20-15 人を喰らった代償
殺し合いを開始してしまう山羊魔王と合唱魔王。生前より因縁ある相手同士、躊躇いなく大魔法をぶっ放して互いに吹き飛んでいた。
「悪意に満ちた世界など滅んでしまえッ!」
俺は天竜を直接攻撃していない――そんな余裕がなかっただけであるが――ため、『暴悪』なるスキルの効果を受けていない。精神攻撃耐性があるため耐えられると思うが、多少以上に苦痛を受けるのは間違いないだろう。
「このタイミングか……いや、まだ早い」
戦力を投じて天竜の動きを止めてから仕上げにかかろうと思っていたが、『暴悪』スキルの所為で作戦変更が必要となってしまった。
せめて天竜の飛行能力は奪っておきたい。土壇場で逃げられた場合、二度と俺達の前に現れてくれないだろう。
新しい悪霊を呼び寄せるか。そう悩んでいる間にも、気流が生じ、天竜が羽ばたく予備動作を開始した。
「あの二体だけでもここは十分死地となった。後は勝手に殺し合えッ!」
俺が天竜でもここは一旦退くだろう。
残念ながら飛行可能な悪霊は持ち合わせがいない。このままでは逃がしてしまう。
「ま、待てっ、天竜!」
「悪竜と言っている!」
逃がしたくはないが、魔王共の流れ弾が至近距離に着弾して倒れ込む。邪魔だが完全に暴走しているため引っ込めることもできない。
広げられた両翼は百メートルに届かんという長さ。巨大翼が大きく振られれば地表の草木は倒壊し、無数の塵が舞い上がる。ゴミが目に入って痛い……というのは俺に限ってはないのは救いか。
そして天竜の巨体が空へと――、
“――だが、ガーディアンよ。お前の製造目的は世界の存続のためではない”
――舞い上がった塵がキラキラと陽光を反射して、煌く。
“――お前は私達の生きた証だ。人類が実存したという記念碑だ。
結局、私では世界を救うなどという難事に立ち向かうだけの力も器量もなかった訳で、己の凡才で可能だったのは絶対に壊れぬ碑の製造でしかない”
光る塵が天竜の体にまとわりつく。すると、大重力に襲われたかのごとく地上へと落下して悲鳴を上げた。
「なあ!? な、にガッ。あああ、クソッ、重い!?」
塵の一粒一粒の重量は大した事はないはずなのに、天竜は首から下を見えない何かに潰されて、翼一枚、指一本でさえ動かせない状態になっていた。
ついでに、暴走状態にあった魔王二体も腹を地面に付けて身動きができなくなっている。何が起きているのかまったく分からない。
“――ガーディアンよ。さあ、起動せよ。そしてここに――”
塵がより一層輝いて、景色全体が白く染まる。
黒い世界にさえ届く程の光度に俺でさえ目を背けるしかなかった。
“――そしてここに!”
“――ココに、人類ノ墓標を建テヨウ!!”
光が失われた時、何もない草原に建っていたのは、天にも届きそうな巨大な直方体。
光の反射率の低い黒色は墓石魔王の構造体に似ているが、足元に動くための稼働部位が存在しない。高いだけの黒い塔が建っており、その下に天竜の体が潰されているだけである。
傷一つない黒い塔の下、人間族の腰の高さに文字が彫られている。
異世界言語が読める人物ならば“人類という種は確かに存在した。この墓標はその証明である”と読めたはずだ。
「なんだ、これは?! 『不定形なる体』! 発動しない! 『怪力』! 『掘削』! 発動しろッ」
天竜は塔の下敷きになって慌てていた。スキルを発動させようとしている様子であるが、一切発動しなくて混乱している。塔の効果だろう。
「墓石魔王は正しく墓石となったか。これに触れると、俺でも封印されてしまうな」
塔に封じられた天竜はもう逃げられない。
俺はゆっくりと歩いて近付き、天竜の口元まで近寄る。
「のこのこと現れて、喰い殺してやる!」
「お前にできるのか?」
「喰い殺すッ!!」
体は動かせなくても首だけは動く天竜が噛み付いてきた。
だが、前と同じく俺を口内へと取り込む寸前に停止。そっぽを向いて嗚咽に苦しむ。
「あが、カはっ。どうして、どうして我は喰えないッ」
「スキルが無効化されているかは関係ない。お前の魂に刻まれたトラウマが、人間を喰うのを拒否している」
「そんなはずがあるものか! 我は悪竜なのだぞ!」
天竜は意地になって牙を向けるが、やはり俺を喰うに至らない。顔のない人間もどきにさえこの様子なら、天竜は人類を食べていないのは確定だ。
ならば、まだ救いはある。助けられる。
「いや……天竜。俺はお前を助けない」
「く、くるなッ。止めろ。よせっ」
俺を喰えないと苦しむ天竜に対して、俺から口へと近づいていく。
「俺はお前を……祟ろう。誰かある。悪のドラゴンを神にする時間だぞ」
逃げようとする下顎を足で押さえ込み、口を無理やり開かせた。
そして、手を叩いて呼び寄せた一人のゴースト。知人ではないはずなのに、誰かの面影に似た少女が影から浮かび上がって俺に対して会釈する。そのまま共に天竜の喉奥へと入り込んでいき、自発的に彼女に喰われてしまい――、
「止めろ、止めてくれえぇぇえッ!!」
――その日も雲一つない快晴でありました。
