5-4 襲撃の隠れ里
エルフの隠れ里は臨戦態勢に入っていた。
どこともなく現れた盗賊共に襲撃を受けたのだ。里は多くを略奪され、攫われ、破壊された。里長が急遽、エルフ本国の族長に召還されていたため、指揮役がいない事も災いしている。
百人前後の住民の内、戦闘員として稼働できるエルフは八十名はいるだろう。
種族としての性能は人間族を上回り、平均レベルも高い。隠れ里としては過剰な事に、レベル80前後の精霊戦士が三名もいる。百人大隊の騎士団に襲撃されたとしても、里は十分に対抗できる戦力を有している。
「北側の守りが薄いぞッ! 隙間を埋めろッ。奴等はゴキブリと同じだ」
ただし、襲撃者は三百人の盗賊職だ。
「南側から火の手だと!? 姑息な罠だ。火は後回しにしろ。完全武装の戦士を東の崖から送り込んでやれ!」
盗賊共は勝算が合って攻め込んでいる。
……正確に言えば、盗賊共は戦術的な勝利を目指していない。ただ己が儲かれば良いと思っているだけだ。
エルフの隠れ里という宝物庫の位置のみを共有し、複数のグループが連携する事なく波のように襲撃を繰り返している。間抜けな一団が矢で脳天を貫かれたならば、馬鹿な同業者が減ったと笑って喜ぶ。あるいは、エルフの目が他に向けられている内に宝を盗めたと喜ぶ。
Bランク以上の盗賊職は『暗躍』を忘れない。
気配を消し去り、単独行動で里内に潜入してくる盗賊の察知は困難だ。戦いを挑まない卑怯な盗賊共に、エルフは苦労し続けていた。
「西側はクレイユ、エーウッドの二人に制圧に向かわせたはずだ。問題はない。……子供達が消えている、だと? 誘拐されたのか。クソ、人間族めッ! ……悪いが、今は戦力を分散できない。諦めてくれ」
盗賊職らしく汚らしい戦法に苦しめられているのはアイサの姉、トレアである。
謹慎処分中のトレアであったが、里の危機を牢の中で見過ごせる性格をしていない。むしろ、各所から上がる情報を精査し、指示を下す中心的存在として指示を飛ばしていた。
レベル80の精霊戦士の一人としては、当然の役割だろう。
戦闘特化のエルフたるトレアの指示能力は確かだった。
人間族に妹を奪われたトレアの恨みも確かなため、卑劣な盗賊共の動きを高頻度で看破している。
「所詮は脆弱な人間族だ! 精霊魔法で壁を構築しろ。奴等が潜む森の木を動かして平地にしてしまえ。もう少し耐えれば、終わるぞ!」
そうして、防衛戦が開始して二時間。ようやく、盗賊共の動きが鈍くなる。
ある程度の戦果を得られた盗賊団が撤退を開始したのだ。散発的に里への侵入を試みているのは、意地になっているだけの無能者だけである。
戦闘は最も激しい時間を過ぎて、そろそろ追撃戦に移行する頃合だろう。
身の程しらずにも森の種族を襲撃した人間族は一人残らず始末する。
奪われた宝はすべて取り返す。
奪われた仲間の命は、より多くの人間族の生命で償わせる。
指揮のために里の中央に布陣していたトレアは、ようやく敵を射抜けると安堵しながら矢を手にした。やはり、戦士は戦場で戦ってこそ存在意義がある。
「……アイサが里を出ている時で良かった」
うざったそうに長い金髪をかき分けてから、トレアは向かうべき戦場を見極める。
里の中央に生える樹齢五千年の巨木から、盗賊共にとっては駄目押しとなる高レベルの精霊戦士が出撃しようとしていた。
「ぐふぇふぇ。まだァ! ボーナス日は始まったばかりだァ!!」
……トレアの出撃の見極めは完璧だった。
トレアが短気を起してもっと早く出撃してしまい盗賊狩りを始めていたならば、事態はもっと悪化していただろう。精霊魔法で急造した防壁を破り、里の内部に進攻して来る紫色のオーガを見逃してしまっていた。
一服できた事で『吸血鬼化』の衝動は収まった。
拭いきれていない血の臭いが口元にこびり付いている。まあ、胃の中から漂う血臭ほどに不快ではない。
副次的に、前方五メートルにいるエルフ共にも嫌われる事に成功した。元々好かれてはいなかっただろうが、助けた理由を曲解されて懐かれるのは傍迷惑だ。
嫌いなエルフと同じになりたくないから、助ける。
俺の助けるとは、そういう祟りの一種でしかない。
「子供が縄で繋がれて歩ける距離だ。集落はそろそろか?」
アイサは今、三人の子供エルフの手を握って前を進んでいる。
時々、振り返って俺が付いてきているか確認しているようだが、目が怯えているぞ。ははっ、俺の嫌いなエルフの青い目だ。
『血を飲んでいた。でも、あれは子供を助けるためだから、誤解しないから』
集落に辿り付けば、ようやく本筋に戻れるだろう。
こう俺は集落への到着を待ち望んでいたのだが――。
『隠れ里は、崖下に見えてくるよ。姉さん達なら、心配ないと思うけ――』
