半世紀の記憶
土と砂利が敷き詰められた、死者と生者が交わる場所。
周囲には墓石が立ち並び、余計な人影も無く、物音と言えばセミの鳴き声しか聞こえない。
その中にスーツを着た一組の男女がいる。
思いつめた表情の男が一歩進むと、気圧されたように女が一歩下がる。
やがて女の背が木にぶつかり、それ以上下がれなくなると男が口を開いた。
「ここがお前の墓場だ」
何かを察するかのようにセミの鳴き声がその瞬間だけ止み、いやに鮮明に響いた。
女性は驚愕に目を見開いた。
*****
「ガー吉、あの人が今回のターゲットね」
オフィスビルから出てきた気弱そうな男――木下雪花――を見ながらそう言うと、喋るカラスが通学鞄から顔だけを出して頷いた。
「そうだガー。下調べも済んだし魔法を使って偽の記憶を植え付けるガー」
今度はどんな関係が良いかしらね。
木下雪花。二六才でIT企業勤務のサラリーマン。身長一六五cm。
名は体を表す……と言って良いのか、随分と大人しそうな男性だ。顔は悪く無い……いやむしろ整っていると言うか、少しだけ伸びた髪と相まって中性的だ。
(何よりメガネが良いわね)
スーツを着た中性的で気弱なメガネ男子なんて狙い過ぎじゃない?
就職を機に実家を出て1Kの安アパートで一人暮らし。と言っても実家まで車で約一時間くらいの距離だけど。ここは少し田舎だから車が無いと移動が大変。
「……従姉妹ね。妹じゃ関係が近すぎて面倒になりそう」
「友達じゃないガー? ああいう男が好みガー?」
「違うわよ何言ってるの」
学生とサラリーマンだと接触が難しい。すぐ警察が飛んできて色々と面倒だからよ。
従姉妹ということにしても流石に家にまでは行かない。魔法があるとは言っても怖いものは怖い。
「男は狼ガー?」
「あんたはもう黙ってなさい」
ガー吉の頭を鞄の中に押し込んでチャックを閉めた。
*****
「あの、すみません」
「はい? え、何?」
振り向いた雪花は相手が女学生だと分かると急にうろたえ始めた。
そりゃそうよね。普通学生がサラリーマンに話しかけることなんて無いし。
パパッと魔法をかけて記憶を操作してからすぐ離れて遠くから様子を伺う。
雪花が駐車場に向かい、車に乗った時点で電話を掛ける。携帯電話とかの情報はガー吉が教えてくれる。
(私も記憶覗けるから自分でできるんだけど……)
ガー吉が自称「使い魔ネットワーク」を使って、お師匠様の使い魔に未由紀の報告をするから好き勝手はできない。
ちなみにガー吉という名前は未由紀が付けた。嫌がっていたけど。
とにかく立場で言えばガー吉の方が上だ。使う魔法は許可が無いと使っちゃいけないことになっている。
「はい、もしもし?」
やっと出たわね。
「あっ、私です。未由紀です」
「……あー。叔父さんのところの? いやー懐かしい。知らない電話番号だから少し警戒しちゃったよ」
「携帯の番号が変わったからご報告です」
「あはは、メールで良いのに」
メールで文字を打つのが面倒なのよ。それにいざという時にメールじゃ魔法かけられないしね。
「それと、私明日そっちに行くので相手して貰えませんか?」
「ええ? まあ明日は土曜だし別に良いけど……叔父さんと叔母さんの許可は貰ってるの?」
