8-6 前言撤回
奴隷の焼き印が熱く燃える。
主を守れ、という命令を順守させるべく苦痛を生じさせる。
アニッシュを握力にて握り潰さんと伸ばされた長腕。手はリンゴどころかスイカだって砕ける大きさを有している。
俺はその長腕へと跳びついた。関節部に短刀をこじ入れて、刃先をグリグリと回す。黄色い血管が浮き出る筋肉が剥き出しの肌の『守』は高くない。アルミ缶をフォークで突き刺しているような感覚が手元に伝わっているが、刃は刺さっている。
ヘモグロビンが墨く変色した、粘度の高い血が流れた。
血臭ではなく腐敗の汚臭が周囲に広がる。
“GGaGaAAGAGGAGAッ!!”
痛覚を刺激された化物は叫び上げる。第一目標をアニッシュから俺に変更して、長い腕を鞭のようにスナップさせて俺を振り落とす。
足底を滑らせながら無事着地できた俺を、四足で轢き殺さんと化物は突進を開始していた。戦場における騎兵突撃と同種の攻撃だ。馬の巨体の重量が一点に集まった蹄は、容易に人体を蹴り潰す。
直線的な機動であるものの、直線的な地下通路では回避場所が限られる。
それでも俺一人なら『暗影』で最大七メートルを一気に移動できるのだが、後方ではまだアニッシュがもたついている。
「広場まで走り抜けろッ!」
化物と対峙していた体を反転させて疾走。直ぐにアニッシュの背中に追い付き、アニッシュの背中を押して物理的に急かす。
ダンジョンの階段には広場が併設されている。俺達はどうにか広場へと一歩踏み入れると、二人そろって転倒後の受け身を考えない横っ飛びを行う。一瞬遅れて、暴力的な気配が背後を走り抜けていった。
薄暗い第九層では比較的明るい階段下の広場。
皮膚のない化物が両腕を広げて、開放感を味わっている。
“GaGa、GaAAAAAGAAッ!!”
発音できていない叫び声を上げている見た目通りの化物。アニッシュいわく、あいつも魔王の一体であるという。凶暴性を強調した外見は確かに魔王として相応しい。
怨嗟魔王という呼ぶに相応しく、呪わしい叫び声を上げていた。
“GaGaGAAッ!! 痛IIッ! 苦SIッ! A、GAGAGa”
一応、単語も発音できるようだが、意思疎通を目的としていないため意味を成していない。
吸血魔王と比較すれば明らかにパワー型のモンスターであるのは間違いない。一方で防御が薄いので戦えそうな相手ではあるのだが、事前情報のない魔王と戦おうなどとは思えなかった。
“GaaAGAッ――熱波、沸騰、血壊域!”
「なッ! こんな奴が魔法を使うのか!?」
いきなり読みが一部外れる。
ただのパワー型だと思っていたのに、怨嗟魔王は三節の魔法詠唱を行った。『魔』の塊が怨嗟魔王から放出された後、広範囲に拡散していく。
突如、息苦しくなる呼吸。無意識に吸い込んだ空気を吐こうとしてえづく。口を押させて咳込むと、手の平に血が混じった痰が付着していた。
呼吸器系だけが異常をきたしている訳ではない。異常な発汗、手足の震え、眩暈が一挙に体へと襲いかかる。
体が熱いのだ。
震える腕を押さえ込んで悟る。血が血管内で暴れまわり、沸騰しかけている。
同じ症状で倒れ込む俺達三人。確実に怨嗟魔王の魔法効果によるステータス異常と知れたので、魔法の効果範囲外へと逃れなければならない。
「アニッシュ、スズナ。『動けるか』?」
『あ、が。だめ、が』
『クッ。この責め苦の中、お前は、どうして動ける』
「エルフに矢攻めにされるぐらいには痛いぞ」
『暗影』スキルで他人も運べれば苦労はなかったが、できない事を言っても仕方がない。針山を歩いているような苦痛を味わいながらも、俺は二人の脚を引っ張って数メートルを歩き切った。
「はぁはぁ、どうして魔王は攻撃してこない?」
たった数メートル歩くのに一分はかかったはずであるが、その間攻撃はなかった。
後ろを振り向いて、怨嗟魔王の様子を確認すると……三十メートルほど先で顔を両手で押さえて悶絶している姿が見受けられる。
“Gaa、痛IIッ! 苦SIッ!”
「あいつ、自分の魔法で苦しんでいるのか??」
“辛Iッ、生HA辛IIッ――絶叫、振動、復讐、波動叫!”
