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【第二部】アルセンの方舟 ―国家公認裏ギルド夜想曲―  作者: 不二丸茅乃
Op.4 花鳥風月 上 蕾綻びし月の花
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 朝はその日も変わらずやって来る。国の事情に振り回される騎士八十名の遠征の朝だ。

 朝日が昇る前の空が白み始める時間、その場に居るのは城仕えの者だけだ。早い時間というのに、国王や王妃までもがその場にいた。


「先発隊の任務、最上の結果を期待している」


 形式上の国王の言葉には、先発隊は全員傅かない訳には行かない。権力の前では垂れるしか価値の無い頭を下げ、粛々とその言葉を受け取った。

 城下を離れる隊長格は、エンダとディル。副隊長としてはフュンフだけが随伴する。何か緊急事態が起きた時の伝令役だ。

 一人として、気の抜けた者などいない。

 騎士隊長の一人として見送りに来ている『花』隊長の表情さえ、瞳を潤ませていてもディルが視線を向けた最後まで涙が頬に流れることはなかった。



 国境の砦は南にあり、雪は城下よりも少なく春の訪れも早いらしい。今よりは寒くないかも、という期待が滲んだ声は城下出発より前から既に止んでいる。

 今回の国境への配備はあくまでも偶然を装わねばならなかった。たまたまその地に配置された人員が、たまたまその地で何かしらの問題を感知して、たまたまその場の人員だけでは手が回らないから更に多くの人員を回す。今回の『たまたま』は、現地に到着してから幾らでもでっち上げて良いと言われている。

 『風』と『月』の選抜人員への見送りは、外部の者に対しては禁止されていた。それは、戦争への覚悟を表に出してはいけないとの考えから。

 いつだって、アルセンを脅かす者へ報復する準備は出来ている。民に強いる負担さえ考えなければ、ディルだって即報復を望んだだろう。

 直ぐさま荒事にならないであろう国境へは、騎士の数と同等の八十頭の馬も連れて行く。

 騎馬隊の様相を成した八十名の騎士とその馬が、隊列を乱すことなく地を駆けた。


「……」


 とはいえ、生き物である以上休息は必要である。特に足となっている馬が動けなくなっては意味が無い。

 適宜取る休息は点々とある村や町に寄る事になっていた。水や食料を調達し、少しの休憩時間を取ってはまた出発する。全速力ではないものの騎士も馬も疲労は溜まるもので、日暮れ前にその日の就寝場所を決めなければならない。出発前にエンダが立てた行軍計画で、なんとか宵闇が迫る前に野営場所に辿り着くことが出来た。

 近くには村がある。水源も確保できる場所で、畜産を営む村だから牧草地も広く冬の蓄えも豊富だった。天候は晴れ、薄く雪が積もった冬の寒ささえ考えなければ野営にこれ以上適した環境はないだろう。砦などというものはその場には無く、草原があるばかりだが。

 村の生活を乱すつもりはなく、村長に断りという名の事後承諾を以て場所を使う。物資提供を申し出られたが、それは固辞した。冬の時期に村にも余分な蓄えがあるとは思わなかったし、この先、嫌と言われても『提供』してもらう事になるかも知れないのだ。


 夜の闇が地を覆い、騎士達は簡易天幕で交代で眠りにつく。夜は三交代制にして、ディルは最初の夜の番だ。

 火の側には別の騎士がいるので、少し離れた草原以外何もない場所で暗がりを眺めていた。まだ騎士達の間を流れる空気も緩いもので、己の就寝時間になっても寝ない輩はいる。

 一晩完全徹夜した事もあり、ディルには睡魔が寄ってきている。ディルが寝たところで、誰も文句を言わないのだろうが。


「お疲れ、ディル」


 一人で離れた場所にいるディルに声を掛けたのは、三交代の最後に起きると決まっていたエンダだった。

 この時間だとエンダも寝ていなければならないのだが――目はしっかり空いている。


「エンダ」

「寒いな。向こうで珈琲淹れてたぜ、飲むか」

「要らん」

「そうかよ」


 エンダの手には湯気を立てている器があった。汁物を入れる器に珈琲を注いだような粗雑さだ。先発隊の中でもそれを気にするのはフュンフくらいなものだろう。そんなフュンフは次の交代で番をしなければならない筈なので寝ているのだが。


