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【第二部】アルセンの方舟 ―国家公認裏ギルド夜想曲―  作者: 不二丸茅乃
Op.4 花鳥風月 上 蕾綻びし月の花

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99 ――……仕事の為だけだよ


 フュンフに、怒られてしまう。

 ソルビットに、呆れられてしまう。

 アールヴァリンは妹の婚約者候補がひとり不在である事にどう感じるだろうか。

 王家は。

 騎士は。

 城仕えの者達は。

 それ以外の者は。


 ――『花』隊長は。


 自分の知っている者達の顔が浮かび、その全員から叱責される姿を想像した。とはいっても、ディルより立場が低い者で直接叱責してくる命知らずは居ないのだが。

 婚約者候補としての任を放棄して、ディルは王城内をふらふら歩いていた。会場までの帯剣は許されていたので、哨戒という名目をつければディルに口うるさく言って来る者は居ない。時間がそれなりに経った今、一番口うるさいフュンフは今城下に居る筈だった。

 今頃会場では円満に事が進んでいるのだろうか。そろそろアールキリア姫の会場に入っている筈だ。彼女が来なくていい、と言ったのだから行く気は無い。ひとつだけ心残りがあるとしたら、『花』隊長がドレスを着た晴れ姿を見られない事か。その衣装もディルの為に用意されたものでは無いから、個人的に見る事も叶わない。

