5-9 呪いの言葉を告げ――
「損益分岐点を下回ったァァァぁぁああッ!!」
オルドボの脳内では、モンスターにあるまじき『計算能力上昇』スキルが発動していた。今回のエルフの隠れ里襲撃における収支を幾度と計算し、結果を出力していた。
襲撃における利益を計算した。エルフの里のすべてが対象となる。
隠されていた宝石類。
知識の結晶たるマジックアイテム。
エルフ製の高品質な弓矢。
エルフそのものも換金可能だ。
この内、物品についてはオルドボが仕えている迷宮魔王『ダンジョン』へ献上し、冒険者を誘き寄せる宝となるので利益として加算できない。
そうなると最も高い利益は、奴隷商人にエルフを売り払った金だろう。
生きたエルフを奴隷商に売り飛ばせば、たった一人でおよそ六千マッカル金貨。死んだエルフでさえ、魔法使い職に売り飛ばせば約千マッカル金貨。
隠れ里に現存するエルフは八十弱。その内、オルドボの盗賊団が捕縛できるのは良くて半数。更に、生きて奴隷商まで連れて行けるのは十人強。
約十万マッカル金貨が、今回の総利益予想だ。
対して、視神経を守るために発動し続ける『ゴールド・アーマー』が消費した『金』の総額は、十万マッカル金貨相当。
「こ、こんな仮面を付けた変な奴の所為で、十万マッカル金貨も失ったァ!?」
十万の利益と十万の損失。引き算としては美しい事に、完全にゼロとなる。
儲け無し、がエルフ襲撃の計算結果だ。
しかし、この計算は不完全だ。ここから更にオルドボの盗賊団の運営費用が引かれる。人間として最低ランクの盗賊共であっても、人件費は高い。襲撃で消耗した武具の補充も痛い出費となる。
ゆえに……オルドボが『計算能力上昇』スキルで得た結論は、赤字の二文字であった。
「こんな所で、お、おでの金貨を失いたくないぃ。撤退、お前ェ達、撤退だァ!!」
ここで逃げ出せば、皮算用していたエルフの売却利益も失う事になる。経営者ならば赤字を縮小するために努力するべきだ。が、オルドボにとっての優先順位はパラメーターとして存在する『金』の方であって、未来の金にまで頭が回っていない。
何より戦いが延びればその分、オルドボの『金』は更に減少してしまうのだ。
『金』を愛する恋人、家族と置換してしまうオルドボとしては、今いる守るべき者達を優先するのは倫理的であるとさえ言えた。
逃げると決めたオルドボは、もう少しで殺せるはずの正体不明な鳥面の男を放置して、身を翻す。
「お前ェ等、ズらかるぞッ! 急げェ!!」
盗賊共のために声を掛けているあたり、責任感あるオーガだ。
オルドボの大声を聞いた盗賊共は蜘蛛の子を散らすようにエルフの里から逃走していく。オルドボも、己が壊した里の防壁から駆け出る。
巨体が疾走する地響きは、あっと言う間に遠くなった。
「お、おーい……」
何故かオルドボが逃走してしまったので命拾いしてしまった。そんなに『金』パラメーターの減少が堪えたのだろうか。モンスターの癖に奇妙な奴である。
「い、いや、逃げるならそれでも良いけどさ」
脅威は去ったので地面から立ち上がり、ズボンの埃を手で払う。
胸の辺りもポンポンと触れる。縄で首に掛けていた携帯電話の安否を確認できたので、さっそく『暗器』で隠しておいた。ちなみに、携帯もナックルのように握りこめば十分に凶器として活用できる。『暗器』スキルの許容範囲内だ。
「オルドボか。確か、『ダンジョン』とかいう魔王に仕える三騎士と名乗っていた。あのレベルの化物が、最低二匹。魔王連合の一角を崩すだけでも苦労するな」
たかだか幹部級一匹で死に掛けるとは情けない。
そもそもオルドボは所詮中ボスでしかなく、俺が真に打倒するべきは魔王連合である事を忘れてはならない。連合というだけあって、魔王と呼ばれる魔族が複数体いるのは間違いないので、ボスラッシュが発生するのは確定的だろう。
今後の魔王連合との戦いを思うと憂鬱だ。
オルドボが逃走して、緊張から解放された体は息切れを起している。やはりレベルアップしておかないと厳しいな。
だが、低レベル状態でオルドボと戦ったのは良いリハビリになったとも思える。今日を生き延びられたのならば、その内、魔王連合にも対処できるようになるだろう。
そうだ。
今は生還を祝おうではないか。
「まあ、アイサからの無理難題を果たしただけでも、今は良――」
ふと、ドスリ、と下腹あたりに振動が伝わる。
一体何が起きたのだろうと軽い気持ちで腹に触れると、滑った感触が手の平全体に広がった。
慌てて腹へと視線を向ける。
そして驚く。
血が滴る鏃が、体内から突き出していた。矢だけに、やっ、と挨拶しているのか。
「――うん、あまり巧くない冗談だ、がハッ!?」
痛覚神経の伝達速度はノロマだ。盛大に吐血する方が早いぐらいだ。
ただし、その後に連続して背面方向からの体の各所に衝撃が着弾していく。すると、肉体に抉られる激痛が全身を駆け巡る。
鋭い一撃が腿を襲った。押されるようにして膝を折り、地面に倒れ込む。
お陰で頭部を狙った一矢は避けられた。
頭以外の数十箇所はどうにもならなかったとも言える。
