18-8 欠陥品な私
「『オーク・クライ』発動! 竦め、ギルク!」
==========
“『オーク・クライ』、オークに対する絶対優勢の証。
相手がオークの場合、攻撃で与えられる苦痛と恐怖が二倍に補正される。
また、攻撃しなくとも、オークはスキル保持者を知覚しただけで言い知れぬ感覚に怯えて竦み、パラメーター全体が二割減の補正を受ける”
==========
記憶が模倣しているギルクに対しても『オーク・クライ』は効果を発揮した。パラメーター減少は二割までであるが、『速』では完全に圧倒できる。冷静にヒットアンドアウェイを行えば倒せない相手ではない。
「肩が痛いのが致命的だが、それは向こうも同じ! いけるぞ」
人間大のギルクも『守』は高いが、パラメーターを減少させるスキルは一つだけではない。
「『暗澹』発動! 倒れろ、ギルク!」
==========
“『暗澹』、光も希望もない闇を発生させるスキル。
スキル所持者を中心に半径五メートルの暗い空間を展開できる。
空間の光の透過度は限りなく低く、遮音性も高い。
空間内に入り込んだスキル所持者以外の生物は、『守』は五割減、『運』は十割減の補正を受ける”
==========
当時はまだ所持していなかった『暗澹』スキルの効果範囲内にギルクを捕らえる。
視覚を奪われていたギルクの背後に回り、ナイフで首筋をかっ裂いた。血が吹き出す代わりに記憶の粒が噴水のように放出されて、一部が体に降り注ぐ。
「また記憶が……ギルクを倒した時のものか」
ゴルフ場で立ち上がる巨大な化物。
持ち上げられたガスタンク。
盛大な爆発と初めてのキス。
俺という歴史の追体験に心が躍る。血管の中を熱い何かが巡っていく。
記憶がなくても生きていられるとつい一分間前まで考えていたが、完全に間違いであった。どうして己の根幹たる記憶を失ったまま、自分は自分と胸を張って言えるだろうか。杭を打ち込まれていない地盤の上に立って安心していられるだろうか。
当然であるが、自分の顔を自分が見る事は叶わない。視覚的に自分を証明するのは不可能だ。
鏡を使えば良いという正論は意味をなさない。鏡に映りこんでいる顔が、悪意ある誰かが作り上げた虚構ではないと証明できるものはいない。
自分が何者であるか。この難問を独力で解決する方法は空しくも一つだけ。
今まで築き上げてきた形なきもの、記憶に頼るのである。
「所詮はアイデンティティの問題だが、気分は大事だからな。それはそうと、ギルクを倒したという事は次の相手は――」
ギルクに変化していた記憶の粒子が新しく姿を変えようとしていた。順番通りならば次の相手はギルク以上に厄介な能力を持っている。正直、再び戦いたくない相手だ。
戦々恐々とする俺に気付いて、エクスペリオが先手を打つ。
「であれば少し操作してみせましょう。私めとしても、記憶モンスターを制御できる訳ではありませんので大きく暴れられるのは避けたいところでして」
「エクスペリオ。俺と記憶を戦わせて何がしたい。善意で奪った記憶を返している訳ではないはずだ!」
エクスペリオが俺の記憶を使って攻撃してきているのは分かるが、エクスペリオが俺を銃で撃ってこないのが不気味である。周囲のグレーテル共を攻め立てないのも不自然だ。
「記憶を見ていれば分かります。仮面のアサシン、貴方は強い。多種多様な魔族を葬った記憶を持つ貴方は、圧倒的な窮地に陥れたぐらいでは殺害できないのです。ですので、安全確実に、記憶を封じさせていただこうかと」
記憶の次なる姿は、鎧を装備する野生的な男だ。肩に担がなければ支えられない大剣を得物にしている。
「ただし、以前のように中途半端な封印ではありません。エピソード記憶のみならず意味記憶も抜き去ってしまいます。蛻の殻となった人体は自律神経さえ働かず穏やかな死を迎えるでしょう。記憶モンスターとの戦闘は、そのための儀式に過ぎません」
