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【第二部】アルセンの方舟 ―国家公認裏ギルド夜想曲―  作者: 不二丸茅乃
Op.4 花鳥風月 上 蕾綻びし月の花
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 『風』は前衛向き『月』は後衛向きといった分担があるのは、どちらかを嘲ったものではない。

 動物相手の狩りでは斧よりも弓が役に立つように、病気の時には歴戦の覇者でも医者に世話になるように、物事には得手不得手が存在する。その得手を有効活用しようとしたのが騎士団『花鳥風月』の隊分けである。

 国境到着から一夜明け、ディルがフュンフに命じ、そのフュンフが部下を従えて測量に行っている間のエンダは暇を持て余していた。

 今駐留している砦は、以前の戦争で帝国から分捕った土地にある。停戦を持ち掛けられた時の条件として、幾らかの土地をもぎ取った。この近辺にあった帝国領の村にはアルセンは過度な徴発行為をしなかったためか、停戦の折に亡命を望む者ばかりで一時期混乱したこともある。

 そのせいで、近辺にある村は廃村ばかりとなっていた。それでなくとも戦火に巻き込まれる地域だ、住み慣れた土地を捨ててでも逃げ出した方が楽になれたかも知れない。


「……あんまりいい気がしないな」

「何がだ?」

「俺は今まで話に聞くだけだったけどさ、この砦酷すぎないか?」


 会議室で周辺の土地の地図を見ながらエンダが呻いた。

 測量結果はまだ来ていないが、昨日目視で確かめた周辺の状態はあまりよろしくない。

 なだらかな傾斜の途中に不自然に位置するような砦だ。傾斜の上部に向かえば帝国側、下部はアルセン側。

 なだらかとはいえ、坂は坂だ。重い武器を持って戦闘をすれば高所有利になるのは必然。それに傾斜があるということは、万が一この砦を中心に布陣するとなった場合、外に天幕を張るのも難しいだろう。測量は本当に天幕を張る羽目になった時の事を考えて行われている。

 この砦を建てたのは何処の馬鹿だ、と怒鳴り散らしたくなる案件である。


「国境沿いがこんな砦だったって、奴さん真面目にやる気が無いんだろ」

「後から幾らでも取り返せると思っていたのやも知れぬな」

「砦は囮ってか? ……どんだけ金と資源費やした囮ってんだよ」


 近くにあるのは廃村と傾斜だけではない。砦裏手にあるそう遠くない場所には森があり、奥では熊を始めとした獣の姿を見かけたという申し訳程度の報告を聞いていた。

 ひと昔前にそこかしこに存在していたような魔獣を始め、他種族に必要以上に害を成すようなものは出たと聞かないのでそれはいい。


「さてな、帝国の思考は我には読めぬ。読もうとも思わぬ」

「この件は報告書に纏めるとして……連名で良いか? 良いなら俺が書いとくけど、後から署名頼むぞ」

「……」


 エンダの言葉に、ディルが視線を逸らす。

 報告書自体はそれで構わない。別に、ディルが書いたって内容は変わらないだろう。エンダも暇を持て余しているのだから丁度良い。署名が後から必要なら、その時に本文を見る事だって容易な筈だ。

 けれどそれでは必然的に、ディルの時間が空いてしまうのであって。


「部屋に戻る。書類が出来たら持って来い」

「測量結果が来たら書き始めるから、フュンフ急かしてくれよ」

「急かして出来るものでもあるまい。……時に、エンダ」

「あん?」


 空いた時間は、城下と違って潰す物事が更に限られている。

 読む本も無い、訓練場も粗末なものしか無い、食事系統には元々興味が無い、廃村に行っても何も無い。この砦で一番忙しいのは、『風』所属の諜報部隊くらいだろう。

 これまでだったら、そうやって無為に過ごす時間も悪くないと思っていたかも知れない。城下に居る時は必ず視察にも行っていた。早朝の『月』隊幹部招集を始め、山積みの書類や執務から離れて幾らでも寝台で微睡んでいられる。

