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【第二部】アルセンの方舟 ―国家公認裏ギルド夜想曲―  作者: 不二丸茅乃
Op.4 花鳥風月 上 蕾綻びし月の花
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 『花』の到着からすぐに年明けが訪れた。

 国の情勢が今の状態では大っぴらな祝いなども出来る訳がない。砦に駐屯している者達は、ひっそりと新年を祝う。

 故郷の家族や友人に手紙を書く。

 新年を迎えられた喜びを祈りに乗せる。

 こっそり持ち込んだ酒を開ける。

 それでも何とかして、時間に取り残されないよう儀式的な意味を込めて年明けを肌で感じようと奮闘した者がいた。


 それが『花』隊長率いる隊だった。




 場所は国境沿い。ささくれた国家間の関係を考えると派手に祝いなどが出来る訳が無く、娯楽の類なども遠い場所の話となっている為羽目を外して、などの行為が一切不可能。

 計六百余名のアルセン軍は一応の人手としては充分だ。ならば、その人手をどうにか利用しようと考えるのが『花』隊長。


「うん、もう良い頃合いだね。これを皆で組み上げるよ。乾いてても重いからな、絶対にこんな事で怪我するんじゃねえぞ!」


 これまで倉庫の奥に押し込まれたまま使われていなかった薪を全て引っ張り出してきて干し始めたのは、『花』隊長が着任した即日だった。

 元々薪として用意されていたもので、倉庫に入れられる前から干されていたらしいもの。それを改めて干し直して、乾かして、二つを打ち鳴らして音を確かめる。干す前の生木では決して出せない高い音が鳴る。


「たいちょ、こっちも準備出来たっすよ」

「あいよ!」


 厨房で朝から何かしていたのは『花』副隊長であるソルビット。珍しく調理用の前掛けを身に付け、髪が邪魔にならないように纏めている。普通の女が身に付けるなら野暮ったい雰囲気になるそれが、彼女が身に付ければどこか洗練されて見える。


 『花』隊長の指令で、砦にいる者達の中で夜番でない者は朝から任務を言い渡された。

 『月』隊の半数は近辺にある川での釣り。

 別の半数は一番近いアルセン国内の村まで食料調達。

 『花』隊の四分の一は先程の薪の乾燥具合確認と組み上げ。

 別の四分の一は砦裏にある森から古木を回収に向かう。

 また一部の者は自称と推薦も含めて料理が出来るとされる者が厨房に詰まっている。

 そして残った者共は入念な掃除で砦内をくまなく回っている。

 城に残った『風』隊の者や元々駐屯していた者達は、各々自分が適していると思われる部門に入る事となった。

 『月』や『風』の隊の者は不平不満などを言わずにそれに従う。さして大きな問題がある訳でもない状態で上官に異を唱えるなど、あってはならない事だったからだ。

 しかしそれでも『花』隊長に文句を言う者が現れる。それも一人や二人ではない。


「隊長ー、こっちの薪乾燥甘いんですけどー。本当に確認してますー?」

「隊長ー、掃除に使う水が全然足りないんですけど、持ち場離れて良いですかー?」

「隊長ー、俺も釣り行きたーい」

「隊長ー」

「ええい煩いアタシは一人しか居ねぇんだよ!!」


 まるで同僚にするような軽口を自身の隊長に向ける『花』隊は、他隊の者から見て異常だ。

 『花鳥風月』の隊長はそれぞれがこれまでの戦争で戦果を挙げた人物で、平時の執務でも優秀だからこそその地位に就いているのだ。若かろうが女だろうが、隊長格に軽率に話しかける者は城仕えに存在していい訳がない。

 わーわー言い合う『花』の様子を、他隊の者は遠巻きにしながら見ていた。これは城下にいた頃平時でもよく見られた光景ではあるが、砦駐留中という距離の縮まった場所で見るとなると更に不可思議な光景で。


「『花』隊長、お疲れ様ですぅ」


 色々な暗黙の了解で保たれるその光景を、一人だけぶち壊そうとする輩がいた。


「……暁? ああ、お疲れ」


 『月』配属になった階石 暁だ。

 雪を思わせる色の猫毛の短髪が、動きに合わせて僅かに揺れる。笑みを浮かべて閉じられている瞼は瞳の表情を読み取らせない。

 暁は『月』の隊服である神父服を纏ってはいるが、それをやや着崩している。釦を外すとかそういうものではなく、何やら飾りが多い。小粒の宝石を多用した腰帯だったり、そこに工具のようなものを数本掛けていたり。

