19-2 救世主職バレ2
鎖の擦れ合う音で、御影は意識を取り戻した。
停止していた思考が動き始める。気を失う寸前まで行っていた挙動を再開して、体が無意識的に可動する。倒れていく誰かを抱き抱えようと両腕を動かす。けれども、御影の両手首は鎖で繋がれて壁に固定されてしまっていた。ジャリジャリと耳障りな音を鳴らしただけに終わってしまう。
「……む、起きたか」
御影の右側にも鎖で繋がれたエルフがいた。ゼナである。早くに目が覚めたゼナが身動きした音で御影は起きたらしい。
「森の種族の族長が、森の種族の牢で繋がれている。無様なものだ」
「そういうそなたも同じ状況であろうに」
「俺には『暗影』スキルがある。鎖の拘束など無意味だ。すぐに抜け出せる」
「……それは止めておいた方が良いな。いや、止めてもらいたいものだな」
鎖は高レベル者でも解けない程度に強固な金属で作られているが、スキル封じなどという奇跡的な力は備わっていない。御影ならば難なく脱出できる。
「誰かが脱走のために鎖を外した場合、鎖で繋がる他全員に致死量の呪いが流れ込む仕掛けになっておる」
ただし、御影が脱出した瞬間に隣にいるゼナや、別の牢屋で同じように拘束されている者達は全員死んでしまう。
鎖には、信頼の鎖などという皮肉の利いた名前が付けられている。確実な逃亡阻止は見込めないが、スキルや魔法に対処するよりも仲間意識で精神を縛り付ける方が安上がりなのである。仮に身勝手な誰かが逃亡してしまったとしても、逃亡者数は一人に限定できた。
「そなたが化けている人物は、他人を犠牲にするような悪漢ではなかろうに」
「……はっ。この仮面の下の俺は、どうかな?」
細めた横目でゼナは御影を見ていた。会得している読心スキルで本心を探ろうとしているようだが、マスクに阻まれて何も見えない。
「森の種族の命は、森に捨てられるぐらいに軽いらしいからな。お前がどうなろうと知った事か」
「森の種族の誰かを恨んでおるようだが、パーティメンバーには人間族や獣の種族もいるぞ」
「はっ、半分はあいつの女だ。誰が気遣ってやるものか。他人の命なんてどうなっても構わない」
影が御影の体を覆い始める。
「…………では聞くが。トピューアの心臓を刺した瞬間、どうして動きを止めたのだ。あれが作戦失敗の決定的瞬間であったぞ」
ゼナの指摘は半分程間違っている。精霊帝国攻略はエルテーナに事前察知されており、暗殺作戦は最初から失敗していた。
そのため、ゼナは作戦を暗殺から強襲に変更した。戦力ゴリ押しによるエルテーナ抹殺を達成しようと、都の中だというのに五節魔法を連発し大暴れしたのだ。Sランクが複数人いるパーティの瞬発力はすさまじく、千人単位の包囲網を突破。エルテーナがいる玉座に攻め入る事までは成功した。
御影のナイフは残り一歩のところまでエルテーナを追い詰めた。が、エルテーナを庇おうと身を投げ出した老エルフを突き刺した瞬間、御影は動きを止めてしまったのである。
どうして動きを止めてしまったのかは御影自身もよく分かっていない。
ただ、老エルフ、トピューアの鼓動を刃越しに感じた時、空虚な懐かしさに思考が停止してしまったのである。そして、倒れていくトピューアを何故か抱えようとしてしまったのである。
血を吐きながら倒れていくトピューアの背後では、エルテーナが怪しく微笑んでいた。
「作戦の失敗を俺の所為にするな」
御影は『暗影』スキルの発動を中断して、壁に背中を預ける。他全員を犠牲にしての脱出を諦めたらしい。
「やはり、口や態度ほどに性根は悪くないようだな。そろそろ、正体を教えてくれても良いのではないか?」
ゼナの言葉は無視された。御影と名乗っている内は自分から言い出すつもりはないようだ。この場に本物の御影がいたならば話は違っただろうが、ゼナでは御影を説得するのは難しい。
そもそも、御影の正体に気付いている人物でなければ『正体不明』を突破できない。
「――原型一班の精霊戦士として称えられたゼァミリア様がまだ気付かれていなかったとは、本当に耄碌されましたわね」
突然鉄扉が解錠された。二人が鎖で繋がれている牢屋へと、女エルフが入室してくる。
「エルテーナ。よくもその顔、私の前に見せられた。お前を仕留めるためならばこの鎖を千切ってでも首に噛み付くぞ」
齢ニ千年を越え、美貌を維持するどころか洗練し続けているゼナ。そんなエルフの代表と比較しても遜色ない、エルフというイメージが形を成したような女エルフ。その名はエルテーナという。
「ちょっと待てッ。俺にはどうこう言っておいて、お前が鎖を外そうとするなよ!」
白いドレスと宝石だらけの耳飾りを見せ付けに、エルテーナは牢屋へと入ってきた訳ではない。きちんと護衛として屈強なエルク二体を連れている。しかし、命を狙ってきた囚人の目前に身をさらすなど無用心だ。
「致し方ない犠牲となってくれぬか」
「なるかッ」
ゼナは八割方本気で鎖を解いて跳び出そうとしている。仲間達の命は尊いが、森の種族、ひいては世界を救うための犠牲であるのならば仕方がない。
「老いてなお世界を救うおつもりなら、動かない方がよろしいのでは。老人の不注意で救世主職が死んでしまいますわ」
なに、とゼナはエルテーナに問うが、その必要はない。
救世主職の言葉に対して、過敏に反応した御影が鎖を鳴らしたからだ。
「愚かですわね。人間族疲弊を代表とする世界情勢、怨嗟魔王様との同盟、その二つのみを頼りにエルヴン・ライヒを立ち上げたと思いましたか?」
