20-8 救世主なき防衛戦
五万もの大群……にさして驚かず、アルバイトに出かける感覚で腰を上げた。
「五万、五万か。一万までなら篭城していた方が安全だったけど、五万なら要塞から出て迎え撃った方が安全か。最近戦っていなかったから『魔』は十分だ。俺と皐月、アジサイ、黒曜と落花生、ラベンダーのニグループ六人で引き撃ちするのが無難か」
地形にも依存するが、五節魔法一発で三百体は巻き込める。四人いれば一度に千体強。敵全体を殲滅はできなくても前方部隊を壊滅に追い込むのは可能だろう。前方部隊が止まれば敵軍全体が停止する。止まったところに大魔法を打ち込んで、を繰り返す。
モンスターといえど命知らずの野獣ばかりではないので、損害が大きくなれば撤退するはずだった。
「任せても良いのか?」
「少数の方が気付かれない。撤退もし易い。最悪でも敵軍の一割は削ってくるからその間に準備をよろしく」
「難しければ無理をせず戻ってくるのだぞ」
アニッシュに分かっていると伝えてから出撃する。
戦場はおそらく、要塞から一時間ほど歩いた先の平原だ。
「要塞の防御を固めよ。付近の村々へも避難を勧告。要塞へ避難したい者は現れるだろうが、今からでは遅い。山に逃がした方が安全だ」
アニッシュは次々と現れる家臣達に指示を投げて対応しつつ、鎧の装着を開始していた。一人では着られないため侍女に助けてもらいながらであるが、もう何度も繰り返している。あっと言う間に支度を整えていく。
「蛮族の王! 大群が攻めてきているのに、ど、どうするつもりだ!」
王様たるアニッシュを筆頭に、人類国家の者達は兵士も侍女も全員が戦が始まる前だというのに落ち着いたものである。またか、という諦観はあるだろうが戦闘姫ほどにビクビク震えていない。
「もちろん勝利する。せっかく取り戻したオリビアを奪われる訳にはいかぬ」
「無茶だ! こちらは五千。敵は五万。十倍近い差があるのだぞ!」
「まったく幸運であった。この要塞では五万の敵が限界であろう」
ナキナ人たるアニッシュの言葉は鵜呑みにできない。オリビア人が中継基地として築いた拠点を人類国家が拡張し要塞として扱っているものの、五万の魔物と戦えば確実に陥落する。要塞を捨てて逃げるのが正しい。
ただし、この程度のハードモードは既に何度も乗り越えてしまっているため、アニッシュは特に絶望していない。御影が既に出撃しているからという安心感もあるだろうが、御影がいなくてもアニッシュは戦いを選んだだろう。
「これだからナキナ人共はイカれている! 付き合い切れん。我々、帝国人だけでも落ち延びるぞ」
「……それはお勧めできぬな。要塞から出た途端に襲撃されて皆殺しだ」
「敵はまだ遠い。騎馬隊だけでも連れて行く!」
「よせと言っておるのだ」
「くどい!」
そもそも、どうせ、敵増援が現れて絶望具合が深刻化するのである。敵の初期配置を見ただけで絶望するのは間違っている。
「分からぬのか。オリビアの長城は迷宮魔王が掘った地下空洞からの奇襲で陥落した。敵は見えない所より現れる」
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“『知恵比べ』、相手の裏を突く者のスキル。
相手の思考を逆手に取り易くなる。曖昧な効果しか発揮できないが、あると便利”
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塔の観測所から鐘が鳴り響く。
「敵襲ッ、大量のモンスターが、未発見の空洞穴より溢れ出ています!」
