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 アルセンの夏は短く終わる。日差しの割に涼やかな風が吹いてくると、国民は秋の到来を感じることが出来た。

 晩夏から初秋にかけて、マスター・ディルは体調を崩して寝込んでいる。時折顔を出すと思っても、誰とも会話をすることもなくまた部屋に引き籠る。暑気あたりでも起こしたのかと思えるほどの窶れように、皆が顔を見合うが言及する者はいない。

 副マスター・ヴァリンも調子が悪そうだったが、復帰はマスターよりも早かった。ほんの一週間ほど顔を見せないだけで、あとはけろっとした表情でマスターの代わりに『仕事』の指示を下す。人に命令を下す事に慣れている彼は、主が不在のギルドでそつなく業務をこなしていた。


 そして秋も中盤に差し掛かる頃、漸くマスターが起き出してきた。

 彼が妻を亡くして、六年目が終わった時だ。




「……副マスターより言い使った任務の進捗について聴取しよう。アクエリアから順に報告を」

「はぁ」


 既に木々が紅色に色付く季節、早いものは既に葉が落ち始めている。そんな深夜に呼び出されたギルドメンバー達は、各々自分の決めた場所の椅子に腰かけてディルの言葉に耳を傾けていた。

 身繕いはしてあるが、頬のこけたマスターの姿は痛々しい。長い白銀の髪も艶を失っていた。

 名指しされてアクエリアが返事をして、姿勢を変えないまま指示に従った。


「俺はミュゼと組むことが増えましたね。先に俺が周辺を探ってから逃走経路と危険個所その他の情報を渡して、ミュゼがそれから出る形ですか。勿論俺単独で出る事もありましたが、ここ最近じゃ二件程度ですね。今受けてる仕事はありません、仔細はヴァリンさんに報告してありますのでそちらからお願いします。以上」


 淡白に話を終わらせたアクエリアの姿に、説明責任を擦り付けられたような気がしてヴァリンが苦笑を浮かべた。

 アクエリアが終わると、ディルの視線はミュゼに向く。律義に立ち上がって報告しようとする辺り、根は真面目なのだろう。


「私は半分くらいアクエリアの報告通りだよ。回数はここ二か月で四件程度だったかな。あと私単独で出たのは三回、そのうち流血沙汰になったのが二回かな。こっちも詳しいことは副マスターに報告してるからそっちに頼む、以上」


 こちらも簡単に報告を済ませて切り上げる。

 次に視線を向けられたのはアルカネットだった。嫌々ながら口を開いた彼は俯きつつ答えた。


「……俺が出たのは三回程度だ。表の仕事もあるし、ミュゼがそっちに回ってくれたのは有難いと思ってる。アクエリアの補助も助かるな、俺一人じゃ夏の間は夜も短いし、暗闇に紛れるのも限度がある。報告は……俺も副マスターにしているから、後はあっちに聞いてくれ」


 ディルと目を合わせようとしないアルカネットも、早々に報告を終わらせた。

 残るはジャスミン。彼女は椅子に座ったまま肩を強張らせてディルを見返す。


「え……えっと、その、私は……相変わらずです。提出した薬は麻酔薬と、気付け薬と、睡眠薬と吐き気止め。あと胃腸の不調を整える薬も出しました。これからの季節必要になると思いますし、風邪薬の調合に専念したいです。なので大量受注は難しくなるかと思いますから、入用の際は早めに言ってくださいね」

「――次」

「え、俺?」


 ジャスミンの報告も短く終わる。ディルが次に示したのは副マスターのヴァリンだった。

 自分を指名してくるなんて思っていなかったヴァリンは目を丸くするが、不敵な笑みを浮かべて足を組む。


「……俺の動向なんて、聞いて喜ぶ奴がいるとも思えないが。全員が言ってた仕事は大体俺が指示していたよ。各々、何の問題もなくこなしていた筈だ。ミュゼの成長目覚ましい事は褒めていい、俺の部下を泣かせるくらいの動き方を覚えて来たようだな。ジャスミンの薬は相変わらず役に立っている。アルカネットも出る回数こそ減ったが立ち回りの質は落ちてないから問題なし。アクエリアは毎日(さか)り過ぎだ」

