6-10 逆らえぬ命令
まだ熱く痛む右肩を庇いながら、俺は久しぶりに外界へと出られた。
「ああ。日差しが、熱過ぎる」
快晴の空ではない。
上空を千切れた雲が勢い良く流れている。太陽が雲に隠れがちだ。それでも俺にとっては砂漠の直射日光よりも日差しが熱い。暑いではなく熱い。
気のせいではない。『吸血鬼化』スキルの悪影響が強くなっている。
焼き鏝を押し付けられたのは右腕だけだというのに、地肌が出ている箇所も肌が焦げていくイメージに襲われる。ただの精神疾患なので実際に焼けている訳ではないだろう。苦痛は本物同様なので何ら安心できない。
テントから一歩踏み出した格好のまま倒れてしまうのも、仕方がないだろう。
『おい、どうした。歩けっ!』
(役立たずめ、さっさと歩けっ!)
無理な注文が脳内に響く。
そんな事を命じても無駄だ、と苦しむのを続ける。
……だというに、何故か手足が勝手に動き始めてしまう。まあ、体は正直なので、中腰になる前に関節を砕き、再び倒れてしまうのだが。
『おい、この者、大丈夫なのか! 背中に血が滲んでおるぞ』
『宿まで私が運びます。スズナは急ぎ、治療薬と包帯を買いにいけ』
『グウマ様。安物を買って出費するのは、正しい奴隷の使い方ではありません』
『ここで殺せばそれこそ無駄金だ。ゆけ』
老人が俺に駆け寄り、外見から掛け離れた力強さで俺を背負い込む。
安心したからではないだろうが、ここで一旦、意識を失う。
目を覚ましたのは、どこぞの一室のベッド上である。
たったそれだけの事なのに、目に涙を滲ませてしまいそうだ。そういえば俺、異世界のベッドで寝たのは今が初めてだ。柔らかいとは言い難い硬いベッドに、母親に抱き締められているような安堵感を覚えてしまう。
『マズいですな』
背中を天井に向けた姿勢で寝かされていた。
体中に白い包帯が巻き付けられている。
低い場所にある床へと目を向ける。そこには真っ赤に染まった汚水が入った桶と、矢の鏃が山になって置かれていた。
異世界に麻酔があるとは思えない。外科手術が気を失っている間に行われたのは幸運である。
『……おそらく、エルフが使う鏃です』
『分かるのか』
『ここのギザギザは、エルフが使う毒を付着させるための加工です。先日、エルフの奴隷が売り出された件と関係があるのかもしれません』
『買うと決めたのは余だ。後悔はするまい。この者がエルフを襲った一味とも限らない。……この者をエルフには見せられないのは確かであるが』
それにしても、そこの少年と老人。鏃と患者を見比べながら深刻な顔を作らないでくれ。酷く不安になるから。
『明日には地下迷宮に挑みたかったが、荷物持ちのこの者がこれでは無理か』
『いえ、我々は既に後れを取っております。この者には酷でしょうが、明日挑むべきです』
『分かった。この者が苦労する分、王族たる余も苦労しよう』
とりあえず、今日はこのまま眠らせてくれそうだ。
……そう期待していた俺を打ち砕く女が入室する。焼き印を入れられて以降、言葉が脳内同時通訳される女の登場だ。
『若様。お食事をご用意しました』
(アニッシュ様。百レッソの安いパン耳あった。買った)
女は茶色の髪を後ろで束ねている。いわゆるポニーテール。青い紐を解けば、後ろ髪は首筋を隠すぐらいの長さになるだろう。
目付きは良いとは言えない。刃物のように細く鋭利だ。
年齢は大学生の俺と同じぐらいか。
細い体付きは敏捷性が高そうだ。老人には劣るものの、この女も戦闘力は高いだろう。
『ふむ、ご苦労』
『若様……あの、ここまで節制される事はないかと。体は資本なれば、栄養価の高い食事を取るべきです』
(アニッシュ様。残飯を食べるなんて可哀想)
『腹が膨れると戦えぬ。そう教えてくれたのはそなた等だろうに。それに地下迷宮では、まとも食事を摂れぬという。粗食に慣れておくのも訓練だ』
女は膝を床に付きながら仰々しく、少年へと紙袋を献上する。
少年がうなずきながら紙袋を受け取ると、床に座り込む。紙袋に手を突っ込んで細長いものを取り出すと、食べ始めた。
同時通訳が正しいとパン耳をつまんでいる事になるのだが、異世界にもパン耳があるのか。揚げて砂糖をまぶした方が美味いのに。
『グウマ。スズナ。お前達も食べるが良い』
『地下迷宮では食事中も気を抜けません。一人が食事を取り、残りの者が周囲を警戒します』
