御神木で首を吊る
死ぬことに決めた、深い理由は無い。深い理由を持って生きてる人間が存在しないのだから逆も問題無いはずだ。
俺は自殺を、人間の人生に平等に配られるワイルドカードだと思っている。死を決めた人間を縛るものは何もないのだ。借金して豪遊するなり、好きな子をレイプするなり、テロを起こして自分の名を歴史に刻むなり、可能性は無限大である。命を対価にすればどんな勝負にも勝てる切り札、それが自殺なのだ。だが未だに俺は死ねていない。自分が命を捨てるに当たり、やりたい事が見つからないのだ。犯罪行為にはあまり魅力を感じなかったし、やり残したことも特に無い。しいていうなら凝った死に方をしたいぐらいだろうか。
俺はずっと生まれ故郷の田舎町に住んでいるのだが、その理由の1つに町の名所、キリシタン海岸の存在がある。この海岸は昔キリシタンの密会に使われていたらしく、この名がつけられたそうだ。海岸にそびえ立つ灯台からは海を一望でき、見るものの心を奪う。俺はその景色に惚れ込んでしまった。この絶景を毎日見れる事が町から出ない理由の1つになってしまう程に。だが欠点もある、少しだけ死ぬ気が失せるのだ。あの絶景は未練になりうる、かといって生きようと思う程の感慨を生むわけでも無いが。
ある日、暇に耐えられなくなった俺は思い出の地を回る旅に出かけた。思いでの地と言っても範囲は町内なので旅とは名ばかりのただの散歩である。なので大したものは無い。潰れた駄菓子屋、寂れた公園、我が母校、ノスタルジーすら感じさせない意味の無いオブジェばかりだ。だが一つだけ今回の散歩で楽しみにしているものがある。この町を見守る御神木、百年楠である。この樹木には迷信があり、この木に願い事を掘ると百年楠が叶えてくれるといわれている。なんとも罰当たりな話しであるが、実は俺も小さい頃に噂を真に受け願い事を彫っている。今日は十数年ぶりに御神木に訪れ、その願い事を見つけるつもりである。内容はもう覚えていない、なんだかタイムカプセルを掘り起こすようで心が弾む。それにもしかしたらカードの切り方が決まるかもしれないし非常に楽しみだ。ただ1つ問題があるとすれば、今いるキリシタン海岸から恐ろしい程遠い事であろう。二時間程は覚悟しなければならない。残念ながら頭の中はそればかりで、幼き日の自分に対する後ろめたさなどは、ただの一度も姿を現すことは無いのであった。
昔と変わらずその木はあった。神聖な雰囲気に美しい緑、そして圧倒的な存在感が場を支配している。だが体には無数の傷があり、かなり痛々しい。俺は御神木の体を手でなぞりながらゆっくりと一周していく。そこには多種多様な願い事が彫ってあった。大金持ちになりたい、受験に合格したい、女にモテたい、どれも想像性の低いよくある願いだ。俺は流し目でそれらを追いながら自分の字を探す。そんな中、1つの願い事に目が止まった。その瞬間、閃きが脳に響き渡る。もはや自分の願い事などどうでもよい。俺は自然と笑みを浮かべていた、ついに死に方が決まったのだ。俺はゆっくりと、その願い事を指でなぞっていく。
「佐藤 新矢が死にますように」
それは、紛れもない俺の名前であった。
