23-14 珍しくもない終末
着地に失敗した黒曜は、大空洞の切り立った壁を滑り落ちていく。不覚にも、抱えていたはずのリリームの上半身をどこかに落としてしまっていた。
壁に取っ掛かりは多いというのに止まれない。黒曜に掴めるだけの握力がないからだ。壁に接触させた足底と手の平を摩擦熱で溶かしながら制止を試みる。
大空洞を百メートルか、五百メートルか、下手をすると千メートルは転げ落ちていく。怪生物が削ってできた溝に滑り込めた時には随分と深度が下がっていた。
眼下には、禁忌の大空洞の底と思しき境目面が広がっている。太陽の目さえ届かない地の底だというのに青白く光っていて不気味だ。
「痛ゥ……クソ。消耗し過ぎた」
小さな横穴へと転がり込めた黒曜は、震える手で腰に手を伸ばす。残りの武装を数えると、黒い刃のナイフが一本しか残っていない。御影が神格戦艦から去った直後に始まった怪生物の猛攻で、武器もアイテムも『魔』も体力も根こそぎ奪われてしまっている。
ずる剥けの手では握り込むのも難しいが、『奇跡の葉』は使い切っている。このまま戦うしかない。
「戦う? 馬鹿な。戦いにさえなるものかっ」
境界面の光に照らされて、壁を登る無数の怪生物が見えている。その内の一体に発見されただけでも『魔王殺し』を持たぬ中途半端な救世主職たる黒曜では殺されてしまう。戦いになどならない。
だからといって大空洞の奥にいて、今更、地上に逃げ帰られるはずもないのだが。
『暗躍』スキルの強度を高めて上がる心拍数を押さえつける黒曜。
電子音が響いた瞬間に、本気で死にかけた。
「こんな非常時に電話してくる馬鹿はお前かッ」
『――良かった。まだ生きていた。僕も生きているけど……もう死んでしまうから』
素早くスマートフォンの通話ボタンを押し、黒曜は電話をかけていた相手、アイサに殺した声で怒鳴りつける。
「どういう意味だ? あの馬鹿はどうなった!」
『僕達は穴の底から落ちて蟲星にいる』
「あそこに入ったのか。クソッ」
『お願い、来ないで。蟲星の様子は可能な限り伝えるから、黒曜はそっちにいて』
普段会話しない者同士の通話だ。出会ったばかりの娘と義理の母親の関係のごとく干渉を避けていた相手だ。よそよそしさがあって当然であるが、アイサの声は切実。踏み込んだ黒曜の足を止める程に真摯だ。
『気温が高くて、呼吸が苦しい。地面はすべて冷えた溶岩みたい』
「蟲星の環境よりも先に、お前達はどういう状況になっているのか伝えろ」
『空は真っ黒で、雷が光ってる。他に見えるモノは……すべて魔王。魔王しか、いないんだ』
「答えろ、おい!」
アイサは一方的に実況を続けた。本人が言う通り呼吸し辛いのか、時々息を詰まらしてしまっている。
『シズダーン系魔王亜種に、オットアイ系魔王亜種。セルキルキア系魔王亜種に……ああ、ラガイア系魔王。あれはさっきまで戦っていた……オパビニア系魔王よりも怖そうだよ。こっちに来て分かったけれど……禁忌の大空洞に入ってくる魔王は蟲星ではまだまだ弱いんだ』
言いたい事を言っているだけで実況になっていない。それでも、敵本拠地の状況は貴重だ。アイサは人類の生き残りとして喋り続ける義務がある。
『魔王の総数は……馬鹿みたい。とてもこんな数を……一つの世界が……支えられる…………はずがない』
「御影はどうなった。お前はどうなっている。答えろよッ!」
黒曜はスマートフォンから耳を離して大空洞の底へと跳び込みかけたが、アイサの言葉が制止させる。
『――いったはずだよ。魔王しか、いないって』
「ッ!? 御影の奴は……また魔王化したのか」
スマートフォン越しに伝わってくる環境音に注意すれば、化物同士が争う衝突音が聞こえてくるかもしれない。
一方の勢力はゾンビのような声を上げながら行軍している。数で押してくる敵を、数によって巻き返しているようだ。
『黒曜と御影には伝えていなかったけど……これが……僕達に唯一実行できた作戦』
「悪霊魔王をまた呼び出して、蟲星に投入するのがお前達のやり口かッ!」
『違う……。この身を捧げて、悪霊魔王となった御影に呼び出してもらい、無限に戦い続ける。悪霊戦術……そのために、皆……死んだんだ』
神格戦艦が禁忌の大空洞に向けて出発する少し前。
ナキナに集いし最後の人類達は、地球出身者や救世主職達に内緒で会合を開いていた。