新手の敵が要塞の近傍に出現したのは戦闘姫の騎士団が要塞を去る寸前、城門の手前だった。アニッシュが引き止めて口論をしていなければ、戦闘姫は敵の新手と鉢合わせしていた事だろう。
「馬鹿なッ。こんな近くから」
「人類圏の地下は迷宮魔王の支配圏と考えよ、戦闘姫」
要塞の目と鼻の先の土地が陥没して、開いた穴よりオークとゴブリンを中心とする混成部隊が駆け上がってくる。迷宮魔王が迷宮内で飼って繁殖させた雑多な下級モンスター共である。
エクスペリオなき今、以前ほどに統制されておらず武器も棍棒や槍と原始的なものばかりになっている。明らかに軍勢としての質が下がっているだろう。
……ただし、数という暴力性だけは決して衰えていない。波となって殺到するだけで勝てるのであれば、小賢しい戦術や小難しい戦略を考える必要は一切ないのだから仕方がない。
要塞の城壁へと、大型昆虫に騎乗する骸骨兵が一番に迫った。
「さて、手厚く出迎えてやれ。一分間の精霊魔法の行使の後、弓による攻撃を加えよ」
城壁の上に並ぶエルフ弓隊はゼナが指揮していた。
初手より魔法を用いて『魔』の自然回復を最大限利用する戦術を採択し、エルフ弓隊は得意の精霊魔法を一斉に発動させる。
「――エキプス《棘よ》、エクナルス《貫け》、オドゥルグ《黄金樹の》」
要塞にたどり着いたモンスター共は地面から突如生えた植物の棘に出迎えられた。頭蓋や心臓を貫通されて、立った状態の屍骸が次々と出来上がる。
運悪く生き残ったモンスターは後から伸びる蔓に絡まり、茨の支柱代わりにさせられた。一帯に広がっていく茨の園。森の種族の残虐なる魔法が敵の第一波を壊滅させるだけにとどまらず、第ニ波以降に対する簡易的な壁まで形成した。
生きた仲間が内部にいるので人類相手ならば精神的にも強固な障害物となってくれる植物魔法である。が、魔族相手ならば物理的な障害として以上の機能は発揮しないだろうが。
「森の種族だけに活躍させるな。雑魚共に魔法など不要だ!」
城壁の上には獣の種族に檄を飛ばすジャルネの姿も目撃された。
『魔』の低さゆえ魔法を使えない獣の種族達であるが、遠距離攻撃の手段がない訳ではない。要塞周辺からせっせと回収し蓄えていた拳サイズの石を握り締めて、城壁へと接近するモンスターの群へと投げ込んでいる。
石そのものに特殊性はなかったが、道具を使用せずに石を百メートル以上飛ばす獣の肩が異常だった。狙い易いオークの肥満体に命中すれば、石がめり込んで戦闘不能に追い込む。
古代より石を使った物理攻撃こそが、戦場における最大兵器なのである。
「まだ試作段階だからな。点火後は土嚢の後ろに退避だ!」
魔法も『力』も中途半端な人間族達は暇なのかというと、そんなはずはない違う。例えば、ペストマスクが率いる部隊が大きな筒状の物を城壁の上に並べて、底の方に見える導火線へと松明に火を付けていた。
「火が付いたぞ、暴発する前に逃げろー!」
どうやら大砲を作成したようだ。崩壊したオリビア・ラインの銃工場にあった火薬類と、ペーパー・バイヤーの異世界知識を組み合わせてそれっぽい物ができたため実戦投入している。
導火線を伝って火が筒の中へと消えていく。
まだまだ実験段階の大砲であるため、並べた五本の内、一本の底が抜けて爆発していた。火薬の量の調整を間違えたか、構造的な欠陥だろう。残った四本から発射された砲弾も、敵陣へと達したのは二つだけだった。
火薬の炸裂音が衝撃波と共に広がる。
丘を越えた遥か先で、着弾の土煙が舞い上がる。
「おお、飛んだぞ! 成功だ!」