 その筈なのに。


「……汝は、求婚時の儀礼について詳しいかえ?」

「へ」


 考えずにいられないのは、城下に残っている『花』隊長のこと。

 彼女に大事なことも伝えられなかった。触れた唇も指先も、未だにあの熱を求めている。

 『好き』は全てではないが理解した。彼女に抱いている感情が『好き』で、今後も彼女の側に居たいのなら結婚という手段がある事も分かった。叶うなら、この申し出は自分がしたいとディルは考えている。最初に想いを告げてくれたのは彼女だったのだから、今度はディルの番だ。


「……求婚? お前が?」

「我が関わる話でなければ汝に訊ねぬ。フュンフよりは汝が適任と思ったまで」

「誰に、って、いや、いい。分かった。分かった、そりゃ誰にするかなんて決まり切ってるよな悪かった。んで」


 それまでどこか気怠げだったエンダが突然目の色を変えて机を平手打ちした。


「いつする。何処でする。何て言う。何渡す。さあ吐け」

「……それが分からぬ故に聞いているのだ。……渡す、とは?」

「そりゃお前、求婚の時には誓いの品を渡すだろ。一般的なのは指輪だな、変わり種で首輪とか鍵付き貞操帯とか聞いた事あるぞ。装身具が一般的だが、家一軒買うとかってのもあるな」

「首輪」

「首輪は首落としたら外せるけど代わりに死ぬからな。鎖の細い銀細工よりも直球だろ、そういうの俺嫌いじゃない」

「それ程までの拘束力は要らぬ。……あの者は拘束せずとも時と場合さえ許せば、自ら我が(かたわ)らに来るだろうからな」

「……おま、それ……おまえ……なんなのそれ……」


 これまで恋愛事からかけ離れていたような男が時折繰り出す惚気は劇薬だ。エンダはそれをもろに被ってしまい、悶絶しながら口元を抑える。

 エンダは伊達に同列の立場で二人の恋模様を見ていなかった。特に、『花』隊長のもどかしい片恋ぶりは良い酒の肴だった。それがついこの前叶ったと思いきや次は求婚などと。


「首輪は楽なんだよ、指輪は号数確認しないと指に嵌まらないからな」

「号数……?」

「大きさ。あいつの指って細いだろ? まー触った事あるお前に言うまでもねーかなーって思うんだけど!」


 ディルが自分の掌を見つめだす。それだけで何を考えているか丸分かりだった。


「エンダ、分かっているとは思うがこの話は」

「分かってるよ、誰にも言うなってんだろ」


 これで『好き』が分からないというのも白々しすぎる話で。

 エンダはまだにやけた顔のまま、ディルの求婚に関する小さな質問に答えていった。




 国境沿いに砦があるのは現時点ではアルセン側だけである。駐留している砦が元は帝国の所有物という事もあり、帝国側には近場に砦はない。

 砦は無いが駐屯地として、いつでも撤去可能な拠点を敷いてある。建物の作りは全て簡素だが二階建てのものもあり、見張り台も木造で幾つも作られている。これだけのものを用意するのだから、帝国に戦争の意思はないと見るのは不適当だ。

 戦争下になければ、砦にも拠点にも行商は訪れたりするのだが、アルセン側ではそれら全てに内部進入禁止の令を出している。どうしても物資が必要になった者のみ砦外でのやり取りが可能だが、その際の開口の一切を禁止した。