異世界人でこの会合を唯一知らないのはアニッシュ王なものである。アニッシュがいたなら必ず止めた事だろう。
「A案に意味はない。我々は未来のために、より確実性ある策に未来を託す必要がある。そのためにも……ここに集まった皆には死んでもらいたい」
ゼナが主催しジャルネが賛同した。カルテももちろん全面協力している。
神格戦艦への搭乗を志願した戦士達だけでなく、ナキナ防衛に残る者達の中からも可能な限りの人間が集まっていた。
「これは無駄死に強要しているのではないぞ。怪生物共と戦って死んでもらうのは言うまでもないが、死した後も永遠に戦ってもらいたいのだ」
滅亡を自覚している異世界人達は戦って死ぬ覚悟を済ませていた。が、ゼナの可笑しな言い回しに顔を見合わせる。
「我等が救世主、御影には裏の側面がある。かつてナキナ防衛戦で顕現した悪霊魔王こそが裏の側面だ。あの魔王は死人を使役して戦わせる能力を有するが、このたびの世界滅亡でも、悪霊魔王に出向いてもらう――」
ナキナ防衛戦を生き抜いた人間族は賛成、反対、二通りの意見を言うと口を開きかけたが、ゼナの言葉はまだ終わらない。
「――悪霊魔王が使役するのは、死後の我等だ」
悪霊魔王は縁深い者達をまず呼び寄せる。直前まで一緒に戦っていた兵士達が尖兵として呼び出される可能性は酷く高い。
「悪霊魔王は我等を通じて縁を辿るだろう。怪生物に殺された被害者全員、家族、祖先、果ては過去に存在した全人類を兵隊として駆り出すはずだ。兵力でいえば、これ以上を望む事は難しい」
悪霊となった者は一度死んでいる。二度と死ぬ事はない。
パラメーター格差ある魔王を相手にするなら、そのぐらいのハンデがないと厳しい。
「御影はこの解決法を分かっていても選択できまい。ならば、我等が選択するしかあるまいよ」
御影が救世主職を続けて皆の命を救ってしまうと、悪霊魔王は登場しない。
逆に言えば皆が死んでしまっただけで、御影は救世主職に絶望し悪霊魔王と化してしまう。
ゼナが主導を取っている時点で森の種族に異論はなかった。
「良いんじゃないの。魔王を利用して生き残った私達は、己の魂でツケを払うべきだわ」
カルテの言葉に反論できるナキナ人はいない。
「どちらにせよ、獣の種族は最後まで戦う。死んだ後まで戦えるなら本望だ」
ジャルネの言葉に反論できる獣の種族はいない。
絶滅確定の生物にできる最後の反撃。地球に落ち延びる者達がいるからこそ可能な挺身。
「我等は死んだ瞬間に達成感を味わうのを禁止する。呪わしい気持ちを常に持ち、必ず悪霊化を果たせ。なれば、我等は故郷を滅ぼした悪鬼異形を抹殺する死せる戦士となりて、生前以上の力を授かり、必ずや復讐を果たすであろう」
異世界人に可能な唯一の反撃手段と聞けば、誰だって否定しなかった。
『――「誰かある。誰かある……その姿はゼナにジャルネか。やはり死んでいたか」――』
スマートフォン越しに聞こえてきたのは御影の声。
……違う。生気を失った低い声質は悪霊を使役する魔王の声だ。
『――「月桂花か、当然お前は現れよう。リリームか、死後も尽くすとは健気なものだ。天竜は……既に狂って暴れているが。さあ、戦え。怪生物共を絶滅させろ」――』
黒曜は絶句してしまい、手からスマートフォンを抜け落としてしまいそうになる。
『凶鳥。僕もすぐに戻ってくるからね。僕が死ねば……凶鳥は完全に……人で、なくなる……からね』
気力を振り絞ってスマートフォンに向き直った時には、もう手遅れだ。
『……ァっ』
「ま、待って。待てよ」
『――ふはは、はははッ。さあ、世界を滅ぼそう!』
「だから待ってて! 待ってよッ、パパッ」
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“『モンキーカーズフィンガー(親指)』、悪辣なる猿帝の左親指。
指を折る自傷行為によって他人の願いを叶える救済悪手。その中親指。
――なる男の願い事。それは、世界を滅ぼす事。
……良いだろう。お前は世界を滅ぼす魔王となるだろう”
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アイサの息が途絶えた後、通話は途切れる。