俺の計画を簡単に説明するならば御神木で首吊り自殺をする事である。誰があんな失礼な事を彫ったのかは知ないが、自分の願い事が叶ってしまったことに腰を抜かすことだろう。そして状況を知れば御神木が俺を殺したように見えるはずだ、罪の意識に苛まれてくれると面白い。そこまで馬鹿じゃなくてもかなり不気味なはずだ、他殺の可能性まで考え始めるともう思考は止まらないだろう。寝れない夜を過ごすといい。もしかしたらこの事件がきっかけで御神木が有名なオカルトスポットになるかもしれない。俺が都市伝説になったりなんかしたら文句無しの最高だ。だがそれには語り手が必要である、噂を流し皆を扇動する発信源だ。それに死体が長期間見つからないのも困る。つまり今回の計画には協力者が必要なのだ。普通は自殺補助をしてくれる人間など金を払わなければいないだろう。更に死後確実に約束を守ってくれる人間となると存在すらしないはずだ。だが俺には心当たりがあった。あいつに物を頼むのは死ぬほど嫌なのだが、実際死ぬので問題無い。あの顔を見るのも今回が最後だ、そう思えば耐えられる。そう自分に言い聞かせながら奴のメールアドレスを入力するのであった。
今俺は客人をもてなしている。しかも麗人の。だが俺の気分は冴えない。
「先輩久しぶりですね」
「だな」
実際のところ、ほぼ毎日顔を会わしているが面倒なのでつっこまない。この女こそ今回の計画の協力者候補であり、俺の数少ない知人の一人である。こいつとは大学で知り合い、腐れ縁のような関係である。正直俺はこいつが苦手なのだが、向こうはそうでもないらしく事ある毎に俺に絡んでくるのが常だった。こいつなら俺の頼みを聞いてくれてもおかしくない。可能性は低い上に気分も乗らないが他にあてなど無いのだ、やむをえない。
「私を家に呼ぶなんて珍しいですね」
待ち合わせ場所は俺の家にした。けっして広くはないが、今日の本題は外でするような話ではない。
「自殺するのに寂しくなったんですか?」
「生憎、孤独には強くてね」
頼み事を伏せた概要はメールですでに送っている。内容が内容なだけに直接話そうかとも思ったが、話が少々複雑なので事の経緯を早めに教えておくことにしたのだ。それに自殺願望自体は前から話しているので驚くことも無いだろう。
「じゃあ早速本題に入」
「おっと!その前に少しお話をしましょうよ!」
俺の話を遮りながら身を乗り出してくる。この程度のウザさはメールの時から覚悟している。
「先輩とゆっくりお話できるのもこれが最後なんですよ!」
いつも一方的に喋ってるだけだから、相手が仏壇になっても問題ないと思われる。
「わかったよ、少しだけ付き合ってやる」
普段なら絶対に了承しないが、今日は頼み事をする立場なのであまり無下にするのも気が引けたのだ。
「やったー!珍しく先輩が優しい!」
失礼なやつ。
「実は今回のメールで気になる点がいくつかあったんで先輩に聞きたかったんですよ!」
「気になる点?」
まぁめちゃくちゃな内容なので無理は無いだろう。むしろ、すんなり納得してしまう方が不自然だ。
「そうです!例えば先輩、死に方をかなり迷ったと書いていましたよね?」
「そうだ」
「その割にはしょーもないの選びましたよね」
「あ?」
あまりの言い様にさすがに腹が立った、人の苦労と感動も知らないで、随分好き勝手言ってくれる。
「違いますよ!私が言いたかったのは不自然に見えるって事です。まるで無理矢理決めたみたいですよ!」
全然フォローになっていなかった。悪気は無いようなので許すが、いいかげんにして欲しい。
「あと話がそれるんですが、先輩昔キリシタン海岸を見ると死ぬ気が失せて困るといってましたよね?」
「ああ」
「それっておかしいですよ。だって先輩、自殺に深い理由ないんですよね? なら別に死ぬ気が失せたなら自殺を止めればいいだけの話しじゃないですか。何が困るというのです? というかそもそも何で理由も無いのに自殺を決めたんですか?」
「それは……」
「先輩、もしかして自殺することに使命感を感じたりしていませんか?」
「…………」
こいつは俺に説教でもするつもりなのだろうか。しかし 言われて見れば確かにその通りである。何故俺はこんなにも自殺がしたいんだろうか?
