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「おはようございまーす! ……って、あら?」
翌日の正午前に、墓守の小屋に来客があった。普通の者ならば滅多に訪れる事が無い小屋だが、彼女だけは例外らしい。
オリビエが仕事道具と思わしき荷物を引っ提げて、入室の合図も無しに扉を開く。そこで目にしたのは、床に毛布を掛けて転がるアルカネット、それから離れた位置で壁に背を付けて寝ているディルと、窓際で一点を見ているジャスミンだ。墓守は食事の用意として葉物野菜と目玉焼きが入った皿を並べている。
「……マスターさんはいらっしゃるって伺いましたが、他にもお客人が来ていらしたのですか?」
「あまり寝ていないから起こしてやるなよ、オリビエ。それより、今日はどうしたんだ」
「やだなぁ、差し入れですよ。実家からチーズとか届いたんで、届けに来ました」
オリビエの荷物はもうひとつあった。蔓で出来た網籠に布を掛けたそれを墓守の側まで近寄って渡す。布を取ると中には切り分けていないそのままの形のチーズが出て来た。
墓守は一先ず礼を言い、丁度食事時だったので食卓に並べることを考えるがオリビエはそのままジャスミンの側に行ってしまった。
「どうもこんにちは、お疲れ様です。はじめまして」
「え……はい、お疲れ様です」
流れるように挨拶をするオリビエと、来客に戸惑いながらオリビエに一瞬だけ視線を向けたジャスミン。
何故かそのままオリビエは椅子を引っ張り出してきて、ジャスミンの隣を陣取ってしまった。ジャスミンは相手が誰かよく分かっていなかったが、持ち出される話題で悟る。
「此処にいるって事はマスターさんの酒場の関係者さんですか? もしかして、件の英霊さんとご関係がおありで?」
「酒場の関係者ってのはそうですけど……、その、墓に眠っている人とは御縁は無かったですね」
「それなのに来たんですか? ……大変ですねぇ」
さしてそうも思ってなさそうなオリビエの上辺だけの労い。ジャスミンは気にせず墓の方を見ていた。とはいえ明るいと目を凝らさずとも見えるので、凝視する必要がある訳でもない。時折疲れた、と体を逸らす余裕くらいはある。
その逸らした時に、墓守が食事を運んでくる。香りを嗅ぎつけてかミュゼまで下りて来た。
「あら、お客様ですか?」
完全に余所行きの態度でうふふ、と笑って見せるミュゼはシスターだった頃の名残。揺れる一つ結びの金糸が背中で跳ねた。
オリビエは更なる墓場への来客に目を丸くする。同時に、見せる物腰だけは柔らかく美しいミュゼがこの小屋にあまりに似合わない気がしてまた驚く。
今は寝ているこの酒場の主が一体何人連れて来たんだ。それ程窃盗に重要な危機感を覚えているのか、と戦慄するが、起こして話を聞くわけにもいかずに我慢しつつ椅子から立ち上がる。
「は、はじめまして、ですよね? え、何人連れてきてるんですかマスターさん」
「私で全員ですよ。ジャスミン、ちょっと交代しましょう。先に食べてください」
「いいの? じゃあ有難くそうさせて貰おうかな」
ミュゼが現れた事で、ジャスミンが卓に移動する。それまで座られていた椅子は、即座にミュゼの腰を受け入れた。固い木の面に小さい尻が乗り、視線は墓の方向へ。
オリビエの中では、話しかけやすさはジャスミンの方が上だったらしい。背凭れを胸に抱くように座り方を変えて、食事を始める横顔を見る。
「マスターさんって、女性の知り合いも多いんですねぇ。これで呼んだ全員とか、男性アルカネットさんしかいないじゃないですか」
「……そう、ですね。私は……マスターの……知り合い? に、命を助けられたっていう理由があるんですけど。それが切っ掛けで」
「命!? 何があったんですか!!」
しまった、とジャスミンが目を逸らす。新聞記者であるオリビエにはちょっとした事もネタになるのだ。ディルの方に視線を向ければ、起きているのか寝ているのかは分からないがジャスミンを気にしていない。
少しだけなら話してもいいかな、と思い口を開く。真実を暈して、必要以上に物語性がないように注意を払いながら。
「……暴漢に、襲われて。怪我を負った私を見つけて、助けてくれた女性がいて。恩人だったんですけど、その人は……城下を出て暫く経って、今何しているのか分からなくて」
ジャスミンが思い出すのは、もう酒場に居ないユイルアルトのこと。
「ほうほう。その恩人さんと……連絡は付かないんですね?」
「ですね。元気でいればいいって思ってるんですけど、助けて貰ってからは……ずっと、その人に頼りっぱなしで。そんな私に愛想を尽かしてしまったのかも知れないけれど、私は……今でも、親友だって思ってます」
「親友さんなんですね。お年は近いんですか?」
「近いです。彼女の方が少し年上で、大人びてて、いつも冷静で。……そんな彼女が居た事で、マスターとも知り合えて……私は、何も返せていない。彼女がいることで、私はこうして生きていられるのに、彼女は、何も見返りを求めなくて。困った人を助けるのは彼女にとって当たり前の事だったんです。そうして、側に居るうちに、彼女が一緒に居る生活が私の日常になっていって」
