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エッセイ  作者: ロロサエ
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為さぬ善より為す偽善?

為さぬ善より為す偽善という言葉があります。

 私はこれを認めません。

 善は為せば良い。

 しかし偽善は為してはならないのです。


 為さない事が善であれば、それは為すべき事ではないのです。

 為さぬ善とは、為さない事が善なのです。

 為さないという行為を為しているのです。

 

 また反対に、偽善は為してはならないのです。

 偽善を悪と言い換えたら解りやすいかと思います。

 悪を為してはならないのです。

 

 偽善と悪は違うという意見もあるかもしれません。

 しかし、悪と解っている方が偽善よりもマシかもしれません。

 偽善を偽善と感じずに為す人は、際限がないからです。

 自分の行為を悪と解ってそれでも為す人は、限度というモノを理解しているかもしれないからです。

 まあ、これは昔の人が言った事ですけど。 


 偽善かもしれないけど、と悩みながら何かを行う場合は話が違います。

 常に己を省み、行いを正していく。

 偽善であると分かれば止める。

 浅慮であったかもしれないけれど、それに間違いはありません。

 為さぬ善より為す偽善などと言う、考える事を放棄した自己満足ではありません。


 例えば、震災の後を想定してみましょう。

 

 思い立ったが吉日とばかり、何の計画も伝手も準備もなく、闇雲に被災地に行って、ボランティア活動に従事しようとする。

 メディアで何度も指摘されていますが、これは迷惑以外の何物でもありません。

 ただの偽善です。

 誰かの役に立ちたい、という思いは素晴らしいですが、自分の勝手な思いだけでは、誰の役にも立てないのです。

 寧ろ、負担をかけるだけに終わるのです。

 その様な事を為すべきではないのです。

 

 また、例えばアフリカの飢えた子供達を救う為の募金活動です。


 この問題は難しい。

 個人的には、見殺しにするのが一番正しい姿勢だと思いますが、誰の共感も得られないでしょうかね?

 ある国で、その国の民に必要な食物が足りていない場合、当座は余所から買ってくる以外に解決法はありません。

 そのお金がなければ、国民は飢える他ありません。

 自給にしろ購入するにしろ、自国で食物を賄えなければ国民は飢えていくのです。

 日本は、足りない物は買えるだけの外貨を稼いでいるので、買えるのです。

 それが出来ない国は、残念ながら国民が多すぎるのです。

 若しくは稼ぎが足りないのです。

 自分達の稼ぎが少ないからと言って、飢えた子供達の食料を他国に頼るなど、その国の大人達が無責任なだけです。

 その国の大人達には、自国がそうである事の責任があるのです。

 

 子供達には罪が無い?

 

 その子供達も、10数年後には子供を生める様になるのです。

 下手に助けたら、待っているのは貧困の拡大再生産です。

 それに、大人になれば職も必要になります。

 でなければ食を手に入れられないからです。

 しかし、ただでさえ人口が多いのに、さらに若者が増えてどうなるのでしょう?

 不満は充満し、社会は不安定になっていきます。

 飢えた子供達を安易に救うと、待っているのは内戦かもしれません。

 更なる不幸が待っているだけかもしれません。


 正直、自分達の子供が満足に食べられない現状に、その国の大人は平気な顔をしているのに、関係ない我々が手を差し伸べる必要があるのでしょうか?

 内戦で? 国境紛争で? 過激派の活動が?

 それに武器を売っている、国連の常任理事国どもが諸悪の根源ではあるでしょうが、それにしても、です。

 というか、そんな状態の国に援助しても仕方無いですよね?

 援助して助けるから更なる難民を生み出している、とも言えますよね?

 

 死ねばいいと言っているのか、ですか?

