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【第二部】アルセンの方舟 ―国家公認裏ギルド夜想曲―  作者: 不二丸茅乃
Op.5 花鳥風月 下 散華し唯一世界
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124 ――手、繋いでていい?


 『月』と『花』の隊長同士が結婚して暫くして、帝国との状況が膠着した。

 何を思ってか、国境沿いに布陣していた帝国軍は引いていく。撤退を特に隠蔽するでもなく、まるでそうするのが当然とでも思っている雰囲気で普通に軍を引いたと。

 その時砦に駐留していたのは『月』副隊長フュンフと『鳥』隊長にして『花鳥風月』団長のカリオンだった。

 ただ、その後が不気味だったと報告に上がる。

 軍を引いた筈の地で、交代で帝国兵がアルセン側を見ている、と。

 交代で、何をするでもなく。ただ、見ていたと。

 それだけで、帝国は攻め入る事を諦めていないのだと分かる。

 必然的に、砦への駐留は継続された。ただ、これまでよりずっと数を減らしての駐留だ。今すぐ戦争が起きるという気配が消えた国境に赴任される司令は、副隊長ばかりになった。




「あ、起きた?」


 そして季節は移り替わる。

 夏が過ぎ秋が来た。涼を運ぶ風が肌に心地よく、良く晴れた日にディル夫婦が二人で外出した日の事だ。

 幸いな事に合わせずとも二人の非番が重なり、妻は朝から弁当を作っていた。それが用意できた午前に妻から外出のお誘い。それを断る理由も無く、二人は城下を抜け出して少し離れた丘に来ている。

 城下に観光地として七番街があるので、丘に寄るのは地元の者だけだ。幸いその日は他に散策者もおらず、ゆっくりとした時間を夫婦で過ごした。

 景色の良い丘で昼食を摂った後、木漏れ日差し込む樹の幹に背を預け、目を閉じたディル。少し眠ってしまったらしく、次に目を開いた時には妻の膝を枕にして横になっていた。


「……我は、寝ていたのか」

「うん。気持ちいいもんね、眠くなる気持ち分かるよ」


 ディルは滅多な事では昼の仮眠で体勢を変えたりはしない。思わず寝入るなんて事もなかった。

 それだけ、隣に妻がいる状態が当然の日常になっている。身を起こそうと地に手を付くが、彼女の掌がそっとディルの肩に触れて行動を抑制する。


「まだ寝てていいよ。ディルだって疲れてるでしょ? 毎日『月』隊長任務お疲れ様」

「……それを言うなら、汝とて。隊長と店主と、暫定ギルドマスターの任務で疲れているであろ」

「アタシはねぇ、こうして癒して貰ってるから大丈夫だよ。えへへ、ディルって髪も綺麗だよね」


 肩に触れていた手は、ディルの髪を撫でた。妻のそれよりも長く腰まで届くほどの白銀の長髪。それが地に滑り落ちている様を、彼女は嬉しそうに笑みながら見ている。


「アタシは疲れても、ディルが側にいてくれるなら大丈夫だよ。ディルが一緒に居て、一緒に食事してくれて、話も聞いてくれて。一緒に寝て、起きて、同じ職場に行って同じ家に帰って。ちょっと前まではこんな風になるなんて事も考えてなかったのに、不思議なものだよねぇ。アタシ、こんなに幸せでいいのかな」