震えながら押されたリコールボタンであったが、聞こえてきたのは無情な機械音声のみ。
『――この電話番号は現在使用されておりません』
「パパ。ねえ、おいていかないで」
『――この電話番号は現在使用されておりません』
「私を一人にしないで。ねえ、パパ。パパってば!」
『――この電話番号は現在使用されておりません』
「良い子でいるからっ。もう泣かないからっ。一人にしないで。お願いだよ!!」
『――この電話番号は現在使用されておりません』
『――この電話番号は現在使用されておりません』
『――この電話番号は現在使用されておりません』
北海の冷たい気風が駆け抜ける。
ここは、ノルウェー領スヴァールバル諸島最大の島、スピッツベルゲン島。生態系に乏しいこの島には豊かな自然はありはしない。が、種子に限れば世界で最も富んだ島と言えるかもしれない。
何せ、世界中の農作物の種子を集めたスヴァールバル世界種子貯蔵庫があるからだ。世界が終末の日を迎えたとしても、貯蔵庫にある種子を用いて人類は再び繁栄する。そのための施設だ。
……今となっては、スピッツベルゲン島は種子のみならず、人類最後の生息地となってしまっていたが。
「十年前、我等は故郷を捨てて地球へと逃げ延びた。それゆえ、我等はこうして今日まで生き延びる事ができた」
海が見える丘に、人々が集まっている。
ナキナ人がいるだろう。
森の種族がいるだろう。
獣の種族がいるだろう。
しかし、彼等だけではない。地球の多数の地域より命からがら逃げてきた者達も少なからず存在する。
彼等は、彼等が信じる宗教、方法にて祈っていた。
「正しかったのか、と訊ねられれば我は答えられぬ。こうして、この地で生まれた新しい命だってあるのだから」
ナキナ人を中心とするグループを統制している人物は、亡命国家の王族、アニッシュ・カールド・ナキナだ。二十代半ばのまだまだ若々しい男性であるが、彼の顔は老人のように疲れきっていた。
彼の傍には小さな子供達が寄り添い、必死に話を聞いている。
「島の四方を守りし、我等の偉大なる四属性の魔法使いに祈るのだ。彼女等の結界により我等は今日まで生き延びられた。……ああ、今日まで、であるが」
丘の向こう側には冷たい北海が見えている。荒れ狂う北の海に白波が立っている。
そして、波の合間に潜むのは黒い怪生物共。島の結界の弱体化を目聡く察知した魔王共が、僅かに残った人類を絶滅させるために集まってきている。
地球上の各地に深い穴が生じたのは半年前の事。日本の地方都市、北アメリカのバミューダ、カリブ海のブルーホール。様々な場所に穴が開き、その中から絶滅生物に酷く似た怪生物共が現れて侵攻を開始したのだ。
五日で滅亡した異世界と異なり、よくぞ半年も持たせたと言えるかもしれない。
殺しても死体のまま活動する、という新たな性質を得ている怪生物相手だったのだ。難度も段違いだったというのに、地球人類はよく戦った。
「…………御影よ。そなたは失敗し……喰われてしまったのだ」
北海沿岸に近付いているのは怪生物だけではない。
海を歩く黒い巨人がいる。竜頭魔王のようであり、真性悪魔のようであり、人間のようでもある黒い巨人には、体の各所から人の腕が生えていた。人間の意識は備わっていない。魔王としての趣向も消えているだろう。他の怪生物のように、ただ喰うに特化した悪霊生物となっていた。
黒い巨人を目撃した子供達がアニッシュに身を寄せていく。
「恐れる事はない。結界の崩壊と共に、我等は眠りに付く。安らかな眠りだ。さあ、子供達よ。横になり、目を瞑り、ゆっくりと十を数えて」
島の四方を支える魔法使いからの『魔』の提供が途絶えた事により、人類最後の生息域を守る結界が霧散する。
誰よりも先に生餌を喰らおうと、怪生物共が海を泳ぐ。
その怪生物共を踏み付けて、黒い巨人が腕を伸ばす。
「三……、二……、一。すまぬ――」
丘は北の島とは思えない暖かな光に包まれていき――。
人類は、異世界のみならず、地球上からも絶滅した。
“実績、珍しくもない結末。ランク外。
その後、悪霊生物共は地球をマントルまで喰らい尽くす。
そして、食料が足りなくなれば、次の世界が標的にされて滅びるだけだ。今後、無数の世界が消えてなくなるとなれば地球や異世界の悲劇など、所詮は珍しくもない人類の終末の一つに過ぎない”




