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ディルが足を運んだアルセン城下八番街は、広さはあれど居住人口は少ない。それは八番街自体が裕福な一般市民の為の土地であるからとも言える。
観光地として開かれている七番街の隣にあり、商業を営むものや城に縁がある者が住まう場所。小金持ち程度の財力では土地すら買えない場所だ。
ディルの目的地は、八番街の奥まった場所にある。大通りの脇道を進み、更に横道。奥へ奥へと進んで行くと、華麗な街にそぐわない小さな建物がある。古いという訳では無いが白壁が目を引き、それ以外の特徴が少ない二階建て。屋根は無く、城や砦のように平面の上部は近隣の建物の中では異質に見える。
その建物の中に合図も無しに入り込むと、中で作業をしていた男がディルに気付いた。不愛想な客人を、男はソファに誘導する。
「……相変わらず、使い方が荒いですねぇ。欠けたらもう戻せないのに」
男は座ったディルの足を見ていた。右足だけ、膝の位置までズボンの裾を捲り上げている。
膝から下にある靴を履かせたそれは肉の足ではない。黒光りする宝石の一塊。骨をそのまま模したような形は、二本それぞれの太さの黒曜を主として組み合わされて作られた義足だ。『月』隊長になると決まった際に、ディルが金を惜しまず作らせた極上品。
素材を言えば宝石が主だが、色々な素材を組み合わせて作られた義足だった。霊木、聖地の泥、エルフの雫、魔女の英知。材料としてそう挙げられている義足は、ディルの目の前にいる男が作り上げたものだ。
東方出身だと言った男は、ダーリャが右足を喪ったディルの為に縁を繋げた人形師だ。制作物の繋がりで、義手や義足といったものも手掛けている。
階石と名乗る男は、年齢にして四十代か。ディルの白銀よりも尚白い、雪そのもののような色の髪をしている。目は細いが、片眼鏡を掛けた向こうに薄く開かれた瞼から緑色の瞳が覗いている。頬がこけた顔は、年齢を思わせる皺が刻まれていた。
「僕が手掛けた最上級のものが、ここまで酷使されることを喜んでいいのか悲しんでいいのか……」
「好きにしろ」
「本当、君は昔からそうです」
男は義足をディルから取り外すと、重量感を感じさせるそれを作業台まで運んだ。表面の傷を確認しつつ、塗布剤で表面を軽く拭く。
「ですが良かったです。来月にはこの工房は畳みますので」
「畳む?」
「僕らを王城がお召しくださるらしいんですよ。なんでも、宮廷人形師の待遇だとか」
『宮廷』と冠する王城仕えは騎士団長と同等、或いはそれ以上の立場になる。
騎士団長も宮廷の人間も王家直属なので、騎士隊長であるディルは自然それより下だ。
ふん、と鼻を鳴らすディルは、面倒なことになったとしかその時は思わなかった。自分より立場の高い者に易々と義足の依頼が出来る訳が無い。ディルはこの足の事を秘密にしていたので、宮廷人形師と会っていると知られればどんな勘繰りを受けるか分かったものでは無かった。
次から義足の手入れが面倒になる――そんな事を思っていた時だ。
「それでですね。君さえ良ければ、僕の息子を『月』に入隊させていただけません?」
「息子?」
「士官としてお側に置いて貰えれば義足の事は息子が手入れできますから。王家の方々には許可もいただいておりますが、君が隊長を勤める『月』の所属になる為には隊長の推薦があった方が一番でしょう? そちらの方が面倒事が少なくなると思いますけどねぇ?」
持ち掛けられた交渉には、拒否権はあれど断る理由は無かった。良いように扱われている気もするが、以前からのディルを知っているこの男からの言葉を無碍にすることもない。
頷くことで了承の意思を見せると、階石は破顔した。
