18-9 自分勝手に生きる
ヘンゼルは痛々しい姿へと変わり果てていたが、皐月の到着がギリギリ間に合う。
妹達に殺される運命を受け入れていたヘンゼルは、皐月が現れようと現れまいと驚きはしない。感情が揺さぶられるはずがない。助けてと叫んだ覚えがないからだ。
ゆえに……、頬を伝う液体が己の涙だと気付いてヘンゼルは心底驚いた。喰い破かれてしまった頬から涙が入り込み、しょっぱい味を感じ取ったのだから涙である事に間違いはなかった。
「ヘンゼルに近寄るなッ! 鳥共ッ!!」
傷付いたヘンゼルの傍に立つ皐月の長髪が、上昇気流に乗って舞い上がる。
皐月の炎が壁となって皐月とヘンゼルを守る。
炎は三百六十度を阻むために渦を形作っている。形状的に上から侵入するのは可能であったが、渦は蛇のように管を巻く事も可能だ。勇敢に跳び込んできたグレーテルは迫った壁に対応できずに燃え落ちた。所詮は鶏。空を自由に飛べないのが死因だった。
「ヘンゼル、早くこれ使いなさい!」
「これ……? 『奇跡の葉』で、ありますか」
「そう、早く!」
「…………売れば高い、でありますね」
「転売禁止よ!!」
転売を考えているから、ではないがヘンゼルは渡された『奇跡の葉』の使用をためらう。全身痛くて苦しいのは確かであるが、ヘンゼルにはもう生きている理由がないのである。
「ここで終わるのが、自分の運命でありました」
生きる目的がないのに生き残っても、寂しい人生が待っているだけである。
そもそも、魔族としては欠陥品であり、欠陥品でも魔族であるヘンゼルは魔族にも人類にも受け入れられず居場所がない。
「皐月には悪いですが、助けられたとしても困る、であります」
「いつもはがめついのに、何でこんな時だけ畏まるのよ! ヘンゼルはね、もっと自分勝――ッ」
生存を否定する理由や言葉は枚挙にいとまがないのだから、ヘンゼルが迷うのは当然だ。
「この炎邪魔だわ」
「なんてお邪魔な炎なのかしら。お姉様とワタシ達の仲に割り込んでくるなんてっ」
「そんな邪魔者。石にしてしまいましょう。そうしましょう!」
仮に生きる目的があったとしても、コカトリス百羽の群からどう生き残るというのか。
鳥特有の獰猛で冷酷な感情を隠せてない目が一斉に振り向く。眼光鋭く『石化の魔眼』スキルが発動されて、炎の渦が一瞬で石のオブジェへと変換された。現象にさえ作用する強力な石化の呪いの前では何であろうと硬直せずにはいられない。
「生意気な! ――炎上、炭化、火炎撃!」
炎の渦の形をしたオブジェの内側から女のカンで火炎魔法が放たれた。うまく命中して、不運なグレーテルが一羽焼き鳥となる。
皐月の炎は火力十分であるが、手数は足りていない。グレーテル共の真の恐ろしさは『石化の魔眼』ではなく数そのものであり、同じグレーテルの命を蔑ろにしてしまう非情さだ。
「い、いやあぁあッ。熱い、焼ける!? 助けて、助けてッ」
燃えたグレーテルが助けを求めたならば――、
「もう、ワタシったら。うるさいから、石にして砕いてあげるわ!」
――石化させて悲鳴を黙らせて、頭部を蹴り砕いて始末する。
命が安いから、皐月の迎撃を恐れずに集団で近づける。炎のオブジェを嘴で破壊して、一羽でも皐月の姿を直接視認できればグレーテル共の勝利だ。
「群がってくるなら最大火力で! ――全焼、業火、一掃、火炎竜巻、天に聳える塔のごとき炎の柱にひれ伏すであろう!」
皐月とヘンゼルを中心に、再び火柱が立ち昇る。今度の炎は五節魔法によるものなので巨大だ。球状広場の天井にまで届いている。近づいただけでも放射熱のみで焼け死ぬ熱量だ。
人類最高峰の炎を前にしてグレーテルは立ち止まる。
「石化を恐れているってバレバレだわ!」
「術者を守るために炎はそこから動けない。遠くから石化して安全になったら近づきましょう!」
「こんな規模の魔法。人間族では何度も使えない。でもワタシ達の魔眼に使用制限はないの!」
立ち止まっても、炎を恐れてはいない。