それはジャスミンの独白だった。
しかしそれを横で聞いているミュゼには、少しだけマスター・ディルが重なって聞こえる。
当たり前の日常が、ずっと続いていくという錯覚。でも、この世界に永遠なんてないのはミュゼも知っている。
「またいつか会うことが出来たら、改めて御礼を言いたいです。……いつになるか分かりませんが」
「美しい友情ですねぇ……。それでそれで、その女性ってどんな人でした?」
「まだ聞くんですか……?」
二人の話は聞き耳を立てずとも聞こえて来る。ミュゼはその声を環境音に、見張りに注視する。
日常だと思っていた性格が壊れる、その瞬間がいつか、ミュゼにも来る。
ディルは少しだけ瞼を開いて、数度瞬きしたのちに、面倒臭い手合いに絡まれないうちにと再び瞳を閉じた。
初日と翌日、そしてその次の日は平穏そのものだ。
日中は見張りと共にジャスミンが空き時間に薬草刈りと代価としての草むしりに精を出し、ミュゼは墓のひとつひとつの土埃を払い祈りを捧げる。その間も墓に注意を払うも、訪れる人影は疎らで動物の類も墓に近寄っていない。ディルが手向けた花束は風に煽られる以外はそのままの姿を保っていた。
夜はアルカネットとディルが交代で見張る。時折墓守が起きてきては、休憩として温かい飲み物を用意した。
計三日を、四人は平穏に過ごした。最後の日には薬草採取の小旅行気分になっているジャスミンは二階で帰り支度に荷物を纏めるが、ふとミュゼが荷を纏めていないのに気付いた。
ミュゼはまだ一階に居る。そろそろ帰るんじゃないのか、と思って階段を下りると、既に日中の仕事で出ているアルカネットの荷物も残っていた。
「……ミュゼ?」
ミュゼは窓際で椅子に座ったまま、変わらず墓場を見ている。声に気付いても「ああ」と生返事を返すだけでジャスミンを見もしない。
ディルはいない。もしかしたら散歩にでも出ているのかも知れない。
「三日経ったし、そろそろ帰るんじゃないの?」
「……ん、ああ、そっか。いいよ、ジャスミンは先帰ってな」
「え?」
声は優しくありながら、言葉は冷たく突き放す。もうこれ以上は関わるなと言われているようだった。
何故、と問う前にジャスミンはミュゼの隣に位置付く。そうなるとミュゼも、隣に居る強情な医者の言いたい事が分かってしまう。――何故そんな事を言うのか。
「……花束を置いた日。翌日、翌々日。ジャスミンは、それで仕事は完遂。大丈夫なんだよ」
「何が大丈夫なの。私、何も聞いてないのよ。ミュゼもアルカネットさんも、どうして荷物纏めないの」
「……あのさ。花束が……盗られる日って、『花束を置いた日から』三日後なんだ。私達はそれまでの見張りってことになってて、最後の日は、マスター一人で見張る気なんだよ、きっと」
最終日まで、マスターの体力が温存できるように。
それまでに盗難以外の理由で花束が損壊の事態になっていたら、それで終わり。けれどそのままの形を保ったままであったなら、きっと今回も盗難犯は出て来る。
捕物の部隊を整えるために呼び出された三人だ。しかし、ミュゼもアルカネットもそんな中途半端な日に戻る気は無かった。
「マスターは多分、分かってて私達に三日って言った。私達が残ってると、窃盗犯を殺すのに邪魔が入るから」
「……!?」
「アルカネットも同じ考えだ。だから、もう一泊するかって話になった。マスターから今回の事で提示された額は一泊延長しても問題ないくらいには多額だったから」
「殺すって……どうして? たかだか窃盗犯にそんなことするの?」
「マスターだもん。あの朴念仁が、後先考えて剣を振るうなんて思わないよ。……それに、盗まれてるのは奴の奥さんに向けた花だから」
言葉の代わりに届け続けた、形のある愛は六年分を超える。
その花弁ひとつにしても、彼の愛が込められている。
それを部外者が横から攫っていくなんて、彼にとって許せることではなくて。
「ま、私も窃盗犯がどんなのか気になってはいたし。一日残ったくらいで大丈夫だろーって思ってたんだけど」
「酷いわ」
「……ジャスミン?」
「また私ひとり、何も知らされずに、知らない所で話が進むのね。私、ここにいたのに」
責めるような口調はミュゼに向いていたが、ミュゼと同じように椅子を引っ張り出してきた。音を立てて腰を下ろすと、怒りを鼻息で逃がしているが視線は墓場へ。
二人で肩を並べるのなんて初めてだ。これまで向き合った事しかない。
「一人だけ蚊帳の外にされるの、もう嫌よ。私はそれでイルがいなくなって、何度も自分を責めたのに」
「ユイルアルトだって秘密を作りたくなかったろう。ジャスミンが一番の親友だったんだし、あんな事が無かったら一緒に居たかったはずだよ」
その言葉は本心だったが、ジャスミンは横目でミュゼを見た。
「……もう、同じ思いさせないで」
今声に滲んでいるのは、怒りよりも不安だ。こうして言葉で伝えて来るジャスミンに、ミュゼはもう不実に笑えない。
「ごめん」
謝る言葉は短く。それでもジャスミンは充分そうだった。
二人は並んで外を見る。秋晴れの天気は、平穏そのものだ。