「ありがとうございます、本当はあいつは別の隊に所属希望していたようですけれど、ディル君の側なら下手な事もしないでしょうし」
「下手な事?」
「まったく、誰に似たのか考えが少しばかり過激でしてね。……暁、聞こえてるだろ。出てきなさい」
階石が呼びかけると同時、工房の奥から「はぁい」と間の抜けた声がする。
暫くして奥の暗がりから出てきたのは、白い作業服を着た少年だった。
白いように見えたそれには点々と赤色が付いている。その赤も、茶に近いものから鮮やかなものまで様々だ。
「御紹介します。これが僕の一人息子、暁。十八歳です」
紹介された少年は頭を下げた。まるで階石をそのまま若くしたような見た目だ。さっぱりと短く切った白髪と、彼より細く寧ろ閉じているような糸目。貼り付けたような笑顔は不気味ささえ漂わせている。
「……子がいたとは、知らなかった」
「でしょうね? わざと会わせなかったから。僕の人形師としての才能をそっくり受け継いだ、将来性のある子ですよ」
「受け継いだのは腕だけではなさそうだが」
外見を含めた言い方で言葉を返すと、暁と言われた少年はふふ、と笑う。
「お初にお目にかかります、ディル様。父の紹介の通り、ウチは暁言います。でも、御迷惑なら『月』所属の件なんて断ってくれていいんですよぉ?」
「何故だ? 『月』は後衛向きだ。宮廷人形師の息子に前線向きの隊が向くとは思わぬが」
「ウチですねー、所属第一希望が『花』なんですよぉ。『花』も後衛向きですし、なによりあそこは隊長が最高です」
悪びれもせず笑顔で言い切った暁からは邪気が感じられない。
「はー、ディル様が羨ましいんですぅ。『花』隊長であるあの方と肩を並べているんでしょう? あの方本当お綺麗ですよねぇ……時折城下の任務でお姿を拝見するんですけど、あのお美しさと有能さで今まで独身でいらっしゃるのが不思議ですよ。どうにも、他の人は見る目がないらしいですねぇ」
恍惚とした様子で饒舌に喋る暁は、『花』隊長への賛辞を口にする。目の前にいる男が彼女の恋人であることも知らずに。
けれどディルはその段階まででは、不思議と不快感には襲われなかった。寧ろ、恋人が部外者から褒められて誇らしささえ感じている。
「あの方がずっと独身だっていうのなら、遠慮なくウチが貰ってっちゃいたいです」
優越感は、その言葉を皮切りに不快感へと変わっていった。
「……貰う?」
「勿論、お嫁にですよぉ! もしあの方が家で帰りを待っててくれて、『おかえりなさい』なんて言われたら幸せでしょうねぇ。仕事の疲れも吹き飛んでいきますよぉ! 子供は二人……いえ三人は欲しいですね! あの方に似た可愛い女の子……ああ、でもそうなったらどこかにお嫁に行っちゃいますね。よし、娘たちの婿として名乗りをあげる輩は首を刎ねて片付けちゃいましょう!」
暁の中では将来設計まで出来ていた様子だった。あまりに気持ち悪い妄言だったが、ディルは表情を変えない。寧ろ、交際もしていない相手に向けてそこまでの将来を考えられる前向きな思考に考えさせられている。
今まで結婚どころか『花』隊長以外と交際もしたことがなかったディルは、今から続くであろう二人の関係をふと考えた。
これまでディルが取り仕切って来た結婚式は、政略結婚と恋愛結婚が半々だ。前者は大小差はあれど花嫁も花婿も打算的な表情を浮かべていて、後者は花嫁も花婿も幸せそうな顔をしていた。
彼女が結婚式を挙げるとしたら、ディルの隣で幸せそうな笑顔を浮かべてくれるのだろうか。
「それからぁ、家は地下室付きがいいですねぇ。地下室が無理なら窓の無い部屋がふたつくらい欲しいですぅ。それがあればきっと――」
「暁。それくらいにしないか」
のべつ幕無しに語り続ける暁を制したのは父親だった。
