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 秋も徐々に深まって来たところで、マスター・ディルからこれまでに無かったような指令を受けた酒場の面々は戸惑っていた。

 オリビエが墓守と来店した次の日、私書箱に入っていた紙片は全員の話の中心となる。

 『その他の案件の停止』、『手伝え』と書かれた文字は特徴的で、すぐにディルが書いたものだと分かる。誰に向けた言葉でもないということは、すなわちディル自身が主軸となって動く気があるということだ。

 ついこの前まで寝込んでいたディルは、時折空き時間に体を動かしに外に出ているらしい。どんな事をしているかは誰も知らないが、その時は決まって腰に長剣を佩いている。


 ギルドメンバーの面々は、それに不満と安心が半分半分の微妙な心持ちになっていた。


 調子を取り戻したディルがまたカウンターに戻ってくる、しかも今回の件についてはディルが主軸になるとなると、酒場の空気は案の定更に悪くなる。葬式だ辛気臭いだ散々な陰口が繰り返されるが、メンバーにとってはそれが日常なのだ。

 けれどもディルが居ない間は、城から暁が出張って来る。暁の存在は酒場の面々にとって、得体の知れない不穏なものという認識で。人当たりがよさそうに見えて全員を見下しているような雰囲気と、地位を持つ筈のヴァリンでさえ関わりたがらない人間性。

 ディルか暁か、という二択では、メンバーは全員が多少悩みながらもディルを選ぶ。それだけ嫌われている暁なのだが。


 その暁が、ある日酒場に来た。




「あっれー、ディル様もう大丈夫なんです? なんだ、来て損しちゃいましたねぇ」


 曇りの昼、酒場の扉が開いたと思ったら開口一番それだった。相変わらず黒に赤の縁取りがされている上下揃いの服を着ていて、白髪が余計に目立つ。

 対するディルは白のシャツに灰色のスラックスといった格好でカウンターの中の椅子に座り腕を組んでいて、一瞥だけで暁を出迎えた。

 遠慮なしに店内へ入って来た暁は、まだ開店していない内部へと視線を向ける。他には一階に誰も居ない。


「ウチが折角ココまで来たのに歓迎もしてくれないなんて。まだ体調が思わしくないようでしたら休んでたらどうです? ……ああ、でも貴方の声で歓迎されてもそれはそれで嫌ですね」

「……何の用だ」

「ディル様に御用なんて無いですからお構いなく。ジャスミンさんにお願いした薬を引き取りに来たんですよぉ」


 機嫌よくそう言ったはいいが、いつもならば部屋に居る面々を呼んでくれる筈のオルキデもマゼンタも今はいない。買い出しに街に出ているのだ。

 そもそも、ディルが他案件の一時停止を言いつけたので、ジャスミンが薬を用意しているかどうかは分からない。

 それを知らない暁は、いつまでも姿を見せない王妃の妹達に首を傾げる。


「あのお二人はお出かけですか?」

「……ああ」

「えー! はあ……親愛なる王妃殿下の妹君達に御挨拶をと思ったのに、残念ですねぇ。あの方達ったらいっつも城に御用事がある時さえ、殆どウチと顔を合わせることなく帰るから寂しいですよぉ」

「……」


 それは貴様が嫌われているからじゃないのか――事実を指摘した所で暁が自省する訳もないので、ディルは閉口した。


「仕方ないから少し待たせて貰いましょうかね」

「……自ら部屋まで声を掛けに行く心算は無いのかえ」

「女性のお部屋に出向く気は無いですよ。個人的な空間にまで訪ねていく関係でもありませんし、そもそもジャスミンさんは男の人が苦手でしょう? ウチが行ったら驚かせちゃいます。やっぱり美人さんには笑顔でいて欲しいですからね! でもジャスミンさんってばウチに笑いかけてくれることも少なくってぇ、それだけが残念ですかねぇー」

「………」


 貴様が嫌われているからだろう――再度脳裏に浮かんできた事実をディルは黙殺する。

 男二人ともがジャスミンの部屋にまでは行く気が無い、となると流れるのは重苦しい沈黙だけだ。だというのに機嫌が良さそうな暁と、それを流し目で見るディル。

 暁の機嫌の良さは、思えばいつもと変わりない気がする。ディルは機嫌のいい時なんて過去のものになってしまって、自分の機嫌の取り方も分からないが、暁はそうではない。改めて考えると、それが不気味だった。


 何故、いつもこの酒場に来る時上機嫌なのだろうか。


 いつも上機嫌なのかも知れない。けれど、暁にだってこの酒場に思う所がある筈。この酒場の元の所有者である、死した『花』隊長に求愛した暁は彼女を語る時も酒場に来る時も、憂い顔を見せることは無い。

 彼女を娶ったディルに対する意地なのかもしれない。……けれどそれにしたって、ここまで笑顔で来るものか?


