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【第二部】アルセンの方舟 ―国家公認裏ギルド夜想曲―  作者: 不二丸茅乃
Op.4 花鳥風月 上 蕾綻びし月の花
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「我は、汝のその姿を見られて、何故か心が浮き立っている」


 詫びの言葉は何を言えばいいか分からないけれど、飾らない本心を伝えるだけなら出来る。フュンフから以前言われた、『理解している自分の気持ち』とやらが今口にしたそれだった。

 雪の中に立つ、美貌の混ざり子。小柄で華奢で、強く触れたら壊れてしまいそうな繊細な美しさ。

 その姿が自分の為に隣に在ればいいのに、と思ったそれは口にしなかったが。


「へ」

「綺麗だ、と。本心から思っている」

「はい?」

「だがその姿が、我の為のものでないと知っている」

「え?」

「その事実が、何故か解らぬが、不愉快だった」

「ぇええ……?」


 似合わない言葉を言っているのは分かっていた。その証拠に、彼女の口から漏れ出る声は放心している時のそれと同じだった。

 大きく見開かれた灰茶の瞳からは不快感が出ていなかった。意表を突かれているらしいことに変わりは無くて、その表情をもう少し見ていたくなる。執務中の彼女とは違う、間の抜けた顔。彼女そのものの表情。


「汝の姿は想像していたものよりも、美しいと思っている」

「ひぇ」

「我は、汝が着飾った姿でアールヴァリンの側にいる場面を見たくなかった」

「…………」

「理由は不明だ、だが本心だ」

「…………………」

「……我は、どこか壊れてしまったのだろう」


 いよいよ彼女の口から声も漏れなくなった。潮時か、と思っても言い募るのを止められなかった。

 口を勝手について出て来る本心の全ては、これまでずっと抑え続けていたものだ。秘め続けて、苦しくなって、こうして実際に彼女に聞かせても、少しずつ苦痛が募っていく。

 壊れて、の言葉に『花』隊長が反応した。勝気で闊達な彼女に似合わない、憂いを帯びた表情。

 雪を踏む足音が聞こえる。彼女が、近くなる。着飾った彼女の細い足先が、ディルに向かって歩を進める。


「……あのね」


 そして二人の距離が縮まった時、白く細い指が手袋に包まれたディルの手を取った。


「アタシも、その……同じ……気持ち、で」

「……」


 震える途切れがちの声。戸惑いが隠せないのに、彼女が自分の想いを言語化しようとしている。

 触れられているのは手袋越しなのに、彼女の体温が伝わって来る気がした。指先が、熱くなる。

 気付けば、何処からか音楽が聞こえて来た。祝いの会場から聞こえて来るワルツだ。今頃会場では優雅に招待客が踊っているのだろう。もしかしたら、彼女が会場から出る事が無かったなら王子と踊っていたのかも知れない。


「アタシも、貴方のその服、……格好いいって思った。多分、アタシ……あの会場で、姫と並んでるところ……見たくなかったし、見ることにならなくて良かったって……思った」

「汝、も、?」

「……でも、違うの。アタシは、今日だけじゃない、貴方に会う度、いつも……いつだって……」


 アールキリア姫の言葉が脳裏に蘇る。

 確かに『花』隊長はディルの姿を見たくないと思っていたようだった。けれど、ディル自身が卑下して考えていたものとは違うようで。

 互いに互いの婚約者候補と並ぶ姿を見たくないと思っていたなら、それは思考の一致。

 『同じ』だと言われてディルの胸が高鳴った。鼓動を増す心臓は、自分が人形ではないということを理解させるもののようだ。

 まだ聞いていたかった。この声が語る自分の姿を、もっと聞きたい。どう思われているのか知りたい。それが不快なものとして認識されていないのなら、ずっと聞いていたい。

 『いつだって』、その続きを待った。

 けれど顔全体が赤く染まった彼女は、それ以降唇を震わせるだけで喋ろうとしない。

 焦ることは無い、とディルが考える。

 少しだけ距離が縮まった。

 今は、それでいい。


 ――本当に?


「ひゃ!?」


 音楽のせい、と言い聞かせて縮まった距離の中、繋がれていた手を取り直した。

 力を込めず握り、足を半歩分踏み込む。

 大勢を崩した彼女を支えるように、腰の位置に手を回した。


「折角、互いに礼服なのだ」


 言葉の無いまま音楽に合わせて始まった舞踏は、意向も聞かぬまま始まったが身を委ねて貰えた。彼女は覚束ない足取りだったが、どう動けばいいのかだけは知っているらしく雪を踏み締める音が聞こえる。

 心地いい時間だった。邪魔も入らず、静かな音楽と雪を踏む足音だけが聞こえる。彼女の顔を間近で見ていても、拒絶の意思は見られない。


「……ワルツ、踊れたんだね」

「孤児院での遊戯の一環として、教えることもある」


 今が永遠に続けばいいと思った。そうすれば、ディルは『もう少し』をこれ以上望むことはないし、彼女を不快に思わせることも無い。気まずくなることも、立場が変わって疎遠になることもない。何より、もうこの手を離さなくて済む。ずっと傍に居られるし、ずっと傍に居てくれる。

 ディルの願いはどんどん大きくなる。ソルビットの言葉が予言のように現実となり、呪いのように蝕んでいく。過ぎた願いが、彼女を蝕まないようにしないといけない。今以上を性急に願うと、きっとこの女を壊してしまう。


