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 酒場に戻った四人は、すぐさま次の手筈に移った。

 ミュゼは着替え一式と毛布を荷物入れに突っ込んで、オリビエの助けになるものを一纏めにしだした。

 ジャスミンは担当であるオルキデが寝ているであろうのを良い事に厨房にこっそり入り込んで、作り置きのサンドイッチを失敬して他にも軽く摘まめる料理を作った。

 アルカネットはディルと二人顔を突き合わせ、厨房の中にある卓に着いて蝋燭一本で今後の話し合い。

 ジャスミンは用意の最中に二人の話を耳にすることになる。


「オリビエは一時的にも国から逃がさねばならぬだろう。逃走経路は知っているな?」

「……国から逃がすってのは賛成だが、逃走経路なんてあるのか? 俺知らないぞ?」


 この城下に暮らして長い期間経つが、アルカネットには国どころか城下から人目を逃れて脱出する方法すら知らない。城下にはぐるりと高い壁が設けられているため、常人ではそれを乗り越える事が出来ないのだ。

 知っている前提で話そうとしたディルは、一瞬動きが止まる。そういう情報さえ共通認識ではないことに戸惑っていた。


「………。……基本的には、我等は『国家公認』である事が重要となる」

「国家公認? ……まぁ、かなり限られているとはいえ、城に居るお偉いさん達は知ってるんだよな、ここの事。俺としてはその公認なんたらに特別な思い入れなんて無いが」

「用途は限定される。だが、我等には多少の抜け穴が用意されているのだ」


 アルカネットにとってそれは初耳だった。義姉ともディルとも、ギルドについて深い話をしたことが無い。関わりを最小限にした弊害は、そういった情報について今まで触れなかった事。

 アルカネットが相槌で一度頷いて、それを見たディルは話の続きを再開した。


「一つ目。三番街、六番街、八番街に存在している水路からの脱出」

「水路? ……そんな所に出入り口があるなら城下は不法侵入と退去で今頃困ってるだろう」

「水路は入口こそ複数だが、生き物が出られるような出口はひとつだ。なお、その出口は城に仕える騎士が見張っている。其処からの脱出は許可が必要になる」

「……許可?」

「豪雨の時や詰まりが発生した時は専任の者が出入りする為のものだ。尚、生き物が出られない水用の出口は『液状になれば』脱出可能だ」

「オリビエ磨り潰したら生き返らんぞ」


 オリビエに正攻法で許可が下りるとは思えないから、一つ目の脱出経路は保留となった。正攻法以外を考えるのは他の出入り口を知ってからで良い。


「二つ目。地方からの商団や貿易商を買収し荷に紛れる。……だが、此れも不可能に近い」

「何でだ?」

「人が隠れる程度の荷の中身の検査は厳密だ。……城下で蔓延る奴隷商は子供ばかりを扱っている事から分かろう。幾らオリビエが小柄といえど、大人の体を隠しきれる荷は限られている」

「……無理矢理押し込んだらなんとかならないか」

「それで上手く行ったとしても、誰かは身柄を守る為に同行せねばならぬであろ。もう一人を詰め込むとなった時、汝が同行するか? 露見して終わりだ」

「ミュゼで良いだろ」

「あの者を無理矢理押し込むと? 細身だが、あれで我が妻よりも身長は上だ」

「………ちょっと待て、何で分かるんだ?」

「柱の側に立つ姿を見れば分かる」

「なんで今もあいつの身長覚えてんだよ」


 喋れば喋る程、ディルの無関心を装っていた姿にボロが出て来る。興味のない振りしてそういう所を把握しているのは、もっと別の所でその記憶力を活かせよと言いたくなった。

 二つ目も保留になった。先程の案と比べれば、こちらの方が成功率は高いかもしれない。


「三つ目。アルセンの貴族の馬車。荷の検査は目視と聞き取りだけで済む場合が多い」

「………貴族?」

「一応、この国にも貴族という地位は存在している。大抵が地方のそれぞれの土地に追いやられていて、城下に残っているのは五大貴族だけだ」

「貴族が居るのは知ってるが、五大貴族ってのも初耳だな。貴族は貴族だろ」

「国の創立に関わる神話だ。此の国がアルセンという神より造られしものだというのは知っているな?」

「……昔孤児院で習った気もするが、あんまり覚えてないな。興味も無かった」

「痴れ者め」

「はぁ!?」

「大声を出すな」


 アルカネットの声には「お前みたいな生活能力皆無の奴に言われたくない」という意思が滲んでいる。

 ジャスミンは二人のやり取りを聞きながら、こんな非常事態に何を漫才しているんだと不安になった。

 ディルはそんな二人の視線なんて丸無視で話を続ける。


「神であるアルセンがこの地を去る前、敬虔な信者五人に自分の血を引く子孫を守り国を導くよう示した。そしてその信者の血を引く者達は現在に於いても貴族として確立した役割を担っている。勿論此れまでに権力の盛衰もあったが、大部分に於いて口出しが出来るのは王家の者だけで騎士であった我でも直接的な接点は殆ど無かった」

「……じゃあ、貴族の馬車ってのも難しいんじゃないか。そもそもお貴族様が俺達に手を貸してくれるなんて思わないぞ」

「そうであろうな。治安を担ったコンディ家とは我も縁が切れ、食料供給を担っていたクレアール家は開拓を担ったカンザールイン家と婚姻を結び合流した。治水を担ったエボーハエル家に至っては現当主の名すら我は知らぬ」


