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【第二部】アルセンの方舟 ―国家公認裏ギルド夜想曲―  作者: 不二丸茅乃
overture. 彼女と悪魔以外望まなかった世界
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0. 託されて、愛しいひと 貴方はまだ生きて

 とある国に、とある悲恋話があった。

 始まりこそちっぽけで、拙い女と無感情な男の恋物語だ。

 女が惚れて男が絆されて、それで結ばれた二人の想いは僅かな期間で砕け散る。

 男も女も両方騎士隊長という立場に付いていたその恋物語は、男の戦死で幕を下ろした。

 

 砕け散った後の話は、残った者に生涯癒えぬ傷を負わせる事になる。


 『アタシが死ねば良かった』

 『アタシが残れば良かった』

 『あの人を今でも愛してる』

 『ごめんね、』


 そうして死した女の想いは、いつも一人の男に向いていた。

 死の間際に女が願う。


「―――神様。もし本当にいるのなら。アタシが、」


 願ったって過去は変わりはしないし、未来永劫彼のいない生が続く。

 けれどもし、彼が生きていられた世界がどこかに存在するのなら。

 愛した人が、自分の代わりに生きる世界があったとしたら。


「アタシがどうせ死ぬんなら、……あの場所で、あの人の代わりに殺して」


 願ったって、何も変わりはしない。

 女だって分かっていた。


 神はいつだって、身勝手な願いを叶えたりはしない。

 けれどもし、あの日あの時、誰かの何かの行動が違っていたら。


 叶った願いはあるのかも知れない。





 自由国家アルセン王国、それがその国の名前だった。

 自由を謳うこの国は、現在も存在しているどの国よりも神話の存在が身近にある。


 何も無かったこの地に三人の神が降り立った。神はこの地に命を芽吹かせ、秩序をもたらし、人間が生きていく土台を作り上げた。世界に存在する全ての生き物はこの地より生まれたとされている。

 人間をつくり、人間に失望した神達が最初に作り上げた国。アルセンは、三人の神の中でも最後まで人間の『欲望』に望みを失わなかった神が築いたものとされている。

 神が創造し、神さえ見捨てた国、アルセン。

 神は自らの分身を王に据え、その血筋が王族として国を支えているとされる。


 国に住んでいる種族は人間を始め様々で、職業も魔術師や剣闘士、学者や騎士など挙げればキリが無い。種族や職業、そして善と悪も内包した『なんでもあり』な国。


 ファルミアと名の付いた町が、戦火に飲まれた時がある。

 国境から程近いその町が属するアルセンが帝国と争った時の話だ。




「……大丈、夫。それより……あの人は」


 戦闘での疲弊に頽れた体を神父服を纏った男に抱き起こされて、礼より先に『あの人』の安否を尋ねる女がいた。その態度に相変わらずだとおかしくなったらしく、神父服の男は軽く笑いながら告げる。

 女は昔から、真っ直ぐな想いを『あの人』に向けていた。片恋の時から、交際してからも、それで結ばれて夫婦になってからも。

 戦場だと言うのに、癖のある茶髪を持つ神父服の男――名前をフュンフと言う――は少しだけ平静を取り戻していた。戦況の状態は未だ油断ならないが、地の利の効いた防衛戦という事もあり劣勢という事ではない。

 女は、国の騎士団『花鳥風月』、その中の『花』の名を冠する騎士隊の隊長だ。背中まである鈍い色をした銀髪を後頭部で一つに纏め、一見すると綻んだ花のような美貌を持つ可憐な女性という印象を受けるが、中身は大雑把。それなりの付き合いがあるフュンフからすれば目の上のたんこぶだ。

 この女が、フュンフが副隊長を務める騎士隊『月』の隊長、ディルと婚姻関係にある。彼を尊敬して止まないフュンフは、この女が好きではなかった。……平時では。


「……あの方はまだ、戦っていらっしゃる」

「……それは、どこで……?」


 夫がまだ戦っていると聞けば、こんな場所で休んではいられないのだろう。女が立ち上がるのを手伝いながら、フュンフはその態度を諫めた。

 幾ら隊長格とはいえ、体力に限度がある。特に『花』隊長は女で、しかもその真価は自らが闘いに出る時ではなく『人を使う時』に発揮される。今ここで彼女が倒れる事は、大きな痛手だった。


「今の貴女が知らなくて構わない事です。貴女は治療を受けるが宜しい」

「……だめ、だよ」


 否定するその唇は、自分の無力さを悔いているようだった。しかし、今更悔いた所で彼女の能力が向上する訳では無い。そうして二人が押し問答している間に、少しの時間が経ってしまった。

 ぱん、と大きな音をさせて、目の前の彼女が自分の頬を張る。

 その行動にはフュンフも、その配下も驚いた。それから彼女が見せる態度は、騎士団の中でも慕うものが多いとされる理由の、隊長然とした凛とした態度。長い間の下積みがあるからこそ可能な、騎士隊長として背筋を伸ばした姿。


