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天使と恋をして  作者: 翔闇
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告白

この先は執筆中です

 十月の半ば、私立遠野高校の文化祭は異様なまでの盛況を見せていた。俺の通うこの高校は千葉の山間、松戸から私鉄で三駅ほど東の方角に進んだ先にある。最寄駅からは歩いて十五分ほどだ。後方には山、前方には広大な墓地がある。毎年八月の夏休みに、規模の大きな肝試し大会が行われるような場所だ。近くに明かりを燈す建物が少ないため、日没後はそれなりに暗い。肝試しみたいなイベントの格好の舞台となるのにはこうした背景があるのだろう。いつかバチが当たるのではないだろうか。もとより、「学校」と「墓場」が掛け合わさっている時点で、縁起の良い土地とは対極にあるようなものだ。


 そんな遠野高校の文化祭、通称「エイヤ祭」は地元では少し有名だ。毎年一年生が開く屋台は総じてレベルが高く、二学年全員での劇も「ヘタな劇団よりも上手」と定評を頂いている。(これ褒められてるのか?)そして何よりもこの「エイヤ祭」を盛り上げているのは、3年生主体で行われる「エイヤ音頭」と呼ばれるものだった。学校創立から代々語り継がれるこの行事は、大多数の高校で行う後夜祭の代わりとして、文化祭最終日の夜七時から始まる。中身はただ古臭い音頭を踊るだけ。だが一般市民の参加が可能であるためか、昔から地元民から人気があるのは確かだった。

「いつにも増して、今年はスゴイ人だな」

 通りすがりの、エンブレムから三年生らしき二人組の会話が聴こえた。

「あれだろ、一年のとう…何とかって子が立案した…」

「『エイヤ祭カップル大作戦』だろ。よくあんなの生徒会で通ったよな」

 うちの生徒会は学校行事一般について全権限を所有している。生徒主体の学校を目指してそうしたらしいが、近年は先生が良いようにこき使われている場面が多く見受けられていて、これではいつか、学内でペレストロイカでも起こるのではないだろうかと密かに噂されている。

「まぁ、盛り上がってくれるに越したことはないんだけどな」

「じゃあお前、誰かに告れば?」

「いやいやいや、勘弁してよ。あんな見世物になるなんて俺は御免だ」

 二人が遠ざかって、会話は途中で聴こえなくなった。

 俺、夢路ゆめじわたるは校庭の校舎側をとぼとぼと歩いていた。ふと校庭に目を向けると、大勢の人で土のグラウンドがごった返していた。校舎の屋上からのライトが、薄暗い学校全体を控えめに照らす。トラックの中心には大きな和太鼓が置かれ、その前に校舎を正面に向けた特設ステージが建ててあった。


 あの『エイヤ祭カップル大作戦』のためだけに建てられたステージ。この企画は今年初めてやる試みだった。まぁ簡単に言ってしまえば、所属生徒や一般市民等含めた来校者全員参加の告白大会である。

 あの、どデカいステージで…。正直言って、絶対にそんなことやりたくないと思った。さっきの三年生と同意見だ。そう、やりたくないのだが…。

「あー!いたいた。夢路発見!」

 ステージの方から明るく澄んだ声が聞こえた。

 俺は深い溜息をついて声のした方向に顔を向けた。少し茶色がかった髪を無造作に肩までたらし、遠野高校の制服に身を包んだ少女、櫛枝くしえだいおり。俺と同じ一年C組で、1年ながらも演劇部の部長を務める。さらにはやや丸みを帯びた可愛らしい顔立ちであるため、学校屈指の美少女かつ演技の異才として、学内で知らない者はいない。

 その彼女が、俺をめがけて駆け寄ってくる。

 まるで、古風なメロドラマの一シーンのよう…。

 なんて思ったのも束の間。櫛枝は目の前まで来ると不意に身体を一回転させ、脚を振り上げた。スカートの中の可愛い熊のパンツが見えたかと思うと、その脚が俺の溝を正確に捉えていた。

「どっせーい!ローリング・ソバットーー!!」

「うごほっ!」

 身構える暇もなく喰らった鋭い一撃に、声にならない奇音を発してうずくまる。

「どうよ、私の渾身の技は。効いただろ?最近覚えたんだ。もう一発、いっとく?」

 彼女は勝ち誇ったように片手を腰に当て、空いた手で親指を立てる。

 美少女や演技の異才などといくら騒がれようとも、この破天荒な性格のためか彼女には彼氏がいたことがないそうだ(櫛枝友人調べ)。あと、熊のパンツてのもどうなのよ?それも彼氏がいないことに起因するのか?是非明らかにせねば…。