 今ディルが見せているのは、アルカネットの知らない顔だった。

 この知識は騎士隊長として生きていた時に身に着いたものなのだろう。国と貴族の成り立ちを諳んじ、アルカネットの知らない国の重役の事を話すディルの目付きはいつも自堕落に過ごしている彼の瞳と違う色をしているようにさえ思えた。

 彼の妻は、そういう瞳の彼に惚れたのだろう。

 気付かなくていい所に気付いてしまって、アルカネットが僅かに目を逸らす。自分の意識をディル自身ではなく話に向け直すように、わざと口を開いた。


「無理って事だろ。他の案でなんとかするしかないって――」

「……もう一つの貴族が、過去に我が一番縁を深くしていた者の生家だ」

「………縁を? 深く? お前が?」

「三神教の宣教を担った、ツェーン家」


 その姓を言った側も聞いた側も、眉が無意識に動くのを止められなかった。

 ツェーンの姓を持つ者をアルカネットだって知っている。

 かつてディルの右腕として騎士副隊長になり、今では騎士団『月』の隊長を勤めているフュンフ・ツェーン。

 ディルの妻を見殺した、とされていた男だ。


「あいつの……フュンフの手を借りるってのか? 本気か?」

「……」

「お前、あれだけあいつの事嫌い抜いてただろ。それで今更手を貸せって言えるのか。お前が目玉片方潰して、酒場に来た時も冷たく追い払って、それなのに、今更?」


 責めるような言葉に黙ってしまったディル。

 様子を伺っているジャスミンも、自分の作業どころではなくなった。

 フュンフとディルの間の確執を詳しくは知らないが、彼から来る手紙を毎回捨てていたのを見ていた。その手紙も最近送られて来なくなったのも気付いている。

 彼はいつまでも返事さえ寄越さないディルに諦めたのか。今までの仕打ちを考えると無理のないことだった。


「……確かに、オリビエの命を守れるなら守るべきだろう。でもお前、あの男に頭を下げる覚悟はあるのか? ここ最近知り合った女の為だけにそこまで出来るのかよ」

「………」

「俺は正直嫌だ。義姉(あいつ)が生きてるにしろ死んでるにしろ、あの男がやらかした事には六年経った今でも納得行ってない。そんなフュンフに、その時だけでも手を借りて感謝しろなんてのは絶対嫌だ」

「そうだな」


 ディルが目を細める。髪と同じ色の睫毛が瞳を疎らに隠してしまい、表情にも陰りが落ちた。 


「……だが、違う。我が此処まで策を講じるのは、オリビエの為だけではない」

「だけ、じゃないって……どういう事だ?」

「あの男さえ、我が妻が生きているらしいという情報を得ているそうだ。……恐らく、ミョゾティスが孤児院での任の際に伝えたのだろう」


 アルカネットが息を呑んだ。ミュゼが、あの女が生きていると孤児院に向かう時点で知っていた。

 頭が混乱する。知らなかったのは自分だけかと憤りさえ感じたが、それさえも一瞬だ。

 ディルとの関わりを拒んだのは自分の方なのだから。


「妻が現実に生きているとしたら、今迄の我の怒りは何処へ向かえばいい」

「……」

「此の状況に於いても、オリビエを救助できる方法があるというのに目を逸らし続けて、我は未来永劫あの男を憎めば良いのか? ……此れ迄の我の仕打ちに彼奴が怒りを覚えているというのなら仕方ない。だが、今でも許しを乞うているのならば。もし、妻が此の酒場に戻ってくるのならば。全面的に許す事は出来なくとも、少しずつでいい……。少しずつだとしても許そうと、そう思う事は、汝が其処まで拒絶するに値する事かえ? ……それに」


 ディルの表情は無表情でも少しだけ柔らかかった。

 それは昔、彼の妻が側に居た頃に見ていた顔だ。鬱々とした陰気な表情ではない。

 微細な変化だ。それでも、アルカネットには分かる。

 長年嫌い抜いた表情では無くなっていたから。


「……それに?」


 不自然に切られた言葉を追求する。

 ディルは少し言いにくそうに、しかし、はっきりと聞こえる声量で言った。


「何時までも許さずに居ては、妻が戻ってきた時……まだ許していないのかと今度こそ怒られる気がしていてな」

「……………。お前」


 そんな所も嫁基準なのかよ。

 アルカネットが声に出す事は無かったが、言いたい事はジャスミンにはしっかり伝わっている。

 息を殺して肩を震わせて笑っているジャスミンは、作業がやっと完了したのか厨房を出て行った。


「……言うだけ無駄なんだろうな。ジャスミンももう用意が終わったみたいだ、そろそろミュゼも出発するんじゃないか」

「そうか」

「結局、オリビエはどうするんだ。貴族の馬車ってすぐ出せるのか。こんな時間に出せって乗り込んでも説明に時間が掛かるだろう?」

「避難場所に長らく居るのは無理であろうな。一時的に身を隠せる拠点が有れば良いのだが」

「俺、心当たりあるんだが」


 ほう、とディルが瞬いた。ディルは知らず、アルカネットが知っているような場所。

 アルカネットはそれまで座っていた椅子から腰を上げた。


「ミュゼにも少し話せば伝わる筈だ。お前は今から休むついでに、あの男にこれまでの事をどう伝えるか考えておけよ」



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