23-12 海原は荒れる
禁忌の大空洞の、底の見えない真っ暗な暗闇へと引きずり込まれていく。神格戦艦の二五〇メートルオーバーの艦体が巨大な手で鷲掴みにされたかのごとく急速降下中だ。
「エンジン全開ッ。振り切るんだ!」
「もうやっているが、振り切れん!」
天竜の叫びの証明に、艦の左右から突き出している竜の翼は大きく羽ばたいている。それでも下降が止まらない。
「見えない何かに掴まれている。敵が穴の中にいるのか?!」
残弾少ないミサイルがVLSから一斉発射されて大空洞の奥に攻撃をしかけた。
底の奥、遠くで爆発の花が咲く。
かなり遅れて反響気味の爆音が耳に届く。
だが、攻撃による効果は一切なく神格戦艦の高度はもう海抜ゼロメートル。穴の中。せめて爆発の光で敵の姿が見えるぐらいの成果があって欲しかった。
「見えないぐらい奥に敵がいるのは確実だ。俺が先行して敵を捕捉、『魔王殺し』で弱体化させるから機会を逃さず脱出しろ!」
「できるというのか!?」
「やらなければ、全滅してしまうだろッ!」
言うだけ言って大空洞へと身を投げ出した。元々、一人で下りるはずだったので恐ろしいとか怖いとかは感じていない。パラシュートのない滑空だって今更気にならない。
神格戦艦の縁を蹴って勢いを付ける。不十分な加速を補うために墓石を召喚して足場にする方法も、竜頭魔王戦で学んでいた。
空気の流れは底を目指しているため、空気抵抗はあまり感じない。
ただ、大空洞の壁に目線を向けないのがベストだろう。壁一面の怪生物が這い上がっていく光景には悲鳴を上げてしまいそうになってしまうからだ。
俺が目を逸らしたからといって素通りさせてくれる訳ではない。壁の中から跳んで襲いかかってくる怪生物は、甲殻を蹴って踏み台にしてやり過ごす。
「どけェええッ!!」
こんな雑魚の相手をしていると神格戦艦の脱出が遅れてしまう。単身で下りている俺ですら見逃されずに襲われているというに、神格戦艦がいつまでも無事でいられるはずがないのだ。
『暗影』を併用して更に降下速度を増して、奥への到達を急いだ。
「『暗視』発動! アイツか!!」
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“アサシン固有スキル『暗視』、闇夜でも良く見える。
可視領域は広がるが、視力向上の効果はないため、視界はスキル保持者に依存する”
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光の届かない大空洞の奥。地上からおよそ一キロは下った場所に五つの発光体が視認された。姿を確認すべく『暗視』を使用して直視すると……はっきり見えてくる怪生物の全体像。
五つの発行体は頭部から突き出た視覚器官、目なのだろう。奇抜な外観である。口から長い管が伸びているのも笑い飛ばしてしまいそうになる特徴だ。
けれども、その他の特徴は既知の究極生物に酷似しているため、笑えない。
「竜頭魔王の近縁種ッ!!」
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●オパビニア系魔王、S13亜種
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“●レベル:73”
“スキル詳細
●レベル1スキル『個人ステータス表示』
●オパビニア固有スキル『浮遊』
●オパビニア固有スキル『環境適応』
●オパビニア固有スキル『マジックハンド』
●魔王固有スキル『領土宣言』
●実績達成ボーナススキル『身体強化』
●実績達成ボーナススキル『異世界渡りの禁術』”
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“『オパビニア』、奇天烈を体現するモンスター。
カンブリア紀に存在したという異形の生命体。個性的な外見を学会で発表すれば爆笑を誘うが、五つの目も、口の管も、紛れもなく実在したものである。
体の左右にヒレを持つ構造はアノマロカリスと共通している。類似の機構を持つため近縁種、または同じ祖先から分岐した生物と考えられている”