「はっきり言います。先輩、御神木の力は本物なんです」
「はあ?」
「先輩は今、御神木に殺されかけています」
ふざけている様子は無い、いたって真剣に言っているようだ。
「順番が逆なんですよ。御神木の願い事のせいで先輩は自殺願望を持ったんです」
「つまり自殺は俺の意思では無く、俺は本当に御神木に操られているということか?」
「はい、だから自殺についての言動に一貫性が無いんですよ」
前提条件として御神木の噂が真実でないと成立しない、酷い与太話だ。
「これはこの町の情報通しか知らない話しなんですがね、御神木の力は距離に比例するんですよ。つまり御神木に近い場所では願い事は叶いやすく、遠く離れた場所では叶い難くなるんです。心当たりありませんか?」
「無い……」
御神木から遠く離れたキリシタン海岸で死ぬ気が失せたことや、死に方を決めた時は御神木に手を触れていたことを思い出す。嫌な汗が体を這っていく。
「では一緒に町の外に出てみませんか?御神木から離れた町外に出た時、自殺願望はどうなるのかを調べるんです。これではっきりしますよ」
「……その必要は無い。最近家電を買いに町の外へ出たが、その間徹頭徹尾ずっと死にたかった」
「自殺するのに家電を買ったんですか?何故?」
「それは……死んだら金は使えないし……」
「家電も使えませんよ」
「……」
「やっぱり、先輩自身に死ぬ気は無いんですよ」
安心した目で俺の顔を見てくる。何故かその目を見ているうちに嫌な汗は止まっていた。綺麗な笑みを浮かべているが何がそんなに嬉しいのか俺には理解できなかった。
「って事で自殺はやめましょう先輩」
御神木の話の真偽は俺にはわからない。いや、多分偽だろう。俺の自殺を止めるために御神木をうまく利用してるだけな気がする。しかしもう自殺をする気にはなれなかった。万が一この話が真実だったらと考えると酷く死ぬ気が萎える。それに、俺の自殺に関する論理性の低さを御神木のせいにできるのは非常に好ましかった。
「……わかったよ自殺は止める」
「本当ですか!」
「でもさ、もし御神木の力が本当ならこんな簡単に自殺を止めるのは不自然じゃないか?ここから御神木はそこまで離れて無いぞ」
「それは簡単です!私彫ってきたんです!先輩が長生きしますようにって!」
満面の笑みでこいつは言う。満ち足りた表情だ。
「……お前は何故俺にそこまでする」
「そんなの友達なんだから当然でしょう?」
「友達?」
こいつは平然とした顔でそんなことを言う。まさか俺に友達がいるなんて夢にも思わなかった。
「そうです、世界で一番価値のあるものなんですよ」
こいつの半分ほど自画自賛な入ったセリフを聞きながら、俺は昔の事を思い出していた。俺は幼少期、御神木に「友達が欲しい」と彫ったのだ。昔から人付き合いが苦手で友達のいなかった俺は、あの海岸の絶景を友と眺めるのが夢だった。しかし現実は非情である。俺は過酷な現実を前に、藁にもすがる思いで願い事を彫ったのだ。今、十数年越しに願いが叶ったがこれも御神木の力なのだろうか。だとしたら些か遅すぎる。
「酒池肉林にすれば良かった」
「ちなみに御神木は邪悪な願い事は聞いてくれませんからね」
「俺の死は善良な物だったのか」
「殺意を神に委ねた所がポイント高いんでしょうね」
こいつはそういいながら楽しそうに笑う。今後はもう少し愛想よく接してもいいかもしれない。これから俺は長生きするらしいし、友達の一人ぐらいいたほうがいいだろう。神の依り代に御神木が必要なように、人間にも拠り所が必要なのだ。
「悪かったな」
「はい?」
俺は酷く一方的で自己満足な謝罪を述べる。ついでに名も知らぬ無法者にも謝っておこう。すまない、当分死ねそうにない。だが人間いつかは死ぬものだ、それで手打ちにして欲しい。
「なぁ」
俺の恥の多い人生はもう少し続く。切り札を切り損ねた俺が勝負に負けるのは明白だが悪い気はしない。賭け事とは基本そういう物なのだろう。楽しむ物であり勝つものでは無いのだ。俺はそんな事を考えながら唯一の友をキリシタン海岸に誘うのであった。