4-10 オルドボ
落ちていた仮面を拾って、気色悪い鳥の面を鼻で笑ってから顔に付け直した。
せっかく外れたのだから、そのまま捨てておくべきなのかもしれない。が、俺の場合は仮面がない方が不都合だ。顔の穴を開けたままにしておくよりも、人に嫌われる方がまだマシというものだろう。
仮面をしっかり皮膚と癒着させてから、『暗澹』スキルを解除する。
透過性のない靄が消え去った時、室内には俺と拘束されたエルフしか残っていなかった。
犠牲となった山賊男の死体はどこにも転がっていない。
死体を残さなかったのはやり過ぎかもしれない。まあ、エルフの娘をさらって猥褻しようとしていた輩である。世界からゴミが消えたので結果オーライとしよう。合掌。
『何が起きたの?? あの盗賊職の人は? 「顔が無い」ってどういう意味??』
個人的には必要性はないのだが、いちおう、消した松明の代わりになるものを求めて辺りを探す。
机の上にランタンを発見して、火種がなければ意味がないと卓上に置き直す。と、勝手に光を発し始めたので少し驚いた。異世界の非常識アイテムの一つだったのだろうか。
『あっ、光が……ひぃっ。やっぱりそのお面怖い』
頼りない光が室内を照らし始めると、エルフ少女が小さく悲鳴を上げた。
エルフ少女は俺の顔を見て息を呑み、体をよじっている。山賊男の次は、俺に襲われるとでも勘違いしているのだろうか。
平たい胸の種族の裸体などに興味はない。長居し過ぎたので、エルフの娘を放置して地上に脱出しようか出口に体を向けていく。
「……はは、冗談だ」
すぐに踵を返す。エルフの娘を釣り上げている滑車のストッパーを外してやった。
ジャラジャラと甲高く鎖が響く。
エルフ少女は鎖から解放され、洞窟の冷たい地面に尻餅を付いた。何時間ぶりに拘束が解かれたのかは知らないが、痺れた腕が垂れ下がったまま動かせない様子だ。俺が視線を向けているのに、未だに胸を隠さず立ち上がりもしない。
「後は勝手にしろ」
今度こそ立ち去りたかったので、言葉が通じない事を気にせず言い放つ。
鎖を解いてやっただけでも十分エルフ少女は救われている。それとも、手厚く介抱してやり、背負って地上へと脱出させ、更には安全な場所まで送り届けてやれとでも言うのか。
エルフの娘は怯えながらも、縋るような青い目で俺を見上げている。大事な命のためならば、鳥にだって縋るだろう。
チョロいから殺したくなる、とか思ったりしてはいけない。
『そんな殺気立って、やっぱり僕を恨んでいる、けど……』
このエルフの娘は、俺を試してやるのか。不可解な行動を取る俺の真意を探ろうとしている。
「そんな憎らしい青い目をするな。勝手にしろ、と言っただろ」
『人間族なのに、呪われているのに、僕を助けてくれる。それが、僕には分からないけど……』
「俺に期待するのは、間違いだ! 何なら、今から改めてお前を見捨ててやっても良いんだ」
鳥の仮面付きの顔で凄む。たじろぐエルフ少女は、それでも青い目を向けてくる。
見目麗しいだけのエルフを見捨てる事なんて造作も無い。
例えば、目前に持ちきれない量の宝が現れたのなら、俺はエルフを捨て置いて宝を取るだろう。俺はバッドスキル解消のために一万枚の金貨を求めているのだ。何の足しにもならないエルフを助ける理由はない。
……そうそう。
たった今、開かれた奥部屋に見える金銀財宝の山とか――あれ?
「ナ、何してんだァ?」
耳に懐かしい、理解可能な人語が聞こえた。が、人語ではあったが、人間族が発した言葉ではない。
紫色の巨躯の通り野太い声質で、密閉空間では長く音響する。
狭苦しそうに身を屈めながら入室してくる足音も振動する。
「あァぁ?? お前ェ、なしてエルフを離した? というか、おではそんな鳥の顔したお前ェ知らない。お前ェ誰だ??」
唇からはみ出る牙と厳つい表情筋。
現れたソイツは間違いなくオーガである。
人間族の山賊の住処奥に隠れていた事や、脳筋の癖して言葉を喋る事や、その言葉を俺が理解できる事も含めて釈然としない事柄は多かったが、紫色のオーガとエンカウントしてしまったのである。
オーガは俺とエルフの娘を交互に見比べた後、こめかみ付近の血管を浮かせて怒気を表す。
「おでのマッカル金貨一万枚を、盗むつもりだなァッ!」
掴み掛かって来たオーガの太い両腕を慌てて避ける。オーガの突進と共に、天井から落ちてくる埃が目に入らないようにするのも重要だ。
「マッカル金貨一万枚!? あるのかっ!」
だが、何より重要なのはオーガが口走ったマッカル金貨一万枚の所在だ。
奥部屋から微かに見える黄金の輝きが、俺の求めている金貨で間違いない。獣臭さが気になるが、奥部屋へと走り始める。
「金貨をよこせ!」
「逃がさないぞぉ!」
オーガが地団駄を踏む。たったそれだけで洞窟の床や壁に亀裂が入っていく。
馬鹿らしい『力』を有しているのは明白だが、お頭が悪いのか崩落による生き埋めを考えていないらしい。
「おでの集めた金貨はずべて、迷宮魔王『ダンジョン』様への上納品だァ! どこの盗人か知らねェけっど。勝手に盗むなんて悪い人間族め!」
「――迷宮、魔王だと?」
記憶が封印されていても覚えている名前の魔王だった。
走馬灯の中で聞いた魔王連合の一柱。迷宮魔王『ダンジョン』。どこぞの洞窟で仇敵の一体の名前を聞く事になるとは思わず、体が硬直してしまう。
今更ながら、紫色のオーガも見覚えがあった。記憶を失う直前に俺を襲ってきた奴等の中にオーガがいたのと思い出した。
「となれば、並のモンスターじゃないぞ、コイツ!?」
「コイツじゃない! 三騎士が一人、おではオルドボだァ。迷宮の財務担当たるおでは、強いぞォ!」
ただのオーガではないと分かっていたのに、オルドボと名乗る紫色のオーガは想像以上の難敵だった。
全盛期の俺でさえ苦戦していたのだ。レベル一桁の人間族で敵う相手ではないのは明白であり、少し立ち止まっただけでも致命的な事態へと直結してしまう。
オルドボは筋肉達磨だというのに、瞬発力はチーターのそれを上回っていた。地下室という閉所という制約があってなお、俺を捻り潰すのに全力を必要としない。
瞬きし始めて、終わるよりも早く紫色の拳が顔面へと伸びて来る。
「『暗澹』発動ッ!!」