肌を焼き、喉を焼く程に熱い太陽の光が朝から降り注ぐ地獄の空でありました。
日照りの日が続いて何日経過したのか分かりません。井戸は枯れ、川さえ焼失し、遠くに見える山さえ色を失っていましたので。ただ、すべてが干上がった世界では希望さえ蒸発してしまっているというのに、脱水で死んでしまった人の躯だけが転がっているのは奇妙に思えまして。
そんな、動かなくなってしまった末の弟と共にぼんやりと不思議がっていた地獄の日の事でありました。
山の向こう側より、竜の神様がきてくださったのです。
「……禁忌の土地の人間族共か。皮しか残っていないミイラ、ゴブリン未満ではないか。経験値のためとはいえ、我が喰うに値しない」
祖父より聞く竜とは随分と姿が異なり、太い印象を受けましたがそんな事は関係ありません。神様の姿形とはそんなもの。
けれども、村の皆は誰も神様を迎えようとしませんでした。村の中央に着地なされて倒壊した家もございましたが、喉が渇き過ぎで、誰も動けなかったのでしょう。
「水を……水……」
「悪竜たる我に強請るとは、不遜な。干からびかけているからと言って許されぬ」
ですので、小娘に過ぎぬと分かっていながら不肖、わたくしが神様にお願いします。
「お願いします。水を……竜の……神様」
翼に対して短い腕を振り下ろそうとしていた神様は、わたくしの言葉をお聞きして笑い出しました。
「我が、神? ふ、はははっ! 悪竜が神様? これは酷い。爆笑ものだ。なるほど、禁忌と言われるだけはある! あははは!」
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“ステータスが更新されました
ステータス更新詳細
●実績達成ボーナススキル『勘違い(被害者)』を取得しました”
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それから竜の神様が空に飛び立ち、しばらくすると地獄の空が曇り始め、雨が降り始めました。
正直にいって土砂降りで過剰供給が過ぎましたが、ギリギリ死んでいなかった村の皆はギリギリ生き延びられました。末の弟を含めて少なくない数が助かりませんでしたが、半分は無事でした。
「人間族の小娘。気まぐれとはいえお前の願いを叶えてやった。であるのならば、対価としてお前達には我の願いを叶える義務がある。そう思うだろう?」
やはり、竜は神様だったのです。
「我はお前達を喰う。生贄として身を差し出せ。我が助けた命ならば我が食すのは当然であろう。ははっ!」
神様は笑っていました。
せっかく生き延びたばかりだというのに、生贄として死ぬしかないわたくし達の絶望を憐れんでくださったのでしょう。ですが、それはきっと『勘違い』。神様にも分からない事はあるものです。
「せっかくならば肉付きを良くしておけ。骨と皮だけの者共が水で膨れても水っぽいだけで不味い。太るまで一ヶ月間かかるか? 一年か? 我にとっては短い期間だ。今日より一年後、最初の生贄の儀を行う」
神様が来なければ皆死んでいました。
弟にも兄にも、妹にも姉にも、父にも母にも、祖父にも祖母にも、助からなかった家族達にはお別れは言えませんでした。干からびていく姿を見送るのは、ただただ不憫で。
ですが、神様が来てくださったお陰で一年も生き残った者達と暮せます。先にいなくなった家族を埋葬だってできるのです。神様にとっては短い一年も、か弱きわたくし達にとっては一生にも等しい日々です。
か弱きわたくし達にしか分からないこの幸せ。
どうしたら伝えられるのでしょうか。
生贄の大役、当然ながらわたくしが立候補しました。
感謝の気持ちを伝えたい。その想いが叶う。生贄がわたくしと決定してからの日々はとても心が豊かになって、誇らしさで一杯となりました。
竜の神様が鎮座する山の頂上に行くまでの一週間。美味しいものばかり食べました。神様の生贄として恥ずかしくないように、肉付きを良くしました。
竜の神様が鎮座する山の頂上に行くまでの一日前。最愛の家族達に別れを告げました。
竜の神様が鎮座する山の頂上に行くまでの道中。真新しい服に着替え、神様の名前が付けられた川で身を清めて裸足で階段を上りました。
「……なぜ、逃げずにやってきた」
「どうして逃げ出す必要がありましょうか?」
「…………命は惜しくないのか?」
「命は一年も前に救っていただきました」
やはり、竜の神様は分かっておられません。わたくしは本当に幸せなのです。
「我は神ではないのだぞ?」
「末の弟が死ぬ寸前までわたくしは神様に祈っていました。けれども神様は弟を見捨てました。次に妹が苦しいとを訴えた時、わたくしは神様に祈っていました。けれども神様は妹を見捨てました。きっと、わたくしが祈っていた神様は、神様ではなかったのでしょう」
か弱きわたくしにとっての神様とは、か弱きわたくし達を助けてくれる神様を示します。
目前にいる竜の神様の事です。
「分からぬ。理解できん」
「では、わたくしをお食べください。きっと理解していただけます」
