顔のない救世主
エルフの族長よりホットラインが届いたのは朝日が昇る直前の出来事であった。
魔界と国境を接する国の一つ、ナキナ国の若き王は寝台からむくりと起き上がった後、忙しくなく着替えを済ませていく。
王とは激務な職種である。
特別、ナキナ国の王は忙しい。今日はまだ三時間も眠っていない。
睡眠不足な王の短い睡眠時間が削られて良い訳がなく、三本もクリーム色の毛が頭から抜け落ちてしまう。
容姿に自信を持つナキナ国の王は、抜けた己の毛を見て更に疲労する訳であるが、毛根のために仕事を休もうとは一切思っていない様子だ。毛根が死滅するよりも早く、国が滅亡し掛けているのだから仕方がない。
寒い廊下を早歩きで王は歩む。
エルフの族長からの呼び出しを、吉報である事を祈りつつ――そんなはずはないだろうと悲観しつつ――、一人である部屋へと入っていく。
防諜対策が施されたその部屋は、壁が分厚い所為で狭苦しい。
化粧台のような長鏡と対面するだけに用意されたエルフとの交信室であり、王が入室すると唯一の扉が音を立てて堅く施錠された。
「申し訳ない。エルフの族長よ」
『王が第一声で謝るものではない。ナキナの新王。人間族の国で唯一の同盟国であるナキナと、我等エルフは条約上対等である』
長距離通信を開始した長鏡は、絶世の美貌を持つ女エルフを映し出す。
金の縁を持つ長鏡よりも、きらめかしい光沢を放つ長髪を持つエルフこそがナキナ王の通話相手だ。
エルフが美しく、美しいエルフの族長が美麗なのは言うまでもない。
ただし、残念ながら長鏡の映像はカク付いていた。フレームレートが低過ぎるのだ。
エルフからの贈り物である長鏡を整備できる人間族が一人もいないため、全く調整ができていない。下手にいじって音声にまで影響が出ては大事であるため、三十年前から放置され続けている。
『我等の『巫女』職が天啓を受けた。数ヶ月以内に魔王が動く』
「また人類生存圏進攻が、起きると?」
『……ここ半年、『討伐不能王』が姿を晦ましている。憎らしくも、奴の領土が魔界と人類生存圏の緩衝地帯となっていた。それが、今は機能していない。近隣の魔王が活気付くのは当然であろう』
「まさか……あの野蛮人が『討伐不能王』を仕留めたとでも! あんなろくでなしが、ありえない!!」
ナキナ王は本当に若い。
先王が急死して戴冠した時が十六歳であり、今は二十歳を過ぎたあたりである。
一方のエルフの女族長は、ナキナ王の先々代の頃からの付き合いであり、年齢は千年を軽く超えると言われている。
ナキナ王が嫌いな人物の名を甲高く叫び、エルフの女族長が澄ましているのは当然の構図だ。
「迷惑にしかならぬ野蛮人め! 倒すべき魔王はもっと他にいたではないか!」
二人の話題に挙がっている『討伐不能王』とは、傍迷惑な魔王共の中でも、討伐不能と人類を諦観させた最悪の魔王である。
ただし、最も迷惑な魔王ではない。『討伐不能王』の興味は、禁忌の土地と恐れられる異世界に向けられているからだ。国境を接するナキナ国でさえ、被害は年に村がニ、三失われるだけで済んでいた。
討伐する魔王として『討伐不能王』の優先度は低く、むしろ、討伐する事により他の魔王が活発化する危険性の方が強く叫ばれていたぐらいである。
しかし、討伐不能の魔王を討伐する。この夢物語を己の肩書きにしたいという愚か者は多い。
『……やはり、ナキナ王は聞いておらぬか』
「何の事でしょうか?」
最新鋭の勇者たる赤毛のレオナルドも例に漏れず、何度も敗退しているのに『討伐不能王』に戦いを挑み続けていた。
『既に、勇者職が空席になっておる。我等の精霊戦士をレオナルドの監視役として派遣していたが、連絡は途絶えたままだ。禁忌の土地で戦死したのは間違いなかろう』