――そもそも、エルフの子供が山賊に誘拐されていた理由をもっと深く考えるべきであった。
例えば、エルフの里が襲撃されて今も戦闘が続いている。こう想像力を働かせるべきだったのだろう。
魔界にしては穏やかな森林の中、突如現れる崖下では、複数のエルフが紫色の巨体と戦闘を繰り広げていた。
「マズいな。戦闘区域に子供届けてしまった。……って、アイサは子供から聞いてなかったのかよ。危険だと思わなかったのか?」
『――そんなッ。あんな場所まで攻め込まれるなんて!』
「おい、勝手にショックを受けた顔をするな」
状況を探るためアイサに近づき、同じように崖下を見下ろして観察する。
崖というか、谷に近い地形だ。谷底から生えているのに、周囲で最も高く育っている巨大な木の枝葉が、谷の存在を覆い隠している。モンスターや人間族から隠れて済むとすれば、こんな僻地になるのだろう。
「山賊と戦っているのか。……いや、あの紫色。まさか魔王連合のオーガかっ!」
俺が近づいた事でエルフの子供がアイサを壁にして隠れてしまった。仮面を向けると、身を寄せ合って縮んでいく。
『キョウチョウ、トレア姉さんが戦っている! だけど、大丈夫。トレア姉さんは里一番の精霊戦士だから、オーガなんて倒してしまうから』
アイサだけは興奮した顔付きだ。谷底を指差して、トレア、とか人名っぽい単語を連呼していた。
エルフの集落を襲撃しているのは、俺の仇敵。魔王連合の幹部級モンスターたるオルドボで間違いない。オーガの巨体なので、遠くからでも確認できる。
寄り道としか思っていなかった場所で、思わぬ再会だ。
それとも、オルドボは最初からエルフを狙っていたのだろうか。アイサを捕らえていたのもオルドボだったので、そんな想像ができる。
オルドボは洞窟の崩落に巻き込まれたはずである。
だが、その翌日、エルフの集落に強襲するオルドボの元気な姿が……まあ、そんなものだろう。
「憎い奴等が潰し合うっていうのなら、静観もやぶさかではない」
巨木のごとき棍棒をぶん回すオーガの筋力。
棍棒をかい潜りレイピアを突き刺すエルフの反射神経。
刺突武器をもろともしない紫色の強靭な肉体。
その暴力的な筋肉達磨を押さえつけようと四方から伸びる植物の蔓の群。すかさず撃ち込まれていく矢の雨。
高レベルな戦いが繰り広げられている。試合を観戦するように上から全体を俯瞰していなければ、目が追い付かなかっただろう。
今の俺が谷底に下りて戦闘に参加したならば、棍棒に殴られて上半身と下半身がさよならしてしまう。ついでに、矢で頭が剣山と化してしまうだろう。
とてもじゃないが介入する気になれない。魔王連合は倒すべき敵であるが、俺では全く歯が立たない。
「ふ、エルフ。アレを倒してしまっても構わんのだぞ」
『何でキョウチョウが偉そうにしているのか分からないけど。姉さん達がオーガを圧倒している。そろそろ、決着が付くよ』
オルドボと真正面から戦っているのは男二人、女一人のエルフである。他のエルフは時々援護で矢を放つぐらいで、三人の邪魔をしていない。
主観であるが、主戦力のエルフ三名は、たった一人でもオルドボと対等に戦える実力があるだろう。
だが、エルフは驕る事なく連携を組んでいる。ローテーションで牽制と攻撃を行い、力あるオーガを集落の広場に釘付けにした。
オルドボの『守』は高いようであるが、限界は確実に到来する。
トドメの一撃は女のエルフが担った。
やや後方に下がった女エルフは、立てかけていた己の身長に等しい長弓を装備する。オーガの狙撃に適した枝に跳び乗った後、短く口を動かした。
「――ネイブ《蔓よ》、スチフ《絞め殺せ》、ムーアイ《狙い撃つ》」
長弓の矢の鏃が肥大化していく。
まるで、ミサイルの弾頭のように、あるいは植物の種のように丸みを帯びた矢が生成された。
魔的な力が込められた矢が、弦が解放されると同時にオルドボの心臓目掛けて飛翔する。
『死ね、オーガ』
狩猟民族の矢からは誰も逃れられない。
オルドボとて例外ではない。矢に胸を撃ち抜かれて金色の目を見開く。
けれども、その濁った金色の目は、矢の着弾点から急成長する蔓に巻かれてしまう。
ハムを縛り付けるという表現は生易しい。肉が絞られ、血色のブロック材になる圧力で蔓は巻き付いた対象を絞殺しているのだ。オルドボのロース肉が広場に散らばっていないのは、蔓がオルドボの三メートルの巨体を余さず絡み取ったからに過ぎない。
楕円から球状になりつつある蔓の塊は、糸の硬い毛糸球だ。
『トレア姉さんのマジックアローが決まった!』
オルドボを討ち取った女エルフが、長い後ろ髪をかき分けている。
気付くのは今更かもしれないが女エルフは、俺が最初に出遭ったエルフだ。冷徹な美人の顔を垣間見て、俺はようやく思い出した。