神の存在を信じる必要がありません。
神の存在を考える際、一番の問題点は悪魔の証明は出来ない、という事です。
神などいない派は、証明のしようがない。
神はいる派の場合、我々にはわからないけど、とか言って逃げられるので、議論になりません。
神の存在を信じている人達は、神がいないと言うなら、人間を、この世界を作ったのは誰なの? とか尋ねてくるから困りモノです。
否定派にとっては、そんなん知らんがな、としか言い様がありませんから。
因みに私はどうでもいい派です。
卑怯? どっちつかず?
いえ、神の存在を考える際は、これが一番正しい態度だと思うのです。
まずもって事実を考えてみましょうか。
神は存在するかしないか、二つに一つです。
事実は誠にもって単純です。
その二択以外にありえません。
神は確かに存在するか、そうでなければ存在しないのです。
いてもわからないのなら意味がないでしょ?
さて、それぞれのケースについて考えてみましょう。
まず、神は存在しない場合です。
神は存在しません。
この世界を作ったのは神ではありません。
ビッグバンから始まったのかは分かりませんが、その時から空間と時間が生まれ、宇宙が誕生し、銀河系が出来上がり、太陽が活動を始め、地球が出来、偶然か必然か生命が海で生まれましたそうです。
様々な種が進化と絶滅を繰り返し、やがて陸上に上がり、繁栄を続け、遂には人類の誕生を向かえ、今日に至る訳です。
神はいないのですから、生命が勝手に発生し、進化し、人類が生まれたのです。
何か不都合がありますかね?
神はいないのですから、人類が生まれ、進化したのは偶然です。
偶然という言葉が嫌いな人には必然と言い換えてもいいですよ。
偶然にしろ必然にしろ、我々がこうして存在しているのですから、神の存在などどうでもいいではありませんか。
今、この目の前の現実が全てですから。
神はいなくてもこの現実は消えないのですから、多分。
まさか、どこかの誰かが、「とうとう神の不在に気づいたか、残念だがこの世界には消滅してもらおう!」なんてファンタジーな展開にはならないでしょう?
それに、神がいないからと言って、アナタの生活に何か変化がありますか?
ああそうか、神様はいないから、犯罪を犯してもいいじゃん! となるのですか?
殺そうが犯そうが盗もうが、神の罰がないのだから、やってしまえ! となる人なんて、キリスト教圏の外国ならばいざ知らず、この日本でいますかね?
やったところで警察に捕まって終わりですよね?
警察の人だって、神はいないからもう仕事しない! と職務放棄をしますかね?
神がいないから犯罪を犯した?
元からいないんですよ!
結局、神がいない所で何も変わりません。
ですから、いない者を信じても仕方ありません。
神はいないのですから、どれだけ信じた所で神の救いなど有りはしないのです。
では、もう一つ、神は存在する場合を考えてみましょう。
神は存在します。
もうしっかり存在してます。
存在しているったら存在してます。
誰が何と言おうと、存在しているのです。
で? それが何か?
神は存在しているのですよ。
もう信じる必要はないですよね?
しっかり存在しているのに、その存在を信じるって、馬鹿ですよね?
それともあれですか?
存在しているか自分には分からないから信じる、ですか?
ですから言ってますよね?
アナタには分からなくても神は存在しているって。
神は確かに存在しているのに、自分にはわからないから信じるっておかしくないですか?
だから神を信じる必要はないのですよ。
神は存在しているのですから、後は実践あるのみです。
ウダウダ御託を述べる必要はありません。
神の言葉を実践あるのみです。
言い訳するな、ですね。
全知全能の神はいるのですから、全てを知っているのですよ。
神の言葉の実践というけれども人は弱いとか、勝手に言ってろ、ですね。
全知全能の神様がその弱い人間を作ったんでしょ?
だったら知りませんがな。
それと、神は存在しますが、それがどんな神かは分からないという重大な問題が残っています。
が、それは別の話なのでまたの機会にしたいと思います。
最後に私個人の意見ですが、神が存在しない場合でも今のまま変わらないですし、神がいた所で今の生活を変えるつもりはないのでやっぱり関係ないのです。
というか、神がいた所で、あれをしろこれをしろ、あれはするなこれはするな、の様な小うるさい神なんて勘弁です。
うるせー! テメーが作ったんなら信頼しろ! 好きにさせろ! ってなもんです。
それに、神はしっかり存在しているのに、神を冒涜している人も平気な顔で生きているので、関係ないですよね?