ギルクよりも素早い。あやうく大剣で両断されかけたので『暗影』を使って緊急回避する。
「我がスキルであっても無条件に記憶すべてを奪えません。まず、貴方の記憶の主導権を完全に奪い取る必要があるのです。記憶モンスターと戦って、より多くの記憶を奪った方が勝者として認められるっ!」
不意を付き、エクスペリオが記憶でできた鎧男の背中を銃撃した。一発では倒れなかったものの、リボルバーの弾をすべて撃ち込んで動きを鈍らせる。
エクスペリオへと鎧男が向き合い、視線がそらされた。その隙を見逃さずに接近して、鎧の合間にナイフを突き刺す。図らずもエクスペリオと共同してしまった。
「基本的には経験値取得と同じです」
「回りくどい事をッ。俺がそんなものに付き合う理由はないからな!」
取り戻しつつある記憶を再び奪われてたまるものか。記憶がまた別の姿に変化し始めていたが、完全に無視して、エクスペリオに狙いを絞って走る。
俺の『速』成長率の優秀さは、アサシン職由来のものであったのだろう。『力』や『守』で劣るものの、鈍足な魔族相手であれば確実に先手を打てる。その先手で心臓を突く事ができれば、勝利が確定する。
毛だらけのエクスペリオの体をナイフが貫く。
「――カカカッ」
……その直前、真横から現れた足に顔を蹴られてしまった。不意討ちに反応できずに転倒してしまう。
失神しかける頭を気合で働かせる。急ぎ叩き付けるように手を付いて床から跳び上がった。俺と入れ替わりに投げナイフが床へと刺さる。
「誰だ!」
どこのどいつが邪魔してきたのか。俺はそいつの姿を視界内に捉える。
端がほころびた汚らしい外套がなびいている。
外套の破れた箇所を、鳥羽で無理やり繕っている。
「――カカッ、カカカッ」
視線を上げて顔を確認するが……ハルピュイアの横顔と正面顔を合成した芸術的に醜い絵図の仮面に遮られて、確認できなかった。
謎の人物であった。黒い霞のシルエットで構成されているので、俺の記憶が何者かを模しているのは確かであるが。
「……誰だ。お前は、誰だっ!?」
だが、俺はソイツ知らない。ギルクや鎧の奴については多少思い出していた部分もあったというのに、ソイツの事だけは一切覚えていないし分からない。
けれども、知らない顔かと言われるとそうでもない。ソイツが付けている仮面は凶鳥面。俺の顔を隠している仮面と同じだ。
「オ、オマ……おマエを、おまえを……お前を殺してやるッ」
謎の仮面が、唯一見えている口元を動かして、喋った。
「なッ。記憶の癖に喋るのか!?」
「記憶が濃密なのでしょう。それだけ完璧に封じられた記憶なのですよ。当然、性能も本物に一番近くなる。仮面同士、がんばって殺し合ってみなさい」
エクスペリオは俺に襲撃されないよう遠く離れてしまっている。謎の仮面とは一対一で戦う他ない。
体がぶれて見えた。謎の仮面は残像のみを残して急速に近づく。
あまりにも動きが速くて完璧に対処できそうにない。ナイフ同士で鍔迫り合いに持ち込んだものの、手首を返されてナイフを弾かれてしまう。そして、飛んでいくナイフに目を捕らわれている隙に、脇腹を蹴られて吹き飛ぶ。
ダメージが蓄積していたので今度は簡単に立ち上がれない。その隙だらけな背中へと回り込まれて、また蹴り飛ばされる。
「クソっ、速いな。『速』で負けている」
「カカカッ! 邪魔なんだよ。お前はッ。俺の目の前から、消えてしまえよッ」
「何で俺、コイツにこんなに恨まれているんだ!?」
ボールみたいに蹴られ続けているのは屈辱だ。『暗影』を使って遠くに跳び、仕切り直しを企む。
「緊急退避、『暗影』発動ッ!」
「馬鹿めっ、『暗影』発動ッ!」
ソイツも同じスキルを使用して追撃してきたため、また蹴られてしまった。
