4-9 落ちる仮面に暗澹せよ
奇襲は成功し、蹴り飛ばした山賊男が壁に衝突する。
側頭部を岩肌にブツけて血を流しているが、残念ながら山賊男は昏睡してくれない。つい、頭に血が昇ってしまい衝動的にドロップキックを放ったが、やるならナイフで心臓を狙うべきであった。
『な、何もんだッ!』
「言葉が通じねえよ!」
武器庫から拝借しておいたダートを人差し指と中指の間に挟み込み、アンダスローで投擲する。
……うわ、たった三メートルの距離なのに外した。ノーコンが過ぎるだろ、俺。
『えっ、ひぃっ! 鳥の怖いお面!? どうして、こんな場所に??』
「だから、通じねえ!!」
山賊男が反撃に出る。俺が外したダートを拾って逆手に構えると、想像よりも速い踏み込みで肉迫して来た。
異世界での対人戦闘に慣れていない俺は、山賊男のパラメーターを完全に見誤る。見かけの筋肉量だけでは図れない『力』が俺の防御を弾き飛ばし、易々と窮地に追い込まれてしまう。
下から振り上げられたダートを見事に避け損なった。
「山賊ごときが、俺よりもレベルが上かよ!」
『気持ち悪りぃ仮面しやって。顔の皮ごと剥いでやる』
『駄目ッ!』
横から入り込むエルフのしなやかな足蹴が、山賊男の手首を弾いた。ダートの軌道が逸れていき、俺の左の腹を浅く裂いていく。
正攻法での戦いは危険だと判断し、小細工を弄するために一度後退する。
部屋の照明である松明へと手を伸ばし、地面に倒して足で砂を掛けた。光源を失った室内は完全なる闇に埋没する。
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“アサシン固有スキル『暗視』、闇夜でも良く見える。
可視領域は広がるが、視力向上の効果はないため、視界はスキル保持者に依存する”
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闇は『暗視』スキルを持つ俺の独壇場だ。山賊男がパラメーターで俺を上回っていたとしても、見えない攻撃には対処できまい。
卑怯だろうと関係ない。命賭けなのは俺も山賊男も同じだ。
握ったナイフの切っ先に集中する。部屋を大きく回り込み、背後から山賊男の心臓を狙う。
『はっ、馬鹿めッ!』
気のせいか闇の中なのに山賊男と視線がかち合う。異世界人は山賊ごときでも殺気とやらを察知できるというのか。
『俺の職業は夜盗だ! 『暗視』スキル持ちに闇討ちたァ、早まったな!』
まさか、と思わず言葉が漏れ出る。
もう少しでナイフが到達したというのに、山賊男はドヤ顔で俺の手首を掴み取ってきたのだ。万力のような重圧に耐えかねて、ナイフを落としてしまう。
ドロップキックの復讐のつもりだろう。山賊男は俺の腹を蹴り上げて、腸がよじれる感覚に苦悶する。
『イカれた仮面付けやがって! ゴイル団のアジトに押し入って、生きて出られると思うな』
「がっ、アガッ。だから、何言っているのか通じ――」
『ほらよッ』
闇の中だというのに、山賊男は正確に俺を痛め付けている。見えていると考えるのが自然か。
やはり対人戦闘に慣れていない。人間族が所持していそうなスキルを予想してから作戦を練るべきだったのに、見積もりが甘過ぎた。
再び腹を蹴られて、くの字に曲がる体。
落ちていく顎を、山賊男の膝蹴りが出迎える。
死に体になっても蹴る殴るの暴行しか加えてこないのは、俺を痛めつけるのを楽しんでいるからだろう。俺が山賊男を強いと感じ取ったように、山賊男は俺を弱いと直感したに違いない。隙さえ見せなければ、相手を手玉に取れる力量差だ。
上から下へ。下から上へ。俺の頭は垂直に跳びはねるピンポン玉。
締め括りに、ハンマーで殴られたかのような衝撃が脳天に突き刺さる。俺は顔から地面に埋まり込んだ。
『はぁ、はぁ。エルフで楽しむ前に、余計な体力使わせやがって』