 そんなくだらない妄想をしてはいるが、一男子としては仕方がないうんぬん…。けれどお腹がもの凄く痛いのも事実であり、俺の怒りはやっと向ける矢印を定めたようだった。

「おっま、マジでいてーじゃねーか!何が『もう一発、いっとく?』だ。かわいくねーんだよ、この暴力女!!」

 ピクッと櫛枝の眉が動く。

 黒いオーラが彼女を取り巻く。

 何だ何だと今の騒ぎに周りが集まってくる。

 この際だ。俺は構わず続けた。

「大体、俺は前々から出ないって言ってるだろ!見ろ、この大騒ぎに人が集まって来ちまったじゃねーか!」

 そう、彼女はエイヤ祭の一週間前あたりから、この俺に例の『エイヤ祭カップル大作戦』への出場をせがんでいたのだ。どうしても俺に、トップバッターをきって欲しいと言う。相手は、俺の小さい頃からの幼馴染で櫛枝の親友、藤條とうじょう由乃ゆの。俺が最近、櫛枝から気になる子を訊かれたときに出した名前。櫛枝は、とんだおせっかいでもあるのだ。

 そして、彼女の真の狙いも分かってる。告白の成功率の極めて高いカップルを初めに出すことで、その場に勇気を与えたいのだろう。その点で、俺と藤條はもってこいだ。なぜなら藤條の気持ちは、既に櫛枝が聞き出していたから…。


 そこでふと、櫛枝が俺の暴言にまだ反応してないことに気付いた。いつもなら、とっくに何かしら反撃を浴びてるはずなのに、だ。

 それで、彼女が黙っているのをいいことに俺はついつい調子に乗ってしまう。

「てゆーかおまえ、さっきの技かけてきたときパンツ丸見えだったぞ。熊の模様って…。もうちょっと大人っぽいやつにしとけばいいものを…。そんなんだから彼氏できないんじゃないの?」

 言った。言ってやった。櫛枝が激怒するNGワード第一位、『彼氏』(櫛枝友人調べ)。見る見るうちに、彼女を取り巻く黒いオーラが密度を増していく……はずなのだが。あれ?ちょっと、聞いてないんですか櫛枝さん?

 言いたい放題文句を発したから、さすがに櫛枝に殴られるのを覚悟していたのに…。勘違いしないでもらいたいが、俺は断じてMじゃない!!来るべきものが来ないから、少々困惑してるだけだ。

 その彼女は俺を無視してクルリと周囲を一瞥し、ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた。一体、今あいつは何を考えているんだ…?背中に冷たいモノが走る。

 櫛枝はスッと、制服のポケットから黒いものを取り出した。嫌な予感がする。殴られるよりも大きなダメージを喰らわせる何かが起こる気がした。徐々に、それの形態がはっきりするにつれ予感が確信に変わっていく。まさか…!

「おい、櫛枝まっ……」

 静止する間も無く、彼女は手中にマイクを握り締めて高々と叫んだ。

「レディース&ジェントルマン!どーもお集まりいただき、今日はありがとうございまーす。いきなりではありますが、これから『エイヤ祭カップル大作戦』、特別ステージをここに開設いたしまーす!」

 櫛枝の可憐な声が、校内に響き渡る。それを聞いて、先ほどの何倍もの見物客がものの見事に集結していた。

 まずい。これは非常に、まずい!こいつ強引に俺をあの舞台に連れ出そうとしている!!

「主役はこの人!成績は中の下、運動神経いまいち、性格はネジのように捻くれまくっている…我が遠野高校一年C組、出席番号二八番、夢路ー渡君でーす!!」

 …最高の罵り言葉、ありがとう……。

 身体の力が、風船のようにしぼんでいくのが分かる。半ば俺は諦めムードに入っていた。観客と化した周囲の人々が、俺を凝視しているのを肌で感じる。

 そんな状態の俺をよそに、櫛枝の演出に場が、空気が、ボルテージが一気に沸点まで駆け上がる。ここまで上手く一つの空間を操れるのは、彼女の才能だと思う。ただただ感服するばかり…。てか感服してる場合じゃない!

「夢路……」

 いつの間にか俺のまん前に来ていた櫛枝の吐息がかかった。彼女に苗字を呼ばれただけなのに、心臓を鷲掴みにされ思考が一時停止する。これは演劇の賜物?それとも、元から備わる天性………?

「心配すんな。百パー成功だって。この、アタシが言うんだから間違いない。ちゃんと本人にも確認済みなんだから」

 知ってるよ。偶然聞き出すとこに居合わせちゃったし。だからこそ…。

 俺の沈黙を自己不審と見たのか、彼女は励ますみたいな優しい笑みを浮かべた。

「君ならできる!さっきは欠点ばっかああやって口にしたけど、君がいい奴だってことはアタシが保証する。じゃなきゃ、わざわざ親友を手放したりしないよ!!」


 実際、逃げてもよかった。この場から逃げ出して、うやむやに終わらせることもできたと思う。後でどんなにチキンだの臆病者だのと言われようとも、ほっといて噂の熱が冷めるのを待てばいいだけだから。だけど…。


 だけどそんなこと今おまえに言われたら、そんな風に真剣な眼差しを向けてくるなら。俺だって真剣に答えるしかないじゃないか。正直な心の内を、明かすしかないじゃないか。何より、これからも事実を隠し続ける自信が俺には、ない。

