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悩みを消し去る大事な考え方 全ての悩みは対人関係にある

作者: ぉばさま

ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!!

人は生きていると悩みの一つや二つは必ず出てきますよね。

その悩みというのは小さいものから大きいものまで千差万別です。


結論だけ先に書いておきます。


全ての悩みは対人関係にあり、宇宙でただ一人生きる以外悩みを無くす方法はありません。

しかし、悩みは無くすことはできなくても、解消や緩和することはできます。


そんな悩みを解消、緩和する方法をあなたに伝授しようと思います。


まず最初にあなたは「悩み」というものを理解しておかなければなりません。

個人だけで解決してしまう内面の悩みというものは実は存在しません。

どんな種類の「悩み」は例外なく「他者」というものが存在します。


例えばあなたは学校に行きたくないという悩みを抱えてたとしましょう。

では、なぜ学校へ行きないのでしょうか?

苛められる。バカにされる。人とコミュニケーションが取れない。嫌いな人がいる。


他にも理由はあるでしょう。

しかし、これらの理由すべてに「他者」が関わっています。


今度は仕事で考えてみましょう。

嫌な上司がいる。職場の人間関係。怒られるのが苦痛。仕事が楽しくない。


これらの理由もまた「他者」の影が潜んでいます。

ちなみに、仕事というのはご存知だと思いますが、他者に貢献することを指しますので、そもそも自分以外の人がいないと「仕事」という概念すらなくなります。


他にもいろんな悩みがありますが、それらの悩みを一度考えてみてください。

必ず「他者」の影というものをあなたを実感することでしょう。



では、なぜすべての悩みというのは対人関係が関わってくるのでしょうか?

それは人が劣等感に苛まれているからです。


自分の容姿や学歴に職業、年収や社会的立場など、人は常に他人と比較し競争して生きています。

その結果、「私は~より劣っている。」「私はブサイクだ。」「私は頭が悪い。」

と常に他人と比較しながら生きているからです。



人生は他者との競争ではありません。


「他人と比較し競争しながら生きるのは当たり前じゃないの?」

と多くの方が思っていますがこれは大きな間違いです。


人生とは他者との「競争」ではなく「共存」にあります。


多くの人のイメージは他者を蹴落としてでも登っていく階段をイメージしていると思います。

しかし、この「競争」の果てに待ち受けるものは、心の安まらない永遠のバトルロイヤル。PUBG始まりです。

敗者になりたくない。他者を信じることができない。つねに勝ち続けなけらばならないという重圧の中、日々を過ごす未来です。




さて、悩みというものが何となく分かってきたと思います。

それでは本題の悩みを解消、緩和するにはどうしたらいいのか?


それはあなたの承認欲求を否定しなければなりません。

恐らくあなたは今、人は承認欲求を満たすことによって人間は突き動かされるものだと憤慨していると思います。


確かに他者から承認されることは嬉しいものです。

しかし、承認は絶対に必要かと問われるとそれは否定します。


そもそも、人はどうして承認を求めるのでしょうか?



それは学校の賞罰教育の影響を受けているからです。


適切な行動をすれば褒めてもらえ、不適切な行動をすれば罰せられる。

こうした賞罰教育の先に生まれるものは褒めてくれる人がいなければ、適切な行動をしない。罰する人がいなければ、不適切な行動もとってしまう、誤った教育です。


例えばあなたは地域のゴミ拾いをしたとします。

誰もあなたがゴミを拾ってたとしても気づかず、気づいたとしても誰からも感謝してもらえないです。

そんな状況に陥った時あなたはゴミを拾い続けますか?


「二度とやるか!」と憤慨し決心することでしょう。

賞罰教育の悪いところはここにあります。


褒めてもらいたいという目的が先で、ゴミを拾う。

そして誰からも褒めてもらえなければ、もう二度とやらないと思ってしまう。


これらは間違った生き方です。


私たちは究極的に自分の事を考えて生きています。

こんな言葉があります。

「自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、いったい誰が自分のために生きてくれるのだろうか。」


承認欲求の危うさは、他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしている点です。

他者からの評価ばかりを気にすることは最終的には他者の人生を生きることになります。


承認されることばかりを願うあまり、他者が抱いた「こんな人であったらうれしい」という期待をなぞって生きていくことになります。

つまり、本当の自分というものを捨て、他者に合わせる人生を生きることになります。


もしあなたが「他者の期待を満たすために生きていない」のだとしたら、他社もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」のです。

だから相手が思い通りに動かなくても怒るのはお門違いです。


それが当たり前なのです。



では、身勝手で自己中心的な生き方をすればいいのか?

と考えるかもしれませんが、そういう生き方をすれば生涯孤独な人生を歩むことになるでしょう。


そこで、大事になってくる考えは「自分と他者の課題を分離する」という考えです。




「勉強しなさい!それまではゲームはさせませんからねっ!」

と母親に叱責させる思い出です。


あなたはこれに近しい経験はありませんか?

この「勉強をする」と課題があった時に「この課題は誰の課題なのか?」という考えが必要になってきます。


本来これは「子どもの課題」であって、親の課題ではありません。

勉強することは子どもの課題です。

そこに親が「勉強しなさい!」と他者の課題に対して土足で踏み込んでいます。


だから子どもは「うるさいなぁ」とか「めんどくさいなぁ」と反感を抱いたり、時には喧嘩にも発展することでしょう。


このように他者の課題に土足で踏み込むと衝突は避けられません。

あらゆる対人関係のトラブルは、他社の課題に土足で踏み込む、もしくは踏み込まれる事によって生じるのです。

その結果「悩み」を抱えることになるのです。



悩みを解消する方法、それは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、ただそれだけです。

その結果、その選択について他者がどのような評価を下すかは他者の課題であって、あなたにはどうすることもできません。


我々はみな、対人関係で悩んでいます。

そこで大事になってくるのが「これは誰の課題なのか?」を考えることです。

どこからが自分の課題で、どこからが他者の課題なのかを冷静に線引きする必要があります。


そして、他者の課題には介入せず、自分の課題には誰一人として介入させない。


この考えこそ対人関係の悩みを解消する画期的な方法なのです。


なかなかこの考え方は受け入れがたいと思います。

しかし、受け入れるか受け入れないかはあなた次第。つまりはあなたの課題なのです。

私はあなたを水辺までは連れていくことはできても、その水を飲むかどうかはあなた次第です。



もし、この考えをより、深く知りたいと思ったのであるならばアドラー心理学の本を読むことをオススメします。

それでは、あなたの悩みが解消されることを祈ってそろそろお暇させていただきます。

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