「………」

「アタシの膝で良かったら、幾らでも寝てていいから。今のアタシはディルだけのものだから、膝なり肩なり使ってゆっくり休んで」


 二心無くそう微笑む彼女の頬に手を滑らせると、はにかんだ彼女が身を屈めた。

 その仕草が口付けの合図だという暗黙の了解になるまで、そんなに時間は掛からなかった。

 唇を重ねた二人の間は、秋風であろうとも遮る事を許さない。


「……ね、ディル」


 唇を離した後の妻は、微笑みながら言った。


「手、繋いでていい?」


 拒否なんてする訳が無い。

 小さく頷いた後は、二人の手が指を絡めて繋がれて。

 ディルは手から感じる妻の体温に、引き込まれるように再び眠りに落ちていった。


 春も、夏も、秋も、冬も、また季節が巡って春になっても二人は共に居た。

 それが未来永劫続く世界だと信じ切っていた。

 ささやかな幸せも、大きな幸福も、二人の間に訪れる喜びをすべて受け入れた。

 悲しみや怒りは少なかった。ディルは見返りを求めないひたむきな愛を向けてくれる彼女に不満など一切無かった。

 彼女もそうであると信じた。


 彼女が、いつまでも愛を囁かないディルに対して自分の感情を押し込めて接していた事にも気付かないまま、結婚して一年が過ぎる。




 幸福な時間の終わりは呆気なく告げられる。

 争いに向かって歩む軍靴の音は、必ずしも統制が取れた静かな音である訳でもなかった。


 隊長、副隊長の誰もがそれを最悪だと思い、またそれを口にした。


 帝国の皇帝が、婚姻話をアルセン王家に持ち掛けた。

 要約すると、『五兄妹の末姫を、皇帝の元に嫁がせよ』と。十四を数えたばかりの、国王と現王妃の唯一の子供。

 あまりにお粗末な婚姻話に憤慨した国王はこれを拒否。

 皇帝はそれを侮辱と受け取り宣戦布告をして来た。

 実際の所、皇帝もこれが受け入れられるとは思っていなかっただろう。

 国王と王妃は婚姻話という遠回しな戦争開始の意思を受け取った時に、全兵力の半数を国境とその周囲に投入していた。


 それは『花』と『月』も例外では無く。

 布陣は離れる事となったが、隊長夫婦の二人は同じ戦場に立つことになる。




「やっぱりこうなっちゃうんだねぇ」


 出陣直前、隊服を纏った『花』隊長は苦笑を浮かべていた。

 やっと再開できて軌道に乗って来た筈の酒場は再び閉店を余儀なくされ、戦場に投入される指令を黙って受け入れるしか出来ない。

 ディルも『月』の戦闘服を着込み自隊の指揮の為に戦場に出向くが、直接戦線に出ることは無い。

 『月』は『風』の後衛として、『花』は『鳥』の後衛として戦地に赴く。

 二人の物理的距離がこうまで離れてしまうのは、結婚して初めての事だったかも知れない。


「あっちの皇帝も頭が悪すぎるよね、戦争したいならうちの姫を引き合いに出す事は無かっただろうに。……国の上に立つ奴が馬鹿だと、本当、巻き込まれるのは……こっちだって、いうのに」


 彼女は疲れ切った表情で、ディルの胸元に頭を寄せた。

 ここは出陣前の城の外で、隊列は既に組まれている。衆目に晒されているというのに構う様子の無い彼女の行動を、ディルは拒めない。

 人目を憚らない妻の行動は、誰かに咎められる事は無かった。咎めるような勇気のある者はいない。騎士隊長二人の蜜月は戦禍により阻害された、その事実を全員が知っているから。

