝える言葉を選んで、でも選びきれなくて、言うに最適ではない言葉を除外していくうちにミュゼの口から出る言葉は限られてしまった。


「……行かないで、アクエリア」

「……行かないで、って。何処へ」

「嫌だ、王妃の所、行っちゃ嫌だ。ごめん、私、本当に最低だ」


 取り留めのない言葉を紡ぐうち、ミュゼの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。

 顔を覆って泣き出すミュゼの肩をそっと支えるアクエリアの耳に、カリオンの無慈悲な声が届く。


「ギルドに所属する人員は例外なく連行せよ、とのご下命です。ですので、全員殿下の御前へお願いします。……拒否は、受け付けません」


 努めて優しく言ったカリオンの手は、腰に佩いた剣の柄を握っていた。拒否からの抵抗があれば斬る、という意思が垣間見える仕草だ。

 拒否する理由が例え正当なものでも、王家からの命令が有れば騎士はそれを愚直に遂行する。ディルはそれを分かっているから、拒否などしない。


「ふん」


 ディルが侮蔑を込めて鼻を鳴らすと、それきり誰も何も言わなくなった。

 馬車の中に、ミュゼの啜り泣く声だけが聞こえる。




 ディルは以前騎士として城に仕えていた。

 ジャスミンは城に連れて来られるのは二回目だ。

 どちらもその時の出入りは正門であったが、今回は事情が事情なだけに通用口から城へ入る事となった。

 煌びやかで威風堂々とした清潔な正門とは違い、下働きの者などが通るそこは掃除がしてあってもどことなく泥臭い。

 最前列をエンダとカリオン、最後尾を上級騎士。その間に挟まれて城内を移動するギルドメンバーの表情は浮かない。ジャスミンに至ってはアルカネットの介助が無ければ真っ直ぐ歩けない有様だ。

 ミュゼだって蒼白の顔色で、半歩先のアクエリアに手を引いて貰っている。

 表情が変わっていないのはディルだけだ。昔も今も変わらない胆力がさせるのか、それとも焦燥が表情に出ないだけか。


「――変わっていないな」


 謁見の間に向かう途中で、ディルが城に対する率直な感想を漏らす。


「……お前にはそう見えるか。あの戦争の後から、皆変わっちまったよ」


 エンダが苦々し気に呟いた言葉を、カリオンは何の反応も無く聞いている。


「『花』の二人が死んで、隊も解体されて、お前さえ居なくなって。それで変わるなって方が無理だろ。あれから、騎士団の空気は今でも最悪だ。なのに辞めたくても辞められないんだぞ」

「その責は我に在らず。その非難を聞くべき者は、此の場に居ぬようだがな」


 フュンフに言えと言っているような言葉だった。

 確かに、フュンフが犯した一度きりの命令違反で起きた、連鎖する悲劇だ。

 今でも許してないのか、とエンダが苦笑いしようとした。もう、そんな笑みさえ作ることが難しい。

 このまま王妃の待つ謁見の間へとディル達を連れて行けば、また悲劇が起きるかも知れなかったから。


「城内での無駄口は許していないんだけどね?」


 その場にいる全員の耳に、カリオンの声が冷たく届いた。

 自隊の者への命令すら、声に温和な性格を隠し切れなかった男だ。なのに今、声にその温かみは無い。


「エンダ。君はまた懲罰房にでも送られたいのかい?」

「……失礼しました。お許しください、団長」

「次は無い」


 二人の力関係が今更見えた。昔はここまで明確ではなかった筈の上下関係。城内での無駄口も、任務が遂行されるなら多少は許されていた筈だ。それも、騎士隊長ともなると尚更。

 それに、ディルの知る限りエンダが懲罰房に送られた事は無かった筈だ。つまり、ディルの知らない空白の期間に彼は懲罰房に行くことになった、と。それも、カリオンの指示で。


 成程、とディルが納得する。

 一番変わってしまったのは、カリオンだ。


「城を追放となった我が、謁見の間に足を踏み入れて良いのかえ?」


 何処までが無駄口ではないのか。確かめるようにディルがカリオンに話しかける。

 彼はそれを任務に必要な受け答えと感じたのか、淀みなく答えてくれた。


「今回は殿下からの出頭命令だから、その心配は無用だよ」

「殿下から、との事だが、陛下は謁見されるのかえ」

「どうだろうね。陛下もここ二年ほどは……ずっとお忙しいから」

「……え」


 カリオンの言葉に反応したのは、未だ介助無しでは歩けないジャスミンだ。


「陛下は、お加減が宜しくないのでは無かったのですか?」


 ジャスミンは以前、ヴァリンやリエラと行動していた時にその話を聞いていた。だから、口に出した。

 それを聞いた途端、エンダとカリオンが同時に勢いよく振り返る。心なしか、その顔が焦っている。


「……何処で聞いた?」


 声に棘を持つのはカリオンの声。


「っえ、そ、んな。だって、以前、言ってて。ヴァリンさんが」

「……ああ……彼か……。……そうか」


 名を出した途端に納得される。隊長格二人は何事も無かったかのように正面を向き、再び歩き出した。

 その一瞬だけ、ジャスミンも二人の殺意を一身に受けていた気がして再び足が震える。言ってはいけない事を言ってしまったかのようだった。


「陛下の加減が宜しくない? 如何いう事だ」

「……」


 ディルの質問には、二人が答える事もないまま。

 そして目的地入口まで辿り着いて、陰気な城探訪は終わる。

 辿り着いた先である固く閉ざされた謁見の間の扉は、ディルやジャスミンの記憶に残っているままだ。


「理解していると思うが、粗相は無いように」


 カリオンの最後の短い助言が全員に伝わった。


「首が飛ぶよ」


 扉が、開く。


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