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【第二部】アルセンの方舟 ―国家公認裏ギルド夜想曲―  作者: 不二丸茅乃
Op.4 花鳥風月 上 蕾綻びし月の花
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 人形を運んで帰った後の砦は暫く緊迫した空気が流れた。

 四肢損壊した人型が砦の廊下に捨て置かれて、それを見た暁は怒りに身を震わせる。『花』の隊長副隊長も事態を全て把握している訳ではないのだが、ディルにとっては幸運なことに二人ともディルのした行為を尊重した。

 近隣で確認された人影はこの人形だったかもしれない、という情報まで流れ出して、一気にそのマスターである暁への風当たりは強くなる。人騒がせな迷惑行為、とまで断罪する者まで出てきて、皆が暁を疎んじ始めた。

 仲間割れなどという状況は隊長として止めなければならない筈のディルだったが、ディルにはその気は一切無かった。




「どういう事ですか!!」


 ディルが狩りを中断して人形を担いで砦に帰った後の暁は激昂していた。

 先に人形の応急処置に行っていた暁も、それが終わればディルの個室に来る。その形相は怒りに震えていて、ディルがその顔を冷ややかな視線で見遣る。

 暁の機嫌を損ねるのはディルにとって得策ではない。人形師の作った義足がないと戦場に立つことは疎か普通の生活すらも難しくなるだろう。けれど今回の件はそんな不自由を取る事になろうと、到底許せない事だった。

 ソファすら置いていない室内でディルが座れる場所は寝台しかない。そこから立ち上がり、扉付近で喚き散らす暁との距離を詰める。


「何故あの子をあんな風に切り捨てたのです!? アルセンの騎士には手を出さぬよう言っていました、貴方に危害を加える訳が無かったのに!!」

「……此方が聞きたいものだな。そもそも、上長の許可なく人形に指示を出す事など、我は許して居らぬが」


 声さえ冷淡なディルは、身長差がある暁の頭部を見下げるように声を投げた。


「汝の人形は、我が『花』隊長を汝から奪ったのだと言っていた。如何いう話をすれば人形はそう解釈する? あの者自ら我に想いを告げたにも関わらず、だ。有り得ぬ不名誉と――そうは思わぬか?」

「っ……隊長に、御不快な思いをさせたのはあの子かも知れませんが、それでも、あんな風に刻むなんて……!」

「破壊されなかっただけ有難いと思え。汝が関わっていなかったなら、あのような出来損ないは薪の代わりに竈にでもくべてやったものを」

「……ウチの娘を、出来損ないだなんてよくも……!!」


 暁の怒りは、娘と呼んでいる人形を解体された所にある。

 ディルの怒りは、『花』隊長がディルに向けている感情を軽んじる発言についてだ。

 二人に和解する気は無い。今回の件の発端となった同じ女を想う者同士だ、今更絶対に有り得ない。


「出来損ないを出来損ないと言って何が悪い。人形と家族ごっこをしている心算ならば、人形にも確りと教育を施せ。汝の都合の良い様にのみ事柄を理解する木偶の相手など金輪際御免被る、次似たような事が有れば有無を言わさず薪にしよう」

「……そうならないように強化しておきますよ。逆にウチの娘から屠殺されて干し肉にされても文句言わないで下さいねぇ? ああ、隊長の場合ですと可食部位が少なすぎるかも知れませんが」

「其の言葉、我に対する反逆と取って構わぬか?」

「良いですよ、貴方の義足の事を皆さんに知られても構わないって言うのなら」

「………」


 ディルの言葉が、暁の悪意ある一言で止まる。


「隊長がこれまでどんな幼少期を送って来て足を失ったか、それはもう皆さん知りたがるんじゃないでしょうかね。足を失った後、何があってダーリャ様の庇護を受け今の地位に上り詰めたんでしょうか? きっと皆さん興味津々でしょうね。人形とも言われてきた感情希薄な『月』の隊長様が、どんな生き方をして来たか後進の方々に教えて差し上げたらどうでしょう?」

「……関係無い。知られた所で」

「皆に知られたら、貴方の恋人である『花』隊長もきっと皆さんから今までと違った視線で見られるでしょうねぇ。そうなったらどうするでしょう。もしかしたらあの人も、貴方の側から離れていくかも」

「――」


 暁は、ディルの弱点を的確に突いてくる。

 この男がディルの過去をどのくらい知っているのかは分からない。けれど、階石の息子である以上どこかで話が漏れているのかも知れない。

 ダーリャが階石に伝えたディルの過去は僅かの筈だ。それでも暁の言葉が何も知らない状態での虚勢だとしても、先程の発言に引っかかってしまう過去が確かに存在する。


「お話に聞いていた通りの冷酷な貴方でしたら、例え恋人だったとしてもあの人がどれだけ傷ついても構わないんでしょうけどねぇ? ……もし本当にそう思ってるなら、あの人をとっとと解放して差し上げてくださいよ、ディル隊長」

