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【第二部】アルセンの方舟 ―国家公認裏ギルド夜想曲―  作者: 不二丸茅乃
Op.5 花鳥風月 下 散華し唯一世界
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「配置、終わったよ」


 ファルミアの町に残っていた市民は皆、『風』の隊の者が近くの村や町に向けて送り届けている。

 町には民家やギルド関係、工房として使われていた石造りの建物など、様々な建造物がある。その殆どに二つの部隊の者を配置し終え、ディルは先に一息ついていた。椅子に座る気になれず、窓の桟に座って外を見ている。

 一番高い建物内――元は工房ギルドの支所だったらしい――の一室で『月』と『花』の両隊長が顔を合わせる。

 ディルの側には副隊長であるフュンフが控えていた。彼はいつも通りの仏頂面で、『花』隊長の来訪を横目で見る。そして、誰かを探すように周囲に視線を向けていた。


「そうか」


 ディルが労いの意味も込めて、返事をする。

 フュンフは視線で探していた人物が姿を見せない事に疑問を感じて声を出した。


「……、我が妹は配置に付いたのですかな」


 いつも彼女を慕い、側に控える彼女の腹心であるフュンフの異母妹ソルビット。いつもあっけらかんとした声を聞かせる彼女が、今はいない。


「ソルビットなら『鳥』と『風』の所にいるよ。部隊半分渡したからな」

「――何と」


 その言葉で、フュンフも彼女の決意に気付いたようだ。

 この町で迎撃する部隊が、危険な目に遭うのは明白だった。その危険から逃すために、ソルビットを前線部隊がいる方に振り分けた。前線部隊の側に居れば、ソルビットだったら旗色を見ながら退却することも出来よう。それが後方部隊の利点だ。


「フュンフ」


 短く、副隊長の名を呼んだ。

 その意味に気付かぬならば「席を外せ」とでも言えたのだが、ディルの声色が何を示しているかに聡い彼は即座に理解して退室する。

 二人きりになって漸く、『花』隊長が側に寄ってきた。隣で窓枠に腕を乗せ、ディルと同じように外を見る。窓の向こうでは、覚悟を決めて配置についている者達の姿が見えた。


「……静かだね」


 囁く声は、ディルにしか聞こえない。


「ああ」

「でも、ピリピリしてる」

「……ああ」


 まるで逢瀬の合間に語らうような声の甘やかさだ。蕩けるような優しさの声が、ディルの鼓膜を支配する。

 他に何の音も聞こえない。世界に二人だけ取り残されたような、身勝手な錯覚さえ過る。


「……アタシがこっちに来て、怒った?」


 彼女が、ディルに手を伸ばした。様子を伺うように、けれどディルの熱を乞う時と同じ仕草で。

 思わず喉が空気を押し込めるように鳴った。そんな場合では無いのに、最愛の体温を望む欲求は絶えない。


「いや」

「良かった」


 問いかけに短く返す事で、自分の気を逸らした。そんなディルの煩悶にさえ気付いていないのか、彼女は緩く笑みを浮かべた。もう、満面の笑みを浮かべる気力も無いだろう。

 深呼吸の音が聞こえる。それはディルのものではない。


「アタシ、この戦い終わったら、騎士辞める」


 そうして絞り出された彼女の言葉には、断言で飾られた決意が滲んでいた。


「……本気か」

「ギルドも……畳む。兄さんは畳みたがってたみたいだった。そんで、あの酒場経営するんだ」


 彼女が口にするのは、少しでも暗い未来を払拭したいが為の話。少なくとも、戦場の音が聞こえない今だけは。

 二人で並んで、明るい未来を口にして、幸せな空気を取り繕う。継ぎ接ぎだらけの急ごしらえの安寧は、互いの心を僅かに癒す。


「俸給は無くなるから、贅沢は出来ないかもしれないけど……でも今までもそんな無駄遣いしてないし、今までと同じ生活が出来るくらいに酒場が繁盛したらいいな。最初は常連ばっかりで客もあんまり来ないだろうけど、時間かけて増えてくれたらいいなって思ってる。いつか仕事は店の事しか考えなくて良くなって、めんどくさい色々から抜けられて、……それで……」


 言葉を不意に切った彼女は、再び息を吸った。


「騎士じゃなくなったアタシは、貴方に全部捧げたい」


 声の甘さは、まるで結婚式の朝に戻ったようだった。あの時と同じ程に決意篭る声を、ディルは目を閉じて聞いた。

 幸せだ。

 愛する者が自分を愛してくれる現実が。

 何よりも大切だと思える存在と一緒に居られる事が。


「貴方の背中はアタシが守る。だから、貴方は前だけ向いていてね」


 前を向いていれば、彼女の身を害する火の粉から守れると信じた。

 そこに他の者の意思は関係ない。ただ、愛する者を守れるならそれでいい。

 ディルの灰色だった世界は、彼女の存在で色付いた。その色を、今更失いたくない。

 重なっていた手を引いて、胸の中に抱き寄せる。後ろ手で窓の遮光幕を引き、部屋の中に影を落とした。


「……そうなれば我も、あの酒場の経営を手伝おう」

「……嬉しい」

「隊長が二人も居なくなっては、皆が戸惑おうな」

「ソルビットもフュンフも、二人ともいるから大丈夫だよ」


 彼女が腕の中で笑う。その無邪気な笑顔が、ずっと愛しかった。


「……ねぇ、ディル」


 妻の笑みが消える頃、首筋に腕を回されて、ディルが唇を引き結ぶ。


「……最後、だから。……アタシ、頑張るから……。その、どうか、お願い、少しだけ」


 何を、と示す言葉こそ無いものの、何を要求されているかは蠱惑的な仕草と声で分かってしまう。

 唇が触れる距離まで顔を近づけて、焦らすように腰を撫でる。まだ、下には辿らない。


「……お願いだよ、ディル」

「お願い、というからには相応の態度があろう?」


 余裕ぶって見せるのは、愛されている自信があるからだ。

 案の定彼女は頬を染めて小さく頷くと、素直に体を離した。それから手近な机に寄りかかると、留め具を最低限外していく。下履きにまで手を掛けるが、それを下ろす事はせずに自らの腹部の着衣を乱した。見えるのは臍とその周囲。