今の俺は、まるで標本として釘打ちされる虫のようだ。
『撃ち方続けろ! あの鳥面を仕留めれば、里は救われる』
女の号令らしき声と共に、矢の激しさは増す。
「あ、『暗澹』」
苦し紛れで暗澹空間を生成するが、矢の命中精度はほとんど低下しなかった。
頬を地面に擦らせながら逃げようとしたのに、地面と腕を穿たれてしまう。急いで抜き取ろうとした反対の腕も無事ではない。
「ガッ、あァッ!? え、エルッフッ」
『暗澹』は最大継続時間の一分を迎える前に霧散してしまった。
錆び付いてしまったかのような首をギチギチと動かして振り返ると……矢を構えて放つエルフ共の戦列が見える。
「このッ、馬鹿長耳――」
喉を矢が貫通する。エルフ共を非難する言葉を続けられない。
……いや、非難するのは少し違うのか。
俺は別にエルフの集落を救いたくて、オルドボに戦いを挑んだ訳ではないはずだ。
アイサのために、アイサが憎らしいから、アイサの願いを天邪鬼に達成しただけのはずだ。
ならば、エルフに背中から攻撃されたのは裏切りではない。エルフは俺をオルドボと同じ、モンスターと同じ討伐するべき敵と見なしている。
里の皆を守ろうと協力する姿、素晴らしい共同体意識ではないか。
必死に命を奪う敵を滅ぼそうとする姿、正しさの固まりのようで輝かしいではないか。
もしかすると、アイサは最初から俺を葬るつもりでいたのだろうか。アイサはエルフであり、エルフは俺に攻撃している。厄介者同士を戦わせた後、残った方を始末する。誰だって考え付く漁夫の利だ。
弓隊の指揮官はアイサの姉のトレアだし、ほぼ間違いない。
……矢が次々と体に刺さっていく状況だ。小娘一人に拘らなくても、真に祟るべき者共は多い。
『動きが止まったぞ! 残弾を気にするな、反撃の機会を与えず殺せ!』
集落のエルフ共は俺を敵と見なした。
ここは空気を読み、エルフ共の期待に答え、割り振られた役を正しく演じなければならない状況だ。俺は一切望んではいないが、その他大勢が望むのであれば吝かではない。
大人しく死ぬ事が、俺の役割か。
いいや、違う。
“この腐った世界を呪え。
お前を貶めたすべてに復讐しろ。
お前を助けなかった奴を絶対に許すな”
エルフが俺を排斥するべき敵であると見なすのであれば、俺はそういった化物と化すのが正常だろう。
エルフのみならず、上空から降り立つ鳥も俺を歓迎している。
“――貧シイ。オ前ハ貧シイ”
一羽の汚らしい人面鳥が、エルフの集落を形作る大樹に降り立った。相変わらず、俺を嘲笑しながらも強い仲間意識を向けている。
“――助ケタ奴等ニ矢ヲ撃タレタ”
“――我等ト同ジ。イヤ、我等以上に極マッテイテ、見苦シイ。同情的ダ”
一羽飛来してからは早かった。続々と数を増していく人面鳥の名はハルピュイア。
殴り殺された人間族の顔をした醜い鳥。
殺しても経験値が入らない無価値な鳥。
無意味にオルドボと死闘してから、エルフに殺されようとしている俺と何が違う。
俺は無価値だ。嫌われ者だ。絶対に認めたくないのに、事実だけを抜き出せば俺はハルピュイアに等しい。
降り立つ枝がしなる程のハルピュイアの数に、エルフ共は指差しながら驚いている。
俺を狙っていた矢の一部が、ハルピュイアへと向けられた。あーあ、あんな無価値な鳥に矢を使うなんて、勿体無い。
『待て、ハルピュイアは放置しろ! ハルピュイアを呼んだのも鳥面だ』
一瞬弱まった矢が、勢いを取り戻していく。
アイサの姉の癖に優秀だ。戦列の後方の、一段高い位置から俺を睨んでいる。
地面へと墜落し、血を吐いて死んだハルピュイアの屍骸。俺の運命だろう。
あるいは……エルフ共の末路か。
「――と、り、しん……」
貫通した矢に筋肉の動きが阻害されながらも、手を顔へと近づける。顔の仮面へと指先が触れる。
「――鳥でも、な、深……」
正直に言うと、顔の穴の使い方なんて分からないから加減が利かない。
どんな結果になるかは全く保証できない。一帯が冥府に堕ちるか、穴の底から亡者を呼び出してしまうのか、方法は予想できない。
ただ、魔界の一部が生物の住めない土地になるのは間違いないだろう。
憎らしいエルフも、恨みのない人畜有害なモンスターも、近隣の人類国家も、魔王共も、大きな被害を受ける。きっと異世界そのものを真っ黒い海に沈ませる事だって可能なはずだから、生きとし生きるものを余さず溺死させられる。
そんな分別なき凶行は魔王の所業であろう。
つまり、俺は今から、エルフ共が望む通りの魔王へと堕落するのか。
悪くはない。殺されようとしているのだから、正当防衛というものだ。
「――鳥でもないものが、深――」
皮膚に癒着しているはずの仮面が、二本の指だけで動いた。
矢が体を穿つ振動が激しくて、仮面の密着は外れかけていた。仮面の縁から黒い靄がこぼれ落ちる。
迷い無く、俺は仮面を引く。
『皆ッ! もう止めてよッ!!』
……けれども、仮面が完全に外れるよりも早く、俺とエルフの弓隊を繋ぐ射線上に少女が飛び出てしまう。
アイサと思しき小柄の少女が、その小さな背中で俺を隠して、仲間達に訴える。