18-10 凶鳥面の神秘
背後で巨大な火柱が生じて密閉された広場の気温が上昇している。皐月が戦い始めたようであるが、援護している余裕はない。
「お前の所為だ! お前さえいなければッ」
「ええい、ただの記憶とは思えない激情だ」
額から流れる汗を拭う暇さえない。
対峙している俺の記憶、俺が完全に忘れ去っている仮面との戦闘に忙殺されかけていた。鳥の鳴く森、などという妙な異名を持ち、名前通り異様な人面鳥を装着した奇人は、パラメーターが高くて劣勢を強いられる。
記憶ではない本物とは数度会話をしている。俺を騙って御影と名乗っている今と異なり、目前の記憶はまだ鳥の鳴く森と名乗っている。俺を騙る以前の記憶なのだろう。
正体について思い当たるものは何もない。忘れてしまっているのだから当然だ。
「このッ、死ねッ!」
「うわっ、危な!?」
人類の姿をしているが、二足歩行する魔族や精霊は多い。外見からでは正体を探れない。
「『暗躍』発動ッ、消えろッ」
気配が希薄となり、姿がぶれて見えたら高速移動を開始したと思うべきだ。見えている奴の姿は残像に過ぎず、既に死角へと回りこまれてしまっている。
ナイフ捌きは俺を遥かに上回って達人レベル。『速』も同様だ。手の筋を斬られなかったのは『運』のみは俺が勝っているからか。
「『暗澹』発動ッ、これで終われッ!」
「アサシン職のスキルばかり! お前もアサシン職か! 残念だが『暗澹』は俺に効かないぞ」
鳥の鳴く森を中心に音も光も通さない暗澹空間が展開される。奇襲にもってこいのスキルなのは間違いないが、同スキルを所持する俺には効果がない。
誰にも見えない真っ暗な暗澹空間の内側で、俺達二人のみがナイフを打ち付けながら見詰め合う。
「お前は許されない事をしたんだ。だから、俺が殺す!」
「一体全体、俺が何をしたのか教えてくれっ!」
「忘れたなんて言わせないッ」
「忘れたから記憶のお前が襲いかかってきているんだろ!?」
鳥の鳴く森の凶鳥面は攻撃によって少し割れてしまっている。丁度、左目の部分が覗き込めるようになっており、愛想のない目付きが見え隠れしている。
「じろじろ見てくるなッ!」
蹴られて吹き飛び、暗澹空間から脱出。
体勢を立て直している間に、鳥の鳴く森が詰めに入っていた。
「そんなにこの俺の顔を見たいか! だったら、見せてやる!」
少し割れた凶鳥面に手をかけながら、鳥の鳴く森は己の神秘性を最大限に発揮する。何をしようとしているのかは、『正体不明』持ちである俺には理解できた。
「――鳥でもない者が、深淵の上に巣をかけてはならないのだ。カカカッ」
ギャーギャーギャー。
ふと、気が付くと俺は深い深い森の中にいた。
辺りは暗く、空は紅い。魔界の夕暮れ時だ。
ギャーギャーギャー。
鳥達が山の住処へと帰っていく時間帯である。だから鳥の耳障りな鳴き声が森で響いているのだろうか。妙にうるさい。
ギャーギャーギャー、たす、ギャーギャー。
迷宮の中から一瞬で外へと移動した、というのは不正解だと思われる。
この光景は鳥の鳴く森が仕掛けた神秘現象で間違いなかった。アイサの『鑑定』でステータスを把握できない鳥の鳴く森は『正体不明』スキル持ちで確定している。今、俺が体感している状況こそが奴の神秘性であり、匿名性の正体だ。
鳥の鳴く森に打ち勝つためには、この状況を解き明かす必要があるのだろう。
できるかできないかは分からない。以前の俺は失敗したから、名前を奪われてしまったのかもしれないのだ。
「……まあ、やれるだけやってみるか」
タイムリミットは恐らく夕暮れが終わるまで。感覚的に分かる。三十分も余裕があれば良いだろう。
「暗いな。土地勘か『暗視』スキルがないと厳しいミッションだ」
とりあえず、鳥の鳴き声が聞こえてくる方向が怪しいので足を向ける。
木々で反響する鳴き声の元を探るのは意外な程に困難だ。暗くなっていく森に焦りを感じながら彷徨っていると人の姿を発見した。
「あそこにいるのは……エルフか」
耳の長さと弓装備から判断して間違いない。アイサと同世代ぐらいの若い女のエルフ――エルフの年齢は把握し辛いが、少なくとも千歳未満――がキョロキョロと目配せしながら森を探索している。誰かを探しているようだ。
俺と同じく神秘に捕らわれてしまったゲストではなく、この妙な状況を演出するキャストの方ではないかと思う。