 露わになる素肌は僅かだ。汚れた服の下から覗く素肌は白く、慎ましくも晒されたそれがディルを拙く誘惑する。


「……おねがい、します。……ディルに……あなたに、触って、ほしい」


 捲し上げた布の下で、彼女が悩ましげに自分の肌に触れる。体内に子宮を収めている範囲を撫で上げて、照れが混じる拙い誘惑が完成した。

 外気に晒されている肌は二人が肌を重ねるのに必要なだけだ。それでも、頬を上気させた最愛の妻の姿に煽られないディルではない。

 小さく頷くと、ディルは妻の元へと歩み出す。その躰に、自分を刻み付けるために。




 側に居たいと言ってくれた。

 幸せだ、と、何回も言ってくれた。

 愛らしい。美しい。愛おしい。ディルを見つめて吐き出される甘美な吐息さえ、手に入るものなら欲しかった。

 愛している。

 起きている彼女に何度も言おうとして、その度に胸の奥深くに飲み込んだ。

 愛している。

 愛している。

 愛している。

 想いはディルが此処で果てようと、永遠に途切れることはない。




 ファルミアの町を巻き込んだ戦は、日が沈んで昇った後に始まった。

 案の定というべきか、制圧するために敵勢力を大きく割いて『花』と『月』の待ち構える町へと押し寄せて来る。

 斥候も程々に、功を競うかの如く最初に突撃してきたのは奴隷獣人部隊だった。

 高所は『花』の弓隊が占領しており、突撃した者から矢雨の洗礼を受ける。大半はそれで地に伏すが、そうでない者は町の中に潜り込む。後から辛うじて隊列の体を成しているダークエルフ部隊は、その高所に向けてあらん限りの魔法を繰り出した。被害を最小限に食い止めるために、『月』隊も出て、乱戦は始まった。


「……?」


 しかしディルは、それらを目の当たりにして違和感に気付く。

 ダークエルフやエルフが、精霊と契約して魔法を行使するのはディルも知っている。

 そしてその種族たちが有する魔力というものが、ヒューマンとは段違いだと言う事も。

 騎士は護衛という名目で王家の者を他国に送り届ける任務に就く事がある。ディルだって例外ではなく、他国に暮らすエルフを見た事が有った。

 エルフとダークエルフの違いは、種族以外にもある。

 『根っこ』が違う。

 エルフは根が清廉で、自分達の有する魔力がどれほど強大なものかを知っている。世界の摂理を歪めることも出来る彼らは魔力を自制することで破壊を最小限に抑えている。

 ダークエルフは清廉とは縁遠い、我欲の塊だと言われている。魔法を使った周辺のみならず、世界がどうなろうがどうでもいいとさえ思っていて、魔力をわざわざ抑える事はしない。

 そのせいで他種族から忌み嫌われ、遠い昔に国は滅ぼされた。今は生き残りは各地に散らばり点々と集落を作ったり、周囲にそうと知られないように姿を変えて暮らしていると。

 話に聞くダークエルフの実物を、ディルは『花』隊長の育ての親であるエイスしか知らない。エイスが魔法行使している姿は、酒場で氷を作る所しか見た事が無い。

 けれど今、ダークエルフが行使している魔法の違和感は分かる。

 これが全力なのだとしたら、あまりに児戯にも等しいと。


「フュンフ、汝に隊を任せる。我は出る」

「お一人でですか!? そんな、危険です!!」

「分かっている」


 危険だと言われても、配下が倒されるのを黙って見ている訳に行かない。

 ディルは隊の指揮権をフュンフに押し付け、場所を移動することにする。

 今現在町に入って来ている敵よりも、これから入って来る敵の方が危険だった。フュンフの制止も聞かずに、町の入口に向かって歩を進める。


 入口とは言っても、それまで積まれていた低い塀などといったものは殆ど破壊されていた。

 遠くに隊列を組んで近付いてくる影が見えて、ディルが周囲を改めて見渡す。

 あるのは瓦礫と死体と、それらに響いて虚空に溶ける戦場の騒乱。

 新手は三列に並んだダークエルフ、およそ十名。心身共に疲弊している様子が見て取れる。この状況ならば、とディルが僅かに身を屈めた。

 指先で触れたのは、義足である右足。下履き越しに触れながら、小さく呟く。


「――『迅』」


 階石家が作り、手入れをしている義足は特別製だ。魔宝石と同じ使い方が可能なそれに単語で魔力を発動させる。

 ダークエルフが魔力による破壊を齎すなら、ディルは速度によって刃を振るう。

 多対一でも、ディルは勝利できる自信があった。それだけの腕を、国内で誇る。そしてそれは、一人の女の為に振るうと決めた。


 ディルを見つけて立ち止まるダークエルフが、その場で詠唱を開始する。

 義足が生み出す速度に体重を乗せ、ディルが隊列に強襲していった。



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