6-7 候補三人
「その奴隷販売、ま、待って欲しいっ!」
若は手を伸ばしながら銀髪の女性へと距離を詰める。
道中、銀髪女性の従者たる騎士が躊躇わず剣を抜く。若を守るためにグウマが隠し持つ短刀で騎士を狙う。スズナが毒針の投擲モーションに入る。等々、緊張のシーンが連続したが、レベルの低い若は気付かない。
「貴方は……ナキナの。構いません、剣を仕舞いなさい」
「銀髪に、教国の巫女服ぅ! まさか、リセリ様でいらっしゃる!?」
「改まる必要はありません。国は違えど王族の一人ではありませんか」
銀髪女性は慌てた様子の若に可愛げを感じたのか、優しく微笑む。従者たる騎士達は主の命に従って若に道を譲る。
若はおっかなびっくりという反応を見せながら銀髪女性へと近づいた。
「どうして、巫女職のリセリ様がナキナへと。神託があったのですか?」
ナキナ国の王の弟であるはずの若が畏まった口調になるのは無理もない。魔界の一歩手前の辺境国であるナキナと、教団の総本山たる教国とでは格に大きな隔たりがある。
銀髪の女性、リセリ・リリ・リテリは微笑みを絶やさない。が、若を平等扱いするリセリの奇特を、世の中の基準と見なすべきではない。
そも、『神託』スキルを有する巫女職は浮世離れした人物が多いと有名だ。王族の癖に地下迷宮の街へと訪れているリセリも例に漏れない女らしい。
「すべての巫女職が神託で動いている訳ではありません。もちろん、高位存在のお声を授かる巫女が、最も世界の危機を実感している事は間違いありません。……つまり、そういう事です」
「ええっと、リセリ様、申し訳ありません。つまり?」
「這いよる世界の終わりを震えて待つのは性に合いません。今は動くべき時なのです。だから、私は勇者を目指します。……貴方もそうではありませんか」
「巫女が勇者を目指す。前代未聞です」
リセリの瞳に偽りの色はない。本当に勇者を目指しているらしい。やはり、巫女職は変わっている。
王族たる若が勇者を目指すのも珍しいが、注目される程に珍しくはない。
実際、若とリセリ以外の王族も、勇者を目指している。
「これはこれは、教国の巫女様に……全人類の盾殿の弟ではなりませんか」
若とリセリが話し合っている間に、別の客がテント内へと入って来ていた。いきなり現れた癖に態度のでかい。態度だけでなく、長身ゆえに物理的にでかかった。
「お名前をお伺いしても?」
「初めまして、巫女様。ナキナの隣国、オリビアの王子をしておりますマルサスです。以後、お見知りおきを」
新たなる客人、長身男も王族である。リセリ程の有名人ではないが、ここ、ナキナの後背に位置するオリビア国の王子だ。
若はマルサスの顔と名前を知っている。ついでに、ナキナ国を嘗めてかかる人柄も、嫌になる程に知っている。
「貴方様がマルサス様でしたか。お噂は常々。地下第九層に至った偉業、お祝い申し上げます」
「巫女様の活躍も耳に入っております。女ながらに、神が認める勇猛さに最も近い一人と……で、そこの盾殿の弟は? お遊び目的で奴隷市場とはナキナらしいご趣味をお持ちだ」
恵まれた長身を持つマルサスの戦闘能力は高い。ナキナの次に魔界に近い国の王子としては、当然の備えと言えるだろう。
レベルは勇者候補の中では高く32。現在の職業は攻守に優れた騎士だ。
ただ、優れた肉体に優れた性格が宿る理由は全く無い。マルサスは若を場違いな子供と見なし、見下した目線を送り続けている。
「余も、勇者を目指している」
「勇者選定と遊戯を勘違いしているとは、度し難い」
「ち、違うぞ。余は本気で勇者になるのだ」
「では訊ねよう。今の地下迷宮攻略は第何層で?」
開店直後から、テントの中の人口密度が高くなっている。店が繁盛している理由は、リセリもマルサスも若も、全員が奴隷を求めているからだ。奴隷市場にそれ以外の理由は無い。