「………」

「ウチは、……『俺』は、この先何があったってあの人のこと大好きなんでぇ……。貴方がいなくても俺があの人を幸せにして差し上げますから心配は――っ、ぐ!?」


 それ以上の無駄口を聞いていられなかった。

 ほぼ無意識に腕が伸びて、暁の喉元に喰らい付く。掌全体で首を絞め上げつつ体を宙に浮かしてやると、暁の口から呻きだけが漏れた。

 そのまま投げれば、当たり所が悪いと殺せるだろう。

 このまま締め上げ続けても、殺せるだろう。

 いっそのこと、先程の猪のように血抜きしてやるか。心臓が動いているまま血を抜いたほうが時間も掛からないとカンザネスは言っていた。


「っが、ぁ、っ、ぐっ」

「くどい」


 行動よりも後に出てきた言葉は、ほんのそれだけ。

 地に足が付かず足掻いている暁を見据えながら、ディルがこれからの事を考える。殺した時と、殺さなかった時ではどちらが得か。

 その時のディルは冷静だった。考えた結果、暁を殺さないでいる方が得だと思って彼を床に投げ捨てたから。


「下がれ、暁。貴様と話すよりフュンフの小言を聞いていた方が余程有意義だ」

「……っく、げ、ぼっ。ごほ」

「今此の時より先に貴様の戯言が我が耳を穢す事が有れば、其の首を一時の装飾として砦に飾る。繰り返す、貴様の妄想に付き合っている暇は無い。貴様を殺す事など容易い、貴様の居なくなった先の未来を案ずるな」

「……本当……腹の立つ人ですね」


 切れ切れになった息でも、暁は憎まれ口を止めない。けれどディルの殺意が自分に向いている事は分かっているから、大人しく部屋を出て行った。

 腹が立つ、なんてディルも同じ思いだ。酷い胃のむかつきに顔を顰めながら、ディルが寝台に座り込む。


「……解放などと。あの者が、我を『好き』なのだ。我の一存で解放できよう筈もなかろう」


 頭が痛む気がして、ディルが額に手を添える。

 ディルは『花』隊長の想いに応えたのだ。あんな言われようは許せなかったし、何より。


「………あの者が我を『好き』である間は……あれは、我の恋人だ」


 もしディルの言葉一つで解放できることがあるとしても、もう二度と手放してやれない。

 けれどもし、彼女が自分から離れていく未来があるとしたら――どうするだろう?

 ディルの自問の中で、その答えは出なかった。




 緊張状態にあるとはいえ、実際に戦闘が始まっている訳ではない国境沿いの時間はそれなりに穏やかに過ぎた。此処では積もらず、降っても溶けて消えるだけだった雪も姿を見せなくなった。開けた土地では若草が匂い立ち、寒々しかった世界に彩を添えていく。

 ディルが砦に駐留しての二か月はあっという間に過ぎた。眠りについていた生き物も姿を見せ始め、春を感じさせる気候へと変わっていく。


 帝国からの挑発も無くなったのは砦駐屯人数の増加が要因だろうと結論付けたアルセンは、人数調整を第一に考えながら帰城の許可を出す。

 次は城からは『風』隊長のエンダと『鳥』副隊長のベルベグが隊長格として来ることになっていて、城へ戻る隊長格は『花』隊の二人だ。フュンフにも駐留の打診をしたところ、今取り掛かっている任務が終了次第すぐにディルと交代するという返事を貰っている。

 フュンフの砦到着は、『花』の二人が帰城する日に間に合わなかった。


「またね」


 別れの挨拶は短いものだった。それでも帰城に気が逸っていても、彼女は彼女で律義に恋人としての一時的な別れを済ませてくれた。

 誰も見ていない場所で交わした口付けの感触の余韻に浸りながら、ディルは個室で休憩している。二度と逢えない訳でもないのに、ディルの胸には既に寂寥感が湧き上がっていた。これが『好き』が齎す弊害だと言うことを二十余年生きてきて今更知る。