「寝なければならぬだろうに、今飲むのか」

「俺は今日は寝る気はないぞ。男ばっかのむさ苦しい野宿で快眠できる訳もないしな……うわ、熱っ」

「ふん」


 珈琲を啜ったエンダが熱さに呻いた。


「……それよりも、エンダ」

「あん?」

「何か話があって来たのではないか。汝は珈琲を飲む場所に、我の隣は選ばぬ筈だ」

「……まぁな」


 エンダと特別仲が良い訳ではない。別に悪くも無いが、エンダの休憩時間に付き合った記憶はそれほどない。

 だから、何かしら話す内容があって近くに来たと思っただけなのだが。


「この状況、お前どう見る」

「どう、とは?」

「戦争になるのかね。ならない方がいいんだろうが、どうも嫌な予感がすんだよな」

「勘か」

「勘さ」


 思っていたよりも重めの話の内容に、ディルを誘惑していた睡魔が空気を読んでどこかへ行ってしまった。戦争になるかならないかは一騎士ごときが決められるものでは無いから、他人事のようにも感じているのだが。

 ふー、と溜息のようにエンダが珈琲に息を吹きかける。湯気が速度を上げて、その場の空気に溶けていく。


「お前も運が悪いな。やっとあの喧しい女神様と恋人同士になれたってのに」

「あの者は女神などではない」

「あっ、知ってるぞそれ。『本当に女神だったら触れられもしなかった』って奴だろ。先月発売されたっていう小説に書いてあったぞ」

「…………」

「いやー、ディルって案外夢想家だよな。そんなんだからお前今まで女っ気なかったんだぞ。ところでディル」

「何だ」

「まさかそういうの本気で思ってんのか?」


 自分で言った事なのに、エンダの口は笑みの形に歪んで震えている。

 エンダが言ったようなことを言語化出来るディルでは無いのだが、多分心情を整理したらそれに限りなく近い答えが出るのではないかと思って否定はしない。

 するとそれを肯定と捉えたエンダが勢いをつけて立ち上がる。手にしていた器から少量珈琲が跳ねた。


「者共聞け! 『花鳥風月』の一角『月』隊長であるディルが頭春色――」

「煩い」


 離れた場所で火の番をしている騎士達が何事かと顔を向けたが、ディルから腹に一撃喰らわされているエンダの姿を見て視線を逸らした。敵襲ではないらしい気配を感じて、各々が自分達の時間に戻る。

 幾ら戦時前だとはいえ緩みすぎた空気に喝を入れる者もいる筈なのだが、その緩んでいる空気の出所が隊長格二名という事で誰も何も言えない。それ以上に、ディルがエンダを無視せず報復する事自体稀だった。

 その理由は、話を盗み聞いていたものだけが知っている。




 騎馬隊の移動は短期間で終わる。国境までの道は整えられているので、荒れ地を進む苦行も無い。

 無理が利く者ばかりを集めた先発隊は無事全員国境の砦まで辿り着いた。

 砦には駐留している士官や司令がいるが、指揮系統はその場で全権隊長二人に渡される。同時に、砦の人員の入れ替えが始まった。これまで駐留していた者の半数は、総合の報告も含めて王城に帰されるのだ。

 それから始まるのは、砦内の点検。


「……あー」


 男寡に蛆が湧く、とはよく言ったものだ。

 休戦してからというもの、ろくに使われもしなかった砦の中は人がいたというのに埃っぽく、特に部屋や廊下の隅などは冬だというのに虫の死骸も残っている。連絡を受け大慌てで掃除をしようとした努力が垣間見えるが、結局は無駄。