色白の若いエルフの顔に見覚えはな――、
「――ん、誰かに似ているけど、誰だ??」
美形ばかりのエルフにだって顔に個性はある。
アイサは見る者を和ませる純真さが顔付きに現れているし、リリームはクッという悔しい表情が良く似合う。亡きトレアは義務感で眉を常に寄せていた。
他に俺が知っている残りのエルフは族長をしているゼナであるが、十メートル先にいるのは若いエルフである。ゼナは遥かに老成……げふん。年齢を別にしても、ゼナの髪は足元に届くぐらいに長いが、若エルフの髪はベリーショート。やはり別人で間違いない。
ただ、鼻とか頬とかいう部分、プラチナブロンドという髪色、それと肌の白さは他人にしては似過ぎている。ゼナの娘か孫が正体だったとしても不思議ではなかった。
「ゼナの親戚かな。エルフは血縁多そうだし、可能性は高い」
親戚や血縁だとすると、若エルフの名前は何という名前か想像してみる。
「ゼナの本名は確か妙に長ったらしい。えーと、スマフォの電話帳に名前だけ登録をしておいたはず。ゼ……ゼ……あった。ゼァミリアの――」
「――誰かそこにいるのかっ!」
独り言が聞こえてしまったらしく若エルフが声をかけてきた。
接触するべきか悩んだが、凶鳥面持ちに円滑なファーストコンタクトは望めない。『暗躍』スキルで気配を殺してやり過ごす事に決める。
「……名前を呼ばれたか気がしたが、気のせいか。それよりも早く見つけなければ、トピューアの奴め、子供を連れて森に入るなど正気ではないぞ」
若エルフが森の奥へと向かっていく。
他に当てはないので、彼女の後を尾行する。
若エルフはやはり誰かを探しているらしい。茂みに分け入ってはエルフ語で名前を呼びかけ続けている。
「トピューア! どこだ、どこにいるっ!」
やはり、この神秘ミッションは攻略難度が高い。森を探索する能力のみならず、エルフ語の語学力も求められる。
その点、俺は経験だけは積んでいるのでエルフ語も聞き取りだけならマスターしている。伊達にうるるんと心の中で泣いたエルフ集落滞在記をこなしていない。
「早く里へ帰ろう! ここは危ない!」
そして、求められるのは語学だけではなさそうだ。魔界を歩くための能力も必要とされる。
若エルフも魔界で生きているのだから力は有していると思われるが、彼女は魔界の森に対して警戒心が薄過ぎる。焦りの所為で周囲が見えていないから、俺のような仮面に尾行されている事に気付いていないし、背後の藪に潜んでいるモンスターさえ検知できていない。
「トピューア、返事ぐらいしろ!!」
誰かを呼ぶためとはいえ、魔界で大声を出し過ぎていたのが最大の問題だった。
若エルフの柔らかい血肉をありつこうとするモンスターが、慎重に確実に、けれども最後は大胆に、口を大きく開いて藪から跳び出した。
余分なものを削ぎ落とした、蛇と同じ形状をした手足のないチューブな体付き。
人間を丸呑みにしてしまう大きさからアナコンダかと勘違いしてしまいそうになるが、蛇と異なって歯が多い。ワームの一種だと推測された。
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“『ワーム』、蛇に似たドラゴン。ドラゴン族からは同一視されたくないと蔑視される。
森林地帯や砂漠地帯に生息している。いつもお腹を空かした腹ペコキャラなので、食べられる森や砂漠の仲間達を探して徘徊している。
蛇に似た胴体を持つが、獲物を丸のみする下品な蛇に対して、ワームは獲物を何層もの尖った歯で噛み砕き、良く味わう。
食えば食う程に成長し、モンスターの癖にレベルが上昇する。この個体はまだ幼体。
早めの駆除が必須。討伐時の経験値量も悪くない。が、低級と言えどドラゴン族なので普通皆無視する”
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若エルフは草が擦れる音を長耳で聞いてようやくワームに気付いたが、もう遅い。ワークの口は振り向いた顔の先にある。
「な、しまったッ」
こうして若エルフは無残に飲み込まれてワームは満腹になりました。
……という見殺しは夢見が悪過ぎる。ワームの存在に気付いた時点で、俺は若エルフの傍にまで接近していた。ワームの口が届く前に彼女の腕を引っ張る。
「ぬおっ、トピューアか?」
「残念。俺です」
「誰だ、お前ッ!?」
