1-8 魔王の呪い
『何と言う事だ! この人間族……呪われておるッ!』
突然声を上げた老人は、急いで瞳を閉じてステータスハックを中断する。
もう一秒でも遅ければ、俺の網膜は焼き切れて右目が失明していた。
失明レベルの鋭い痛みが右目から発せられて、首筋に刃が当てられている事を忘れて暴れてしまう。
「ナァ、ガハァッ、目、めァァぁぁぁあ!?」
強制的にスキルが解放された代償に、右目から血の涙が吹き出る。
『なんとっ! 危うい所であった』
『大丈夫ですか、里長ッ!』
『ワシとした事が、無用心であった。何の『魔』も感じないからと思えば……』
老人だと思って油断していたが、こいつ、俺が失明するのを全く躊躇わず俺のステータスを盗み見しようとしたのか。解剖した小動物の内臓を拡大鏡で観察するという事は、小動物のその後をまったく憂いていない証拠ではないか。
『抜かった。少しでも目をそらすのが遅れていれば、ワシまで呪われていたぞ』
『何が見えたのですか?』
滑った液体で視界が半分埋まる。視力は当分、戻らない。
『心眼で見えるのはステータス情報までであるが、『吸血鬼化』スキルを実績達成しておった。更には『淫魔王』という名を冠するスキルさえ存在した』
『吸血鬼に、淫魔……ッ!? 魔王由来のスキルですかッ』
『その通りだ。近隣の二大魔王から呪詛を授けられておるっ! この人間族は、いったい何者なのだッ!!』
――ああ、なんて俺は不幸なのだ。
老人がもう少し長く俺のステータスを盗み見ていれば、その老いた目を啄んでやり、いつかの犬畜生のように視力を完全に奪ってやってものを。実に、惜しい事をした。
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“『正体??(?)』、姿?目視??相手に正体を知???。封印中です”
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右目の血が流れ落ちて、口元を汚す。
瞬間、ガソリンに火が付くよりも早く、俺の食欲が暴走する。渇ききった喉を生血で潤したいと暴れる。
「……血だ。血が流れた」
両肩を掴まれて跪いるからどうした。
刀剣で脅されているからどうした。
誰でも良い、目前の乾いた老人でも我慢してやる。首筋に犬歯を突き立てたくて仕方が無い。
犬歯を伸ばせ。
生血の味を思い出せ。
干物のような肌であるが、喉越しの悪い血ぐらい残っているだろう。理性を失った今の俺は、血の眷属として純粋に生血を求める。
「流れた分の、血をよこせッ!!」
体を拘束されているが、俺は既に己のスキルを自覚している。『吸血鬼化』スキルでパラメーターを底上げして、拘束を振り切ってや――。
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“実績達成ボーナススキル『吸血鬼化(強制)』、化物へと堕ちる受難の快楽。
本スキル発動時は夜間における活動能力が向上し、『力』『守』『速』は二割増の補正を受ける。また、赤外線を検知可能となる。反面、昼間は『力』『守』『速』が五割減の補正を受ける”
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“ステータス詳細
●力:0 = 1 + 1(-)
●守:0 = 1 + 1(-)
●速:0 = 1 + 1(-)
●魔:0/0
●運:5”
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……あれ、今昼だから逆に『力』とか減ってなくね?
『こいつ、暴れているのに、急に弱々しくッ!?』
『里長に喰らい付こうとしたなッ。殺してやる!』
背中の中央に突き付けられていた刃が、心臓を目がけ、急速に沈降する。
『待てッ、トレアよッ! ここで殺すな』
刃は二センチ体内に刺し込まれた後、緊急停止した。
老人の枯れた叫びが背後にいた姉長耳の動きを止めたのだ。老人に襲い掛かろうとした俺が悪いのかもしれないが、姉長耳は俺を殺そうとしたのか。そんな女の刃に、悲しんだりはしない。
ただ、美人に殺され掛けた空しさで、犬歯が少し引っ込むだけである。
『吸血鬼で真っ先に思い付くのは、『永遠の比翼』吸血魔王の存在であろう。そして『淫らな夜の怪女』淫魔王の名を冠する呪詛さえ、この人間族は所持しておる』
老人が何を思って姉長耳を必死に止めているのかは分からない。
『近隣の名立たる魔王共に呪われた人間族を里の内側で始末しようとするとは、何事か!』
『なればこそ、今ここで――』
『疫病で血を吐いて死んだ豚を里の内部で解体するに等しい愚であるぞ!! 里中に呪いが拡散する。魔法に精通するエルフでありながら、考えが足りんではないかッ!』
『――ッ!? もッ、申し訳ございません、里長っ!!』
その場にいる全員に対して老人は叱咤しているが、俺に一切目線を合わせようとしない老人が、善意で俺を殺そうとした姉長耳を叱っているはずがないだろう。
部屋の奥の椅子に深く座り、老人は溜息を吐く。
『…………里にこの人間族を連れ込んだのがトレアであるのなら、最後まで面倒を見てもらう。難儀であろうが、呪いに接触するエルフは少ない方が無難ゆえな』
床に頭が付くぐらいに姉長耳は頭を下げ、老人の言葉に肩を震わしていた。
俺は床に密着させられた完全制圧され中であるが、場の空気は冷たく沈んでいる。ここで殺される事はもう無いだろう。
『トレアの下には幼精の妹がいたであろう。手伝わせるが良い』
『ッ!? アイサは弟です、男になる事を望んでいます。里の戦力となるべき弟の未来を、呪われた人間族に穢させてたくはありません。私が責任を持って、里の遠くで人間族を処分します』
だが、今を生き残れたからと言って、明日も生きられるとは限らない。
『高位の精霊戦士であるトレアを見捨てる訳がなかろう。お前の妹、リリームもそうであったが、ここ数年で優秀な人材が多く失われた。無駄に消費できる命と思うでない』
きっと近い内に、俺は始末されるはずだ。
『安心せよ。エルフが殺せば、やはり里に被害が及ぶ。こういう呪われた危険物を処理するのは案外、容易いぞ。姉妹で学ぶが良い』
老樹のような銀色の肌をした老人だけでない。
四方から俺を見下ろしているすべての耳長共が、この集落の全員が、俺の死を望んでいる。死刑判決は既に下されたのだろう。
『餓えたモンスターの巣に放り込むのだ』