命中精度の問題で戦果はゴブリン一匹と悲惨なものであったものの、ナキナ兵達は沸き立った。派手な音が特に気に入ったらしい。
「そうだ。余達は救世主頼みの弱い集団ではない。余達は一人一人が勇者なのだ!」
要塞は敵軍の初撃を完全に防ぎ切った。このまま防戦を続けていても負けはしないだろうが、アニッシュは城門を開くように命じる。野戦にて決定打を与えるつもりらしい。
「士気が……違う。ここの者達は、何だ??」
手際の良く働く人類国家の陣営の中で、役割が分からず立ち尽くしているのは外様の帝国騎兵団のみだろう。戦闘姫は人類国家の異様な対応力の高さに付いていけていなかったのである。
「暇をしているならば手伝うが良い。そなた達の騎兵が役立つ」
「わざわざ外に? うって出るつもりか!?」
「敵軍の本隊が到着する前に壊滅させねばな。一緒に戦わぬか?」
「お前達に恐れという感情はないのか?」
アニッシュは馬に乗って高い位置から戦闘姫へと手を伸ばす。
「恐れているから必死に戦う。怖がっていても、誰も助けてくれぬぞ?」
戦を誘われた戦闘姫は、くっ、と口を開かず唸り、アニッシュの手を取らずに己の愛馬に跨った。
「ふんっ、騎兵突撃は帝国の華だ。お前達に、野蛮な人類国家共に譲りはしない」
並んだ二人の相性は悪い。アニッシュは伸ばした手を寂しそうにしまっていた。
しかし、初めて協力する事ができそうだった。互いに気付いていないが、人類国家と帝国はようやく歩み寄れたのである。
「開門ッ! 開門ッ!」
要塞の正面城門がゆっくりと左右に開く。
門の内側に、スタートを待ちわびる騎兵部隊の姿が少しずつ見えてきた。
「全騎、突げ――」
そして、門の外側に見える景色の中には無数のモンスターと……地平線を越えて現れる黒いドラゴンゾンビの腐った姿。
「アアアアアアアアァァァァアァッ!!」
空を飛行するドラゴンゾンビの速度は把握し辛いが、恐ろしく速いのは確かだ。姿を現してからたった数秒。ボロボロの翼が一度羽ばたくだけで数キロ単位を飛行する。
ドラゴンゾンビの目標は明白だった。位置関係的に要塞よりもモンスター共が近かったのが不運だった。
猛禽類のごとく体をくねらせて方向を転換して地上を目指し、ドラゴンゾンビは迷わずモンスターの大群の中へと飛び込む。
巨大生物のハードランディングに巻き込まれて多数のモンスターが犠牲になる。下半身とさよならしたオークが自由を得て空を飛ぶが、ドラゴンゾンビの顔を素通りできる訳もなく丸呑みにされていた。
「アアアアアアアアァァァァアァッ――アははッ! 不味イイイッ、喰うに値せず。ただ悪霊魔王の一部となれェェェ!!」
着陸によって地面に埋まったドラゴンゾンビの脚部から影のような、黒い液体のようなものが噴出する。
黒い液体は水のように草原の表面に広がっていく。
無用心に液体に足を浸してしまったコボルトは、液体の内側から伸びてきた黒い腕に拘束されて無理やり引き込まれてしまった。柄杓を要求する船幽霊よりも直接的に、生者を溺死させて肉を奪うつもりだろう。
要塞と向き合っていたモンスター共はドラゴンゾンビよって蹂躙が開始される。
もちろん、モンスターは黙って命を奪われている訳ではない。しかし、ドラゴンは腐っていても最強種。真性悪魔とステータスのみで戦える脳筋に低級魔族が敵うはずがない。
「い、行かないのか?」
突撃直前の姿勢を維持したまま遠くの惨劇を眺めていた戦闘姫が、ふと呟く。
「閉門ッ、閉門ッ!! 門を閉じよ! 伝令を放てッ、御影に魔王が現れたと伝えよ!」
人類国家の者達といえど、魔王と戦う自殺願望はそんなに持っていない。




