5-5 黄金狂
仮面の裏側が疼く。
アイサとは顔立ちが異なる、大人のエルフ女が、俺の敵を葬ってくれた。
ありがたい女である。そういえば、初めて俺にパンをくれたのもこの女だったか。
色々と融通してくれる慈悲深さには感謝し切れない。が、アイサをけしかけて俺を殺そうとした事にはどう感謝すれば良いのだろうか。
「あの女の事、勝手にアイサの姉だと思っていたが、実の所どうなんだ?」
『一番強かったのはリリーム姉さんだけど、やっぱり総合力ならトレア姉さんだよ。植物魔法と弓術の組み合わせはエルフの中でも特別だし』
「話が通じない相手と独り言を言っていても意味ないな」
『だから、あそこにいるのがトレア姉さん! トレア姉さんなのっ!』
「トレアね、トレア。あの女の名前がトレアっていうのだけは分かったさ」
世の中分からない事だからだが、一つ分かっている事がある。
まだ戦闘は終わっていない。
「……真性の化物が、この程度で倒れるはずがないからな」
谷底の広場に鎮座する、四メートル大の蔓の塊が内側から弾けていく。
絞め殺しの蔓が内部より現れた手に引き千切られ、左右に割れていく。
卵生生物の誕生を思わせる一シーンであった。神秘感を出すためか黄金のエフェクトが内側から溢れ出る。
「おでのスキル、『ゴールド・アーマー』は最強だァ! この世はすすべて、金次第!」
オーガごときが放つにしては、やけに高級感ある光がオルドボの体から発せられる。
紫色の胴体は全体が金色に染まっており神々しい。
やや成金的な印象に騙されそうになるが、黄金色の威圧感は決して無視できないものだろう。
「お前ェも、金に成れッ!」
蔓の拘束から脱出したオルドボは、初速からトップスピードで走り出した。意表を突かれて呆然としていたエルフの男を獲物に定め、体当たりするために突進している。
高レベル者の『速』は生物の限界を超え、物質法則を捻じ曲げた。
二足歩行のモンスターが、たった数歩で時速三百キロに届く速度を出せるのだ。オルドボの巨体がエルフに衝突すれば、ダンプカーに轢かれたロバ肉と見分けが付かなくなるだろう。
狙われたエルフ男は慌ててその場から跳び退く。
しかし、オルドボの手が撤退を許さない。エルフの細い足を掴んで、万力のごとき力で潰す。
苦痛に歪む端整な顔がエルフの癖に醜いから、そのまま地面に叩き付けて頭部を陥没させた。
「勿体無いッ。生きていた方が、高く売れるのにッ」
数秒だけ痙攣していたが、エルフ男はすぐに動かなってしまう。
「でもォ、死体でもエルフは高く売れる!」
金貨に触れるかのように、オルドボは愛おしい手付きでエルフの死体を取り上げる。振り回した片脚が付け根からもげてしまっているものの、金銭的価値はまだある。丁寧に、後方へと放り投げた。
「ば……馬鹿な!? クレイユはレベル81の精霊戦士だったのだぞ。本国から来てくれた戦士だったのだぞ」
「う、嘘だ。オーガごときにエルフが負けるのものか!」
「モンスター! よくも仲間をッ!」
「下がっていろ。戦いの邪魔になる」
動揺が広がるエルフの中から肩幅の広いエルフが突出し、オルドボに挑む。
オルドボと戦っていた三人の精霊戦士――既に残りは二人だが――の一人であり、両刃の長剣を扱う近接戦闘が特異なエルフ男、エーウッドだ。
エーウッドはオルドボの黄金色の発光に対しても目をくらませる事なく、果敢に攻め立てる。剣技に長けたエーウッドの近接戦闘能力は、明らかにオルドボを上回っていた。
「金色のオーガめ、こけおどしか!」
紫から黄金に変色した後も、オルドボのパラメーターに変化はないように思える。
少なくとも『速』に関しては変化がない。オルドボは何度も剣で斬り裂かれていく。金メッキが剥がれていくように、金の塵がジャリジャリ音を立てて削がれていく。
そして仕留めに入ったエーウッドは、オルドボの首を絶つ横一線の斬撃を放った。
オルドボは首へと迫る長剣を完全に見逃してしまった。
そのため……剣が首に到達して皮膚一枚斬れずに止ったのと同時に、エーウッドの頭部を左手で掴み取る。
「おお、お前の死体を『ゴールド・アーマー』の経費にしてやるゥ!」
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“『ゴールド・アーマー』、金に守られたという世知辛いスキル。
資産として所持しているマッカル金貨一枚で、ダメージ(例、『守』と『攻』の差分)を1相殺する。