 きっと会場に行っても、ディルの居場所はないだろう。身の置き所がないような場所に行くよりは、城内を見て回った方が余程有意義だ。

 廊下の窓から外を見遣る。暗い空からは、煌々と光る王城の灯りで照らされた雪が降ってきているのが見えた。

 雪に、何かしらの感慨を抱いた事は無い。寒い季節に降る冷たいものだ。温度が違うだけで雨と大差ない。

 積もれば迷惑、凍れば危ない。騎士であるディルにとっては、その程度の認識。

 なのに一度足を止めて、窓の外を見てしまう。


「……は」


 雪が舞い踊る方角を見た。ひらひらと花弁のように降り積もるそれらはひとつの例外も無く下に向かって落ちていく。

 ディルが見ていた窓の外にはテラスがあった。他の階にもテラスはあるが、目に入った二階のそれはもう少し広い。其処に人影を見つける。

 硝子張りの扉の向こうに二人、雪が積もったテラスに一人。

 テラスで雪に囲まれて一人立つ姿を見て、ディルの呼吸が一瞬止まる。


「アタシはちょっと遊んで帰るから、二人はもう戻って良いぞ」

「そんな、お酒飲んで外にだなんて!」

「お風邪を召されます! そうでなくとも、凍死もあり得るんですよ!?」


 止まった呼吸は、三人の話し声を鮮明に鼓膜に伝える。

 テラスにいるのは『花』隊長だ。扉の向こうに居るのは女従か。三人はやいのやいのと話をしていたが、やがて女従二人は仕事に戻るのかその場を後にした。

 ディルは、思わず手を窓に付いていた。


「……――」


 そんな声量では、彼女の名を呼んでも届かない。

 遠目から見る彼女のドレスは、その色さえはっきりと分からない。防寒具なのか毛皮を纏っていて、灯りがあるとはいえ夜の暗がりでは服の作りまで正確に確認できない。

 こんな早い時間で何故会場に居ない。

 何故今、一人きりになる。

 彼女は婚約者候補として、祝いの場でアールヴァリンの側に居る筈だ。

 だから。


 王子の隣で笑顔を浮かべている彼女を見たくなくて、自分は会場に行かなかったのに。


 気づけば足は動いていた。彼女に遠慮するべきと考えていた思考も飛んで行っていた。

 あんな場所にいてはいけない。彼女には彼女のやるべきことがある筈だ。

 その美しい姿を、誰にも見せずに一人でいるなんて。


 半ば駆けるように階段を下りた。その程度で息が切れる訳も無く、軽く走るだけで直ぐにテラスの扉の前に辿り着く。

 硝子の向こうで彼女はまだ雪と戯れている。暖かそうな毛皮を羽織っているものの、時折体を震わせている。

 積もる雪に手を差し入れた。と思ったら冷たさにすぐに手を引っ込める。吐息をかけて温めようとするが、それですぐ温まる冬の寒さではない。

 結い上げた髪、裾が広がる薄青のドレス、時折見える横顔に乗せられた化粧。

 遠目から見るだけでも、『花』隊長は美しかった。

 近くで見たい。

 出来るなら、笑顔を浮かべて欲しい。


 叶わない。

 叶う筈が無い。

 彼女が自分に対してどんな感情でいるかなんて分からないけれど、厄介者扱いされているのは分かる。

 心を持たぬと、人形のようだと言われた男に執着されても彼女を悩ませるだけだ。

 だから何も言わずに、彼女に知られない位置から見ているだけで終わらせなければならない。

 なのに。


 ――やっかみのお節介だと思って胸に刻んでおいてください


 ソルビットの言う通りだった。


 ――『今よりも少しだけでいい』だなんて。それ、絶対後から後悔します。絶対に足りなくなるんです


 一目見られただけで満足すると思っていた。

 一目では足りないと即座に思った。

 もっと近くで見たいと思った。

 それだけでは満たされない自分に気づく。


 穴の開いた水瓶のように、決して天辺まで満たされることの無い願い。

 気付けばディルは、衝動の赴くままにテラスに続く扉を開いていた。


「……? っ、ひぇ」


 扉が開く音を聞いて彼女がすぐに振り返る。同時、ディルの姿を見て情けない声を出した。


「何をしている」


 警戒されたくなくて、当たり障りのない話題を出した。これくらいなら不審に思われないだろう。

 すると彼女は僅かに染まる頬を隠そうともせず、珍しい事にディルから視線を逸らさない。

 真っ直ぐに灰茶の瞳を見るなんて、会議の時以外ではもう無いことだ。

 その視線に誘われるように、側まで近寄った。彼女は逃げ出さない。


「……ゆき、が、降ってたから」


 途切れ途切れの言葉は、怯えているせいか寒いせいか震えている。

 改めて周囲を見渡す。彼女以外誰も迎え入れていない雪景色の中に、他に人影が無いのを確認した。今、邪魔者に入られたくない。


「一人、か」

「……うん」

「今日は、アールヴァリンの成人祝いではなかったか」


 だから、そのドレスを新調したのだろう。彼の側に並ぶために。

 口にするのを躊躇った。それに返る回答は、どんな形で在れディルが望んでいるものではないだろうことが分かっていたから。

 だから言葉を切った。すると彼女は、ドレスの上に来ていた毛皮に手を掛ける。


「……こんなドレスじゃ、王子様の側には居られないさ」


 前を開かれて、毛皮の中が暴かれる。

 薄青の布地のドレスに、差し色である濃い青の刺繍とリボン。そしてドレスに広範囲に見える、液体――恐らくはワイン――による赤紫の染み。

 ディルが目を瞠る。自分の服より完成度を高めろと言ったドレスが無残な有様だった。

 彼女が望む望まざるに関わらず、短い期間で仕立てられたドレスの完成度は完璧に近かった。汚れていても美しいそれを纏った彼女の残念そうな苦笑とともに、再び前が閉じられる。


「……粗相をしたか」

「違うよ、お祝い出席の来賓に……って、あんまり言う事じゃねぇな。ま、こんな服だし、パーティーは早々にお暇したよ。元から乗り気って訳でもなかったしな……っひぐしゅ!」


 まだ濡れているだろう。なのに染みを見せるために服を開いた彼女が寒さでくしゃみをする。

 化粧をしているだろうに鼻の頭が赤くなっていた。二度目のくしゃみの後に、彼女が肩を震わせる。


「寒いか」


 小柄な体が震えるのを見て、思わずディルが上着を脱いだ。丈夫である自覚は有るので、多少の寒さなら耐えられる。……この女が寒さに震えているのを見るより、ずっとましだ。