「『暴食』スキルでお前を喰らえば、分かるものか。なるほどな」
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“『暴食』、相手を喰い殺し、屈服させるためのスキル。
喰った相手の肉を用いて、体を変異させ強化する。
よく味わって食す事で食材の味を理解し、喰った相手の特性やスキル、思考までもを吸収する事が可能。ただし、定着させるには相応の肉量が必要となる”
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すきる、が何を示すのかは分かりませんが、神様にとって悪い物ではないのでしょう。
食べられ易いように神様の前で頭を垂れて、片膝を付きました。
「さあ、どうぞ」
「……よかろう。生贄のお前を喰ってやる」
神様はわたくしの臭いを嗅いだ後、大きく口を開いてわたくしの体を摘んで飲み込んで――けれども、美味しい物をたくさん食べたとはいえ痩せた体の喉越しは悪く、幸せの感情が味を良くするはずがなかった。
その代わり、ふと浮かぶ、別離を告げた家族の顔。悲しくて泣いてしまう。
その代わり、ふと浮かぶ、干からびた家族の顔。悲しくて泣いてしまう。
喰ってしまった後で後悔しても、遅いのに。
「あ、ああ? あああ、わたくし……は? いや、我は? わたくしは?? な、あっ、なんて者を食べてしまったのだッ」
長い首を振って、鱗だらけの首を振って、食べたばかりの小娘を吐き出そうとする。こんな劇物は体内に取り込めない。思考が汚染されて、我が小娘で書き換わってしまう。
「う、ぷッ」
しかし、両手で口を押さえた。
中途半端に消化された己の体なんて見たくもない。こんなにも尊い者の悲惨な姿など見たくもない。
「尊い? 何だ、この感情は!? こんなものは知らない、我ではないッ」
人生の唯一の楽しみと言える食事を終えたばかりで幸せだ。いや、生贄となってようやく感謝の気持ちを正確に伝えられたのだ。幸せにならないはずがない。
「う、げふぉ。げはっ」
己の味や喉越しがして酷く気持ち悪くても幸せだ。
「幸せな、ものかッ。我は喰ってしまった。せっかく助けた小娘を我が、なんて愚かな真似をしてしまった!?」
悪意以外の感情を知らずに生きてきた神様が、純粋なる善意をようやく知る事ができて幸せだ。
「こんなまともな感情を、我は知りたくなかった! この温かい気持ちがまともな感情などと、我は知りたくなかったっ!」
本当は家族を残して生贄になりたくなかった。そんな気持ちがなかった訳ではないが、そういった後悔さえも神様には理解して欲しい。
「げ、ぐっ、取り返しの付かない悪事を仕出かした後に、知りたくなんてなかった!!」
悪竜のような化物に対して、ただただ感謝し続けた小娘を喰らった後悔の所為で感情がぐちゃぐちゃだ。本来の我であれば感じるはずのない罪悪感が恐ろしくて、己で己を抱いてしまう。
小娘は幸せは本物だった。
「だからこそ、我は辛い。辛くて死んでしまいたい」
悪竜として生きていた我はこの日、激変し、二度と戻れなくなってしまった。
レベル0の小娘の策略ですらない感謝の所為で、人を喰った後悔から立ち直れそうにない。
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“ステータスが更新されました
ステータス更新詳細
●実績達成ボーナススキル『肉食嫌悪』を取得しました”
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我はもう、二度と人間を喰わない。
喰いたくない。
天竜の内側から脱出するために、食道の壁を斬り裂く。
一緒に喰われた悪霊の少女はもういない。幸せのまま人生を終えた少女は悪霊として自己を保っていた訳ではなかった。役目を終えた瞬間、霧散して既に消えている。
裂いた首から外に出る。
天竜の死因は勇者に首を刎ねられた事だったはずである。マフラーでいつも首を隠していたのは、傷痕を隠したかったからなので間違いない。俺が出ていた箇所こそが古傷の地点だった。
「人を……喰わなければ、良かった。喰わなければ……後悔なんて、感じずに済んだ」
首が胴体と離れたため、ドラゴンゾンビの脅威の再生能力が発揮できなくなったのだろうか。
あるいは、天竜自身が精神的に追い詰められたためだろうか。
腐ってなお動き続けた体が太陽の光で溶けていき、浄化されようとしていた。時間を早送りしているように、鱗がボロボロ落ちて骨が剥き出しとなっていく。
現世に留まりたいという思念がなくなって、天竜は消え去ろうとしている。
「……悪いな、天竜。お前を黒い海へ放流するつもりはない。『暗器』発動」
俺は分身体経由でペーパーから受け取っていたドラゴンの骨を掲げる。
地球で天竜の御神体となっていた遺骨、ドラゴンの頸にあるという玉、歯の一本だ。腐った体は消えてなくなっても、この歯さえ残っていれば天竜の消滅は回避できる。