「フュンフ。アタシの隊の再編は可能だと思うか」


 他隊の副隊長でも、使えるものは使う。意見を求められたフュンフは、条件反射のようにその問いに答える。


「……は、各地に散らばっているのは見えました。時間は掛かりますが、生きている者も少なからずいるでしょうな」

「『月』の方はどうなっている? 指示はあの人がまだしてるのか」

「いえ、各小隊長が各々の判断で動いています。だからこそ隊長は単独で―――」


 そこまで口を滑らせたフュンフは、途端に「しまった」と顔を歪めた。

 聞きたいことが聞けた、とばかりに『花』隊長が表情を緩める。たった一人で、今でも戦う『月』隊長、ディルの現在状況を悟られた。


「案内しろ」

「………出来ません」

「出来ない、じゃなくてするんだよ。じゃないと、アタシはこのまま町を練り歩くぞ」

「出来ません」


 その時のフュンフは、頑なだった。

 『花』隊長の口から、あーもーこういう所は本当兄妹似てるよなー。そういうの困るんだけど―。と、文句がつらつら並ぶ。

 どれだけでも文句を言えばいい。フュンフにとって、ディルの逆鱗に触れるのが一番の恐怖だ。感情の起伏がほぼ無いとまで思わせる彼の妻に、何か危険が及んで彼の怒りを買ってしまうのは避けたかった。


「なぁ、いいだろ」

「良くありません」

「ちょっとだけだから。案内するだけだから。ちょっと見るだけだから」

「何がちょっとですか」

「……いいじゃん、本当フュンフって融通効かないよなぁ」

「当たり前です」


 押し問答が再開され、彼女が口を尖らせて不満を訴える。……そんな彼らの元に、馬が駆ける音が聞こえてきた。

 その音に振り返るのは全員。見れば、フュンフと同じ茶の癖っ毛を持つ女が来ていた。


「たいちょ、兄貴!! 良かった、ここに居たんだ!!」


 その女も『花』隊長とは違う類の美貌の持ち主だった。

 ソルビット。フュンフを兄と呼ぶその女は彼の異母妹だ。『花』副隊長を務めている事もあり、自隊の隊長を探していたように見える。息が切れているソルビットは、二人を見つけるや否や叫ぶように報告を始めた。


「緊急事態です!! プロフェス・ヒュムネが現れました、確認出来るだけで三十名!!」

「な―――」


 動揺するような声はフュンフの口から漏れた。対する『花』隊長は、何の話か分からない顔をしている。

 プロフェス・ヒュムネの話を、フュンフは知っている。だからこそ、その動揺は的外れなものではない。

 『プロフェス・ヒュムネ』。半植物のヒューマン型生命体だ。総じて美しい黒髪を持ち、種族に伝わる特殊な種を使い、その種には出来ないことは瞬間移動と死せるものの復活だけだと言われている。ひとりひとりに様々な能力を有する『種』を持ち、その種を体内にて発芽させることにより、他を圧倒する戦闘力を誇る。

 暴走したプロフェス・ヒュムネ達は、過去の戦争で帝国軍の半分を一方的に殺戮した。


「……プロフェス・ヒュムネって……? あれだろ、オルキデとマゼンタみたいな」

「そーっすよたいちょ! いいから急いで向こうと合流してください、このまんまじゃ皆死んじまう!!」

「え、ちょっと待って。プロフェス・ヒュムネって、そんな……?」


 ソルビットの急かす口振りに、『花』隊長の表情が困惑に染まる。困惑だけでない、『本当の本当に緊急事態』という口調に、何事か思案している顔だ。

 こんな時に何を考えている、とフュンフが思う。フュンフは万が一の時に、この喧しい女隊長を退避させて王城に控えている全兵力を連れて来るようにと『月』隊長から言われていた。緊急事態なら話が早い、それが今なのだろう、と冷静に考える。

 フュンフがその場で配下に指令を出した。残存兵を纏めて撤退しろと。それを聞き届けた配下はその場で散開する。


「……ぁ、そっか」


 その声は『花』隊長の口から漏れた。


「すまん、ソルビット。町の中の全兵力纏めてディル連れて、あっちと合流してくれ。なるだけ一人もいない方がいいな、道連れにゃしたくない」

「は、え……ええっ!?」


 驚いた声はソルビットのもの。冷静に体調が指示をするその内容に異論しかないようだ。


「たいちょー、そりゃ無いです!! たいちょーがココ残っても、絶対死にます!!」

「……まぁ、うん、だろうけど」

「分かってんなら早く動いてください!!」

「……あー」


 歯切れの悪い『花』隊長。彼女は頭を掻きながら、ソルビットの言葉を受けつつも視線を逸らしていた。

 けれど。


「すまん。アタシは残るよ。だから皆を―――ディルを、お願い」


 答えは、変わらない。


「何を仰っているのです、『花』隊長」


 思わずフュンフまでもが口を挟んだ。それではまるで、死ぬのが分かっていて残ると言っているようなものだ。あまりに後先を考えない自殺願望の吐露に我慢できなくなって、フュンフが彼女を睨みつける。