『なるほど。一人で食べるのも訓練であるな!』
少年の食事風景に注目していると、ふと、視線を感じた。
女が俺の仮面を注意深く睨んでいたらしい。俺が顔を向けると、即座に目線を外してしまう。
『スズナよ。明日は地下迷宮に挑む。今の内に、この者の素性を質問しておくのだ』
『ついに、明日挑むのですね。胸が躍ります』
どうも三人の中では、女は最も俺を嫌悪しているようである。俺と向き合う時だけ眉間にシワが寄っているからあからさまだ。
そんな女と唯一意思疎通可能とは、世の中ままならない。
そういえば、意思疎通できるようになった原因は右肩の焼き印だろうか。それ以外に思い付かない。
『お前、名前は何という?』
(仮面の奴隷。名前言え)
名前を訊ねられた。老人と少年も俺に注目しているので自己紹介を求められているようだ。
「凶鳥だ。そう名乗っている」
『……すべてを汚す鳥? キョウチョウと名乗っています。グウマ様、こいつは正気でしょうか?』
『通訳が不完全なのだろう。質問を続けよ』
『出身国はどこだ?』
(どこが生産地だ)
名前の次は生産地……出身と来たか。地球と言っても信じられないだろうと考え、記憶喪失を理由に分からないと答えようとする。
「地球だ……あれ??」
だが、思考を裏切って、口が勝手に答えてしまう。何故だ。
『……禁忌の土地? だと言っています。何の事でしょう。こいつ、やはり正気ではないのでは?』
『そう呼ばれている辺境があるのかもしれん。質問を変えて、今度はキョウチョウのステータスを聞くのだ』
『はっ!』
(グウマ様の命令、絶対!)
背中の手術後で頭の血の巡りが悪くなっているのだろうか。こうと思っていると、今後はレベルについて質問された。
いよいよ個人情報について踏み込んで来たか。
俺を買い、治療した者達だとしてもステータスを教えるのは遠慮したい。黙秘を貫こうと奥歯を噛み締める。
……噛み締めたはずなのに、俺はレベルを口走る。
「レベルは4だ……クソ、喋ってしまう??」
二度も思考に反した行動を取る。この理由も、肩の焼き印が原因?
そうだとすると酷く不味い。焼き印には奴隷のシリアルナンバーや、買い主を焼き付ける以外にも理由があり、それが奴隷の自由意思を奪うものだとすると、今後の俺の生命は女に握られている事になる。
心臓を他人に握られているのと同義だ。異世界人は耳の長さに関わらず、人間の尊厳というものを軽視し過ぎだろう。怒りを覚える前に、呆れてしまう。
『たったのレベル4! 何て事だ。レベル4など村民でも珍しくない』
『……余はレベル3であるぞ』
『若様は勇者候補ですから良いのです。ですが、この奴隷は魔界産だと聞いていました。それがたったのレベル4とは、奴隷商人に騙されました!』
『あのスキルを得ている者がレベルが4……いや、そんなはずは――』
女は下げずむ目線で俺を刺し、老人も腑に落ちない顔をしている。
女に逆らえないから正直に答えたというのに、レベル4と語った所為で落胆される。質問したお前等が悪いのに、何故俺が責められるのか。理不尽が過ぎるぞ、異世界。
『荷物運びとしても使えないレベルです!』
『――スズナよ。キョウチョウのスキルを聞き出せ』
『スキルですか?? あるかどうかも疑わしいですか……お前のスキルを言え』
(グウマ様、奇妙な事言う。でも従う。奴隷。スキルを言え)
俺の最重要情報、生命線と言っても過言ではないスキルについて尋ねてきた。
スキルだけは絶対に明かしたくない。
「こ、こ、『個人ステータス表示』」
『その程度、誰だって持っている。抵抗していないですべて言え』
「け、け、『経験値泥棒』――」
『聞き馴染みがないスキルだな。いったいどういうスキルだ?』
ベッドに仮面を押し付けて抵抗しようと踏ん張るのに、上半身が震えながら持ち上がり、口は言葉を発音してしまう。
「『記憶封印』『吸血鬼化』『淫魔王の蜜』『凶鳥面』――」
『……は? まだあるのか?? レベル4の癖に珍し』
「『暗視』『暗器』『暗澹』『暗影』――」
『ちょ、とっ、待て!? その単語の羅列。すべてスキルだというのか!』
「『耐毒』『動け死体』『吊り橋効果(極)』――」
『翻訳が追い付かない。ゆっくり喋ろ!』
「『しょーたーーーーいふーーーーーめーーーーーーー』――」
『ふざけるなッ!!』