苦悶の最中、思い出したかのように怨嗟魔王は四節魔法を叫び終える。
甲高い金切り声のような高周波が怨嗟魔王の口元で収束されていくと、一瞬の静寂を置いてから解放される。
それは高周波の大砲だった。目には見えない大気の振動が、物理的な大破壊をもたらしている。
迷宮の天井や床が振動に耐えかね、ブロックステーキのように粉砕して崩落した。
四節魔法の振動波は、階段下の広場の端まで到達しても威力は減衰しなかった。壁に蜘蛛の巣のような亀裂が生じ、新たな地下道が誕生してしまう。
射程百メートル以上。幅五、六メートルの破壊の痕跡。
怨嗟魔王が痛がらず正確に狙いを定めていたなら、魔法が直撃により俺達も肉の断片と化していた事だろう。
「無茶苦茶な魔王め。隙だらけの癖に、威力ばかり高くて」
魔法が命中しなかった事に腹を立てたのか、怨嗟魔王は床を殴って破壊している。憂さ晴らしが晴れるまで、多少の猶予を得る。
「広域魔法が得意な魔王なら、俺一人で戦って二人を逃がすべきか?」
アニッシュとスズナは贔屓目に見てもお荷物にしかなっていない。
第八層へと続く階段までは五十メートルの距離だ。俺が怨嗟魔王を引き付けている間に二人を先行、俺も後から続くのがベストなように思える。というか、全員で生き残るにはそれしかない。
俺は最善策を提案しようと二人の目を見る。
……何故か不自然に、スズナが視線を逸らせた。
「スズナ? 俺が奴の注意を引き付けるから――」
『ああ、キョウチョウが魔王を引き付けろ』
「――二人は先に階段を上がって――」
『キョウチョウは……死ぬまで、あの魔王と戦え。若様と私を確実に逃がせよ』
「――――なっ、え?」
反論は許されなかった。スズナは奴隷の焼き鏝の効果を使って、俺を命令したのである。
淡々と死を命じたスズナは皮膚を切除した方の足で片足跳びを行い、正常に歩ける事を確かめている。
『怨嗟魔王は執念深さで知られる。誰かが残らねば、上の階層まで追ってくる』
「スズナ……お前、足は?」
『忍びは拷問慣れの訓練もしている。歩けない程ではないから、若様をお連れするのは可能だ。お前は安心して死ね。ただし、できるだけ長く戦え』
「スズナっ、最初から騙していたのか?!」
後ろ髪を紐で一つに束ねた、やや目付きの悪い女。
当初より俺に対して否定的であるものの、歩み寄りの傾向がなかった訳でもない女。
役割的にはグウマの下位互換でしかなかった忍者女。
そんな女であるスズナが豹変、いや、本性を現した事に、俺は動揺してしまった。正確には、動揺してしまった事に動揺してしまった、という方が正しかった。
『不確定要素により地下迷宮深層にまで落ちてしまったのだ。余所者の炭鉱族がいたのだ。女の私が重度に負傷していれば同情を誘える。他パーティから情けをかけられる可能性も高まったはずだ。……私の独断ではないぞ。グウマ様も同意されていた』
俺は奴隷として買われただけの人員である。スズナとアニッシュがパーティメンバーであるのは間違いないが、俺は違った。俺は人間未満の奴隷であり、奴隷の命は安くなければならない。
そんな重大な身分の差、忘れるはずがない。
『忍びなれば、卑劣な策も使ってみせねばならない。そも、生き残るという大義の前では、善悪の価値観などといた高尚な精神は唾棄されるべきだ』
違う。俺は、奴隷扱いされただけでも幸運な生き物だった。
この仮面は醜悪そのもの。他人の食事を食い散らかし、糞尿で汚してしまう。誰からも嫌われている、鳥類。
その醜き鳥の名前は、凶鳥。
人間のパーティと混じった凶鳥が、己が人間であると勘違いしていたがためにショックを受けているとすれば、それは喜劇だ。
『……では、若様。参りましょう』
スズナはアニッシュへと手を伸ばす。
アニッシュはスズナの手を取らずに、スズナの頬を強く叩いた。
『スズナっ。そなたはッ、最低だ――』
『ご無礼!』
『――んっ!?』
ただし、アニッシュの吐き捨てるような台詞は続かない。背の低いアニッシュを抱き寄せて、スズナはアニッシュの唇を奪ったからである。
アニッシュは抵抗しない。初めての甘い感触に動じているから。それもあるだろうが、スズナに首筋を針で刺されている事も影響している。
『痺れ薬です。階段を上り切った頃には動けるようになります』
スズナはアニッシュを抱えたまま俺から離れていく。怨嗟魔王が活動を再開し、接近しながら長腕を伸ばしたのだから当然だ。
俺は怨嗟魔王を見ない。首だけを動かして、仮面擦れ擦れで魔王の右ストレートを避ける。床が穿たれ、散らばる破片が頬を裂くが気にしない。素早く離れていくスズナをひたすら見送る。
「……どうして、こうなったのか」
“GaGaGAAッ!!”
「勘違いしていた俺が、馬鹿だっただけか」
“GaGaGAAッ!!”
「うるさいぞッ!! 化物!」
連続で繰り出される左右のコンビネーションを、あえて懐の安全地帯へと進み入る事で回避する。
「――炎上、炭化、火炎撃! フレイム、エンドッ!!」
己が巻き込まれると知りながら、俺は零距離から火炎魔法を魔王の下腹へと放った。魔法の発動元である手の平が赤く爛れる。
「アニッシュ言ったよな。誰も自分を助けてくれないなら、せめて自分だけは誰かを助ける人間でいろって」
きっと心優しいアニッシュならば引き返してくるはず、などともう勘違いしたりはしない。
地下の閉鎖空間なので管楽器のように酷く響く。階段上からの崩落音は、魔王と戦闘しているのによく聞こえていた。
退路は断たれた。物理的にも、精神的にも、俺には逃げ道は残されていない。
だったら……こんな胸糞悪い異世界など、全部冥府へと落としてしまっても良いだろう。
酷い考え方だと苦笑してしまうが、つい先ほど、生き残るという大義の前では、善悪の価値観など捨て去られるべきだと誰かが言っていた。
「…………世界から他人がいなくなれば、そんな自戒で苦しまなくて済むと思わないか? 俺が他人を全員滅ぼせば、他人の所為ではなく、俺の所為で俺は助からないだけだろ!」
仮面の縁を掴み、皮膚の癒着を力任せに引き千切る。
制御不要の完全解放。
そんな世界を滅ぼしかねない愚行、試した経験はないので、どうなるかなんて俺にも分からない。
「――鳥でもない者が、深淵の上に巣をかけてはならないのだ」