 『花』隊長の肩に上着を掛けると、彼女は硬直してしまう。「え、でも、貴方が」と声が漏れて彼女が上着を返そうとするが、それは服ごと肩を抑えて阻止した。

 着ていて欲しい。こんな僅かな気遣いさえ拒まれたら、苦しい。


「着ていろ。少しは凌げる」


 無理矢理押し付けた事に気まずくなって、彼女に背を向けて少し離れる。拒まれはせずとも、不快に思われていたらそれはそれで苦しい。

 表情の変遷を見ていられなかった。思考が出やすいその顔が不快に歪んでいたら、胸の苦しみは増すばかりだから。


「……行かなくて、良かったの?」


 戸惑いが滲み出ている声が聞こえる。

 何に、なんて聞けるわけがない。互いに礼服を着ている理由はひとつだけ。そう問いかけてくるという事は、彼女だってディルが婚約者候補に選ばれたのを知っているのだろう。

 肩越しに振り返る。着せた上着を握りしめて、不安そうな表情を浮かべている彼女と目が合った。

 追い払われている、訳ではないらしい。無理矢理そう解釈して、少し間を置いて振り返り、返事をした。


「……我は、華やかな場を好まぬ」


 出てきたのはふたつあるうちの理由の、ひとつだけ。 


「けれど、王妃が探してた」

「処罰は、甘んじて受けよう。だが、我にあのような役回りは出来ぬ。……汝とて、早々に出てきて良かったのか」

「……言ったろ、アタシは乗り気じゃなかった。ただ仕事だったから行っただけ。……酒飲み足りないっての以外は未練なんて、これっぽっちもない」


 酒が好きな彼女らしい言葉だ。ふ、と唇から吐息が漏れる。

 その言葉を信じていいのだろうか。本当に、彼女には婚約者候補としての野心はないのだろうか。

 そうであって欲しいと願うけれど。


「だが」


 願えども、ドレスを着た彼女は、美しくて。

 深い青で設えた繊細な刺繍。儚ささえ思わせる細かい模様は、彼女に相応しい。幾重にも重ねられた透ける素材の名前をディルは知らないが、それさえも彼女の為に誂えられたもののように感じている。ワインで汚れなければ、きっと。


「そのドレスは、よく似合っている。……今日の為に用意したのだろう」


 きっと、アールヴァリンの隣に並べば、似合いの二人となったろう。


「……し、仕事だから。もう、着る事もない」


 彼女はすぐに否定してきた。

 そう答えるのも分かっていた。王妃の座への野心を明確に表すような女なら、ディルだって此処まで心を乱されたりしない。


「本当に、仕事の為だけか?」


 けれどディルは半ば自棄になったように、もう一度問い質す。仕事以外の意味があったのならそうだと言って欲しかった。仕事以外の意味は無いと言われれば、その言葉だけ信じればいい。

 答えがどちらでも、ディルには表面上何の影響も齎さない筈だった。なのにディルは、胸の奥底で肯定しろと願う。勅命が出たから用意して、二心無く祝いの席に出席した、と言えと祈る。


「……仕事の為だけだよ」


 そうして『花』隊長の口から出てきた言葉は、祈りが通じたのかディルの願いのままとなった。しかし、同時に彼女の顔がそこで初めて不快に歪む。

 失言した、と思った。嫌な思いをさせたかった訳ではない。何度も同じことを聞かれれば、ディルだって不快になるというのに。


「我は」


 詫びなければいけない、と思った。けれど口先だけの詫びでは余計不快にさせるだろうことも分かっている。どう言えば良いのか、何を言えばいいのか、それが分からない。

 分からないけど、理解したいと初めて思った。

 それが、彼女の為になるのなら。


「我は、汝のその姿を見られて、何故か心が浮き立っている」


 自分の心を、伝えられるのなら。



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