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【第二部】アルセンの方舟 ―国家公認裏ギルド夜想曲―  作者: 不二丸茅乃
Op.5 花鳥風月 下 散華し唯一世界
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 帝国との戦争は、戦争という名を付けるのすら粗末な有様だった。

 前々から言われていた通り、アルセンは戦線を国境より下げて布陣する。いつぞやに過ごした砦もすぐに空け、案の定そこは直ぐに占領される。

 乱戦と静観の波も激しい中で、四隊長は全員が同じことを考えていた。

 帝国の士気が明らかに低い。帝国は他の国とも小競り合いをしていたがそれを畳んで来た筈なのに、アルセンとの戦争が開始されると同時に他国の兵が一挙に帝国の背後を狙ったという。そうなるように手を回したのは、きっとアルセンの手の者だろうけれど。

 敵軍に挟まれるようになった帝国の動きは、明らかに遅くなっている。攻勢に出るか守りに入るか、慎重に会議がされたが四隊長は守りに入る事を選んだ。

 無駄な人死にを出さないため。過去にアルセンは、無理な攻勢に出て痛い目を見た事があるから。


 乱戦よりも静観の時間が長くなり、帝国から攻撃の意思が見えなくなり、まるで宣戦布告の前のような気配に戻った頃。

 四隊は順番に、一時帰城の目途が立った。戦争開始から三か月後の事だ。


 最初はギルドの任務がある『花』から戻る。

 『月』の帰城は四隊の中でも一番最後になるが、ディルは帰城の順番が来ても単独で戦場に残る事を決めていた。

 ディルが戦場に残る事で、『花』隊長としての妻の負担が軽減すればいいと考えている。今の彼女の身に降りかかる火の粉の中で、一番危険なものが戦場だ。

 ギルドの件で彼女を守れない事には不安が無いとは言えない。けれどどちらにせよ同時に城に戻ることが出来ないのだ、それならばディルは戦闘狂と言われていた時と同じ顔で、戦線に立つ。

 彼女の為に出来るのはそれくらいだと考えて。




 『花』が戻り、次に『鳥』が戻る事になる。

 問題は、『鳥』の帰城の隊列が中間地点まで進んだであろう頃に起きた。


「ディル、ディル。起きてるか。緊急事態だ」


 それは明け方の話だ。椅子代わりの資材に座って仮眠を取っていた『月』隊長の天幕で、ディルの目覚めを促す声がした。

 声の主は一度聞いただけでエンダだと分かる。『風』を統べる隊長の、緊迫した声。


「……今起きた。何があった」


 夏は明け方といえど気温が高い。滲む汗は気温のせいか、それとも声が齎す嫌な予感のせいか。

 起床を告げるディルの声に、エンダが遠慮なく天幕に入ってきた。中には、今はディルしかいない。


「帝国が体勢整えてこっち向かって来てる。大隊引き連れてるみたいだ」

「大隊? そのような戦力が残っていたというのか?」

「こっちの斥候が見つかって捕縛、半分処断。なんとか逃げて来た奴が言うには、ヒューマン以外の部隊がいたそうだ。獣人とダークエルフ」

「……獣人? ダークエルフ? 人の世に手を貸さぬ種族だろう」

「聞いて驚け、俺も驚いた。奴隷部隊だと」

「奴隷――」


 それまで座っていた資材の上から立ち上がり、ディルは腰に佩いたままの剣の位置を確かめる。エンダの横を通り過ぎ、そのまま天幕を出て行った。

 天幕の外は静かだ。なのに、既に報告を聞いているであろう今起きているアルセン軍の者達の動きだけは忙しない。二隊が欠けている今、大隊の相手をする戦力は無いのだから当然だ。


「エンダ、『鳥』には伝令を飛ばしたか」

「もう行ってる。引き返してくれると有難いんだがな、なにぶん負傷者も多かったからどうなるかはカリオン次第だ」


 これまでの戦争とは確かに気配が違った。今まで以上に攻める手が甘く、それは後方を突かれているせいだろうと思っていたが。

 獣人とダークエルフの奴隷部隊など聞いた事が無い。そもそも、異種族を奴隷にすること自体が危険なのだ。

 エスプラスと呼ばれるようになり奴隷として扱われるようになって久しいプロフェス・ヒュムネは、国の亡き今徒党を組んで復讐しに来るわけではないが――獣人はそうではない。中立地帯に国がある。

 そしてダークエルフに至っては単体だったとしても危険な存在だ。たった一人で度を越した魔力で辺り一面を凍てつかせることも焼け野原にすることも出来るのだ。高慢な彼らが奴隷という立場に甘んじている訳もないだろうに。