ふと話を止める暁は、そこで漸くディルの顔が目に入る。彼の、どこか遠い目をした表情が。
「……これは失礼。さて、顔合わせはこれで良いですかねぇ? ウチだってやる事が残ってるんですよ、お父さん」
「行っていい。あまり客人を困らせるんじゃない」
暁は笑顔で、現れた暗がりに向かって進んでいく。彼が完全に姿を消してから、ディルが口を開く。
「……相手がいると、ああまで将来を詳細に考えるものなのか」
「あの子が特別浮かれているだけですよ。初めて『花』隊長をお見かけした時から夢中で……困ったものです」
「分からぬものだ。誰かの事を考える時に、相手の望まぬかも知れぬ未来をも思考するか」
「望まぬ、なんて誰か決めたんですか? まだ相手に聞かせてもないのに」
階石の声は、心底不思議だと思っているような明るいものだった。
「自分の望みを伝えた時、同調される事は嬉しい事ですよ。それがどんな醜悪な未来でも、相手にこちらに対する思いがあるなら相手だって譲歩したりするものです」
「……」
「もしかしてディル君、そんな相手が出来たんですかぁ?」
揶揄するような階石の言葉にディルは否定を返さなかった。それが意外だったらしく、階石は目を見開く。丸く露出した瞳が、緑色に輝いていた。
「誰です!? 今までそんな話全然無かったのに!」
「……関係なかろう」
「関係ない訳ないじゃないですかぁ。だって、貴方の相手ってことはその足の事も知ってるんでしょう?」
「………」
黙りこくったディルの様子を、階石が見逃す訳もなく。
あー、と合点がいったように声を漏らした階石は、頭を掻きながら手入れ途中の義足を見た。
「伝えないといけないと思いますよ。いつものディル君を知っている人だったとしたら、片足が義足だとかそういう理由じゃ離れて行かないでしょうし。秘密にされ続けている方がよっぽど相手さんは悲しいでしょう。信頼されていないってことになりますし」
「馬鹿な。あの者は我を信頼している。……離れて行かぬことも、分かっている。だが、今更……」
「そんなに付き合い長いんですか? はー……若者の恋愛模様は聞いててドキドキしますね。僕が城に仕えるようになったら、ディル君の想い人も知れるんでしょうかねぇ。ちょっと楽しみになってきました」
「あの者におかしな真似をするなら、宮廷人形師といえど黙っておらぬぞ」
「はいはい、しませんよ」
少しカマをかけただけなのに、直ぐに反応を見せた事でディルの想い人が城に居ることが分かってしまう。階石はこんな所だけ分かりやすい彼に笑みを浮かべた。
少し話して、また義足の手入れに向かう。目立った傷は少ないものの劣化が進んでいた。道具である以上、どうしても酷使すれば壊れてしまうものなのだが。
「僕がこの義足を触るのも、多分今日が最後になるでしょうね。僕が作った中で、時間も金も使った最高傑作。……文字通り、血と涙の、結晶」
「ふん。汝の息子が使えなければ、汝の元へと押しかけよう」
「それはご勘弁。……大丈夫ですよ、あの子は優秀ですから」
その時は、階石の話は聞いているようで聞いていなかった。義足の手入れが済めば、もう忘れるような話。
担当から離れる階石ではなく、これから手入れ担当になるという暁の事は気になっている。どうやら『花』隊長に分かりやすい好意を抱いていることも。だからと、今すぐどうこうしようという考えはなかった。これから縁が繋がる男だ、何かあれば義足の件で不利益を被るのはディルの方だったから。
「この後、用事がある。早急に済ませて貰いたい」
「相変わらず忙しそうですねぇ。分かってますよ、僕だってそんな暇じゃないんですからねぇ」
階石は憎まれ口を叩きながら、仕事を進めて行く。
そして義足が一応の手入れを済まされてディルが工房を出る時、外は緋色の夕闇が迫りつつあった。