「そ、それは真ですかっ!?」
勇者の喪失。
人類国家としては大事件であるが、他の国々から防波堤としか思われていないナキナ国には一切伝わっていなかった情報である。人間族国家から距離を置くエルフからお情けで伝わるぐらいに、ナキナ国は見放されている。
人類圏の防波堤。魔族と対峙し続ける誉ある国。
ナキナ国に対する体の良い賛辞は尽きない。
ナキナ王の頭より、また毛が抜け落ちていく。
『我等も候補者の選定に入った。貴公も急ぐが良かろう』
魔族と比べて明らかに脆弱な人類が、個として魔族と渡り合うための最終手段が勇者職の選定だった。
戦士や魔法使いといった定番や、エルフ特有の精霊戦士。政敵を貶める目的で用いるアサシン等々、職は様々存在する。勇者も職の一つである。
数千年の経験則より、一般的に言われる勇者《勇ましき者》職についても条件を人類は把握済みだ。
勇者とは、国の王から推薦される者が魔界に赴き、数度の戦闘を生き延びた者が就ける職業だ。存外、単純な条件である。
勇者が死亡した場合、各国は可能性ある戦士や冒険者を募集する。己の国から勇者が誕生する事は名誉とされているので、数多く募集する。
そして、鉄砲玉のように魔界に放つ。
こうして若人の屍の山と血の海の出来上がりだ。腐葉土の代わりに、死体が森に堆積して層を作る。
「若者に死ねと命じるなど……」
『天啓は既に出ている。選択の余地はないぞ』
勇者候補の多くは死に絶える運命になる。
勇者の候補者は才覚あるものが選ばれるというのに、実に理不尽な話である。が、勇者候補は低レベルである事も条件であるため、死ぬのは仕方がないとも言えた。
勇者職はパラメーター成長度合いが高く、高成長を促すスキルも取得できる。そういった恩恵を最大限受けるためには、レベルは高くても15、6である必要がある。
その低レベルこそが死亡率の高さに繋がっているのだが。
ある博識者はこう言う。
勇者という馬鹿げた理想を得ようとした国々は、むしろ未来ある若者を失い、国力を低下させている。
勇者という理想を得られた馬鹿な国も、暴虐無人な兵器を扱いきれずに浪費する。
別の博識者はこう言う。
勇者の平均寿命は三年。勇者は高過ぎる消耗品でしかない。我々は、勇者を捨てるべきである。
『それでも、魔王を倒せるのは勇者だけだ。同胞の屍の山が、同胞を守る盾となる。そう信じなければ我等は滅亡するだけだと心得よ』
「この世界に、救いはないのですか」
頭を抱え込んでしまったナキナ王は、どうにもならない現実をエルフの族長に訴える。
王様らしくないその姿は、迷える子羊のようであるが可愛らしくはなかった。
成人後の男の悔し涙は共感できるかもしれないが、愛らしいものでは決してなかった。
『ナキナ王よ。お前を孫のように愛らしき人間族だからこそ、明かそう』
……千年の時を生きるエルフの碧眼越しであれば、別なのかもしれないが。
『此度の天啓は魔王襲来の警告以外にも、もう一つ存在した。こちらの天啓は酷く珍しいものであり、我はこの世界の創造主が我等を見捨てていないという証だと信じている』
飾りを付けた長い耳を、エルフの女族長はピクリと動かす。飾りの宝石が少しだけ揺れる。
『救世主は既に現れている。これが二つ目の天啓だ』
「ッ、救世主!? その者とは一体!」
『そこまでは分からぬ。天啓を受けた巫女にはその救世主の顔も見えたそうだが――』
その癖が、幼子をあやす際の癖である事を、ナキナ王は知っていた。
まだ幼い頃に、今と同じように長鏡越しにあやされた記憶があるから、ナキナ王は知っていたのだ。
『――巫女が言うのは、顔が無かったため分からないという』