「『風』隊の現在兵力は」

「帰った重症者除けば全体の七割って所か。勿論伝令と一緒に、城に残した予備兵力連れて来るよう言ってるが」

「耐えられるか?」

「耐えんといかんだろうよ。……ディル、お前も前線来てくれるか」

「無論」


 隊の方針はともかく、個人としては前線向きであるディルはエンダの言葉を快諾した。

 隊の指令はフュンフに任せるとして、ディルは個人で戦線に立つ。

 初めて戦地で剣を振るった時から、恐怖など感じない。血飛沫の中では、『生きている』と実感することが出来た。緊張感と、殺意と、死臭立ち込める悪夢のような場所。


 一瞬だけ、妻の顔が脳裏に過る。

 同時に、以前感じていた戦場への高揚は殆ど消え失せているのを感じ取る。

 あるのは僅かに残る徒労感と虚無感。そして、具体的な名前を知らない虚脱感。

 繰り返される小競り合いに心底疲弊した妻の様子が頭から離れない。ふと、以前エンダから言われた言葉がその時耳に蘇ってきた。


 ――その『恋人』がな、お前を行かせたくなくてわざわざ会議に噛みついてんだよ


 戦争になるかも知れないという時期に、四隊長で会議した後の話だ。『花』隊長が珍しく会議で自分が先発隊として行くと言った時の事。

 あの時のディルは、別に焦ってはいなかった。それが今は、彼女を危険な目に遭わせないようにと思考を必死に働かせている。

 あの笑顔を曇らせたくない。彼女に血を流させたくない。国の醜悪な行為に今以上巻き込みたくない。


 ――アタシ一人空回りしてない?


 それをディルはそうだと答えた。茶化すような言葉も付け加えた覚えがある。

 だが今はどうだ。あの時の彼女の心境が痛いくらい分かる。違うことと言えば、あの時より状況は悪化していることだろう。

 来るな、と、言えるなら言いたい。代わりにディルが矢面に立ってそれで終わるなら、喜んで槍衾の陣にも突撃しよう。

 守りたいたった一人が守れるなら、命がどうなったっていい。

 無意識に握りしめた拳に、彼女に触れた時の体温はもう残っていない。




 それからの戦闘は殺戮の繰り返し。

 今までの乱戦がまるで子供の遊戯であったかのように、アルセンの騎士達は押されてしまう。

 ヒューマンの戦争は数が重要だ。頭数に物を言わせて戦を有利に進める。多少の技や能力はあれど、その大多数はヒューマンの域を越えない。

 それが投入された奴隷部隊との交戦となると話が違う。元がヒューマンではないのだ。奴隷部隊として連れて来られたものには首輪型の魔道具が付けられており、戦闘放棄の意思ありと見做されればそれが首を絞め上げやがて首が地に落ちる。

 元から居た帝国軍。それに加わったのは、文字通り命が罹った獣人とダークエルフ、それぞれ三百の隊がひとつずつ。

 それだけで、風向きが大きく変わってしまう。アルセンの騎士も兵も、殆どがただのヒューマンだったのだから。




「……大分やられちまったな」


 それは戦争が始まって季節が夏から秋に変わろうとしている夕暮れの話。戦場に於ける司令部である大天幕に隊長が四人集まった。

 砂埃に塗れて、艶やかな鈍い銀髪を持て余した『花』隊長は苦虫を嚙み潰したような声で呟く。

 四隊長揃っての会議は、これが久方振りとなる。帰陣早々戦線に投入された『花』隊の損壊も激しく、その表情には疲労が見て取れた。

 誰も彼も疲弊している。隊長の威厳を示す為として絢爛な隊長服が汚れていない者は一人もいない。ディルだって、暗色のそれが泥と血で汚れ切ってしまっている。体に受けた血は敵のものだけではない。


「……『鳥』、今出ている騎馬隊の内二割損壊。他は何とか損壊は押さえています」

「『風』、近接部隊は半数ってところだな。魔法部隊も三割損壊」

「『月』、近接、後方共に半壊。……城に残してきた部隊を来させるならまだ戦える」

「『花』、短弓部隊が二割の損壊。長弓・魔法部隊がほぼ無傷。医療部隊がご存知の通りてんてこ舞いだ」


 自隊の状況を手短に報告する四人は、それぞれの戦況を聞いて浮かない表情を更に暗くさせる。

 アルセン国民の剣となり盾となり、戦場に立っている四隊長が集まれる時間は短い。

 既に誰も日付の感覚など無い。日のあるうちは交戦し、日が沈んでからも敵襲に備え、実際そうなった時には松明と夜目を頼りに武器を振る。

 息を吐くだけでも苦痛だ。まともな睡眠時間など無いに等しくて、それでも自隊を統べる隊長であるからこそ前線に立つ騎士達だ。


「今の時点でここまでの損壊は想定外だ。向こうは何やら奥の手っぽいものを残している可能性がある……ってのがこっちの見立てだ」


 続くエンダによる『風』の報告に、四人が四人とも同じ方向に視線をやった。

 視線の先に在るのは大天幕入口から二歩ほど進んだところにある、動線を誘導するかのように置かれた木製の仕切り。ディルの背より高いそれに、中側からしか見られないように周辺区域の地図が張られている。