 肩には釣り竿と、片手に木桶を持っている。ゆったりした歩みで『花』隊長に近寄ろうとした時、その場にいた『花』隊の隊員が一斉に隊長を庇うかのように配置に付いた。


「……隊長に何の用だ?」


 一番先頭に立ったのは、薪について文句を言っていた騎士だった。

 威圧感さえ出しながらの問いかけに暁が気圧される。筋骨隆々、とまでは行かないが上背もあり筋肉も付いている髭面の男だ。実際年齢は『花』隊長とあまり変わらない。


「え、し、指令通りに魚釣って来たんですよぉ。是非釣果を見ていただきたくて」

「そうか、ご苦労だったな。しかし我らが隊長は見ての通り忙しくてな、釣果自慢なら厨房か貴殿の隊長にやって貰いたい」


 自分の部下達に囲まれた『花』隊長自身は何事か理解していない表情をしている。確かに忙しいがそこまで無下にしなくても、と顔に書いてあった。

 理由は簡単。ソルビットから『暁を隊長に近寄らせるな』との厳命が全員に下っているのだ。そしてその厳命を守り抜こうとする部下達の姿こそ、彼女が隊長として立っていられる理由。

 ソルビットと暁の間で、砦に来るまでに『花』隊長を巡って悶着があったらしい。彼女に気がある事も判明している。色事に縁遠く、ディル以外視界に入っていない『花』隊長だけが蚊帳の外。

 えー、でもー、と尚も引き下がろうとしない暁だったが、ソルビットがその場に近付いてくるとその表情が引き攣る。


「まーたこの狐はうちのたいちょーにちょっかい掛けようとしてるんすかぁ?」

「……出ましたね、肌色多めの人」


 悶着から二人は犬猿の仲になっている。副隊長相手に命知らずな、と『花』隊の者は思っているが、暁はソルビットからの飛び蹴りを受けても懲りていないのだ。

 睨み合う二人。成り行きを見守る『花』隊。そして空気に流される『花』隊長。


「隊長様相手に少し過保護すぎませんかね、皆さん? 隊長様だって淑女でしょう、少しは信頼されては如何ですか。ウチがどうこう出来る人じゃないでしょ?」

「こっちだって忙しいんだから、他隊の下っ端なんぞに時間使ってらんないんすよねぇー。過保護じゃねえっすよ、躾のしようがない狐だか蛇だかが出てきたら警戒するの当たり前だしぃー」

「おや、狐? 蛇? 大丈夫ですか、今冬ですよ? こんな寒いのに出て来る訳無いじゃないですか、それも分からなくなるくらい疲れてらっしゃいます? 休息取ったら如何です、もう城下にお帰りくださいな」

「あーあーそうだね疲れてるね、騎士の道理も分かってない獣が出てきてるからあたしだって疲れるのよね。そっちこそ休んだら? もっとも、休む場所は医務室になるだろうけど」

「医務室? そんな訳」


 暁の憎まれ口が開かれる瞬間だった。

 暁は背後からの衝撃に耐えられず、木桶をその場に落としてしまう。背中に食らった一撃は、視界が白む程の強打。床にぶちまけられた川の水と魚、その上に暁が膝を落とす。


「……っ、が……!?」


 一瞬の呻き。しかしそれさえ無視され、暁の背中の服を掴んで立ち上がらせる影がいた。

 ディルだ。

 体を横に倒すほど力の籠ったディルの踵蹴りを背中に受けた暁は、尚も呻き、息苦しそうに藻掻いている。


「……『花』副隊長ソルビット。我が隊の痴れ者が礼儀を弁えなかったこと、『月』の隊長として謝罪申し上げる」


 口ではそう言うものの、決して頭を下げないのがディルである。

 ソルビットはやっと事態を収拾してくれる人物が現れた事に安堵の溜息を漏らす。


「痛み入ります、『月』隊長。謝罪までは結構です、その痴れ者とやらに騎士の道理を教えて差し上げてください。それで手打ちにしましょう」

「承知した」


 ディルはそのまま暁を引きずって物陰まで移動する。少し離れたところで苦悶に呻く声が聞こえるが誰も気にする様子はない。

 部下へのこういった制裁自体はどこの隊でも珍しくはない。命令違反や不義理は戦場で命を落とすどころか他の仲間をも危険に晒すことがあるので、教育的指導という耳障りの良い言葉で肉体言語を使用している。