グレーテル共は焼死しない位置から『石化の魔眼』を発動させた。巨大な炎なので百羽の視線であっても一瞬で終わらす事はできなかったものの、それでも一分も経過せず炎はただの石となって熱を失う。
大きくて形が不安定だったため、炎の石は自重によって倒壊していく。
崩れ落ち石壁の穴からは、ヘンゼルと皐月の姿が見えてしまっていた。
「視線が通ったわ! これで終わり終わり」
「魔法使い一人で何がしたかったのかしら!?」
「ワタシ達の食べかけを奪おうとしたぐらいに卑しい人間族。欠陥品で味の悪いお姉様を奪って何がしたかったの?」
皐月は魔法による迎撃を優先しない。
「まずッ! ヘンゼル!!」
ヘンゼルを庇うために動く。仰向けに倒れているヘンゼルに覆いかぶさって体を盾にする。ヘンゼルの成長の乏しい体は女性の皐月でも守りきれた。
そんな皐月の背中を、多数の鳥の視線が射抜く。
「分からない、であります。生きる意味のない自分を、どうして皐月は身を挺して助けてくれるのか、分からないであります」
「……それは、ね。私がそうされて嬉しかったから……よっ」
皐月の背中は石になっていた。重量が増加したため体を支えるために両腕に力を込めるが、すぐに必要なくなる。両腕も石となって固定されたからである。
「でも自分は、どう感じれば良いか分からない、であります」
「生きる意味なんて、自分次第。ヘンゼルはもっと……自分勝手に生きて良い、の。家族が大事なのは分かるけど、家族って……迷惑をかけても良い相手だし」
背骨を伝い、全身の骨が固まった。
筋肉が硬直して動かなくなって、石化が内臓に達して肺ももう動かない。
「これからは……好きな事を……楽しんだら? 商売をしている時のヘンゼル……私は、好きよ?」
そして、皐月は完全に固まった。ドレスを着た女性像は石化の恐怖を味わった表情をしておらず、ヘンゼルへと微笑んでいた。
ヘンゼルは片目を大きく見開いて、石化した皐月の顔を凝視する。
「自分勝手に、好きな事を……。考えた事がなかった、であります」
ヘンゼルは握っていた『奇跡の葉』を顔の前まで持っていき、悩み始める。
「妹達のため、家族のためばかりを思って生きていた、であります。商売は力のない自分でも可能な奉公でしかなくて、楽しんでいた自覚はなかった、であります」
しばらくという程に長くない間、ヘンゼルは苦悩していたが……ついに覚悟を決めた。
「…………生きていれば、これを何枚も買えるだけの商売ができる、でありますね。それはとても楽しそう、であります」
ヘンゼルは売値を脳裏に描きながらも『奇跡の葉』を握り潰す。すると、細胞壁の内部に溜め込まれていた癒しの力が発動し、淡い光となって全身を包む。
妹達の嘴で味見された各所の肉が塞がっていき、完治していく。擦り傷、切り傷、打撲、骨折、裂傷、内臓破裂。傷の種類はいとわない。
更に、奇跡の力は直近の傷以外にも作用する。淡く光ったのは顔。正確には目の辺り。
「流石に高価なだけはありますね」
ヘンゼルは前髪で隠し続けていた片目をあらわにして、頻繁に瞼を開閉して視力を確かめる。生まれ落ちた時から世界は奥行きのない平面に映っていたというのに、今は世界が激変していた。
これまで見えていた黒色の瞳。
新しく見えはじめた金色の瞳。
「――誰のためでもなく。自分のため、好きに生きてみよう、であります」
オッドアイのヘンゼルが始めてみた世界は……輝いてはいない。ここは迷宮魔王の迷宮内部なので太陽など見えはしない。己を覗き込む多数の妹達が映っているだけだ。
「回復したの、お姉様?」
「どうして回復したの、お姉様。肉をまたくださるのかしら?」
「妹思いなお姉様だもの。それしか能がないお姉様だもの。きっとそう」
皐月を石化させたグレーテル共は、炎による攻撃はもうないだろうと安心して接近していた。
ヘンゼルの両目に映るだけでもざっと十羽以上。隣同士で喋り合う声がうるさいので、見えない位置にも多く集まっているはずだ。傷を癒したばかりなのに、さっそくヘンゼルは窮地に陥っている。
「自由になりたくはない、でありますか? 自分勝手に生きても良い、でありますよ」