 谷を挟んた渓谷の道に布陣している両国の軍は、二手に分かれたどちらも苦戦を強いられている。そこから更に後退すれば、とある小さな町に辿り着いてしまう。これまで点在していた集落や村は護衛を付けて避難させることも出来たが、町という規模になると難しくなってしまう。その土地に住まう者の数が跳ね上がるのだ。実際既に避難指示を出しているというのに、町を出た数は半数に満たないという。

 村や集落といった場所でさえ、移動するのを渋った者がいるほど。これが町となれば避難に時間が掛かってしまう。今は僅かな戦力も時間も惜しい。


「……最悪、町を囮に罠を仕掛けて布陣を組みなおすか……」


 小声で漏らした『花』隊長の呟きを、誰も否定できなかった。


「それは……あまり考えたくないですね」


 続いたカリオンの言葉さえ、それに強く否と言えない。

 この場で戦線崩壊するのと、民の住む土地を戦禍に巻き込むのと。どちらの方が国にとって損害が少ないかを考えると、答えはもう出ている。限られているのは選択肢だけではない、こうして逡巡している時間さえ、もう殆ど残っていない。

 カリオンの跳ねる毛先の黒髪が、彼の俯きで動く。くたびれた髪でさえ、疲労感を隠し切れない。


「――いや」


 疲れているのは、ディルも同じだ。けれどその四隊長の沈黙を裂くように、口を開いて声を上げる。


「『風』。汝らの隊の一部で、残っている町の者を誘導せよ。残りと『鳥』は町とは別方向に布陣。『花』と『月』で、町にて布陣、迎撃を行う」


 帝国の負傷者数も無視できない程に膨れ上がっている筈だ。もしかすると、これが帝国との最後の決戦になるかも知れない。どちらかが滅ぶまで終わらない戦争が、これで以後二度と始まらないと言うのならディルだって全力を以て迎えよう。その為の土台に、町という遮蔽物ばかりの場所は都合がいい。

 ディルの提案を、他の三人は神妙な顔をして聞いていた。


「迎撃? けれど、向こうはそう簡単に誘いに乗って来るか……」


「向こうとて、確りとした拠点は欲しいであろう。食料、建物、兵の士気に関わるそれらが揃っているように見える町は拠点として好ましい場所の筈だ」

「……それはそうだろうけど」

「あの街がむざむざと奴等の手に渡るより良い」


 渋る『花』隊長に、エンダがディルの意見を肯定する。


「……しかし、後衛が居ないとこちらとしては不安だな」

「『月』を三割出そう、あとは汝等でどうにかするが良い」


 残存兵力から三割出すというのは、考えられる範囲で危険な事だった。しかしそうでもしないと前線も保たないというのも分かっている。

 それぞれが詳細を打ち合わせ、方向性が決まった所で解散する。

 最初に出て行ったのは前線を張る『風』と『鳥』の隊長二人。今使用している大天幕も、四人が出たらすぐに解体されるだろう。だから、早く退出しないといけない。

 けれどディルはそうはしなかった。出て行こうとする『花』の手を引いて、自分の方に向かせる。


「……ディル?」


 髪も荒れ、肌に砂さえつけたままの薄汚れた愛する人は、どんな姿になっていても美しいと思えた。

 その体を抱き締める事は出来ない。今から彼女に伝える言葉が、どんな非情な言葉になるか知っているからだ。


「……――」


 名を呼べたか、分からない。

 声が震えないようにするので精一杯だ。こんな風に、誰かの事で不安定になる自分を知らなかった。

 彼女は、ディルに様々な『はじめて』をくれた。そのどれもが『嬉しい』ではなかったが、ひとつとして捨てたくない大切なもの。

 何よりも、彼女が一番大切だった。人形と揶揄された程に凍てついて閉ざされた心に、愛を教えて寄り添ってくれたのは彼女だ。


「汝の隊の指令権を半分渡せ」


 だから、何があっても、彼女だけは失いたくない。


「そして汝は残りを率いて『風』『鳥』と共に居よ」


 例え自分の命を捨てる事になろうとも。




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