「……汝は、下手だな」

「なっ……」


 だから、少しだけ種を撒く。

 体を抱き寄せたまま、その場を一回転。わ、と声を漏らす彼女に裏の気持ちを悟られないよう、彼女の戸惑いの裏に本音を隠す。


「だが、それで良い。……踊り慣れていないのなら、我が教えることも出来るが故に」


 永遠に続かない今を、このまま終わらせないように。

 次を約束することで、『もう少し』を長く続けられるように。

 教える、という名目だったがその時間に価値を見出しているのはディルの方だった。触れる時間を長く持ちたい。またその手に触れたい。側に居る時間を長く持てるなら、落ち着かずとも安らげる時間を味わえる。

 ――好意を、抱かれたい。

 それら全てが『望み』であるとは思っていないディル。その感情は、次の彼女の言葉で変貌する。


「……アタシ、」


 ディルの鼓膜を揺らしたのは意を決したような声だった。

 一際力を入れられた手が、震えている。継がれる言葉を待っていたディルに、思いもよらぬ言葉が投げ掛けられる。


「あなたの事が――、すきだよ」


 途端音を立ててディルの足が止まった。

 踏み込んだ足がそのままの形で動けなくなる。


「急にこんな事言って、ごめん。でも、でもね。アタシ」


 舞踏は終わる。

 何を、どういった意味で言われたのかが理解出来ずにディルが耳を疑った。

 『花』隊長の言葉は止まらない。彼女自身が胸の中に秘め続けていた想いが、堰を切ったように溢れ出す。


「ずっと前からディルの事が好きだった。好き。優しいし強いし凛々しいし格好いいし。本当はね、アールキリア姫の婚約者候補になるって聞いて姫に嫉妬した。分不相応なのは分かってたけど、姫が羨ましくて仕方なかった。貴方と姫が本当に婚約したらどうしよう、って思って、ここ最近ずっと辛かった。貴方が、アタシにそんな感情持ってないって分かってる。分かってるけど」


 真っ赤になって、瞼を力強く閉じて、上擦った声がディルへの想いを語るのを止められない。


「分かってるけど! ……好きなの。ディルのことが、好き」


 『好き』が、理解出来ないディルにとっては青天の霹靂のようだった。

 彼女が寄せてくれる『好き』は、孤児院で子供が職員に向ける言葉のように聞こえた。純粋で、綺麗な好意だ。ディルの歪んだ劣情とは違う、他の情が混じらないまっすぐな好意。

 本当に好意を持たれていると知ったのに、ディルの胸に過ったのは失意だった。

 自分の感情は彼女のものとは違う。無理矢理押さえつけて汚してしまいたいと、一度でも思ってしまったディルのそれとは違うようにしか感じられなくて、目を伏せる。


「我は、汝とは違う」


 彼女に返せる想いが違う。

 その言葉を聞いた時、彼女の胸にあったのはどんな感情だろうか。

 強く握られていた手が外される。彼女の手が、下りた。


「……そっ、か」


 儚げに笑った彼女の顔は悲しそうで、ディルが思わず唇を噛む。

 好き、と言われて嫌な訳が無かった。けれど同時に苦しかった。この苦しみは何なのか、考えなくてもすぐ分かる。

 彼女の好意を利用して、今すぐにでもその躰に触れたいと願う自分がいた。

 いつぞやに自分が向けられた穢れた欲を、同じように彼女に向けてしまいそうになる自分がいて言い知れぬ悪寒に背筋が凍りそうになった。

 その表情が、嫌悪と絶望で染まる姿を見たくない。

 『好き』が反転されることに怯えているのは、ディルの方。

 考えが追い付かない。他に誰も居ない事が今だけは災いしている。


 このままでは、本当に彼女を――。


 耐えられなくなって背を向けたのはディルが先。

 鼓動の音が耳に届きそうな程に心臓が跳ねている。こんな事自体初めてで、衝動を抑え込めるうちに足早にテラスを後にした。


「っあ」


 短い声は、ディルの背中にももう届かない。

 一人残された『花』隊長は、諦めを視線に乗せて彼の姿を目で追う。


「……やっぱり、駄目だよなぁー……」


 諦めたような短い呟きは、雪の降る空間に溶けて消える。

 彼女はそれまで雪の上に乗せていた小さな荷物を手にすると、ディルが廊下の先からももう居なくなったであろう頃を見計らってテラスを後にした。

 彼女の胸にあったのは失恋の痛みだ。けれど泣きはしなかった。最初から叶わない想いだと思っていたから。

 涙は出ないけれど、苦しくて悲しい。もしかしたら受け入れてくれるかも、なんて気持ちがあるのは当たり前の事で。

 あの言葉を告白の断りの返事だと思った『花』隊長は、失意のまま執務室へと戻る。隊長という地位にさえついていれば、まだディルの近くにいられると思ったから。

 気持ちはこのまま封印するつもりだった。そしていつか他の誰かを好きになれたらいい。同じくらいに、とは言わない。けれどまた、誰かに特別な好意を抱けるようになる日が来ればいいと考えて。

 長いことディルに片想いしていたのだ、今更そんな日が来るかどうかさえも分からなかったけれど。


 雪はまだ降っている。

 白い結晶は時間と共に、二人の足跡を覆い隠して積もっていった。



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