いちおう、ヘンゼルは妹達に問いかけてみる。
「お姉様、自由って何?? もう自分勝手に生きてるわ!」
「自由に生きているわ。だから、お姉様を自由に食べさせてね!」
「食べさせてっ! 食べさせてっ!」
返答は分かりきっていたので、ヘンゼルの顔に落胆はない。妹達を諦めるしかないという諦観は浮かんでいただろうが。
「……皐月。不肖の妹達をお願いする、であります。家族としての義理はもう済ませました」
「ふぱっ! 了解、これでツケは解消よ!」
ヘンゼルの願いを聞き受けて、突如、皐月の石像が内部から割れる。
卵の殻を割るというよりは昆虫の脱皮のごとく、皐月の石像から長髪の幼女が誕生する。裸の幼女は服を着るように炎を纏っていた。
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“『火の鳥』、永遠の命を司る傲慢鳥のスキル。
本スキル所持者が他殺された場合、年齢を幼児期まで若返ってから炎の中よりリザレクションする。
年齢を元に戻すためには、他殺犯に死をもって償わせる必要がある。
また、幼児期に退行している間はリザレクションできない”
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若返って蘇った皐月が魔法を行使する。
「――神罰、業火、大炎ッ、火鳥襲来ッ!」
皐月が纏う炎が燃え広がる。横倒しにされた溶鉱炉と同じ被害を集まるグレーテル共に与えた。燃えるというよりは溶けるように羽毛が焼失していく。
「なんて熱量、ヒぃッ!?」
「でも、それでもワタシ達の数には敵わないの! また石化して終わりよ」
「そうよ、そうよっ!」
しかし、グレーテルすべてを一気に燃やし尽くせる炎ではない。皐月が本気を出せば可能かもしれないが、ヘンゼルが傍にいる状況で行える無茶ではないのだ。
「いいえ、勝ったわ。――幻惑、陽炎、虚像、蜃気楼、旅人はそこにないオアシスを追いかけ続けるだろう――フレイム・エンド」
それゆえ、皐月はグレーテルの自滅を狙う。
幻惑魔法は月の魔法使いの専売特許ではないと熱を使った光の屈折を用いて、ヘンゼルと共に揺れる大気の中に消えていった。
「あれ、どこに消えたの?? お姉様まで、ワタシ達を見捨ててしまったの??」
ヘンゼルの許可があるとはいえ、グレーテルを全員手にかけるのを躊躇ったというのもあるのだろう。
皐月がグレーテル共にかけた幻惑は二種類だ。
皐月とグレーテルの姿を見失う幻惑と――、
「あ、そこにいたの! お姉様! 食べてあげる!」
「あ、そこにいたの! お姉様! 石にしてあげる!」
――隣にいるグレーテルがヘンゼルに見えてしまう幻惑。
グレーテルがヘンゼルを姉としてまともに接していれば、全滅はありえない。
「痛い!? どうしてワタシを食べようとするの!? お姉様!」
「酷い!? どうしてワタシを石にしてしまうの!? お姉様!」
グレーテル共は個体によってパラメーターがあまりないらしく、隣同士で殺し合って致命傷を負いあった。ほとんどが相打ちになって死に絶える。
「酷い、酷いわ。お姉様!」
「痛い、助けてっ、お姉様!」
「ワタシはただ、ワタシ達はただ、お姉様とは違っていただけなのに……」
「お姉様が――違っていただけなのにッ!!」
同士討ちに巻き込まれない位置に退避していたヘンゼルは、妹達の悲鳴を聞いても無表情を貫いた。ただ、運悪く死にきれていないグレーテルが残っていた時のために、銃に弾を込めているだけだ。
「無理しないで。任されたからには、私が最後までトドメを刺すわよ」
「大丈夫であります、皐月。家族の最期を看取るのは家族の責任、であります。人間族であればそうする、と聞いているであります」
「意味が違うわよ。もう家族のために無理するのは止めたんでしょう?」
ヘンゼルは銃に弾を込める手を停止させる。皐月の言い分が正しいと思ったのだろう。
「生き方を変えるのは大変、でありますね」