 ディルは、彼女に腕を回すことはしなかった。その程度の分別は辛うじてある。


「……ねぇ、ディル」


 今にも途切れそうな彼女の声。


「……あのね、アタシ。……ディルの……その、」

「……何が言いたい?」

「ん……、……アタシ、ね。……ディルの……」


 言い淀む声だが、それでも愛しい。急かしたくないが状況が状況で、こうまで人の視線を集めているとディルだって気まずさからくる不快感で顔を顰めたくなる。

 彼女は何度も何度も言い直し、それからやっと口を開いた。


「……ディルの、……言葉が、欲しいなって」

「言葉?」

「アタシ、……それ、貰えたら、頑張れる……気がするの。どんなに、危ない事になっても、ディルがいるから、大丈夫って、思えると思う。……だから」


 言葉、と言われてディルには咄嗟に浮かぶ言葉が無い。そんな曖昧なものを欲しがるなんて、これまでの彼女には無い事だった。

 欲しがるならくれてやりたい。でも何を言えばいい。この状況に於いても欲しがられる言葉に思いつく節が無い。

 これまで、ディルが何を言わずともそれで良かった女だ。

 自分からディルの側に居て、それで満足していた女だ。

 今更、何を言えばいい。


「……」


 頭の中ではそんな言い訳を連ねていた。

 あれも違うこれも違うと考えているうちに、ひとつの言葉が頭に過る。

 これまで伝えようとしないでいて、伝える事を躊躇って、そのまま結婚して一年経った。それでいいと思って、ずっと心にしまい続けていた言葉だ。

 こんな形で催促されるなんて思わなかった。その催促すら具体的な要求をせず、ディルにとっての逃げ道を残しているのが彼女らしい。


「――……」


 心の中でなら、何度だって言って来た。

 腕の中で眠る彼女になら、伝えられた。

 今一番望まれているだろう言葉は、ほんの数語紡げば終わる。

 終わるのに。


「……我は」


 愛している、と。

 そんな短い言葉さえ言う事が出来なかった。


「何があろうと、汝を、守る。……だから、恐れるな」


 言えたのは、彼女が望んだものよりも言葉数が多いもの。互いが心底願っているものに間違いは無いのだが、『今』は、その言葉が必要な訳ではなかった。

 選択を故意に間違えた事を、お互いに気付いている。

 彼女は、何も言わずにそれを聞いた。聞いて、黙っていた。やがて悔しそうに、額をディルの胸に擦り付ける。ぐりぐりと、怒りも込めて強く。


「………っ。……ありがと」


 そして僅か数秒の後に顔を上げた彼女の顔は、笑っていた。今まで一度もディルに対して向けられた事がない、悲哀を纏った作り笑い。


「頑張って来るよ。頑張るから、ディルも、どうか気を付けて」


 離れる時は呆気ない。身を翻した彼女は、隊服の上に身に付けていた外衣(マント)を靡かせて自隊の整列する先頭まで走っていく。その側にはいつの間にか副隊長であるソルビットが控えていた。

 いつもは飾り気のない彼女だが、隊長としての威厳を示すその装いの時はただひたすらに華麗。

 『花』を統べる騎士隊長として、隊員全員の前に立った瞬間。


「――聞け!!」


 声を張り上げるその音は、無言の騎士達を敬礼させた。


「死にたくない者、待ってる人が居る者、守りたいものがある者、名声を轟かせたい者。今この場にいる者は、その中のどれかに必ず当てはまると思っている。胸を張って戦場に往く、我らが祖国アルセンの崇高なる護り人達。民衆から見れば、それがお前達の姿だろう。もしその役目を放棄して、帝国に背中を向けて逃げる者がいたとしても――アタシはその背を追わない」


 声は最後列にまで届いているだろう。緊迫した空気の中で、彼女の声を聞き逃す者は居ない。


「だが! アタシが守ってやれるのは、アタシと一緒に戦場に立つ者だけだ!! アタシを盾にしてでも、隣にいる奴の屍を踏み越えてでも! 最後まで戦場に残って、帰って弔う仲間の顔を忘れないよう目に焼き付けておけ!! そしてこれは二度は言わない。皆、生きて帰れ!!」


 『花』隊長の言葉に、歓声も拍手も必要ない。彼女はその言葉と共に腕を上げると、隊全体が反転して後方を向く。

 そして進みだした隊列は、見えなくなるまで時間を要する。最後まで、彼女はディルを見なかった。


「……隊長」


 ディルにフュンフからの声が掛かる。ディルは最後まで『花』を見送っていた。


「そろそろ、こちらも出発しませんと」

「………ああ」


 これが今生の別れになる訳ではない。

 今回の戦争も、開戦したからといって決着がつくかも分からないのだ。惰性で繰り返される戦争は、この先の未来にも影を落とすのかも知れない。

 ディルは軽く頭を振って、妻の姿を思考から振り切る。何度も見てきた隊服姿だって美しいが、ディルの中で一番美しいと思った彼女の姿は結婚式の時だったな、と思い出してしまったから。

 フュンフに急かされれば、『月』だって出陣しない訳にはいかなくなった。ディルも自隊の元へ向かい、その先頭に立つ。


「……――傾注」


 そして始まる出陣前の口上。

 何も意味を成さない戦争の気配を拒むように、涼やかなディルの声がその場に溶けた。



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