「なァッ!? お前もアサシン職か。グッ、人を蹴るために、せめて名前を名乗れ!」
蹴られながらも、『運』良くひらひらしている外套を掴み取れた。
謎の仮面を逃げられない状態にしてから『暗器』で隠し持っていたエルフナイフを振り上げる。そのまま柄頭を、嫌悪感ある凶鳥面へと叩き付ける。
反撃に成功して、ソイツが頭を振って立ち止まった。ようやく一息付ける。
「――俺は、鳥だ。森で鳴いているだけの、鳥だッ!」
割れた凶鳥面の内側から、目が見えた。
啄ばまれていく体と共に、家族や境遇という生きている間にまとわり付いた柵も削られていく。軽くなる体のおかけで心が軽やかになっていく。
悪い魔王に従う妹達を救う。
妹達を守る。
姉としては当然の責務であった。ヘンゼルは卵から孵り周囲のまだ孵っていない妹達の卵を見た瞬間から、自然とそう思うようになっていた。母親が感じるという母性と似て非なる感情だ。母ではなく姉が感じるならば姉性と呼ぶべきかもしれない。
この感情に間違いはなかった。ヘンゼルは今でも信じている。
何故ならば……ヘンゼルは欠陥品だからである。欠陥品が欠陥的感情に目覚めて行動するのは当たり前だ。
己がまったく魔族らしくないとヘンゼルが気付くまで、そう時間はかからなかったはずだ。自分以外の誰かを一番に考えるなど非常識極まりない。
未成熟な個体が処分されていく中、妹達は脱落者を嘲笑って見送っていた。が、ヘンゼルのみが家族を助けたい気持ちを強くしていた。その純粋な願いを叶えるため、生きる事に必死になれたのだろう。
“おめぇ、役立たずならせめて謙遜したらどうだァ。敬語でも使ったらどうでぇ”
“どうすれば良いの”
“そうデぇ。言葉尻に、であります、とでも付けておけば良いだろうよぅ”
“こうすれば良いの、であります?”
欠陥的感情のお陰で生き延びられたという訳であるが、ヘンゼルが己の最後を想像していなかったはずがない。魔族として正常な妹達に救いの手を伸ばせば、喜んで喰い付かれると分かっていたはずだ。
だからこそ、ヘンゼルは凶鳥に対する契約条件を、妹達の救出、にしなかった。
“オリビア・ラインの内部へと自分を連れて行く。それが叶った時、怨嗟魔王の本拠地について情報提供を行う、であります”
オリビア・ラインに到達するまでが限界であると悟っていたから、連れて行く事のみを条件とした。
結局、ヘンゼルの純粋な願いは一人よがりなものでしかなかった訳だ。願い自体が純粋でも、魔族としては酷く不純であり、妹達は全然望んではなかったのである。
ヘンゼルは結果に落胆していない。約束された失敗のために、必至に歩み続けたのだから後悔なんて残さない。
ただ、無念があるとすれば……商売を完遂していない事だろうか。
怨嗟魔王の本拠地がどこにあるのかを凶鳥か皐月に伝えてから逝きたかったが、喰われている真っ最中のヘンゼルにとっては無理難題だ。
「………すまない、であり……ま――」
「こういう時は、助けてって叫ぶべきなのよッ、ヘンゼルッ!」
膨大な熱量が渦を巻く。ヘンゼルにたかっていたグレーテル共の羽毛に火を付けて後退させていく。
火炎竜巻で強引に道を作り上げて、赤いドレスの魔法使い職がヘンゼルの元へと駆け付ける。
「……そんな、必要は、ない……であります」
「貴女はッ、どうして助けてって言わないの!」
「……失敗して、当然……、私だけが、欠陥品……であります」
ヘンゼルはどうして皐月が助けに現れたのかが分からない。契約を終わらせていないからだろうかと勝手に想像する。
「だったらッ、どうして貴女はッ、そんなにクシャクシャな顔で、悔しくて泣いているのよ!!」
皐月に言われるで気付いていなかったが、ヘンゼルの血だらけの前髪で隠されていない片目からは涙が溢れていた。