しまった。そっちまでは対処してないから連絡させないようにしないと……やっぱり電話は便利ね。声だけで魔法をかけないといけないから少し魔力消費が激しいけど電話越しでもいけるし。
「はい。許可貰っています」
「それなら良いよ」
「あ、お父さん達からよろしくと言付かっています。連絡は不要だそうです。ではまた明日」
余計な話に発展する前に電話は終わらせる。
魔法で私を「良い子」と認識するようにしたから問題無い。
「今のは減点ガー」
鞄を見るとガー吉が顔を出していた。内側からどうやってチャック開けてるのよ。
「あら、あそこにお肉屋さんがあるわね」
「勘違いだったガー」
あとで銀行行かなきゃ。
*****
駅前で雪花と落ち合う。まずは打ち解ける必要があるし、デリケートな問題だから少し時間がかかりそうだ。
「久しぶり未由紀ちゃん」
(スーツじゃないのね……)
当然と言えば当然。サラリーマンと言えど休日にスーツは着ない。
(もっと繊細な服装のイメージなのにTシャツとジーンズ……)
少しアクティブなイメージになったけど、雪花は気まずそうにしている。どう接したら良いのか分からないんでしょうね。
まあそれは私もだけど私は年下。リードはお任せ。
「久しぶりです。えっと……従兄さん?」
「従兄さん……なんだろう……凄い違和感があるね。名前で良いよ」
「では雪花さんとお呼びします」
「うん、それでお願い。それと言葉遣いはそんな丁寧じゃなくて良いよ。普通にね」
雪花さんに兄弟はいない。今まで兄と呼ばれていないのに、突然兄と呼ばれるのはやはり違和感があったみたい。
それに普通に話していたけど雪花さんの叔父は関西だったはず……標準語で話していたけど、特に気にしていないようだしこのままで良いかしら。
コーヒーチェーン店に入って注文を済ませてから向かい合わせで席に座る。
さりげなくソファ側に座らせて貰えたし結構気が利くわね。遊び慣れているって言う感じじゃないし、単純に優しい人なのかも知れない。
「未由紀ちゃんは抹茶ラテなんだね。似合っていると言うか意外と言うか……」
「紅茶を頼むと思ってた?」
「少なくともコーヒーじゃ無いだろうなって思ってた。それにしても……なんでセーラー服なの?」
「……? 何か?」
未由紀が顔を傾げると雪花さんは頬を掻きながらきょろきょろと首を動かした。
「いや……その……何て言うか、周りが気になるって言うか……」
「ああ、気にしなくて良いわよ。雪花さんパッと見、大学生みたいだし」
「いやー、それ会社でも良く言われるんだよ。それでこの前……」
まずは相談を受ける程度には仲良くなる必要がある。
魔法を使えば一瞬だけどそれは反則。
「でね、僕も必死に謝ったんだけど相手がカンカンに怒って困っちゃった」
雪花さんがさっきから楽しませようと必死に話題を振っている。
よく考えたら年代も性別も違うから二人で話すなんて、かなり気を使ってるんでしょうね。
それにしもイノベーションだのマイグレーションだの専門用語を言われてもよく分からない。
適当に返事しているから良いけど。
「それは大変ね」
「そうなんだよ。DBが壊れちゃって……」
なんでDのことをDって呼ぶのかしら。年の差?
