23-8 ナキナへ撤退
皐月が、死んだ。
死んだ。
死んだのか?
……いや、それはまだ正確ではない。左腕が根元からはじけて、脇腹が吹き飛んで肋骨と腸がむき出しになって、左足の膝から上が消えてなくなっただけである。結果的に死ぬかもしれないが、まだ死んではいない。血を口からも腹からも吐いており、現在進行形で死に近づいているのは間違いないだろうが。
「お、おお、うぉおおッ!! 『コントロー――』」
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“『コントロールZ』、後のない状況を覆せるかもしれないスキル。
『魔』を1消費することで時間をコンマ一秒戻せる”
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だが、俺には覆す手段がある。『魔』をすべて投じれば十二秒前まで戻る事が可能。十二秒あればテスト用紙に書き忘れた名前だって記入できる。人の死を覆すなんて楽勝だ。
さあ、死なんて下らない事をなかった事へ、訂正しよ――、
「馬鹿がッ! 奥の手を使い切るな!!」
スキルを発動させる瞬間、横合いからの殴打が頬骨を襲う。
思考が離散していく。訳が分からなくなっていく。そんな中、横ぶれの激しい視界内で、俺を殴ったと思しき深紫眼で褐色の女が影を纏って姿を消した。
「たった二人の救世主職の、たった二人しか使えない『コントロールZ』を使い切るつもりだっただろッ! まだ何が起きるか分からないこの状況で!」
『暗影』スキルによる跳躍の残滓。光を通さない影の中から黒曜が現れる。
倒れた皐月の傍だ。俺を殴った拳の方向を変えて、何故か死ぬ寸前の皐月の鳩尾へと向け直している。無体な真似をする。
「うっ。黒曜、何を……するんだ」
頭を振っただけでは状況を理解できない。黒曜に顎を殴られたのは分かるのに、理由がまったく不明だ。
「別に手段が残っているのに、頭に血を昇らせやがって」
良く分からないが、黒曜の拳の中にクシャクシャになった葉が見えている。殴りつけようとしたのではなく患部に手を近づけただけなのか。
葉はひとりでに光り出す。
発光を開始した葉の正体は『奇跡の葉』。皐月の欠損部位でも輝きが始まる。
「俺は忙しい。そいつはお前がやれッ」
皐月を襲った節足動物魔王が反転し、再び襲いかかろうとしていた。今度は救助中の黒曜もろとも殺すつもりか。
脳みそが揺さぶられて機能不全を起してしまっているが、だからこそ、黒曜の言葉そのままに愚かな事を仕出かした魔王へと刃を向ける。
「『暗影』発動」
敵の進路上へと跳躍してナイフを水平に構える。
避ける暇など与えなかった。敵は自ら前進して、巨大な眼球へナイフを突き刺していく。それだけでは許せなかったので、手首をひねって視神経の束の奥へと刃先を突き入れていく。
「『暗殺』発動……お前は死ね」
節足動物に感情があるのか知らないが、突然視力を失った魔王は簡単に即死した。
重体状態を脱した皐月であったが、気絶したまま起きようとしない。色々もげた痛みで心のブレーカーが完全に落ちてしてしまっている。そっとしておきたいが、ここは戦場のど真ん中。幼女を裸で放置しておける場所ではない。
……と思っていると、前触れなく、むくりと上半身を起す皐月。
「もう。この馬鹿弟子ったら。だから接近戦は危ないって言っていたでしょに」
死にかけた直後の癖に口調は酷く軽い。
「だ、大丈夫なのか、皐月??」
「あー、大丈夫大丈夫。弟子が眠っている間はしっかり守っておくから」
軽いというか別人というか。死に直面して人格が分裂してしまったかのように異なる。
「雷の子―。上着貸して!」
「この皐月馴れ馴れしいです!? 上着も何も着物取ったらインナーしかぁっ」
落花生とじゃれあっている皐月の足元から影がなくなっていた。
皐月の変容は気掛かりであるが、次々現れる敵への対処も忘れてはならない。俺達が抜けている間にかなり押し込まれて甲板上の戦線が崩壊しかけている。正直まったく手が足りていない。
だが、艦尾からやってきた兵士達の一団が加わってくれた事でどうにか立て直す。
「御影。もう少しだけ踏み止まってくれ!」
手練れの兵士や忍者を連れてアニッシュが近付いてくる。本人も剣を構えて接近してきた魔王に応戦する。
「アニッシュか! 後どれぐらいかかる?」
「全体で千人。二十分以内には全員乗り込ませてみせる」
二十分は長い。が、兵士の総数が千人というのは少な過ぎる気がする。
「負傷兵がほとんどだ。動ける者は陸路で先に退避させている」
中身が空っぽに近いとはいえ、神格戦艦に乗れる人数は限られる。動けない者を優先して戦艦に運ぶアニッシュの判断は間違っていない。
「正直助かったぞ。御影が現れなければ脱出を諦めていた」
全滅しかけた兵士達なので士気は決して高くない。が、『魔王殺し』で敵が弱っていると分かると、負傷兵であっても自発的に戦いに参加し始める。これまでの恨みをはらしてやると、やや狂気的に剣を突き立て続けた。
皐月がやられたように雑魚を装った強敵に気を付ける必要はあるが、兵士達の参戦で窮地をどうにか切り抜ける。
そして、アニッシュの申告よりもやや時間がかかって三十分後、オリビア・ラインから神格戦艦が飛び立つ。
「最後のお土産だ。全力攻撃!」
各々が持つ最大の魔法で地表を破壊して、オリビアから俺達は去っていく。夕暮れの世界に魔法の火の手が上がって、砲弾が赤い彩りを添えた。
太陽が沈んでいく地平線は、歪だ。ひしめく怪生物共が地平線まで蠢いている証拠だった。
神格戦艦は地表を照明で照らし、歩いてナキナに撤退する兵士達の道しるべとなった。
誰もが疲れていながら休憩以外で止まらず、夜通し移動する。闇の中から怪生物が追いかけてくるのではないか。そういった恐怖が疲労の蓄積で感覚のなくなった足を動かした。
「……このペースでは、いつかは追い付かれる」
それでも、徒歩では遅い。一日でオリビア・ラインまで一気に押し寄せた怪生物の侵攻速度を考えれば必ず追い付かれる。戦艦の上から言うべき事ではないが、もっと急いで欲しい。
“――気休めにしかならないけど、ナキナに攻め込んでくるのはもう少し先になる”
ふと、頭に響く声。初代救世主だ。
“山脈と山脈に挟まれた狭い回廊がボトルネックになっている。奴等は入口で渋滞中さ”
誰も守る者がいなくなったとはいえ、オリビア・ラインがまだ蓋として機能している。ナキナに入り込んでいる敵は僅かだと初代救世主は伝えてくる。
“それに……ナキナは辺境なのさ。敵の主力は平野部へと向かっている。雪崩れ込んでくるのはもう少し先になる”
「……それ、当てになるのですか?」
初代救世主の言葉をそのまま信じる事はできない。大陸の北に安置されているような神様に大陸全土を把握できるものだろうか。初っ端から怪生物の侵攻速度を読み間違えていたような神様だし。
“――『神託』の増えている地域と、『神託』の途絶えた地域からの推測でしかないのは認める。ただ、人類圏の中央はほぼ陥落。明日は沿岸部。明後日には辺境と島にしか人類は残っていないだろうね”
どうして初代救世主は、拒否できない無数の悲鳴を聞きながら正気を保っていられるのだろうか。
俺には、絶対に無理だ。