「いつも思っているが、機嫌が良さそうだな」


 こうして二人だけになるのは何年振りだろうか。探るようにディルが問うと、暁は笑みを更に深めて顔を向ける。


「あはぁ、分かっちゃいます? 仕事終わりの楽しみが毎日嬉しくてですね。寄り道もしないで真っ直ぐ帰るくらいに毎日幸せなんですよ。って言っても、ウチの自宅は城にある工房だから寄り道するような場所も無いんですけどね!」

「……」

「やっぱり、ウチが居ないと生きていけないような存在って良いですねぇ。可愛くて、小さくて、頼りなくて、ウチが守ってあげないとーってなるんですよねぇ。はー、話してたら逢いたくなりました。何でウチこんな所で油売ってるんでしょうねぇ?」


 何処までも喧嘩を売っていくような口調の暁は、ディルの表情が険しくなるのに気付いている。


「……生きていけぬ、とは。猫でも飼い始めたのかえ」


 ディルも、敢えて核心に触れないようにして問い掛けた。その表情から疑念が消えなくて、けれどそれすら見透かしたように暁が肩を震わせて笑った。


「猫……。そうですね、猫。うふふ、とってもとっても可愛らしい、猫です。一緒に居てだいぶ経つのに甘えて来ることはまだありませんが、どの道ウチなしでは生きていけない、可愛くて可哀相な猫。時々のおイタも可愛くて許しちゃうんですよね。勿論お仕置きはするんですけど」

「汝が猫と暮らしているなど初耳だな。……暁」


 ディルの瞳からは、殺意が滲んでいる。


「其の『猫』とやらと暮らし始めて、()れ程の期間が経った?」


 返す暁は、変わらない笑顔。


「ええ? 忘れちゃいました。でも、ここ一年二年の話じゃないですよぉ?」


 ディルは、暁の上機嫌がそれ以前よりあったのを覚えている。否、機嫌の悪い暁を見る事は、直近六年で殆ど無かった筈だ。ディルが泣き喚き声を荒げ、伴侶を亡くした痛みを激しく感じている時に妻を死なせたことを詰って来た時以来か。

 ディルの中で、疑念が確信へと近付く。組んだ腕を、怒りを堪えるように強く握りしめた。


「あーあ、ジャスミンさんまだ下りて来ないみたいですし、ウチはもう帰りますかねぇ。後からアールヴァリン様経由で貰いますんで、暫くこちらには来ませんよ」

「………暁」

「はぁい?」


 のべつ幕無しにべらべらと喋っている暁が、ディルの名を呼ぶ声に反応する。

 ディルの機嫌が悪いのを知っていて尚、暁は小馬鹿にするような笑みを止めない。


「汝の人形」

「………」

「名は、何と言ったか」


 オリビエと墓守から聞いた話に出てきた女性の事が、ずっと引っかかっていた。

 ディルは昔に陰で人形と呼ばれていた時期もあったが、本当の『人形』――人工物を知っている。それは限られた者が、不出の技術で、生命無い所に自動で動く人外を作り上げた。

 その技術を、暁は持っている。

 聞いた女性の外見は、ディルが知っている暁の人形ではない。本当に生き物である可能性も残ってはいたが、ほぼ確信に近い疑いを持って、暁に問い掛けた。


「……ウチの子が気になるだなんて、どういう風の吹き回しですかねぇ? 手足切断してくれたことを思い出しでもしましたか」

「問うているのは此方だ」

「スピルリナ、ですよ。可愛い可愛いウチの娘です。気の利くいい子ですよぉ」

「そうだったか」


 鷹揚に溜息を吐いたディル。暁の娘自慢は以前からだが、今はそんな事に付き合っていられない。


「一体だけか――汝の『娘』とやらは」


 特に意識したつもりは無かった。しかし、声には隠し切れない敵意が混じる。まるで、『そうではない』事を知っていると表しているような、問い掛けるだけの声ではなくなった。

 暁は一瞬だけ息を呑んだように、しかし表情を変えずに聞き返す。


「…………。何故、そんな事聞くんです?」

「二度、同じ事を言わせるか?」

「はいはい聞いているのはそっちですもんね。……そりゃ、作ろうと思えばひとりでもふたりでも。でもそんなにポンポン作れるものでもないですからねぇ。それより、本当にどうしたんです? まさか、独り身が寂しくなってウチに作成依頼でもしたいんですか」


 明らかに、暁が話を逸らした。

 ディルが怒りを抑えるのに一拍使った。その一拍で、暁は身を翻して扉まで進んでしまう。そして引き留める事も叶わない。


「マスターも、お寂しいのでしたらウチみたいに何か飼ったら如何ですか。心を慰めてくれるかもしれませんよ? ――そうですねぇ」


 暁が去り際に、三日月のような孤を口許に浮かべた。途端に不気味さと下劣さを同時に兼ね備えた笑顔になる。


「暗めの銀の毛並みの猫とか、最っ高ですよぉ?」


 最後にその言葉を残して、暁が扉の向こうに姿を消す。

 ディルは宣戦布告とも取れる言葉を受けて、強く腕を握り締めても解けない怒りに任せてカウンターを拳で叩いた。

 中に収納してある食器が音を立て、立ててあった品書き等の備品類が崩れる。

 妻がまだ側に居た時に、新しくしていた品書きだ。


「……っぐ、……!!」


 怒りはそれでも収まらない。頭に血が上りすぎて吐き気がする。声にならない感情が溢れて止められない。

 話をはぐらかす理由。

 口にされた妻の面影。

 ディルの中で膨らむ予感がただの妄想であればいいと思っていた。けれど、暁はそれを肯定も否定もせずに全てを靄で覆い隠すような事しか言わない。

 そのどれもが不愉快で、今すぐ暁を追いかけて公衆の面前であろうと首を刎ねてやりたかった。辛うじて堪えられたのは、今は未だその時ではないと理解しているから。


 暁が飼っている、守らなければ生きていけない『猫』。

 それが本当は『猫』ではないのではないか――その疑念は、ディルの中で妻の影の形になっていた。



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