 そして『風』と『月』が駐屯して一週間が経った頃。


「……なぁ、ディル」

「何だ」


 『風』の怒りは頂点に達しようとしていた。


「意味分かんねぇ。俺さ、確かに三十にはなったよ。けど、これでもまだ若い気でいるんだ。分かるかディル」

「ふん」

「鼻で笑ったか? 笑ったな? 今に見てろお前もすぐこうなるんだよ」


 今日も今日とて会議室に詰められている二人は、フュンフの出す紅茶で話を続ける。

 フュンフも眉間に寄った皺が取れない。


「……あのさぁ、もう、いいんじゃないか? 開戦しようぜ。そしたらもう、あんな騒音に悩まされなくなる」


 問題は日中にも夜中にも起きる。騎士八十名は、出発前から問題が起きることなど予想はしていた。

 しかし問題なら問題らしく、武力で解決できるものなら良かった。

 時間を問わず、裏手の森に獣以外の影の目撃情報が起きた。地理に明るいのか森に慣れているのか、アルセンの者が影を追っても捕まらない。葉擦れの音を残して影は毎回消えている。それが毎日だ。お陰で『風』隊の者は必要以上に気を張っている。これが帝国の差し金だとしたら、悠長に構えている余裕など無いからだ。

 夜は夜で問題が起きる。周囲は勿論森にも多少の見回りの目を向けなくてはいけないが、それでも休息時間として一番相応しいのは夜闇と静寂が周囲を包む夜だ。なのに、その静寂を邪魔しに来る輩がいた。

 国境沿いに一列に並び、夜通し大音量の不協和音で楽器を鳴らしまくる者達が帝国にいる。

 その不協和音は傾斜の下の砦の中にも入り込み、石造りの壁に反響して全部屋に響く。これで音程が整っていればいいのだが、無意味な高音が脳髄を揺さぶるかのように鼓膜に届くのだ。日中に眠れたとしても、日のある時間の睡眠は質が良くない。騎士は異音で目を覚ますように訓練されているのだ、騎士達の心労と睡眠不足は笑えない影響が出ている。


「開戦の是非は我々では出せぬだろう」

「だからってこのまま黙ってろってのか? この状態でもし宣戦布告もなしに責められたらこっちの不利だぞ」

「長くは続かぬ。平気な素振りを見せていれば奴等も効果無しと判断して次の策を講じるであろう」

「……お前は平気かも知れんがなぁ」

「『風』隊長、私も隊長と同意見です」


 それまで沈黙を保っていたフュンフが口を開いた。


「アルセンの騎士はこの程度の揺さぶりを耐えられぬ者達ではありますまい。矜持に賭けて耐えるのです」

「……そうは言ってもな。お前だって目の下隈作ってんじゃないか。お前俺より年行ってんだから辛いだろ」

「年の話は関係ない。……私は耐えられますがな。エンダ様は耐えられぬと仰るのでしょうか? 仮にも『風』の筆頭に立つエンダ様が?」

「言うじゃねえか」


 エンダの顔は笑っているが、勝負師の気質があるのかフュンフの言葉に大人しく引き下がった。睡眠が足りているエンダだったら言い出さないであろう開戦への願いは、彼の罰の悪そうな顔とともに姿を消す。

 暫く無言だった。その場に別の人物が現れるまでは。


「失礼します、書状です!」


 入室の合図とその許可のやり取りが終わった後に入って来た騎士は『風』の騎士だった。エンダに書状を渡すとすぐに下がっていく。

 エンダが眠そうな顔を隠さずに書状を開いた。この形式で来るのは国王直々の指示だと分かっている。


「ほー?」


 微睡みと意外を混ぜ込んだ気の抜けた声。

 エンダが一通り目を通した後机の上に広げられた書状には、一番最後に国王の印が捺されている。

 内文は『国境砦に駐屯する部隊任命』。ディルとエンダの時には時間が無かったので口頭で済ませられたものだ。

 新しく砦に駐屯する指示を出された人物たちの名前が書いてある。


「あ」

「……」


 フュンフは僅かな驚きを以て。

 ディルはただ無言でその書状を見ていた。

 書類に連ねられている、その一番最初に書きつけられた名前を見たからだ。


 『花』隊長の名がそこにあった。


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