「この場で何が優先されるかくらい、貴女も隊長でしたら考えれば分かる事ではないですかな」

「優先?」


 『花』隊長が、フュンフの言葉を嘲るように笑う。


「何言ってんだお前さんはよ。……ディルの命以上に優先されるものがあるとでも思ってる訳?」

「は、……」

「アタシが何の為にここまで来たと思ってんの。少しは乙女心ってのを理解してくれないと困るねー」

「……貴女は、何を」


 彼女の言葉は、まるで、自分を犠牲にするような物言いで。

 何を当然、と言いたそうなその灰茶色の瞳はフュンフの知らない気配をさせていた。『月』隊長ディルが絡む時の彼女は、いつも、馬鹿で、考え無しで、それから奥手で。

 ―――違う、と、その考えをフュンフが脳内で一蹴する。

 最初からそうだったのだ。この女は、自分が彼を守る為―――彼の代わりに死ぬ為に付いてきた。


「なぁフュンフ、利害が一致するだろ。アタシはあの人を死なせたくない。お前さんはあの人を守りたい」

「……馬鹿な。そんな事をするまでもなく、あの方が負ける筈は」

「万全の体勢だったら、アタシだってそう思う。ディルが負ける訳ないって。……でも、今、劣勢になっててさ……この上プロフェス・ヒュムネとやらが出てきたんだ。せめて体勢立てなおす時間は欲しいって思わない?」


 軽々しくその名を口にした、その種族の事を何も知らない癖に。

 彼女の瞳は真剣だった。そして、その顔は笑顔を浮かべてフュンフに向いた。


「……アタシね、ずっと思ってたんだぁ。あの人、一回もアタシの事どう想ってたか聞いたことないけど、少しだけ……ほんの少しだけ、好かれてるんじゃないかな? って、自惚れてる。んでも、いつかきっと……あの人も誰かを『好き』になるって気持ちが、いつか本当の意味で分かるって思ってる」


 その声は普段の隊長としての声ではなく、一人の女としての優しい声だった。


「アタシは、あの人がいないと生きてけない。……でもディルは違うんだ。それだったら、ディルが生きていてくれた方が、この世界には何倍も価値がある。そして、多分、アタシ以外の誰かがまた彼を好きになる。その後の世界を……フュンフ。お前さんに託すよ」


 どうか、と繋げる声が震えていた。


「絶対嫉妬するから……死んで化けて出られるとしても、絶対こっちを見に戻ったりしない。……だから。どうかあの人をお願いします」


 フュンフを捉えた灰茶の双眸が、涙を浮かべていた。唇から漏れる、普段とは違う慇懃めいた言葉は彼女の精一杯。

 そして『花』隊長とソルビット、二人に向けて背中を向ける。フュンフは何も言えなかった。

 彼女が、彼を失った世界で生きていけるかと問われたら、フュンフとて『否』と答える。それ程に、彼女の愛は傍目から見ていても深いものだった。ずっと続いた片恋の成就。けれど件の彼はまだ彼女への想いを不確定なものとしている。それでもいいと躊躇わず結婚した彼女の想いは、フュンフが知っている上辺だけよりも更に重い愛。

 フュンフは引き留めなかった。けれど、ソルビットは。


「っ……たいちょー!! あたしも一緒に行く!!!」


 引き留めるどころか、その背に向かって馬を駆けさせる。


「えー、お前さんも来るのぉ? 『花』はどうすんだよ」

「何言ってんすか、あたしとたいちょーの仲でしょ。行き先が地獄ならもうこっちの世界関係ないもーん」

「……ったく、お前さんも馬鹿だよなぁ」


 二人の明るい声が聞こえた。フュンフは止める事が出来なかった。

 そして暫くの後に踵を返し、自分の隊長を探しに向かう。

 二人はフュンフが去ったのを肩越しに振り返って見て、そして顔を合わせて笑い合う。


「……たいちょ。……たいちょーは、あたしが生きてる間は絶対死なせない」

「そーかい。んじゃ、お前さんが死んだら花を供えてやる時間くらいあるかな? ……なんてな」


 『花』隊長の呼吸が乱れ始める。

 怖い。

 恐い。

 でも、これは自分が選んだ道だ。


「………お前さんが一緒なら、ディルを待つ間の地獄でも退屈しなくて済みそうだよ」

「光栄っす。……何があっても、ずっと一緒っすよ」


 『花』隊長の口許に笑みが浮かぶ。

 最愛の人の為に死ねるなら、これ以上の願いは無い。




 叶わない願いが叶う世界線で、女は吐息を漏らす。


 それは、『願いが叶ってはいけなかった』世界。


 

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