「何の事か話が見えませんね」


 ヴァリンの煽りを軽く流して、素知らぬ顔をするアクエリアの視線の先にはディルがいる。彼だって、副マスターが仔細を知っていることくらい分かっている筈だった。

 わざわざ全員を集めて話がこれだけ、なんて愚行はしない筈の男だ。案の定、ディルは改めて全員を見渡してから勿体ぶったように口を開く。


「……今から言い渡すのは、特殊形の任務になる」


 全員を集めて仕事の話をするなんて、今までにあまり無かった状態だ。

 確かに立候補者を募る仕事はあるにはあったが、今までなら向き不向きを考慮して選別した面々に声を掛けていた筈。こんな一纏めにされた状態で言い渡される仕事なんて、と腕に覚えのないジャスミンが不安そうな顔をした。


「今回は――王妃からの下命だ」


 その一瞬で、全員の表情が強張った。

 これまで誰からの仕事だと伝えて来た事が無いディルが、わざわざ依頼人を明らかにする。王妃と顔を合わせた事があるジャスミンが、その時の事を思い出して周囲にそうと分かる程に体を震わせた。

 王妃に謁見して、その後、ジャスミンの親友が居なくなった。望まぬ離別の後の親友の生死は今でもはっきりと分からない。

 権力に反発するアルカネットは顔を顰めた。ミュゼとアクエリアは、少し渋い顔をして、それだけ。


「此の裏ギルドの事を探る人物が城下にいるそうだ。其の人物に、此処がそうだと悟らせるな。万が一、そうと知られて接触されても知らぬ存ぜぬを通せ。同時、接触の旨を我等に報告せよ」

「……あの、質問してもいいですか?」


 おずおずと手を挙げたのはジャスミンだ。


「……答えられる範囲であれば許可しよう」

「その、探る人物って………どんな人ですか? 外見とか、性別とか」

「マスターに代わって俺が答えようか」


 率先して質問に答えるのはヴァリン。ギルドの取り次ぎ役だから当たり前だが、この話はヴァリンが持ってきたのだろう。

 全員の顔を見渡しながら、念を押すように口を開く。


「人物像は小柄な女、髪の色は赤茶だそうだ。だが、調べさせてる人物が後ろに居るかもしれない。こっちに接触があっても、判断を下すまでは手を出すな。新聞社に勤めているらしくてな、下手に関わると厄介なことになるかも知れない。状況証拠が集まるまで、城からも手が出せないでいる」

「……俺からも質問良いですか」


 次に手を挙げたのはアクエリア。


「向こうはこっちのこと、何処まで知ってるんです? 裏ギルドの存在を確信している? この場所まで割れてる様子は?」

「場所は割れてないだろう。この周辺でその女を見たって情報は今のところ無い。ま、こっちも色々派手な事してたから、存在を確信していてもおかしくないな。適当に攪乱できるような噂をばら撒こうとも思ってるから、お前らは下手な事しないでくれよ」

「俺からも、いいか」


 次に声を出したのはアルカネットだった。


「もし、接触があったとして。……報告をした後、その女はどうなる?」

「………」


 ヴァリンは、直ぐに答えなかった。生温い笑みを浮かべて、椅子の背凭れに体重を預けるような体勢でアルカネットを見返した。


「それは、今答えないといけないものか?」

「出来れば」

「……そうだなぁ。俺が王妃殿下に報告しに行くだろ? 王妃はその時点で女の処遇を考える訳だ。生かして得があるのかどうか、考えるだろうな。でもな、新聞社勤めとはいえ民は民だ。この国に住まう者だ。……殿下は庇護すべき対象が、せめて苦しまずに神の御許へ行けるように取り計らうだろうな」


