彼女は異世界に涙するか?
先生は真剣な顔をして私の答えを待っているようだ。
従兄弟の兄? ああ、ハルキお兄ちゃんの事かな。
懐かしいな、ハルキお兄ちゃん。でも、ハルキお兄ちゃんは……。
「従兄弟の兄、ハルキお兄ちゃんは私が小学生に上がる頃に亡くなりました……でも、それと何が関係あるんですかね?」
「関係あるさ。ハルキ、お前の父親の兄の息子はこの世界だと生きてる」
「……もう驚きませんよ。バカな私をからかっているんでしょ?」
先ほどから先生にバカにされながら訳の分からない話をさせられる身にもなれってんだ。異世界がどうのこうの、もうどうでもいい。早く帰らなきゃ母が怒る。
話しているうちにすっかり暗くなった外を見た。
「もう帰りたいんです。それに何で保健室にいるのか、全然分からないし」
「そうか、じゃあ現実見せてやる。駐車場まで来い」
え、送ってくれるの? ラッキー!
心の中でガッツポーズしてしまった。何故なら送って貰ったら玄関先で先生が母に訳を話してくれれば、怒られなくて済むから!
*
舗装された道を走っていく車の中、私は小さい子供のように景色に夢中になっていた。
なんて事だろう、景色が全く違う。
車内から見える景色は、自分の知っている景色ではなかった。あの角にあるコンビニも、スーパーも全部違う。
だけど街灯や、舗装された道、歩道などは見知ったもの。公共のものは全部知っているのに、他は全然違っていた。
「……違う場所行ってないですか?」
「この世界でお前の家がある場所に向かっている」
「景色が全然違うんですけど……」
信号で止まると、先生はカーナビを操作し始めた。地図を拡大していく。地図には見知った地名が出てきた。
「木作、と言うのがお前の最寄りだな」
「はい。その隣が西木作です」
「西はあるのに東がない、その代わり木作中央がある」
「はい、木作中央があります」
合っているかどうか確認していくように先生がカーナビを操作していく。地図によればここは木作の隣にある三島らしい。……らしいと言うのは、知っている景色ではないから。
信号が青に変わり、車がゆっくりと動き出す。先生は器用にギアを操作しながら車を走らせていた。
「着いたぞ」
先生に言われ、カーナビに夢中になっていた顔を上げる。そこは自分が住んでいるマンションではなく、知らないマンションが建っていた。
同じマンションでも、建物の感じが違う。色も違ければ、階数も違う。
「自分の家じゃない……」
「この世界では別の奴が建てたんだろうな」
エントランスの形も、ドアの形も、何もかも違っていた。そこで思いつき慌ててスマホを見ると、圏外と表示されていた。
「圏外だし……」
「この世界にはそのキャリアはないからな」
キャリア、と言うのは分からなかったが繋がらないのは電波がないのだろうと勝手に解釈した。そうせざる終えなかった。だって、
「看板の文字、なんて言うの……」
今まで看板の文字など気にしてる余裕がなかった。ふと目に付いた看板を凝視すると、看板などの文字が分からなかった。分からないと言うのも、文字は分かるが所々見たことない漢字が混ざっていて、自分の知る単語ではなかった。
「先生、なんて読むんですか?」
「……グリーンハウス」
自分の耳を疑った。
先生は明らかに英単語を言っている。グリーンは緑、ハウスは……家だったかな。なのに、看板に書かれているのは明らかな日本語。所々漢字が混ざっていて、単語としても読めないもの。
「グリーンハウスって、その、英語じゃ」
「英語だとも」
「いやいや! そう読めませんよ! これ!」
看板を指差し、単語をなぞる。それに合わせて先生は口をパクパクさせた。本当に、グリーンハウス、と言っている。
「この世界には、カタカナが存在しない」
「へ」
「お前のいる日本では、漢字とひらがな、そしてカタカナを使うな?」
こくん、と頷いた。今度は先生の言葉がすんなりと入ってくる。
「この世界の日本では、漢字とひらがなが使われてるんだ」
その言葉に、辺りを見渡す。道路標識には本来とまれと書かれているはずなのに、読めない漢字とひらがなの組み合わせ。遠くに見えるコンビニの看板はアルファベットだが、下に書かれている文字は道路標識と同じように読めない漢字とひらがなの組み合わせだ。
道路を走る車のナンバープレートも見る。本来地名が書かれている所には、ひらがなとこれまた読めない漢字の組み合わせた単語が書かれている。通り過ぎる車が全部同じ文字を使っているところを見ると、そこに書かれているのは地名なのに間違いないはず。
「先生、あの」
ここは私の知っている日本ではない。私のいる世界とは違う、ここは本当に異世界だと言う事実が不安に変わっていく。
不安から、涙声になっている私に先生はなだめるように頭にポン、と手を乗せた。
「大丈夫だ、元の世界に帰してやる」
その言葉に、堪えていた涙が溢れていった。