「そう言えば未由紀ちゃんの実家関西でしょ? そういう時、関西ではどう言うの?」
知らないわよそんなこと。
でも実家が関西なのに知らないなんて言うのは可笑しな話だ。
ただでさえ「標準語で話している」なんて違和感を感じさせちゃってるかも知れないし、あまり違和感を重ねると魔法が解けちゃうかも知れない。
(私の魔法はまだまだだしね……)
早く魔女として一人前になりたいけど先は長い。
「関西では……」
「関西では……?」
修行で関西にも何回か行っているから、どこかで聞いているはずだ。思い出せ……思い出せ……
「ちゃうねん」
「ちゃうねん? ああ、確かにそう言うよね。テレビとかで聞くことある」
「ええ、そうでしょ? もし困ったことがあったら言ってみると良いわ。これは失敗を無かったことにしてくれる『力ある』言葉なのよ」
「へぇ~、じゃあ会社で何かやらかしたら言ってみるよ」
「使いすぎには注意ね。効果が薄くなるから」
仕事でやらかした時、そんなこと言って本当に大丈夫かしら。
*****
それから休日や会社帰りに何度か雪花さんと会って話をした。中々本題に進まなくてやきもきしたけど、やっと自分から話し始めた。
井上香良乃。
この人が今回のキーマン。雪花さんの会社の二つ上の先輩で……雪花さんの恋人。
「そう……じゃあ、彼女を仕留めるのね」
「そんな……仕留めるだなんて……。いや、そうだね……僕の人生がかかってるんだ……そうしなきゃ僕は前に進めない」
確実に仕留める――雪花の瞳に決意の炎が灯されている。
「もう決行日は決めてある。次の土曜日……彼女の……誕生日」
「そう……上手く行くと良いわね」
「う、上手く行くかな……プロポーズ……」
真剣な表情だけど、どこか弱々しい。本当に上手く行くのか心配になってしまう。
「どこか頼りないのよね。優しいところは長所だけど荒々しさも必要よ。たまには男らしいところを見せた方が香良乃さんも安心するんじゃないかしら?」
「うん……僕もそう思うんだけど……あはは」
誤魔化す様に苦笑いをする雪花さん。
そんなこと私に言われるまでも無く、自分で分かっているって感じだ。
「僕の名前、ちょっと特殊でしょ? しかも男なのに雪花って……知ってる? 雪花って雪の結晶のことなんだよ。どうせなら剛士とかそう言う名前だったら良かったのに……」
「名前のせいにしちゃダメよ。名前で得することも損することもあるでしょうけど……でも香良乃さんがその名前を好きだって言ってくれたのなら自信持たないと」
少しは分かる。私も自分の名前がトメとかフネとかだったら性格が変わっていたかも知れないしね。
「うん……そうだよね」
「プロポーズくらいはガツンと行けば、頼りになりますってアピールにもなるわよ?」
私にはよく分からないけど、多分そんなものだろう。少なくともそういう一面もありますって知ってもらうのは良いことだと思うし。
「雪花さんにこの花をあげるわ」
手渡したのは雪の結晶のような形をした真っ白な花。
「これは……エーデルワイス?」
「花薄雪草とも言うのよ。雪と花……雪花さんにピッタリでしょ?」
「うん、綺麗だね。ありがとう……」
可憐な花だ。男らしさは感じられない。雪花さんはエーデルワイスを見ながら少し苦笑していた。
「勘違いしているようね。エーデルワイスの花言葉は『勇気』」
ハッとしたように雪花さんが顔を上げた。「この花が……勇気?」と再びエーデルワイスに視線を戻す。
「ところでプロポーズってどんなシチュエーションでするの?」
雪花さんは乙女なところもあるから、変に凝ったものにして失敗しないようにアドバイスしておきたい。
「それは……秘密だよ。でも大丈夫、きっと上手くいく……いかせる」
「そう……分かったわ。頑張ってね」
まさかホテルの明かりで「結婚しよう」って文字を作ったり、遊園地のど真ん中でエキストラ使って劇みたいにプロポーズをしたりはしないと思う。
雪花さんはエーデルワイスをずっと見ていた。
*****
土と砂利が敷き詰められた、死者と生者が交わる場所。
周囲には墓石が立ち並び、余計な人影も無く、物音と言えばセミの鳴き声しか聞こえない。
先祖代々の墓の前まで歩いてから香良乃先輩……香良乃さんに向き直ると、緊張が伝わったのか香良乃さんも表情を硬くして墓石に目を向けている。
「木下って……雪花のお家のお墓? どうしたの? お墓参り?」
香良乃さんの声が耳を素通りしていく。代わりに頭の中で響いているのは未由紀の言葉。
――たまには男らしいところを見せた方が香良乃さんも安心するんじゃないかしら?
