8-3 人類圏侵攻日
魔王連合とは何か。
何体の魔王と、総数何十万の軍勢が参加しているのか。
恐慌的な表情でアニッシュは詳細説明を求められても、魔王が連合している以上の情報を持っていない。答えたくても答えられない。ただし、俺が答えられない理由は情報欠如によるものではなかった。
魔王連合の門外漢たる俺が、わざわざ説明する必要がなくなったからである。
……蝙蝠が一匹、揺ら揺らと挑発するようにパーティを横切る。
「――ははっ、冒険者発見だ」
通路の向こう側。
狭い通気口。
天井のない天井。男の囁き声が聞こえたのを合図に様々な場所から大量の蝙蝠が飛来し、集合する。
グウマとスズナが殺気を察知し警告を飛ばすがもう遅い。
蝙蝠は人の形に固まる。と、マントを羽織った金髪赤眼の美男子へと変化した。
美男子の口からは長い犬歯が伸びており、美男子が笑わなくても白い歯が見えたはずだ。
「汗臭い男ばかりだが……へぇ、掃き溜めに鶴、ダンジョンに美しき女性か」
「あまりお戯れが過ぎますと、エミーラ様の嫉妬を買いますよ。エミール様」
「お前は骸骨だから男の性を忘れているのだ。俺の最愛の片翼はエミーラただ一人であるのは間違いないが、それでも花を愛で花弁を散らすのは止められない」
金髪赤眼にやや遅れて、闇の中から灰色ローブが出現する。
『暗視』ではなく『吸血鬼化』スキルが反応して闇を透かす。灰色ローブの中身は……骸骨だ。顔の中央に亀裂が入った骸骨が人語を喋っている。動く骸骨ぐらい珍しくもないが、漂う『魔』の気配がそこいらの骸骨兵とは全然違う。
現れた異形はたったの二体。
片方については面識がある。俺にバッドスキル『吸血鬼化』を与えた魔王で間違いない。
『その歯は吸血鬼っ。しかも金髪で、リッチを従えている。嘘、嘘っ、どうしてこんな場所で。これがキョウチョウの言う、魔王連合?!』
俺以外にもリセリが金髪赤眼の正体に気付いたようだが、対処するに至っていない。というか、変哲のない道で魔王とエンカウントして動揺しないはずがない。リセリの戸惑いは正当なものである。
「……冒険者共? 何を呆けている。吸血魔王エミール様が眼前にいたのであれば、慈悲を請うか死力を尽くして戦わぬか?」
ただし、動かない俺達を見て、眉間の皮膚もないのに灰色ローブの骸骨が難色を示す。
「ゲオルグ、挑発してくれるな。俺が、あの銀髪の血を吸う邪魔になる、だろッ!」
エミールという名らしい金髪赤眼は背中の皮膚の薄い蝙蝠羽を展開し、大きく羽ばたいた。見かけよりも飛行能力は高い。燕のような運動性でパーティの間を飛ぶ。
エミールの狙いはリセリだ。赤く長い爪を、リセリの柔らかい首筋へと伸ばす。
リセリの近場にいた俺は、飛行進路上に短刀を滑り込ませてリセリを守る。
「邪魔をするな!」
パラメーターに差があり過ぎて簡単に跳ね除けられてしまった。
代わりに、俺を影にして接近していたグウマが仕掛けた。横合いからエミールの腹を蹴り飛ばす。いつもマッハ老人に頼ってばかりで若者としては恥ずかしい。
老人とは思えない脚力により、エミールを壁に衝突させた。
グウマも壁へと跳躍する。着地しながら蝙蝠羽を短刀で貫通し、エミールを壁に縫い付ける。
動きを封じたのであれば後は袋叩きにするのみ――。
『スズナッ! 若を連れて後退だ!!』
――などとグウマは楽観してはいなかった。
俺達では吸血魔王に勝てない。グウマが時間を稼いでいる間に逃げるしかない。
パーティ内で最も技量の高い老人の判断は恐らく正しい。
『グウマ! 逃げるのか!?』
『じいさん、それはないぜぃ。そんな動けない奴、頭を潰してやればッ!』
グウマが押しているように見えるため、アニッシュは目を丸くしていた。
ついでに、グウマの判断を無視した炭鉱族のジェフが斧を片手に壁際に迫る。
ジェフはそのまま壁に縫われたエミールの頭部へと斧を振り下ろす。負傷しにより体が軋み、これまで戦闘に参加できなかった鬱憤を動けない魔王で晴らそうとしている。
石榴のように裂けるエミールの額。流石はドワーフの馬鹿力というべきか、魔王の頭だろうと簡単に割れる。血がジェフの頬まで飛ぶ。
人間ならば確実に致命傷は間違いない。
だが、エミールは怒鳴り声を口にした。
「この探鉱族の馬鹿者がッ。どうして、俺の綺麗な顔を攻撃した! 吸血鬼が脳を壊されたぐらいで死ぬか!」