 戦争が無い時世での砦駐留任務など閑職と似たようなものだ。そこで諦めて掃除さえ疎かにするような者なのだから閑職に追いやられるのだが。

 掃除は後回しにするとして、次は周辺地域の口頭による状況確認。

 それが済めば部屋割り。

 荷物を片付けて、それから実際に簡単に周辺を見て回る。詳細を確認するのは明日に回す。

 そこまで終わらせてやっと掃除だ。

 別の意味での『掃除』は『風』の者が得意としているが、建物内の掃除は『月』の者の方が得意だ。伊達に孤児院に出向いて仕事をしていない。使える物と使えない物の選り分けを終わらせ、一先ずは部屋と厨房、それから浴室を重点的に掃除する。浴室掃除担当の者の悲鳴が上がった気がしたが、ディルは全く気にしない。

 他の者が掃除をしている間に、ディルとフュンフ、それからエンダは会議室を占領していた。


「さて、ディル。今後についてだが」


 隊長格が集まって話す内容なんて決まっている。指揮権の優先順位をどちらにするかだ。『花鳥風月』が揃っていれば最優先指揮権は団長にして『鳥』隊長が握っているが、『風』と『月』では優先順位に差異は無い。万が一に備えての指揮権を明らかにしておくことは重要事項だった。

 仰々しく椅子に腰掛け会議机としている円卓に両肘を付き指を組んでたエンダは、わざとらしいまでに威圧感を滲ませた声でディルに話しかける。

 ディルも椅子に座り、長い足と腕を組んで俯いていた。切れ長の瞳は、エンダに向かない。


「緊急時の指揮権は汝に。伝令はフュンフに行かせれば良いであろ。我は緊急時にこの場を離れる心算は無い。我が隊の者を使いたくば我かフュンフに話を通せばそれでいい」

「…………」


 話の内容を看破していたディルは即座に切り返した。

 エンダの威圧感が受け止められる筈の場所を無くして漂うが、フュンフはフュンフで気にせず二人に紅茶を出している。

 暫く二人の間に流れていた沈黙は、エンダの溜息に突き崩された。


「……つっまんねー。あのなぁ、こういう時って指揮権巡って言い合いとかあるだろ。お前、俺に顎で使われるとか考えないの?」

「言い争いなどのような無駄を汝が好むとは初耳だ。そもそも、汝が我に無理難題を押し付けるような輩であれば共に来ようとは考えぬ。隊長格としても不相応であろう。速度を重んじる『風』であるからこそ汝に指揮権を譲った方が効率的と考えるまで」


 平然と答えたディルの言葉は、よくよく噛み砕けば信頼から来るものだった。

 エンダは思っていたよりも淡白な反応に口をへの字に曲げる。ディルの反応を信頼と捉えて良いのか丸投げと捉えて良いのか微妙な所だ。

 そんな淡白男は紅茶のカップを手に取った。湯気を出すそれを、変化しない表情のまま口に含む。


「……無欲な奴。お前、必要なければ何でも譲りそうだよな」

「そうでもない」

「ほー? じゃあ譲れないもの言ってみろよ。お前の女神様以外で」

「…………」


 無表情のまま答えに窮したディル。女神様とやらは所有しているつもりも無いのだが。

 剣。これ自体元々ダーリャから譲られたものだ。自分のものという意識自体が薄くて、この剣を扱うに適した人物がいたならば譲っても構わない。

 地位。正直騎士隊長という立場は窮屈なのでフュンフに譲ってもいいとは考えている。

 義足。義足である事自体話してないのでこれを候補に挙げる事は出来ない。

 今所有しているもので価値があるのはそれくらいか。結局エンダの言う通り、譲れないものなど殆どないディルはこれといった物を挙げられない。その様子を見たエンダはここぞとばかりにディルに攻勢の態度を取る。


「ほら見ろ。大体お前さ、俺達とどんだけの付き合いだって思ってんだよ。これまでのお前の性格から考えるとそもそも誰かの告白受けるってこと自体が」

「ンンッ」

「……まぁ、四方山話はこのくらいにしてだな」


 エンダが尚もべらべらと並べ立てる言葉はフュンフの咳払いによって阻まれた。この中では一番年上であるフュンフが本気で怒った迫力は凄まじい。それを知っているからエンダも無駄口は噤む。


「明日以降の話になるが、測量とかお前の隊で出来る奴いたか?」

「簡易的なものであれば一応は」

「念の為、周辺は調べておきたいところだな」


 そして再び本題に戻った二人の会議には、先程の会話以上の無駄話は無かった。



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