 暈した言い方だが、末路がひとつしか無い言い草にアルカネットの視線が怒りを孕む。

 こんな裏の顔を持っていても自警団だ。騎士達のそれとは少し形が違うが、街に暮らす人々への慈愛をまだ持っている。


「……お前らは、罪を犯した訳でもない民を手に掛けるのか」

「この国が俺達のしてきた事で、どのくらい利益があったろうな。犯罪者一人に手を下して十人の民を守るような事をしているのがこの場所だ。それが明るみに出て面倒臭い事態になったら、守れる十人が守れなくなるな? 俺は別にいいよ、この場所の事が面白おかしく新聞に書かれたって、俺自身の事は幾らでも城でも騎士でも庇ってくれる。けどそれで袋叩きに合うのはお前らなんだろうな」

「醜聞と人の命とどっちが大事だ」

「王妃殿下からの尻尾切りで、これまでの仕事でやって来た事を一身に追及されて処刑されても構わんならその意志を貫けよ?」

「っ……!!」


 アルカネットの怒り程度では、ヴァリンが齎す未来の想像図を覆せはしない。これまで散々手に掛けて来た命の数を罪に問われては、アルカネットの首くらいは飛ぶのは確実なのだ。

 反論できない唇を眺めながら、ヴァリンが溜息を吐いた。この程度で終わる反論なら舌戦にもならない。

 二人が話している間に、空間が重力を強めているようだ。ジャスミンなどはその重苦しさに頭がどんどん下がっている。

 それまで置物と化していたディルが、徐に手を叩き音を出す。それを二人の睨み合いの終焉とする。


「……伝達事項は以上。他、質問が有る者は居るかえ」

「………」

「無い、な。では此れで解散とする。各自、承知の事とは思うが――過ちは犯すな」


 掠れたようなディルの声。いつぞやに妻から涼やかなテノールと評された音色は今は無い。

 合図と共に、それぞれが自室へ散っていく。ミュゼはいつもの事とばかりに、カウンターに侵入しては酒瓶を手に取っていく。


「そういえば」


 両手に瓶を持ったミュゼが、酒場自体を出て行こうとするヴァリンに声を掛けた。

 アクエリアは二人の会話に割って入る事はしないが、その場にいるのが不自然にならないようつまみを漁りにカウンター側に寄る。


「どうした」

「オルキデとマゼンタ、出てこなかったけど良いのか? 一応この酒場の一員だろ」

「ああ」


 そんな事か、と小声で漏れたのを、ミュゼもアクエリアも聞き逃さない。


「あの二人は今出ているからな。それに、この話ももう耳に入れてる筈だから気にしなくていい」

「そっか。……え、出てるって何処に? 泊まり?」

「まぁ、そんな所だ」


 ほーん、とミュゼが一応の納得をしてみせると、今度こそヴァリンは酒場を出て行く。つまみを持ったままのアクエリアが扉に寄って閂を掛けると、酒場の戸締りは終わり。


「姉妹一緒に泊まりなのかね。珍しくない? あの二人、私が把握してる範囲じゃこんな時間に外に行くのも無かったのに」

「そんな夜もあるでしょう、この酒場にいつまでも居たんじゃ息が詰まりますからね」

「息が詰まるんなら私が酒の相手でもするのにな。そういやあの二人と一緒に飲んだことないなぁ」

「飲みたいんですか? 俺の相手じゃなく? 俺を置いて他の人と飲むんですね、へえ」

「アクエリアだってアルカネットと飲んだりするだろ。私だって他の誰かと飲みたい時くらいあるよ」


 ミュゼが先に階段を上り、アクエリアは後ろを付いて行く。

 行き着く先は当たり前のようにアクエリアの部屋で、二人の姿を呑み込んで扉は閉まった。


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