『神殿騎士に説法だな! 心臓が吸血鬼の弱点だ』
完全に流れは傾いたと判断し、リセリの騎士がジェフに続いた。銀色の剣でエミールの胸の中心を突く。
『ゾンビ狩りは教国の仕事!』
『滅びろ魔王!!』
更に二人騎士が続き、合計三本の剣が丁寧にエミールの心臓を潰す。
次の瞬間、エミールの体は灰と化して崩れ落ちていく。光沢ある金髪の一本さえも残さず灰となり、ダンジョンの塵の一部となった。吸血鬼は不死に近い存在である代わりに、死体は残らない。
『……なんでぃ。もう終わりか。魔王の癖に歯ごたえのない』
ジェフが拍子抜けしまうのも仕方がない。吸血魔王エミールは戦闘開始一分という速攻で葬られたのだ。
殺しそびれたというオチはない。エミールの灰は確かに堆積している。もちろん網膜内にもポップアップが上がっている。
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“●吸血鬼を一体討伐しました。経験値を――”
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『残りはあそこの骨野郎だけだぜぃ。全員で一気に攻撃すりゃ楽――』
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“●吸血鬼を一体討伐しました。経験値を――――キャンセルされました”
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ジェフの言葉が途切れた理由は分からない。ぼとり、とボーリングの玉を床に落とした音が耳に届くが、関連性はまったく分からない。
水道管が破裂したかのように、ダンジョンの壁際で血が立ち昇る。昇った血は重力に従い、雨となってパーティに降り注ぐ。
……髭面の生首が、己が死んだ事も分からぬ表情で床から俺を見ていた。
「――兄様に代わりまして『永遠の比翼』の片翼、エミーラが皆様を惨殺いたしますわ」
いつの間に現れたのか。
天井に着地した金髪赤眼の美少女がスカートの裾を摘みながら、優雅な仕草でお辞儀をしている。彼女の近くにはジェフの命を刈り取った血色の鎌が浮遊していた。
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●『永遠の比翼』吸血魔王
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“●レベル:???”
“ステータス詳細
●力:??? 守:??? 速:???
●魔:???/???
●運:???”
“スキル詳細
●実績達成ボーナススキル『正体不明』”
“職業詳細
●魔王(?ランク)”
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ぬるま湯に浸れる魔界。
冒険者共の夢の職場。
地下迷宮に朝も夜もないが、今朝未明より地下迷宮の緩い空気は変貌してしまった。
原因は単純だ。浅瀬や深部の区切りなく迷宮の各所よりモンスターが溢れ出て、冒険者の殺戮を開始したのである。
ある階層では、未発見の側道から出現した武装オークが冒険者に襲いかかった。レンガ壁が血で染まる。
ある階層では、宿営地の出入り口が突如壁で埋まり、天井や床から染み出るスライムが冒険者に張り付いた。スライムの強酸により、人体も悲鳴も溶けていく。
ある階層では、異変に気付いた冒険者パーティの逃げ道の途中に、山羊の角を持つ魔王が階段に腰掛けていた。
「武器を構える必要はない。逃げたければ、逃げればいい」
山羊角の魔王、山羊魔王は意外な台詞を吐く。困惑する冒険者パーティに対して、地上へと通じる階段の上を指差したのだ。
「冒険者を数人殺したところで自分に得などない。さあ、命は大切なものだ。これに懲りたらダンジョンに挑む野蛮な冒険者家業から足を洗い、真っ当に生きるのだな」
冒険者パーティは山羊魔王の白々しい言葉を信じたりしない。得体の知れない魔族と戦闘するリスクも犯さない。別の階段を目指して急ぎ立ち去る。
……数分後、冒険者パーティが通った道の奥から悲鳴が響いた。
「やれやれ。勝手に死地へと跳び込んで行く。座っているだけの簡単な仕事だ」
山羊魔王。『法螺吹き男』と呼ばれる魔王は次なる冒険者パーティを退屈そうに待ち続ける。