リセリとマルサスが昨日購入に現れなかったのは、両人とも地下迷宮の探索中だったからである。本日になって、迷宮の攻略が進んでいる二人と鉢合わせした若はなかなかに不運だ。
「……まだ、一度も迷宮に入っていない」
「はっ、それで勇者候補とは。ナキナ国はまだまだ余裕があるようで。いやいや、人類の盾に余裕があるのは決して悪い事ではない!」
マルサスのパーティは攻略が進んでいる分、奴隷の消耗が激しい。地下迷宮における奴隷の模範的な利用方法を実践するマルサスは、定期的に奴隷市場に現れている。
リセリのパーティはマルサス程に奴隷を酷使はしていない。とはいえ、危険な迷宮を探索していればパーティメンバーに不幸が訪れるものである。そして、錬度の低いメンバーから脱落するのも当然だ。
「マルサス様。勇者とは成るべくして成るものです。少年を苛めても神はお喜びになりませんわよ」
リセリがマルサスを諌めた事により、彼等は本来の目的を思い出す。
三人の勇者候補は三人の奴隷と向き合った。数が合っているのだから諍いが起きるようには思えない。が、世の中数学だけで回らない。
優先権は最初に来店していたリセリにある。リセリの優先権については全員認めたが、二番手の若をマルサスは認めない。
マルサスの言い分では、素人同然の若に奴隷を譲るのを平等とは言わない。
「私の足を引っ張り、勇者選定を長引かせようとする算段。まさかっ、ナキナ国は人類を裏切り、魔族の手下にでもなったというのか!」
平等である事が、不平等となる。
どういう事かというと、この三人の中でマルサスは最も勇者になる可能性が高い。よって、マルサスに質の良い奴隷を譲り、勇者誕生を早める事こそが人類全体のためとなる。
この場で若が二番手を宣言するのは、ただの嫌がらせに止まらない。勇者の登場を遅らせ、人類全体に不利益をもたらす裏切り行為だ。
「やっかみで足を引っ張るのは止めよ。人類の盾殿の弟!」
「勇者はまだ決まっておらぬ。広く可能性を残す事こそ賢明と思わないのか!」
限りあるリソースを優秀な人物に譲らない。
成果を出す人物に褒美を与えない。
これは不平等の一種であろう。
マルサスは譲らず、若も譲れないので店内の雰囲気が悪くなる。
「譲らないか。そもそも、ナキナは勇者選定に手を出さず、全力で魔族と立ち向かうのが筋だろう!」
「余が勇者と成りさえすれば、魔族をすべて追い払える。隣国のそなたこそ協力してはどうだ!」
隣国同士が不仲というのはよくある話だ。
オリビア国は、ナキナ国を魔族に対する防波堤としか見ていない。終わりが見えている国を支援するのは無駄なので、オリビアはナキナに一切援助物資を送っていない。更には、ナキナ国から逃げ出そうとする民を恥知らず者だと暴行し、追い返しさえしている。
犬猿の国の王族同士がTPOを揃って守らず、いがみ合う。
「では、マルサス様が一番に奴隷を選んでみてはいかがでしょう。この三人の中で最も勇者に近いのはマルサス様です」
仕方がない、という表情を見せはしないが、教国のリセリが動く。
「それでは、私が巫女様を差し置いた事になる」
「これは、この私からの期待の表れであると受け取っていただいて構いません。人類を救う者が急ぎ現れるのであれば、それはこの私である必要はないのです。……どうか、人類をお救いくださいませ」
王族と言っても男子には違いないので、マルサスはリセリに手を握られただけで簡単に篭絡された。
若もリセリに対しては文句を言えるはずがない。マルサスは意気揚々と奴隷を見繕う。
順当に最もレベルが高い盗賊職レベル32の男を指差し、代金を払い終えると、鼻で笑いながら言葉を残してマルサスは去っていった。
「人類の盾殿の弟よ。迷宮低層をうろつくのは良いが、誤って深みに入り込んで躯となってくれるな! 通行の邪魔になる! くはは!」