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神格戦艦に負けない体格を持った小さな竜頭魔王が、口の付近から出ている管の先を穴の上へと向けていた。どう考えてもコイツが神格戦艦を引き込んだ犯人だろう。
壁を這っている怪生物共はコイツから離れようとして壁の半面に集中してしまっている。それだけの力を有しているという証明だ。
だからといって、戦いは避けられない。
「『魔王殺し』発動!!」
怪生物共は無意味に魔王職に就職している。俺にとっては良いカモでしかなく、これまで通り『魔王殺し』でパラメーターを激減させてから頭部に乗り込む。
気泡のような凸凹だらけの甲殻へ着地する。くの字のエルフナイフは抜いて構えるのもほぼ同時。
狙いは赤く光る目。一つ一つがレドームほどの大きさをしているので斬り辛いが、五つもあるのだから一つぐらい減っても問題なかろうと刃を立てる。
……硬過ぎる感触で手首を痛め、エルフナイフがひん曲がった。
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●オパビニア系魔王、S13亜種
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“ステータス詳細
●力:3125231 → 31252(魔王殺し)
●守:65535 → 655(魔王殺し)
●速:571 → 5(魔王殺し)
●魔:72/73 → 1/1(魔王殺し)
●運:0”
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岩のごとき『守』にナイフが耐えられず壊れてしまったのだ。『魔王殺し』をかけてなお鉄壁。多種のスキルを有する俺であるが、攻撃方法は酷く単純でありナイフ以上の攻撃方法を有していない。
「――炎上、炭化、火炎撃!」
一縷の望みを託した魔法攻撃も効果なし。火炎の向こう側には煤さえ付着していない巨大な目が変わらない姿を見せている。
ただし、煩わしいとは思ってくれたのか。瞳孔のない怪生物の目線など分からないというのに不快感を向けられたと察知する。
そして、穴の上へと向けられていた管が曲がってきて、俺へと襲いかかる。
地球の現生動物で言い表せられないゲテモノ生物の特殊器官であるが、象の鼻と類似しているから奇妙なものである。管の先には二枚貝の殻と似た形状のハサミが備わっており、獲物を掴むのは容易だ。ギザギザした縁取りをしているので掴れた相手は口で噛み付かれたのと変わらない最後を迎えられるだろう。
巨大でありながら繊細な動きが可能であり、俺の立ち位置を正確に狙って管が曲がる。
だが遅い。『魔王殺し』はまったくの無駄という訳でないらしい。視界全体にハサミが広げられた後からでもバックステップで回避できた。
構造的に届かない背中まで距離を取る。
「ダメージは諦めるしかない。だったら、お前の体の上で蚊のようにうっとうしく動き回ってやるだけ――」
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“ステータス詳細
●運:130 → 1130(一発逆転)”
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空振りしたハサミが閉じられて……俺の体に激しい重圧が襲いかかった。
己の意思に反して圧縮された肺から酸素の供給が断たれて混乱してしまう。重力の方向が垂直から水平へ。ボールと俺の体は変わらず、見えない手に掴れて投げ捨てられた。
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“『マジックハンド』、遠くの物を掴むスキル。
『魔』を消費して手で触れていないものを近くに引き寄せるスキル”
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飛ばされていく感覚は長く続かない。大空洞の壁に衝突して背中を埋める。