ラッシュを続けるスタミナが空になったのだろう。両手で作った握り拳を振り下ろした体勢で、山賊男は息切れを起している。
手が止まり、俺は一時的な安息を得られる。が、喜んでばかりはいられない。すぐに永続的な安息が訪れてしまうからだ。
山賊男は俺が落としていたナイフを回収していた。喉を斬り裂こうと髪の毛を掴み、地面に埋まっていた顔を引きずり上げていく。
『殺す前に顔を確認してやる』
そして不用意にも、顔を隠す仮面へと手を伸ばしてしまう。
顔の皮膚に癒着して、決して取れないはず鳥の仮面が簡単に外れて、落ちていく。
『エルフを助けに来たのか。エルフには見ねぇというか、どうして仮面で顔を隠し――』
俺の仮面は冥府の海へと通じる蓋だというのに、まったく、正気を疑う行動である。
『――て?』
山賊男が俺を弱いと感じ取ったように、俺も山賊男を格上と直感していたのだ。
適度に殺されず、さりとて殺し辛い相手。眼前の山賊は生贄役として丁度良い。
記憶を完全に取り戻すため、失ったすべてを奪い戻すため、魔界でも規格外の魔王共に喧嘩を売るのは決定事項だ。だがその前に、手頃な山賊で己の力を試しておこうというのはごくごく自然な作戦行動だろう。
『おい……何の冗談、だ? 俺の『暗視』スキルが切れたのか??』
俺の顔を覗き込みながら、山賊男は表情を引きつらせている。
奥歯がガチガチと震えているのか、口の端が小刻みに振動している。
俺は……良い反応を見せてくれる山賊が面白くて、ニタりと笑う。
『どう、なっていやがる! お前は魔族なのか!?』
逃げようとする山賊男の腕を、爪を突き立てて拘束する。そんなに力を込めなくても、見てはならないモノを見てしまった恐怖心に煽られて、山賊男の体は勝手に強張っていたのだが。
唯一自由に動く口で、山賊男は恐怖体験を叫び上げる。
『なんでお前ッ、顔が無いんだッ!!』
瞬間、俺の顔を中心に深海の泥のようにドス黒い空間が現世に漏れ出す。
何もない深海には、呪い殺す対象すら存在しない。
本当はもう、呪い殺したい対象は存在しないのかもしれない。
それでも、未だに黒く堆積し続ける憎悪の塊は、深海から墨色の手を伸ばし続けている。だから蓋がなくなれば、世界を侵食して祟られるべき知的生命を探し始めるのは自明だ。
有効射程およそ五メートルのひたすらに心細い闇は、室内全域に満ちた。
内部の人間は俺を除いて、現在位置を完全に見失う。
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“スキルの封印が解除されました
スキル更新詳細
●アサシン固有スキル『暗澹』”
“『暗澹』、光も希望もない闇を発生させるスキル。
スキル所持者を中心に半径五メートルの暗い空間を展開できる。
空間内の光の透過度は限りなく低く、遮音性も高い。
空間内に入り込んだスキル所持者以外の生物は、『守』は五割減、『運』は十割減の補正を受ける。
スキルの連続展開時間は最長で一分。使用後の待ち時間はスキル所持者の実力による。
何もない海底の薄気味悪さを現世で再現した暗さ。アサシン以外には好まれない住居空間を提供する”
“実績達成条件。
アサシン職をBランクまで慣らす”
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一般的な暗闇に対応できていた山賊男も、暗澹空間に対しては無力であった。
無茶苦茶にダートを振って接近を拒もうとしているが、感情任せての洗練された動きではない。
死角を押さえるまでもない。真正面から山賊男に歩いていき、牙のナイフを胸の中心に突き入れる。
酷使していた牙が中ほどから折れて、刃先が男の体内に残された。
「――鳥でもない者が、深淵の上に巣をかけてはならないのだ」
俺の忠告が聞こえていたかは酷く怪しい。
来るな、来るなと――と推定される異世界言語で――泣き叫んでいた山賊男が、簡単に絶命して前のめりに倒れてしまった。