5-1 二人の縮まらない関係
散々な夜が終わりを迎えて、太陽が昇っていく。
異世界の日の出はショッキングピンクに輝いている、なんて事はなく、普通に橙色をしていた。
本当に散々な夜だった。
山賊やオルドボが生息していた洞窟から逃れている真夜中。俺一人の時は気にしなくても良かった夜行性のモンスターと、次々とエンカントしてしまったのである。
バグったかのような高エンカウント率の原因が、お荷物になっているエルフの所為だと気付き放り捨てたくて仕方がなかった。が、どうにか荷物を抱えたまま生存して、今に至っている。
「『暗躍』は俺に対してのみ有効か。そりゃそうだよな」
『寒い……寒い』
適当に登った木の上で一夜を過ごした。
疲れ果てていたので眠りたかった。だが、エルフが一緒だと夜襲に気を付けなければならず、結局一睡もしていない。
下着一枚のエルフの体は冷たくて、抱き付かれた場所から熱を奪われ続けた。眠ると低体温症になりかねなかったので、眠らないのは正解だったのだろう。
「このエルフめ、バッドスキルが発動したらどうするつもりだ」
『ごめんなさい。助けてもらうばかりで、ごめんなさい』
「何で俺に懐いているんだ。このエルフはっ!」
日が完全に昇り、気温が多少マシになるまでエルフは俺から離れようとしなかった。
食料を探してから戻って来た時、エルフは裸ではなくなっていた。
「――エシ・ネーベ・カーベ・エシ・カーベ・エメ・カーベ――」
旋律を詠っているエルフ。彼女の元へと周辺の植物が蔦を伸ばしており、蔦が自ら編みこまれて服となっていく。
編み込みは甘いものの、裸でいるよりはかなりマシな蔓編み物を体に巻き付ける。遠くからならばタイトなワンピースに見えなくもない。
「――エシ。ムーア・カーベ・エシ・カーベ・エメ・カーベ――」
「呪文か。妙に、長ったらしく聞こえるな」
それにしても、エルフが初めてエルフらしい幻想的な事をしている。
植物を操るなんて森の種族っぽさが満天だ。呪文を唱えて植物を操作しているのであれば、これが魔法なのだろう。
初めて目撃した魔法は攻撃性能に欠けるが、超常識的である事は間違いない。植物操作も、森林地帯ではかなりの強みとなる。
「――エシ・ネーベ・カーベ・エシ・カーベ・エメ・カーベ――」
ただし、呪文詠唱が長い。長過ぎる。効果を継続させるために詠唱し続けなければならないのか。
体を動かしながら、口も動かし続けるのは無理がある。息が切れていたら詠唱どころではなくなる。戦闘では使えなさそうだ。
「俺も『魔』が増えたというのに、意味無しか」
魔法を見たというのに感激せず、ただ長所短所を考察する俺は何なのだろうね。と、呟きながら採取したばかりの朝食をかじる。
『――あ、仮面の人、帰って来てくれたんだ。おかえ……りってッ!』
本日の朝食は、近場で発見した真っ赤な果実である。石榴のようなツブツブが内側に密着した怪しい外見をしている。
だが、食わず嫌いをしていては美食を極められない。
この果実も、外見に反して味は最高だ。
『えッ、何で猛毒植物食べてるのッ!?』
プチプチ弾ける触感と、脳が麻痺するぐらいに甘ったるい味が病み付きになる。アルカリ性の溶液のごとく鼻に来る刺激もあるが、それもまたおつというもの。
ふむ。脳内ブックマーク。
『だめッ! そんなの食べたら鼻から脳が溶け出て死ぬんだから!』
「ん、食べたいのか? おいおい、勝手に奪って捨てるなよ」
『吐いてッ。吐き出してッ』
「このエルフ、そんなに切迫した顔して指を喉に……うがげェ!? 止めろ! せっかく食ったのに吐き戻させるなっ。やめろッ。うげェ」
朝っぱらから胃酸を垂れ流す。
エルフめ、そんなに俺が栄養を取るのが気に入らないのか。助けてやっているというのに、エルフの辛辣さは変わらないようである。
『もう間に合わないけどッ、これッ、中和するはずだから!』
そうかと思えば、エルフはどこからか紫キャベツみたいな葉っぱを採取してきて俺に手渡してくる。
先にエルフが葉をかじってみせて、食品である事を証明した。
その後はまた指で喉奥に押し込むように葉を突っ込んでくる。
なるほど。苦くて味は最悪だったので、きっと人間族だけに効果のある毒草に違いない。はは、残念だったな。俺に毒は通じないぞ。
『僕はアイサ。アーイーサ』
付き纏ってくるエルフにウンザリしながらも、人間性の良い俺は応答だけは返していた。
「自分を指差しながら、アイサアイサと繰り返している……。ああ、分かった。お前を殺す、っていうエルフのジェスチャーだろ」
『アイサ。僕はアイサ。仮面の人の名前は?』
「今度は俺を指差した。まるで名前を尋ねるような仕草だが、それだと単純が過ぎるな。何せ異世界の異種族だ。地球でさえ、グッドサインの指の形が地域や国によっては侮蔑になる。ここは無視しておこう」
『……んー、どうして伝わらないかな。僕はアイサ。アイサ』
「はいはい、アイサアイサ」
ペット不許可の賃貸マンションに住んでいるのに、人懐っこい捨て猫を拾ってしまった気分だ。
いつまでもエルフを連れ歩くつもりはない。
マッカル金貨一万枚という目標まで、残り一万枚。憎らしき魔王連合の一味とも遭遇した。
停滞している暇はない。今日中にエルフをどうにかして、早く一人旅を再開しなければならないのだ。
……周期的に発症するバッドスキルを恐れている訳ではないぞ。対抗策のない血を吸いたくなる方だった場合、近場に生血がいた方が有難いのだ。
『そう。僕がアイサ。仮面の人は?』
「このエルフしつこいな」
『えるふ? もしかしてエルフって意味かも』
一方的に語り続けるエルフは、先程から同じ単語を繰り返している。ほとんど、単語の意味は確定しているものの最終確認は怠らない。
目前の木を指差してから、これはアイサですか、と聞いてみると首を振る。
ナイフを取り出して、これはアイサですか、と聞いてみると首を振る。
右に居座るエルフを指差し、お前がアイサか、と聞いてみると嬉しそうな笑顔を見せた。
『そうだよ。僕の名前はアイサ』
そして、俺自身に人差し指を向けてみると、アイサは身を乗り出して期待するかのように両目の輝きを強めてくる。
「俺は凶鳥だ。祟りを振りまく鳥だから、凶鳥だ」
こう名乗るのは初めてだ。そう思うと、妙な気分になり、笑いが込み上げてくる。
コツコツと人差し指で鳥の面を小突き、凶鳥、と俺は繰り返す。
『キョウチョウ? 不気味な発音だけど――』
「どうだ。この醜い鳥の名前は! 『凶鳥面』スキルを持つ俺は、ハルピュイアと同じで嫌悪感の塊だ」
『――キョウチョウを助けなかった僕は、償わないといけないから』
「凶鳥は誰からも助けられない。アイサ、お前だって例外じゃなかった。俺は絶対に忘れない! はははっ!」
『薄汚く笑おうとするキョウチョウの心が捻れてしまったのは、僕の所為だから』