「ぁ、かはッ?!」
全身複雑骨折は免れない。見えない手に掴れた時点でほとんど致命傷だったのでまだ生命が続いている理由は『運』以外で説明できなかった。
「し、ぃ、ぁ」
『コントロールZ』で時を巻き戻してダメージを負う前に戻るべきか。激痛が激走する体はもう戦闘に耐えられるものではない。
「し、じ、がぁ!」
いや、時が戻ったところで打開策がない。敵のスキルを回避できる自信もない。
ならば、せっかく顔のマスクが割れた状況を利用する方が正しい――、
「し、し、深淵 ――深淵よ。深淵が私を覗き込む時、私もまた深淵を覗き込んでいるのだ」
真ん中から二つに割れたベネチアンマスクが大空洞の底へと落下していく。
クリアになった視界の中に、俺を殺しかけた敵を捕捉する。
「誰かある。この化物を…………殺せ!」
光の届かない世界なので、黒い海が広がる速度は地上を圧倒している。
巨大なるオーク。
双子の吸血鬼。
百の首を持つヒュドラー。
半分山羊と半分魚のアイギパーン。
手駒を出し惜しみなく投入して、一気に制圧にかかる。
「殺せ!!」
巨大なるオークの全身のバネを利かせた渾身の殴打が襲い、甲殻一枚砕けない。
双子の吸血鬼の血を使った武具の数々が襲い、目一つ刈り取れない。
百の首を持つヒュドラーの合唱に等しい魔法詠唱が、多少体を押す程度。
半分山羊と半分魚のアイギパーンの六節魔法が、どうにか攻撃しているという体裁を整える。
「化物がッ!」
悪霊を寄せ付けない強烈な生命力に対し、悪態を付く。
空洞内を泳ぐ敵の突進で巨大オークが潰れて消える。だが、悪霊なので体の再形成は可能。即座に呼び出し直して敵の管を掴ませる。
「対抗するにはより凶悪な悪霊を……いや、流石に駄目だ」
竜頭魔王を呼び寄せる案を思い浮かべて即時却下する。とてもじゃないが、呼び寄せた後に制御できるとは思えない。逆に喰われて、悪霊竜頭魔王の出来上がりだ。今のままでも異世界は滅びるものの、自らの失態で滅ぼす事はない。
とはいえ、悪霊を同時に複数呼び出す無理を続けても、やはり悪霊魔王は出来上がる。死の堆積した深淵を覗き込むという愚行の結末は一度体験済みだ。
遅かれ速かれの差であるが、せめて、目前の敵だけは葬りたい。
そんな些細な呪殺願望さえ、現状のままでは叶いそうにない。ハサミ付きの管がヒュドラーの体を噛み貫いて、俺へと迫っていた。
「――騎兵隊だァッ! 旦那様よ!!」
浮遊する敵怪生物の体が、落下してきた艦首に無理やり押し込まれた。
様々な小型怪生物に襲撃されて変わり果て、穴だらけになった神格戦艦によるラムアタックだ。無茶が過ぎるので艦に亀裂が生じて崩壊が始まる。
「壊れる前に、撃てッ!!」
「甲板に人がいる状態で、やめろ!」
「もうほとんどッ、生きている者はおらんのだッ!!」
艦首方向を指向する生き残りの主砲。衝角を叩き付けた衝撃から復帰していない五つ目を直接照準して砲弾を発射する。
無理があった。
無茶が過ぎた。
大空洞の穴には未知の怪生物が様々生息していた。五つ目が最たるものだろうが、出来損ないの金魚、壁から飛び出すワーム、殻を供えたエビ、そういった輩に集られた神格戦艦が『魔王殺し』を唯一所持する俺を抜きに戦えたはずがない。
だから俺が五つ目と戦っている五分を過ぎても、神格戦艦が形を保っていた事が奇跡だった。
艦に乗り込まれて虐殺が開始され、戦士が断末魔を上げ、その内か細くなった。そんな惨い奇跡ですら続くものではなかった。
45口径の三連砲――砲身が一本失われて二連砲になっている――の発射衝撃が凄まじい。空気を伝わる衝撃波だけで甲板にいる者は形を失う。
甲板の上、怪生物に追い詰められていた鹿の少女の姿が、主砲の衝撃で霞んで消し飛ぶ。寄り添っていた熊の戦士と兎の戦士の亡骸と一緒にこの世から亡くなった。
砲撃した砲塔部も衝撃波の反動を耐え切れず爆散した。内にいた砲手は誰か分からないが、主砲を扱える者は限られる。知っている誰かが炎の中に消えた。
黒い海に響く複数の水没音。
「ああァ、あああああァッ!!」
頭が内側から割れそうな程に痛い。