 『花』隊長が目を丸くしているのは、苦悶の声が聞こえるからではない。今の今まで厳戒態勢だった『花』の者達がディルの登場であっさりとそれを解除したからだ。


「さーて仕事仕事―。あ、悪いけどモーデン、そこの魚厨房に持って来て」


 先程までの悶着が嘘であったかのように、それぞれが持ち場に戻っていく。モーデンと呼ばれた騎士はまだぴちぴち動いている魚を拾って木桶に入れ、ソルビットに付いて厨房に向かう。

 取り残された『花』隊長も、釈然としない心を抱えながら仕事に戻った。




 その日一日の働きが報われるのは日が沈んでからだった。その時間、怪我人若干一名を除く殆どの者が防寒具を着て砦の外にいる。

 夜の帳が下りているというのに篝り火の全てを付けずに暗闇にする。灯りが無い事で、冬の空に燦然と輝く星が見えるようだった。

 雲一つない、とは言えなかった。けれど雪も降らずに風も弱い夜、それぞれが割り振られた四段以上に組み上げてある薪を囲むように座る。薪の下には石で出来た簡易竈があり、これらも駐留中の者達が組んだものだ。


「んじゃあ、声潜めてやるぞ。はい、皆去年もお疲れさまでした。最後の最後でこっちで過ごす羽目になった奴ら、悲惨でした。また明日からも変わらない毎日が続きますが、最悪の事態になる時はなるんだから気負わず行こうな」


 暗闇の中、『花』隊長の声が聞こえる。気さくな話口調は、国の情勢が暗くともそれを僅かに忘れさせるかのように明るく聞こえる。


「点火」


 静かな声が、点火を告げた。

 その言葉と同時に、薪を囲んでいる者達がそれに火を点けた。着火用に丸められた紙、それが燃えると細い小枝に火が付く。そして火は大きくなり、薪に燃え移る。 

 野営の延長のような行事だった。けれど砦の中で鬱々と過ごすよりは遥かに非日常。火の勢いが落ち着いて来たら焼いたり炙ったりして食べる食料も沢山用意してある。


「新年おめでとう。ささやかながら、去年分の労を皆でねぎらう場を設けさせて貰いました。この場は皆がアタシのお願い聞いてくれて出来上がったんだから、今日は皆遠慮せずに食べてください。一人一杯だけど酒も用意できたよ」


 歓声までは上がらなかったが、どよめきは聞こえた。駐屯先で酒が振る舞われるとは思っていなかった面々は動揺し、そして喜びの笑顔を浮かべる。

 『花』隊の厨房担当とそれを率いていたソルビットがそれぞれの場所に食事と酒を配って回って、それから自分達の場所に座る。当然のように、ソルビットは『花』隊長の側に行った。


「改めまして。皆、去年はお疲れさまでした。今年もよろしく。乾杯」


 最後の音頭だけはソルビットが取った。『花』隊長も皆に混じって乾杯と言う為だ。

 密やかな声ではあったものの、全員が清々しい顔で乾杯に腕を上げる。目立つことは好かんと言って今の今まで黙していたディルさえも。

 乾杯が終わると串に刺した肉や魚が焼かれていく。完全に乾ききっていない薪のある場所からはもくもくと煙が立ち始めて、それが『花』隊の者が座っている場所だったのでまた『花』隊長が文句を言われた。

 大した祭事でもなく、城下でやる時と比べて貧相な行事。

 けれどこの場に居る者は誰も彼も笑顔を浮かべている。こんな時間を、ディル一人では用意できなかったろう。ささやかだが温もりがある集まりは、『花』隊であればそこそこの頻度で繰り返されるという。

 笑顔に囲まれた『花』隊長には、それだけの統率力がある。誰にも負けない、彼女の長所。


 新年一回目の夜は穏やかに更けていく。

 真冬の寒さは、今日だけは和らいでいる気がした。



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