エルテーナはドレスの裾を擦らせながら、御影へと近寄る。
「救世主職の発見。ほら、三つも好条件が出揃ってしまったのですもの。世界を我が物にせよ、と催促されていたようなものでしょう」
エルテーナの手が伸ばされて、御影の仮面に触れる。そのまま剥ぎ取るつもりだ。
「救世主職? いや……確かに救世主職は近場にいたのだが、……んん? あの男は今オリビアにいるはず?」
「女、触れるなッ」
ゼナは困惑し、御影は顔を振って抵抗しているがエルテーナは『正体不明』スキルを解除するのに忙しい。
「顔のない救世主は、そこにいる。この神託を最初に受けた時には気付きませんでしたが、答えが分かっていれば残りは答え合わせだけですもの。難しくはありませんでした」
“――『神託』する。
世界は滅びる窮地にあり。
最大級の窮地に、抗う術なし。
人類は滅びる。世界は終わる。生きとし生きるもの、皆等しく死滅する運命にあり。
しかし、救世主は既に現れた。
顔のない救世主は、そこにいる。
世界にはまだ救われる可能性が残っている――”
「救世主職と言えば四千年前の救世主となりますが、そんなに時代を遡らなくても良いのです。二千年前にも似たような危機で人類滅びかけていましたし」
「ニ千年前。原型一班が挑んだ大魔王か!」
「ええ。かの大魔王は原型一班のアサシン職が討伐した、と世間は勘違いしているようですが、違いますわよね。原型一班とは無関係の野良のアサシン職がふらりと現れて、大魔王を暗殺してしまったのです」
ニ千年前の大魔王は人類抹殺に熱心であった。その危険性から座付きの魔王として認定されていたのは間違いない。
ちなみに……座付きの魔王の討伐こそが、救世主職の就職条件である。
「人間族がいつもの僻みでアサシン職を忌むものとして扱ってしまいましたが。ですが、そのお陰で大魔王を葬ったニ千年前の救世主職は俗世と決別し、魔界に留まってくださいました」
「お前ッ」
御影の黒いベネチアンマスクが半分剥がされる。
「詳しく調べたところ、鳥の鳴く森なる噂が囁かれ始めたのもニ千年ほど前になります。これを偶然と見逃すのは巫女職としては怠慢でしょう」
マスクはもうほとんど剥がされてしまっている。
しかし、鳥の鳴く森の真実暴かないままマスクを取っても、夕暮れ時の森に誘われるだけで御影の素顔は暴かれない。
「――今後、救世主様にはエルヴン・ライヒを救うための兵器になってもらいます。報酬はもうお渡しておりますわよね。己を捨てた憎い親の命ならば十分ではありませんか?」
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●黒曜
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“●レベル:198”
“ステータス詳細
●力:482 守:326 速:745
●魔:709/709
●運:7”
“スキル詳細
●レベル1スキル『個人ステータス表示』
●アサシン固有スキル『暗器』
●アサシン固有スキル『暗視』
●アサシン固有スキル『暗躍』
●アサシン固有スキル『暗澹』
●アサシン固有スキル『暗影』
●アサシン固有スキル『暗殺』
●救世主固有スキル『既知スキル習得(A級以下)』
●救世主固有スキル『カウントダウン』
●救世主固有スキル『コントロールZ』
●救世主固有スキル『丈夫な体』
●救世主固有スキル『ZAP』
●実績達成ボーナススキル『不老』
●実績達成ボーナススキル『野宿』
●実績達成ボーナススキル『耐瘴気』
●実績達成ボーナススキル『正体不明』
●実績達成ボーナススキル『オウム返し』”
“職業詳細
●アサシン(Sランク)
●救世主(Aランク)”
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素顔は、エルテーナにより暴かれてしまった。
マスクが取られても何ら不思議な現象は発生しない。褐色の肌を持つ黒いエルフ――ある男が勝手に名付けた名前であれば――黒曜の驚愕した顔が見えてしまっているだけだ。
「キサマ……、今何と言った?」
「親殺しの感触はいかがでしたでしょう。あの頭の固い老人。とても救世主を生んだ偉人とは思えませんでしたけど」
「キサマッ!!」
黒曜は激情にかられて『暗影』を発動しかける。
「実は私、幼少の頃に魔界で迷い、鳥の鳴く森に助けられた経験がありますのよ。あの時は助けてくださいましたのに、今更殺してしまおうとするなんて。悲しい」
エルテーナの台詞に黒曜は出鼻を挫かれた。
身が強張っている間に、護衛のエルクが動いて黒曜の顔を掴む。そのまま後頭部を壁に打ち付ける。
アサシン職だけではなく、救世主職にも就いている黒曜の『守』は高い。後頭部陥没を気にしないエルクの暴力にも耐えられる。が、多少の脳震盪で瞬間的に意識が飛ぶのは仕方がないだろう。
エルクは顔を掴むと同時に手の平に持っていた粒状の薬を黒曜の口内に押し込む。
「ふふ、嘘ですわっ! そこまで都合の良い話はありません」
黒曜は咳き込むが、誤って喉奥へと落ちていった一粒が即時効果を発揮する。五感の内、触感が薄れていき、手足に力が入らなくなっていった。
「感情任せに動かれてエルクの材料が減っても困ります。救世主様を別の部屋へとお連れしなさい。準備が出来次第、怨嗟魔王に感染してもらい立派な生物兵器になってもらいます」