――頼りになりますってアピールにもなるわよ?
(そうだ……ここは力強く行くべきだ。僕だって男なんだ。ここ一番は……)
「ねえ、雪花? どうしたの?」
引っ張っていけるだけの男だと分かって貰わなくちゃいけない!
黙ったまま一歩足を踏み出すと香良乃さんが怪訝な顔をして後ずさる。
(……逃げないでください! いや違う。逃げ……逃げるな! もっと強い言葉で……)
なんと言えば男らしく頼りになる言葉になるんだろう?
頭の中が真っ白になって「言わなきゃ」「言わなきゃ」と考えが纏まらない。
(僕と同じお墓に入ってください!)
違う違う! これじゃ男らしくない! もっと……もっと力強い言葉で!
やがて香良乃さんの背中が木に当たって、それ以上後ろに下がれなくなって――
*****
「ここがお前の墓場だ」
香良乃さんが驚愕に目を見開いた。
そして雪花さんも驚愕に目を見開いていた。
(なんで雪花さんまで驚いてるのよ)
二人の位置が見える少し離れた木の上で、とんがり帽子を被った未由紀が太い枝に座っていた。
(それじゃ意味が変わっちゃうでしょ。今なら間に合うから早く訂正して)
未由紀の祈りが通じたのか雪花さんの口が動いた。
「……ちゃうねん」
「…………」
空気が白い!
なんで私が恥ずかしくなるのよ!
しかし雪花さんは固まったままだった。自分でやらかしたって分かっているんだ。
香良乃さんの冷めた表情を見るとちょっぴり切なくなる。
「……どういう意味?」
「ちゃう……違う! これは違うんです!」
「へー……ここが私の墓場なんだー」
「だから違うんですって! いやそうなんですけど、本当違うんです!」
浮気がバレた亭主の様に「違う」を連呼しているけど、香良乃さんの唇の端が少しだけ上がっている。
ガー吉も今は二人のことを注視しているし、少しくらい魔法使ってもバレないだろう。
(香良乃さんのこの心模様は……なんだ上手く行きそうじゃない)
てっきり失敗したかと思ったけど、香良乃さんも雪花さんのことを良く分かっているみたいだし、揶揄っているだけのようだ。
「今魔法使ったガー?」
おっと……相変わらず目敏いわね。
髪を耳に掛けながらガー吉を横目で見る。もちろん余裕を持った不敵な目だ。
「使うわけ無いでしょ? 上手く行ってるんだし」
「心に関わる魔法はまだ未由紀には早いガー」
「はいはい、分かってるわよ」
未由紀の眼下では香良乃さんが怒っていて、雪花さんがずっと謝りながら「違うんです!」と叫んでいる。
いつまでやってるのかしらあの二人。
「少しだけ雪花が恰好良く見えたガー」
ガー吉もよく分かんないわね。あれのどこが恰好良かったのかしら? それにしても――
「そもそも墓場でプロポーズって……やっぱりよく分からないわ」
「雪花は当分言われ続けるガー」
「そうね……多分一生言われ続けるでしょうね」
一緒に過ごして年を取って、老人になっても言われ続けるに違いない。
それはそれで素敵なことじゃない? その頃には雪花さんは「違う」じゃなくて「もう許してくれ」に変わっているかも知れないけど。
「エーデルワイスの花言葉通りになったガー」
「あら、どういう意味?」
確かに雪花さんは勇気を振り絞ったようだけど、今の状況にはそぐわない。
「エーデルワイスの花言葉のもう一つの意味は『大切な思い出』ガー。未由紀も覚えておくガー」
「へえ……」
きっとあの二人にとって五〇年経っても忘れられることの無い大切な思い出になるだろう。
なるわよね? うん、きっとなる。
指をパチンと鳴らすと座っていた木の枝が箒に変わる。
「違うんですー!」という雪花の叫び声と共に未由紀は空に消えた。