若エルフのレベルは高くないようで、腕を引っ張られるままに倒れそうになる。仕方なく受け止めてやる。
今晩の獲物を逃したくない。こうワームが体を捻り、しつこく口を向けてきたので、若エルフを抱えたまま一緒に後方へと跳ぶ。
「くっ、離せ! そんな恥ずかしい抱え方は止めろ」
「ワームを倒した後で、なッ!」
下がる俺達をワームは必要に追いかける。ニ、三度跳んでも追いかけていたので目を狙って投擲ナイフを投げ付ける。
ナイフは見事命中してワームの片目を傷付ける。
だが、ワームは残った目を動かしてまだ俺達を追う。
「しつこいぞ!!」
再度、ナイフを投擲。残っていた方の目にもナイフが刺さったため、ワームの視力は完全に失われた。
これ以上追いかけてくるのであれば、若エルフを下ろして本格的に戦うしかなかった。が、ワームは食欲よりも撤退を優先したらしく、来た道を引き換えていく。
藪へと消えていく寸前、ナイフが刺さったままの両目で俺を睨んできた。怒気を噛み殺すように顎の開閉を繰り返した。
因縁を付けられてしまった気分であるが、ここは現実ではないはず。時間もないので追いかける必要はないだろう。
「お前は……私を助けてくれたのか? 里の者ではなければ人間族か? 人間族が森の種族を助けてくれるとは正直信じ難いが、顔を見せてくれ」
両腕でリフトのように抱えている若エルフが顔を覗き込んできたので、慌てて顔を背けた。
「いや、顔に自信はないから断っておく」
「お、おいっ!」
若エルフを助けたのは成り行きであり、やはり時間がない。
凶鳥面を見られて騒がれる前に若エルフを下ろして早々に立ち去る。
「せめて名前をっ! お名前を!」
追いかけられても困るので、名前ぐらいは名乗って去ろうと考えて一度立ち止まる。
俺の名前は凶鳥……ではない。皐月との出遭いを思い出しているので、俺はもう本来の名前を取り戻している。
「――名乗る程の名前ではないが、俺は御影。覚えておく必要はない」
若エルフが鳥の鳴く森とどのような繋がりがあったのかは分からない。ただ、時間を大きくロスしたのは間違いないため、ここからは走り続けよう。
一人残す若エルフが気掛かりだが、無事を祈るぐらいに止める。
「……あっという間に去っていった。気の良い人間族もいたのだな」
若エルフこと、齢十七のゼァミリアは御影なる人物が去っていった方向を眺めている。
「…………ミカゲ、御影か。ふむ、覚えた。ずっと忘れずにおいてやろう」
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“『吊橋効果(極)』、恋愛のドキドキと死地の緊張感の類似性を証明するスキル。
死亡率の高い戦闘であればあるほど、共に戦う異性の好感度が指数関数的に上昇する。
指数関数的なので、まずは2以上に好感度を上げておかなければ意味はない。
異性であれば誰に対しても有効なスキルであるため、不用意に多数の異性と共に戦うと多角関係に発展してしまうので注意が必要――人生において決死の戦いを挑む機会などそう多くはないだろうが。
多角関係を円滑に保つ効果はない。ゆえにスキルを乱用すれば、刃傷沙汰は回避できない”
“実績達成条件。
恋愛に興味のない異性を戦場で惚れさせる”
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「ふーむ、こそばゆい……」
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“実績達成条件。
恋愛に興味のない異性を戦場で惚れさせる”
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「おっと。いつまで突っ立っている場合ではない。早くトピューアの奴を探してやらねば」
活動を再開したゼァミリアは、ふと、鳥の鳴き声のようなものを耳にする。
ギャーギャーギャー、たす、ギャーギャー。
ワームに襲われたばかりなので用心しながら聴覚に集中していると、鳥ではない者の泣き声にも聞こえた。
ギャーギャーギャーギャーギャー、おぎゃー、おぎゃー、おぎゃー。
「これは、赤子の声!?」
ゼァミリアは森を走り出す。友人のトピューアとその子供を追いかけて夜になりそうな森に入ったのだ。二人を探し出すまで里に戻る事はありえない。