一般的な冒険者にとっては割に合わない出費が求められるため、スキルのご利用は計画的に”
“実績達成条件。
金に命を救われる”
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「これまでの攻撃で、全部で百枚ぐらいだ。安い安い!」
手中にエルフの頭があるというのに、オルドボは左手を苦もなく握り込む。
引き千切られた動脈から噴水のように上がるエルフの赤い血を浴びても、黄金色の輝きを失われなかった。
高レベル者が二人も倒されてしまったエルフ陣営は、恐慌しながらも弓矢による遠距離攻撃をオルドボに加えた。エルフ程の種族が質でオーガ一体に劣るというのは業腹だろうに、なりふり構わず集団で攻撃を開始したのだ。
多数で一体のモンスターに挑む事は卑怯ではない。
現実であれ、ゲームであれ、モンスターとはそういった境遇の存在だから……という訳ではない。
「強ぃのは倒したぞ! 皆、安心して祭りを楽しんでくれェ!」
オルドボも盗賊を使った集団戦術を使うからだ。
「今日はボーナス日! 無礼講だぞォ!」
総勢、百名近い盗賊はオルドボに従い、自由に略奪を開始した。最悪のタイミングで現れた盗賊の増援を前に、エルフの抵抗は空しい。
オルドボが壊した壁から密かに潜入していた盗賊職が、美麗な女エルフを背中から羽交い絞めにして、暗闇に連れ去っていく。くぐもった悲鳴は、誰にも届かない。
斧を持った巨漢がエルフの家に押し入って、金になりそうな物を奪っていく。無ければ火を付けて、仲間が間違って入らないように家を焼失させる気配りを見せる。内部からは聞こえるエルフの断末魔も、気配りの一種だ。
盗賊職に抵抗できていた優秀なエルフは、幼いエルフを盾にされて動き止めていく。無抵抗なエルフは殺される事はない。手足を縛られて、迅速に里の外へと出荷されていく。
最後に、人質を見ても戦闘を続行する意識の高いエルフは、オルドボが処理していく――。
「終わったな。エルフの負けだ」
オルドボと山賊団の協力関係に気付かなかった時点で、エルフは敗北していたのだろう。
不可解なタイミングで現れたオーガが壁を破壊し、囮として派手に暴れていると気付けていたなら、もっと戦い様はあっただろうに。
静観していられる時間は過ぎ去った。
戦場に近過ぎるので、ここから早急に立ち去るべ――。
『お願い。“助けて”』
――ふと、服の端を掴まれてしまった。
背中をエルフの集落に向けた俺を、アイサが引き止めているのだ。
『キョウチョウさんは僕を助けてくれた、から』
「何の真似だ?」
『里の問題は全部僕達が解決するべきだけど! もう僕達だけであのオーガには敵わない。このままだと、皆が殺されてしまう』
「だから、その手は何だ? どうして、俺を引き止める」
身を翻し、怒りを隠さずアイサを睨み付ける。
この状況でアイサが俺に頼む事など多くはない。言葉が理解できないから、という建前が通じないぐらいに、アイサの青い瞳は懇願していた。
谷底の惨状から、大事な人達を助けて欲しい、と。
「俺に、この里の奴等を救う理由があると思うか! ああ、行き倒れていたのを捕らえてくれたな! そうだ、堅いパンを地面に落としてくれたな! 後はそうだ、失明寸前にもしてくれたよな!」
アイサごときが良心の最上位に君臨できる里を、救えと懇願されてしまった。
どう客観視しても、侮辱としか思えないから俺は怒る。
「ああ、だったらお礼しないとな。下の奴等に混じって、隅で遊ばれている女で発散しろ。こうアイサは勧めているのか? 馬鹿にするな!」
怒り声に対して、ひぃっ、とか言いながら怯えてしまえば可愛げがあったというのに、アイサは真正面から懇願し続けた。
『お願いします! 姉さんを助けて!』
怒りが頂点を越えた俺はアイサを突き飛ばす。そのまま流れるように、手を腰に回してダートを取り上げると投擲した。
これまで散々ノーコン振りを発揮していたというのに、ここぞという時には命中してしまう。
木の陰から現れたフードを被った山賊の脳天に、ダートは柄まで突き刺さっていた。完全な致命傷だったので山賊は声も出さずに倒れていく。
「今の俺がオルドボと戦っても、握り潰されるだけだ。それが分かっていて助けろというアイサは……やっぱり、俺に死んで欲しい訳か」
はぁ、と溜息一つを残して、アイサから離れていく。
山賊が現れたという事は、そっちに谷底に通じる道があるのだろう。
俺は倒れた山賊を引き釣りながら、木々の向こう側へと消えていった。