6-8 格安セール品(八割引)
正月休みも終わりですが、
読んでいる間は時を忘れ、楽しんでいただければ幸いです。
「では、ナキナの勇者候補。貴方が先に奴隷を選びなさい」
マルサスが店を出て行ってから、教国の勇者候補にして巫女職のリセリはこう告げた。
「待ってください。それではリセリ様が一方的に損でしょう。道理に反している」
「この私の主張は一貫しています。人類を救う存在は、この私である必要はないのです」
「ですが……余は男で、リセリ様は女だっ。女を危険にさらすのは後味が悪いではないか。もし、奴隷の良し悪しが理由で、リセリ様の身に不幸が起きたとすれば、余は余を許せぬ」
若の主張は、リセリの笑いのツボを刺激した。五歳も年下の少年から女呼ばわりされると思っていなかったので、不意討ちだったのだろう。口元を手で隠してリセリは笑っている。
ビギナーを優遇しようとしていたリセリに対して、意固地な態度を見せる若。
主同士の会話に口を挟むのを躊躇っていた家臣達の内、最も年配のグウマが若に耳打ちする。
「若……国の未来のためです。以前お教えした通り、目に見える者だけを救おうとしないように」
恥で顔を赤く染めた若は、家臣の忠言に従った。
リセリの提案通り、若が次に奴隷を購入し、リセリが残った奴隷を買う。
「グウマ。買うとなれば、どちらが良い?」
「レベル20と25では能力に違いはほとんどありませんが、レベル1の差が生死を分ける事は多々あります。レベル25の奴隷を買うのがよろしいでしょう」
売られている盗賊職のステータスが牢屋の前に掲示されている。
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“●レベル:25”
“ステータス詳細
●力:17 ●守:4 ●速:31
●魔:11/11
●運:1”
“スキル詳細
●盗賊固有スキル『宝察知』
●盗賊固有スキル『罠感知』”
“職業詳細
●盗賊(Dランク)”
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二人ともステータスはほとんど一緒で、二人とも職業スキルしか所持していない凡人だ。
レベルが違うため販売価格に差があるものの、貧乏性な若とてケチって命を失いたくはない。レベル25の奴隷を選択するのは当然と言えた。
「では、この私はこちらの男性でしょうか」
リセリは残ったレベル20の奴隷と鉄格子越しに真正面で向き合う。
店内で言い争いをしていた若達を無視し続け、俯いていた奴隷の男。
「さあ、勇者に至るためご助力を」
しかし、リセリの色香が鼻孔をくすぐった瞬間、一気に顔を持ち上げる。汚らしく、唾液を口元から垂れ流しているが……リセリは表情を変えない。
「さあ、一緒に世界を救いましょう」
何日も体を洗っていない奴隷に手を差し伸べているリセリの使命感は相当に強く、相応にアンデッド系モンスターに慣れていたと言える。が、罪を犯して魔界に逃げ込んでいた盗賊に対して危機感は欠如していた。
「お、女だ……綺麗な女、だァッ!!」
突然、奴隷が叫び上げたと思うと手錠を放り捨てた。
更には牢屋の扉の鍵さえ、隠し持っていた針金一本で解錠してしまう。わずかコンマ五秒という早業に、店内にいる誰もが反応を遅らせる。
「あ、あのっ?」
「奴隷の檻が、どうして??」
「若ッ、こやつ『鍵開け』を実績達成しております! お離れを!」
「どうせ使い潰されて俺は死ぬんだ! だったら最後に、女ッ、付き合えッ!!」
王族二人の反応は特に間が抜けており、一歩も動かずに奴隷を見逃している。『速』は脳の回転速度にも影響があるのか、レベルの低い勇者候補は不意打ちに対し無力であった。
最も俊敏に対処したのは、老人であるはずのグウマだ。
ただし、グウマは主である若の身を守る事を優先し、若の手を引いて背後に隠そうとしている。奴隷が拘束しようとしているリセリは、檻の傍に残されてしまっている。
若のもう一人の従者たるスズナは、隠し持っていた平べったい硬貨のような物を投擲しようとしているが、射線が通っていない。下手に投げれば、若に命中してしまう。
リセリは頼りになる四人の騎士を従えていた。ただし、迷宮向けのフルプレートが緩衝して初速を得られない。立ち位置も悪かった。リセリ一人を奴隷と対面させていた迂闊さを後悔するかしないだろう。
店員や女主人はレベル的に庶民でしかない。商品が客に粗相をしでかそうとしている事にさえ気付いていなかった。
よって、檻から脱出した奴隷は思惑通り、背後からリセリへと抱き付く。細い首と、白い服に包まれた胸部を鷲掴みにしてしまう。
リセリを人質する所までは成功しても、奴隷市場から外への逃走は無理だと奴隷も気付いている。つまり、この場で人生最後の鬱憤をリセリで晴らすつもりだろう。
奴隷は汚らしい笑顔と首を動かし、リセリの顔と対面を果たす。
まずはその小さな唇に食らい付き、女の唾液を貪るのだ。
……虚空から出現した仮面の男から、顔面にエルボーを食らわなければ実現できたはずだ。
『寝ていろ、色魔め』
「ぶばァァ!?」
奴隷の裂けた額から鮮血が飛び散った。
しかし、その血はエルボーを繰り出した仮面の男には降り掛からない。目を離した隙もないのに、仮面の男は忽然と姿を消していたからである。
影のような靄のみが残滓として空中を漂っている。気付いた者はほとんどいないだろう。
「い、一体、何が何やら……」
若の疑問に答える者はいない。
フルプレートの従者四人は奴隷の拘束とリセリの完全守護で忙しいし、頼れる老人グウマも目を大きく見開いているだけで言葉を発音できない様子だ。
襲われた当事者たるリセリも答えを知りたがって、今起きた事を口にする。
「この私には……鳥のような、仮面が見えた気がします」
一瞬の出来事であったが、動体視力の良い者の目には確かに仮面の男が映っていた。逆に言うと、仮面の印象が強すぎて他に何も思い出せない。
そんな不確かな情報のみで、店内で起きた不可思議の調査などできるはずがないだろう。
「仮面? 仮面、ハッ!?」
ふと、スズナがテント設営の店の一角、入口近くを凝視した。
その一角では、奴隷の中でも粗悪な分類が狭いスペースに集められて販売されている。子供や衰弱の激しい大人、体を壊している者などが代表となるが、今はたった一人しか売られていない。
その一人は、犬小屋のような高さしかない檻の中にいる。
その一人は、檻の中で格子にもたれて、肘を摩っている。
その檻には「八割引。早く買ってね」と店員手書きのチャームな張り紙が付けられている。
『あー、たく。人がレベルを犠牲に耐えているってのに。ついにレベル4か』