 『我々は騎士だ。騎士として立つ時に私情など必要ない。二人きりで逢えないから何だというのだ』


 ディルはエンダに、確かにそう言った。砦に出発する前の王城でだ。


 『あの者は少し逢えない程度で心変わりする女ではあるまい? あの者が『好き』なのは我なのだろう』


 あの時エンダから言われた『少しは一緒に居てやれよ』の意味が、今更分かった。

 一緒に居れば居る程、離れがたくなる。

 離れた時、相手の事を考えてしまう。

 離れている間の苦痛は、相手以外の他の何で癒す事も出来ない。気を紛らわせる事は出来ても、逢いたい本人がいないのでは意味が無い。

 彼女もこんな想いを抱えていたのだろうか。そう考えるディルの胸に棘が突き刺さったような痛みが走る。

 彼女と深く関わるようになって、ソルビットから『もう少し』の呪いを受けて、たった数か月の間にディルの心が以前より柔らかくなったようだった。


「隊長」


 煩悶の時間は長く許されない。外から扉を叩く音が聞こえて、応の声を返す。

 入って来たのはカンザネスだ。手に何やら封筒を持っている。


「信書が届いております」

「信書?」


 手紙と言わずに信書と言われた事に違和感を覚えたディルが聞き直す。

 ディル個人に手紙を送って来るのは『花』隊長とフュンフ以外には殆どいない。今回の砦駐屯に限って言えばその二人以外からの個人的な手紙など受け取った覚えも無い。

 カンザネスが寝台に座るディルの側に寄る。そして、封筒を手渡した。


「……」


 封をされた蝋が示す印に、ディルが一度目を見開く。僅かな表情の変化だったが、カンザネスはその変化すらも珍しいもののように驚いて見ていた。


「カンザネス、一時退室せよ」

「畏まりました」


 フュンフがいない間の副隊長代わりにしていたカンザネスは、ディルの意向を組んで直ぐに部屋を後にする。

 ディルは立ち上がり、文机の上に置いてあった小刀を手に取る。そして中の書面を破らぬよう、そっと封筒を裂いた。


「………」


 黙して文面を読むディル。そして読み終わった後。


「誰か」


 彼にしては珍しく、急くように人を呼んだ。


「誰か居らぬか」


 扉の外で返事をしたのは先程のカンザネス。


「どうされました?」

「フュンフが来ると思われる道筋全てに使いを出せ。今すぐにだ。全速力で此方に来いと伝えろ」

「は……、はっ? 何か火急の要件でも遣わされたのですか?」

「今はまだ言える事は無い。行け、今直ぐに!!」


 追い立てられたカンザネスは言われた通りに使いを出す。ディルは、それまでゆるゆると支度をしていた帰城の準備を早めた。


『親愛なるディル殿


 こうして手紙を書くのは初めてだね。君と知り合ってそれなりに時間は経ったけど、深い話はこの間までしたことが無かったね。』


 そんな始まりで綴られる手紙の全文を読んだ時、ディルの第六感が嫌な予感を告げた。


『時候の挨拶を君が好むとは思わないから本題に入るよ。もしそういうのが好きだったらごめんね。

 ねえ、ディル君。私はね、妹に話していないことが幾つもあるんだ。話そうとも思わなかった。

 でもねディル君。妹は知らなくても、誰かは知っておかなきゃならない話なんだ。

 この役目、君が継いでくれないかい?』


 話したいなら近々酒場で話せばいいだろう。

 誰かが知っておかなければならない話なら、汝が知っていればいいだけだろう。

 継ぐだなんて、長命な筈のダークエルフの言葉とは思えない。

 そんな言葉が、ディルの中で幾つも生まれては消える。 


『ハーフエルフであるあの子が契約している精霊には、とある制限をかけてあるんだ。』


 何故、本人に言わないのか。

 伝える相手が、何故ディルでないといけないのか。


『あの子が私を優しい兄さんと言うけれど、私は優しくなんてないんだよ。

 君も、出来たら。出来たらでいいから、あの子には黙っててくれないかな。

 私はね、これまでずっと優しくあろうとしてきた。でもね、私はね、やっぱりダークエルフなんだ』


 何の意図を以てこの文が書かれているのか、ディルは分からない。


『私は昔から、可哀相なものが好きなんだ。

 可哀相なものが可哀相じゃなくなると、残念なんだよね』


 脳内で、彼の声で、悪意に満ちた文面が読み上げられている気がする。


『ディル君。それでも私は、あの子に世界で一番幸せになって欲しい気持ちもあるんだ。

 そこは分かってくれると嬉しい。

 そして、幸せにしてくれるのが君だと私はもっと嬉しい。

 だからね、ディル君』


 封筒にあった印は裏ギルドのもの。

 差出人の名前は。


『もし私が悪意を以て、幸せな君達の前に再び現れた時は。

 君が私を殺してくれないかな?』


 エイス・エステル――『花』隊長の育ての親にして酒場『J'A DORE』、そして裏ギルド『j'a dore』のマスターの名前だった。


 フュンフの砦到着は二日後の夜明け前。ディルはまともな引き継ぎもしないまま、近隣まで来ていると思われる時期を見切って砦を飛び出し全力で馬を駆る。

 『花』の二人には、もう追い付けない。道程を過ぎれば過ぎる程に嫌な予感が駆け巡る。

 まるで、ディルの知らない国の裏側で良くないことが起こっているかのような気配だった。



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