 

 はっきり言えばその通りです。

 目にするから同情してしまう訳で、目を瞑ってしまえばいいのです。

 見て見ぬ振りをすればいいのです。

 ユニセフとかが募金を呼びかけますが、先にテメーらの給料を使って子供達を救えや! と無視すればいいのです。

 はっきり言えば彼ら国連職員の自己満足の為、ただでさえ莫大な国連負担金を支払っているのに、それ以上の寄付を要求する。

 だったらまず国連主導で争いを停止してみせろ、です。

 武器の輸出を止めさせろ、です。

 オメーらは先にやる事があるだろうが! と国連に言いたい。

  

 それは兎も角、遠いどこかで、どれだけ子供達が飢えて死んでいこうが、その国の大人達が無力だったり無気力だったりするのですから、我々にどうこうできる訳もないのです。

 目にしたら辛くなるのなら、目を瞑ればいいのです。

 悲鳴が聞こえるのが苦しいのなら、耳を塞げばいいのです。

 自分達で何とかしようと思ってもいない連中に、どれだけ手を尽くそうが無駄なのです。

 というより依存心を誘発して、寧ろ良くないのです。  

 困ったら誰かが手を差し伸べてくれる、と思ってもらっては困るのです。


 アフリカの国境紛争の原因は、欧州各国の勝手な国境策定ではあります。

 武器を売るのも彼らです。

 彼らが己の過去を反省し、アフリカの問題に率先して取り組むべきではあります。

 まあ、する訳も無いですか。 


 そんな事では資源確保に乗り遅れる、ですか?


 これは難しい問題です。

 心情的には欧州各国が中東でもアフリカでも、難民を全て受け入れろ、と思いますが、それで資源獲得競争に負けては一大事ですね。

 非常に難しい問題です。

 資源を確保する為には人道支援も必要、なら、税金だけで国民からの寄付なんて必要ないよね、とも思いますが……

 とはいえ、日本国内に手を差し伸べるべき人々が大勢いるのに、見も知らぬ人間を助けに行くのは偽善だと思います。

 

 情けは人の為ならず


 巡り巡って自分に返って来るのだから、人には情けをかけよう。

 確かに一理ありますが、それで人が駄目になってしまっては本末転倒です。

 誰かが助けてくれるから、とその人が思う様になっては宜しくない。

 誰かが自分を助けて当然、なんて勘違いされては堪りません。

 助け合いの精神は大切ですが、まず自分の足で立てなければ、人を助ける事も出来ないのですから。


 アナタの好意によって、その人が依存心を持ってしまう様な事はしない方が良い。

 でも、そんなの事前にはわからないから難しいですね。

 

 少なくとも、為さぬ善より為す偽善とのたまう人は、思考の放棄という印象がありますから、その行為が本当に役に立っているのか検証する事などなさそうです。

 為さないのが善であれば、それをするのは止めましょう。

 

 転んだ幼子に、可哀想だと毎回起こしてあげていたら、自分で立ち上がれない子になってしまいます。

 困難な状況に打ち克てない大人に育ってしまいます。

 駆け寄りたい心をグッと我慢して、その子の成長の為、為さない善を実行するべきです。

 

 最後に、私は寄付を否定しているわけではありません。

 でも、ユニセフとかWHOとかに寄付するのは、何か違う気がするんです。

 そんな国連機関をなくして、浮いたお金をその国の機関に直接手渡す方が効率的ですから。

 どうせ中抜きされて、満足な援助はされませんよ。

 その機関の職員に経営手腕は無いでしょうよ。

 でも、そうでなければいつまで経っても変わらないではありませんか。

 テメーの国はテメーでどうにかしないと、いつまで経っても同じではないですか。


 中抜きが酷くて支援を必要としている人にまで届かない?

 そんな国には二度と支援しなければいいのです。

 改善策にそって改善しない機関にはペナルティーを科せば良い。

 お金を出す方が偉いのです。

 文句を言う国には支援しなければいい。


 それでは救えない命が発生する?

 知りませんよ、そんな事まで。

 お前等の国の問題だろうと。

 近くの国の事ですが、核ミサイルを開発するお金のある国に、川が氾濫したからといって、どうして人道支援が必要なのでしょう?

 ふざけるな、と。

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[良い点] 私も見殺し派です。
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