 俺は大きく息を吸って、小さな声で呟く。


(『我、価値を享楽の共有に求めんとする者なり。さらば汝、我を動かす勇気をしばし与えたまえ』)



 いつだったか、櫛枝と二人で帰宅する機会があった。湿気の多い季節だったから、六月頃だっただろうか。そうだ。その日もジトッとした雨が降っていた。

 なぜ、彼女と二人きりだったのか、どんな話をしたのかはもうほとんど思い出せない。でもこの台詞にまつわる会話だけは、俺の頭の中に強く印象付けられていた。


『アタシって、あんだけ演劇の異才だとか周りから噂されるけどさ、実は極度の緊張症なんだよ』

 フラッシュバックした記憶のなかで、彼女がちょんと下を向く。傘がお互い触れ合うような距離感で、俺と櫛枝は並んで湿ったアスファルトの路を歩いていたと思う。

『そうなの?俺にはそう見えないけど』

 不思議そうに尋ねる俺。すると彼女は困ったみたいな顔を見せて言った。

『いつも一生懸命隠してるんだよ。演劇・・異才・・を演技することでね』

 …………えーっと……。

 それはつまり…、自分に自分の理想の姿を貼り付け、さらに演じる役柄を上乗せしている…みたいな感じか?

 俺がそんな風に頭で整理して述べると、櫛枝は一瞬意外そうに目を見開いた後、

『上手いことを言うね。…うん、そんなところかな』

 などと感心した様子で頷いていた。

 道路を踏みしめる足音と雨音がリズミカルに調和している。一歩一歩彼女と歩幅を合わせて進むたびに、その心地よさが身に染みた。

 それから二人とも無言のままで、俺は暫くその心情を噛み締めていた。彼女は正面を向いた状態で、何か考え込んでいる面持ちをしていた。

 櫛枝は無敵な存在…。俺はこのときまでそんな風に彼女を認識していたが、僅かな隙間から垣間見た彼女の姿はとても儚い一人の少女なのだった。

 そんな櫛枝を眺めていた次の瞬間、ばっと振り返った彼女は儚げな顔でこんなことを言い出したのだ。

『でも、それでも自分をカバーしきれないときってのが、少なからずあるんだよ。そん な時、アタシはちょっとした呪文を唱えるんだ』

『呪文?どんな?』

 そう言った俺に、特別だよと言って教えてくれたのがさっきの言葉だった。訊けばまだ彼女が小学生だった頃、死んだおばぁちゃんから聞かされた昔話の台詞の一部だという。不思議と力が沸いてくるのだと、櫛枝は興奮気味に話していた。

 その会話の断片から、彼女はよほどおばぁちゃんが好きだったんだなと容易に想像できた。


 ―思えば、あのときかもしれない、俺が櫛枝に惹かれ始めたのは―



 秘密の共有とは奇妙なものだ。あの秘密を櫛枝と共有した途端、俺の胸の内側にある彼女の像が変様していくのがわかった。普段さらすことのない、秘めた姿を目撃したならば、それ自体が秘密の共有となってしまう。出逢った秘密は問答無用でそれぞれの関係を進める。その行き着く先が親友であれ恋人であれ、はたまた敵であれ絶交関係であれ、流れに逆らうことは不可能になってしまうのだ。そう考えると、俺が櫛枝に興味を抱いたのは必然だったと言える。きっかけは変えられない。だけどそのきっかけから生まれた感情を、どう成長させていくかは自分次第だと思う。

 結果的に俺は、櫛枝庵に恋をした。

 でも俺はずっと、この感情を隠してきた。気持ちに気付いた時点で告白する勇気は俺にはなかったし、実は一つ引っかかってることがあったからだ。

 櫛枝への恋心を自覚したあの日以降、俺はある種の既視感に幾度と無く襲われた。記憶の中で、何かが俺の脳を引っ掻き回している、そんな感覚。

 今でもその感覚は、嫌というほど俺に降りかかる。あのときの台詞を、彼女を思い出す度、常に脳内に響く残滓がもう一つ存在するのだ。

 ぼやけた姿の、顔の浮かばない蒼いワンピースの女の子…。

 果たしてそれが誰なのか。いくら記憶を辿っても一向に見つからなかった。もしかしたらただ単に、櫛枝のワンピース姿に俺は覚えがあってそれが枝分かれになって脳味噌に焼きついてしまっただけかもしれない。―きっとそうなのだ。

 俺はいつからか、そう思い込むようになっていた。



 文化祭中のこの危機的状況であっても、その事実は変わらないようだった。

 自分の頭をコツンとグーで軽く叩く。勇気をもらうために、俺はあの呪文を唱えたんだ。精神をジャミングするようなら唱えなければよかったと、多少後悔しかけたが、その余計なノイズのおかげでいくらか冷静になることができた。

「夢路…?」

 暫く俺が何も言わなかったので、櫛枝が心配そうに俺の目を覗きこむ。俺は返答代わりに彼女の方にに向き直った。

「あのさ、……」



 ¦そして俺は、彼女の涙を見ることとなる……。

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